嫌な予感は、していた。
 毎日五回は送られてくるメールが、今日はぱったり来ず、何の用事もない癖に、うるさくノックする音が聞こえない。
 陽も暮れて、外はもうすぐ夜になる紫紺の空。もうすぐ星も見えるだろう。それを自室の窓から見上げ、皆守は言い様のない不安に襲われる。
 今日、暁斗の前に新たな《執行委員》が立ち塞がった時、皆守は彼が少女を恐れて身体を震わせているのに気付いていた。
 物質を爆破させる《力》。
 暁斗はそれを恐れている。震えて、動けない癖に、あいつは少女を助けるなんて言っていた。
 つくづくお人好しだと思う。強がって、死んでしまったら、意味がない。
 だから、忠告したのに暁斗は青白い顔のまま、最後まで首を縦に振らなかった。
 結局そこで別れ、帰りも別々だったから、あれから暁斗がどうなったのか分からない。
 今頃、何をしているのか。無茶してるんじゃないだろうな。
 皆守はアロマプロップの先端に火をつけ、ラベンダーの香りを吸うが、どうも落ち着かない。携帯に着信がないか何度も確かめるが、何の音沙汰もなかった。
 それを十回ぐらい繰りかえして、そしてとうとう痺れを切らし、舌打ちをする。
「………くそッ」
 部屋を出て、同じ階で廊下の突き当たりにある暁斗の部屋を目指した。横切る男子生徒が、皆守の顔の険しさに、訝しんで足を止めても、気にする余裕なんてない。
 着いたら、すぐに軽くノックを二回。
 返事は、ない。
 まさか。急いでノブを回すと、呆気無く扉は開いた。不用心だと皆守は呆れながらも、今はそれに感謝した。
 中に踏み込み、明りをつける。
「……あの馬鹿」
 蛍光灯の光にさらされた部屋には誰もおらず、窓には部屋から忍び出る為のロープが括り付けられていた。

 

 

