- onlooker -
こつこつ冷たい音を立て、廊下を歩いていると、密やかな会話が聞こえてきた。二種類の声。どちらも聞き覚えがあるそれを耳にして、弥幸は笑った。
良いタイミングだ。
ほくそ笑み、保健室の扉をノックした。どうぞと返事が返り、扉を開ける。
夕暮れが迫る中、蛍光灯もつけずカーテンが開いた窓から差し込む光。独特の消毒薬の匂い。眩しさに眼を細めながら、弥幸は向かい合って座る二人を見つける。
一人は保健室の主。もう一人は、
「……弥幸さん」
「こんにちは、取手君」
取手鎌治だった。彼は気配に気付いて後ろを振り向き、弥幸を見つけると丁寧に頭を下げる。相変わらず、行儀正しい。
取手とは、購買や今のように保健室で会う事も多く、ちょっとした友達のようなものだった。顔を合わせれば、挨拶もするし簡単な会話もかわす。
「………おや?」
弥幸は取手の変化に気付き、眼を見張る。前よりも顔色が良くなったのはもちろん、半ば暗い色に沈みがちだった眼にも、光が灯り力強くさえ見える。
何よりも、身に纏っている氣が違う。過剰だった陰氣が薄れ、陰と陽の均等が取れている。
じっと見られ、気恥ずかしいのか取手が恐る恐る弥幸を見返す。
「………あの?」
「いえ、僕に構わず、どうぞカウンセリングを続けてください。邪魔はしませんから」
「気にするな。今日はもう仕舞いだ」
机に置いてあった煙管を手に取り、仕事を終えた瑞麗はさっそく火をつける。公私の切り替えの速さに、弥幸と取手はそろって苦笑する。厳しい所も多いが、こういった愛嬌も見せてくれる彼女は、どこか親しみが持てる。生徒に人気があるのも納得出来た。
「ありがとうございました。また、お願いします」
取手が席を立つ。
「お疲れ様です」
「……いえ。あ、そうだ…、あの僕これからピアノの曲を書こうと思ってるんです」
「それは、素敵な事ですね」
取手のピアノを弥幸は壁越しにしか聞いた事がなかったが、それでも繊細で、力強く、誰かに対する溢れた想いを伝えるような音色は、とても綺麗だ。きっと彼が弾くピアノは、これからも様々な感情で彩られるだろう。
それを深める為ならば、とても喜ばしい。
「それで、あの、羽ペンを作りたくて、その………」
どもる取手に、弥幸は優しく笑いかけた。
「分かりました。数日はかかりますが、君の手に合う鳥の羽を見つけてきましょう」
ささやかな願いを快諾すると、取手の顔はぱっと明るくなる。
何処かの誰かとはえらい違いだと弥幸は胸の中で思った。
取手は改めて深く頭を下げると、瑞麗にも同じく会釈をして、保健室から出ようとする。
その直前を狙ったように、弥幸は唐突に口を開いた。
「知っていますか、ルイ先生。先程3-Cが授業をしていた化学室で爆発事故があったそうですよ」
閉まった扉の向こうで、気配が止まる。こちらを窺うように見る瑞麗に、弥幸は頷き会話を続ける。
「どうやら、昼休みに起きたものと手口が同様だったそうです」
「そうか。怪我人が出なければいいが」
「残念な事に、聴覚、耳に異常をきたした生徒が出ているそうです」
弥幸の話に合わせ、瑞麗はわざと扉の向こうに聞こえる大きい声で喋った。
「そうか、なら直にここに来るだろう。しかし、どうしてそのクラスが狙われたのか。不思議なものだな」
「職員らの話では、3-Cの生徒の誰かが不穏当な発言をしたのではないかと噂されていました。
恐らくは、生徒会執行委員による、−−処罰」
扉の向こうで足音が響く。だんだん遠のくそれを聞きながら、弥幸は満足そうに笑った。
「これで、あの子が一人で遺跡に行くのは不可能です」
「もれなく取手がついてくるから、か?」
「ええ」
取手は暁斗によって心を救われている。その恩人が危険な状況なら、彼は助けになりたいと願うだろう。
暁斗の前に新たな執行委員が立ち塞がるなら、彼はその日のうちに遺跡へと行く。取手は、さっきの弥幸らの会話で、それを理解したはずだ。
「取手君にとってはあの子が傷付くのは見たくないでしょうから。絶対に行きますよ」
断言する弥幸に瑞麗は苦笑するしかない。
「全く、人が悪いものだ。こんな回りくどい手まで使って」
「仕方ないでしょう。あの子が一人で行こうとするんだから。策を講じただけです」
「……ますます、人が悪い」
瑞麗はゆっくり煙管に口をつけ、細い煙を吐く。
「やるだけやっといて、自分は高みの見物を決め込むのだから」
「否定はしませんよ」
意地悪く口の端を上げ、弥幸は窓の外へと視線を転じる。
「僕はまだ、関わるべきではないですから」
今は、まだ。
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