 神を祀る祭壇に置かれた伊邪那岐命の像は、その場にいる者をそびやかすように見ている。その視線の先には、暁斗がハンドガンを両手で構え、磐座の背中から生える管を狙って撃つ。正面からではびくともしなくとも、そこを狙えば、数弾当てるだけで、その化人は消滅する。
 確実に攻撃を当てて、化人の戦力を減らしていく暁斗の背に、目の前の状況に夢中で後ろに出来た隙をついて、細掃が牙を打ち鳴らしながら、近づいてきた。
「……危ない!」
 細掃が糸を吐き出す前に、暁斗は後ろから伸びてきた長い腕に引かれた。その先にいた取手が、暁斗を抱え攻撃から身を守る。
 すかさず事態を把握して、暁斗がコンバットナイフを細掃に投げ付けた。頭部と身体の境目に突き刺さり、真っ二つになる蜘蛛は断末魔を上げて、消えていく。
 HANTが機械的な声で敵影を消滅した事を告げると、暁斗は戦闘体勢を解除した。
 後ろを見上げる。
「……取手、もういいよ。離してくれ」
「……あッ、あ、ごめん」
 後ろから、暁斗を抱き締めている体勢に今さら気付いて、取手は慌てて離れる。人にそんな事をするのは慣れてないのだろう。手で口元を覆う彼の顔は赤い。
「……やっぱり、今から帰ろうか」
 暁斗は取手の手の甲に出来た傷を見て、提案する。
「オレは、お前が怪我をするのは嫌だな」
「……いや、大丈夫だよ。今回は君の助けになりたくて、自分から言った事なんだから」
「でもなぁ」
 暁斗は困り果てながら、使った分の銃弾を補充した。そして、簡単に点検して腿と腰に付けられたホルスターにそれぞれ仕舞う。
 その間、じっと取手は珍しそうに暁斗の動作を見ていた。
 暁斗の口から、溜め息がもれる。
 バディとして彼に来てもらったのは、今は正直辛いな。どうして、分かったんだろう。オレが遺跡に行く事を。
 最初、一人でリカに立ち向かおうと、暁斗は皆守と八千穂には黙って墓地にまで来た。が、そこには取手が待ち構えていて、僕も一緒に行くと言った。暁斗が駄目だと断っても引き下がらない、頑として自分の意志を見せる取手に、暁斗はとうとう負けて、連れていく羽目になってしまった。
 使いようによってはとても恐ろしい《力》を持つリカのそれに巻き込みたくないし、守りきれる自身も今回はない。だから一人で行こうとしてたのに。そんな暁斗の予想は、最初から大きく外れてしまう。
 役に立ってみせるから。意気込む取手は、その言葉通り後ろから守ってくれたり、些細な異変に気付いたりして、確かに助けてくれる。しかし、暁斗はそれに感謝するよりも、リカとの対決の時の方が気にかかってしまい。何かある度に、帰らないかと取手に持ちかけていた。
 だから、彼自身が暁斗の言動をおかしく思うのも当たり前だったのかもしれない。
「ねぇ、暁斗君」
 取手は、半ば落ち込んでいる暁斗に、問いかける。
「どうして、そんなに一人で行こうとするんだい?」
「………」
 暁斗はぎゅうと唇をへの字に曲げた。
「一人は危ないよ。ここは危険で場合によっては怪我もするし、死ぬ可能性だって、ある。そうなったら、皆守君たちも、哀しむよ」
 僕だって。
「……取手」
 大切な人を亡くした取手の言葉は重たい。暁斗はゴーグルを上にずらした。
「……オレが、嫌なんだよ」
「え?」
「誰にも言うなよ」
 そう前置きをして、暁斗は躊躇いがちに話す。
「オレ、母親を亡くしてるんだ。考古学者の母さんが、発掘していた遺跡で起こった、……爆発事故で」
 その瞬間には、まだ幼かった暁斗も居合わせていた。大きく鼓膜を突き破るような爆音。吹き荒れる熱風。立ち上る黒煙。
「今にも崩れそうなのに、母さんまだ内部に誰か閉じ込められているって、皆止めるのも聞かないで行っちゃって、……戻ってこなかった」
「……暁斗君……」
 同じ苦しみを知っている取手は、姉を亡くした時に感じた痛みを思い出したのか、胸を押さえる。
「トラウマ、なんだろうな。あれから爆発音とか、爆弾で怪我をした人を見ると、途端に身体が震える」
「……僕の時は? 爆弾を使っていたと八千穂さんが言っていたよ」
「前もって、これをしていたんだ」
 暁斗はアサルトベストから、耳栓を取り出して、付ける真似をする。
 そして、悲しげに笑った。
「椎名の《力》は怖い。全身ボロボロになって帰って来た母さんのように、せっかく出来た友達を怪我させるだろうから。それ以上に、彼女が誰かを亡くす痛みを知ろうとしない事が、悲しい」
 子供のように純粋に笑い、何かを傷つける。また父親が連れて帰ってくれる。そう信じて。
 死んでしまったら、もうその存在は帰ってこないのに。
 受け入れるのは、とても辛いが、それでもそうしなければならない。
 じゃなければ、前には、進めないから。
「……だから、オレは行かないと。怖くたって、身体が震えたって。行って、気付かせてあげないといけないんだ」
「……やっぱり、僕も行くよ」
 黙ってじっと暁斗の話を聞いていた取手は、優しくその両手を包み込んだ。固く握られていた拳を開き、自分の掌と合わせる。
「君の言う事も分かるけど、僕だって君が怪我する所なんて見たくない。皆守君だって、そう思ったから、あんな事を言ったんじゃないかな」
「……それは。……」
 気まずく、言葉を詰まらせる暁斗に、取手は笑いかける。
「大丈夫。僕は君を守るよ。だから、椎名さんを助けてちゃんと帰ろう。皆守君にも謝らないと。心配させてゴメンって。お母さんの事は言えなくても、ちゃんと理由を言えば、許してくれる」
「………」
 暁斗は静かに頷いた。瞼を閉じ、遠ざかる皆守の背中を思い出す。あれから、ちゃんと彼の顔を見ていない。
 怒られても、呆れられてもいい。
 皆守の顔を見たい。
「……分かった」
 取手の手を強く握りしめる。
「進もう。さっさと終わらせて、帰らないとな」
「……うん……!」
 笑って言う暁斗に、嬉しそうに取手は頷いた。

 

 

 罠を解除した扉の向こうに、リカは暁斗を俟っていた。土と木と、暗がりの向こうから化人が襲いかかりそうな物騒で、とても彼女には似つかわしくない場所で。
 彼女は、お姫さまのような可愛い服を着て、硝煙と血と埃に塗れた暁斗をせせら笑う。
「ようこそ。よく、ここまでいらっしゃいました。ここまで来たと言う事は、貴方は死を恐れていないんですわよねェ?」
「……怖いよ」
 暁斗は震える声で答える。リカと対峙した時から、身体が彼女の《力》を怖がって、悲鳴を上げている。それでも、無理矢理顔を引き締める。
「実は、足も動かない」
「あら、臆病なんですわねェ」
 口に手をやり、可愛らしく微笑むリカは、手を横に広げ、前へとあおいだ。細掃が彼女の後ろにある暗がりから無気味な鳴き声を吐き出して現れる。
「せっかくここまで来てくださったのに、申し訳ありませんがァ、貴方には、ここで死んでもらいますわ」
 さようなら。
 呟いて、リカは手を暁斗へと向ける。
 一斉に、細掃が糸を吐き出して来た。
「……ッ」
 どうしよう。やるべき事が分かっているのに、足が動かない。せめてもの抵抗に、暁斗はコンバットナイフを抜いて、構えた。
「……暁斗君ッ!!」
 長い腕が、先程と同じように暁斗を掬い上げる。糸が暁斗のいた場所を通り過ぎていった。
「取手ッ!」
「僕がいる事、忘れないでッ」
 まだ小刻みに震える暁斗を抱えると、取手はバスケで鍛えた俊足で、尚も吐き出される細掃の糸を躱して逃げる。
 目の前に、追い付き回りこんで来た一匹が、牙を鳴らす。無我夢中で、取手は掌を細掃に向けた。掌の中心が光り、向かって来た細掃が灰と化す。
 暁斗は取手に肩で担がれた体勢のまま、深く深呼吸をする。
「頼む。なるべく頑張っててくれ。オレも何とかするから」
「……うん、分かった」
 肩の上で揺られながら、暁斗はアサルトベストのポケットから、耳栓を取り出し耳にはめる。早くいつもの調子を取り戻す為、深呼吸を何度も繰り替えした。
 細掃の糸を避け続けて逃げる二人に苛立ち、リカは人形のような綺麗なつくりの顔を歪ませる。
「何をやってるんですのッ。早く、やっつけてしまいなさいッ」
 細掃をけしかけ、攻撃を仕掛けるが、冷静を取り戻しつつある暁斗がハンドガンを抜き、距離の近いものから悉く撃ち殺していく。
 一匹ずつ、確実に数は減っていった。
「……何ですの、あなた」
 小さな手を握りしめ、リカは怒りの形相で銃を撃ち続ける暁斗を睨んだ。振動音を立てて、周りの小石が細かく震える。
「どうして、リカの邪魔をするんですのッ?」
 最初から、目障りだった。処罰の実行を阻み、自分の考えを否定した。
 亡くなった大切な者は、帰ってこない。
 ずっと待ち焦がれていた願いを、暁斗は根本から覆し、否定したのだ。
 そんなはずはない。約束を守り続けてくれた父親が、必ず連れ帰ってくれる。間違えなんてない。
 それを、彼は。
「……許しませんわ」
 憎い。憎らしい。
 倒さなければ。自分の考えを否定し、墓を侵す者には死を、与えないと。
 リカの髪が、押し上がるように、ふわりと浮いた。震えていた石は、音を立てて破裂する。
「……貴方なんて、死んでしまえばいい」
 執拗に暁斗たちを追い掛けていた細掃が、ぴたりと動きを止め、立ち留まる。
「……死んで、死んでしまえッ!!」
 連続する破裂音。リカの《力》によって、暁斗たちを追っていた細掃らが全て爆発した。熱を伴った烈風が、二人を襲う。
 咄嗟に、取手が暁斗の上に覆い被さるようにして、地面に倒れこんだ。
「…ッ! 取手ッ、とりでぇッ!」
「動かないでッ!!」
 胸元を叩いてもびくともしない取手に守られている暁斗は生きた心地がしない。あの、幼い頃の事件を思い出してしまう。
 長い一瞬の後、爆風が止んで暁斗は慌てて取手の下から這い出た。彼を仰向けにして抱きかかえる。
 腕や背中、足に怪我を負っていたが、彼はすぐに眼を開け、良かったと呟いた。
「……怪我は、無かったようだね」
「……この、馬鹿ッ」
 でも、良かった。ちゃんと生きている。
 暁斗は心の底から安堵した。だが、直ぐ近くの小石が音を立てて割れ、振り向くとリカが未だに暁斗らを殺そうと《力》を発揮し続けている。
「………」
 暁斗の眼に、怒りが混じる。バックパックを下ろして、取手に渡し立ち上がるとリカと向かい合う。
「暁斗君」
「取手はそこにいてくれ。カバンの中に薬があるから、その傷をなんとかしとけ」
 そして、真直ぐリカの元へと歩き始めた。
 近づく暁斗に、リカははっきりと拒絶の意志を見せる。
「……来ないでくださる? リカは貴方の顔なんて見たくありませんわッ!」
 リカが叫ぶと、暁斗の近くにある、石や、まだ消え切っていない細掃の屍骸が爆発した。
「来ないでッ!!」
 爆発が続く。リカは眼についたものから片っ端に《力》を発動させていった。
 凄まじい熱と風圧が暁斗に降り注ぐ。
 学校のやり取りで分かっていた。彼は自分の《力》を恐れている。爆発を怖がる彼は今頃、身体が竦んで動けないだろう。
 それでもリカは《力》を緩めず、爆発を続ける。息を切らし、手を降ろした時には、辺りに煙が立ちこめ、きな臭さが充満していた。それに混じり、微かに血の匂いもする。
 やった。葉佩暁斗は死んだ。確信して、リカは煙が晴れるのを待った。中央にはいる筈だ。血を流して倒れている暁斗の姿が。
「−−えッ?」
 驚愕に眼を丸くした。そんなの、ありえない。目の前の様子が、信じられなかった。
「…………」
 暁斗は、立っていた。服に所々焦げを作り、顔や身体から、血を流しながらも、しっかりと地面に足を踏み締めている。
 まったく衰えていない瞳の光に、リカの方が畏縮した。
「……オレの母さんは、爆発事故に巻き込まれて死んだ」
 ざり、と一歩前に進み出る。
「オレはそれを認めたくなくて、ずっと泣いてた」
 また一歩。
「でも、母さんは帰ってこなかったし。オレは辛かっただけだった」
 一歩。
「どんなに辛くても、悲しくても! どんなに大切に思っていても、全てのものには、死は訪れるんだ。だから、……逃げちゃいけないんだ。オレも、お前も」
 最後の一歩を踏み出し、暁斗はリカの前に立つ。ひ、と彼女は小さく悲鳴を漏らした。
「逃げるな、椎名。そんなんじゃ、お前の大切な人たちは哀しんだまま、ずっと浮かばれない!!」
「違う。……リカは、逃げて、なんか。……だって」
 黒い砂が、リカの足元から滲むように出て来た。少しずつ、彼女を覆っていく。あの、砂糖菓子のような甘い声が、見る見るうちに嗄れ、醜く変ぼうした。
「…だっテ、お父様ガ言っテイたワ。連レて来てクレルッて。ベロックモ、オ母様モ、ミンナ、ミンナ−−ッ!!!」
「椎名ッ!!」
 リカの身体が、暁斗の手を擦り抜けて宙に浮き、黒い砂へと吸い込まれる。一ケ所に砂は収集すると、大きく壷の形を成して、暁斗の前に降り立った。
 壷に張り付けられた顔がにいっと笑うと、口が裂けんばかりに広がり、不気味に笑った。
 その口の奥で、空気が震える。氣の奔流が、無防備の暁斗に襲いかかった。
「−−ッ!?」
 至近距離で直撃し、暁斗は吹き飛ばされる。待っていたのは固い地面。
「暁斗君ッ!!」
 遠くで取手の叫びを聞きながら、暁斗は頭を強打して、意識を手放した。


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