「ねぇ、ねぇ、そこの君ッ!」
走りながら少女を呼ぶと、彼女は素直に立ち止まり、振り向いた。つぶらな瞳が、暁斗を映し、にっこり笑った。
「リカに、何かご用ですかァ?」
砂糖菓子のように甘ったるい間伸びした声で、少女−リカはゆっくりと言った。
暁斗ははやる気持ちを押さえ、彼女が言い終わるのを待ってから言った。
「君、椎名リカって言うんだろ? 少し、…聞きたい事があるんだ」
「まぁ、貴方はリカの事を知っていますのね。そんな貴方は誰ですの?」
「オレは、葉佩暁斗」
名前を聞いて、リカは眼を大きくして驚いた。
「知っていますわ。貴方、《転校生》ですわね」
「ああ」
隠してもしょうがない。暁斗が頷くと、リカの笑みが深くなった。それとは逆に、暁斗の心臓は化学室を出た時からだんだんと強く脈打っている。
後ろから、八千穂が追ってきた。後ろを振り向かず、正面からリカを見据え、手を横に伸ばすと八千穂を制止させる。
「君に、聞きたい事がある」
不安を押し消すように、強く同じ事を聞く。いいですわよと軽く答えられ、暁斗は息を吸ってから一気に問いかけた。
「昼休みのマミーズと、さっきの、化学室。その二つに、爆弾を置いたのは、君か」
一瞬の間。
「君は、《執行委員》だろう?」
え、と八千穂が小さく驚きの声を漏らす。
「ええ」
リカは眼を細めて笑い、認めた。そして、朗らかに笑って言う。
「それがどうかしまして?」
「彼は何もしていない! ただ話していただけだろう!?」
「甘いですわ。もしかしたら、実行するかもしれないでしょう? だから、そんな気を起こさないように、リカは《力》を使っただけですわ」
楽しそうに、フリルのついたスカートを翻し、栗色の髪をたゆわせ、リカは踊るように回る。白い手が蝶の羽のようにひらひら揺らめいた。
「《力》を使って、リカは罰を与えましたの。二度と馬鹿な考えを起こさないように」
「《力》って−」
「八千穂」
知らず前に出ようとする八千穂を、暁斗は止める。でもと彼女は訴えたが、進めたりはさせなかった。リカの《力》が自分の考えている通りなら、余りにも危険だ。
リカは、周りながら喋り続ける。
「分子と分子をものすごい勢いで震わせると熱が生まれるのはご存知でしょう。そうなると、そこから蒸気が出ますの。じゅわーと煙も生まれて」
ぴたりと、暁斗に向かって止まった。
「バーン。ですの」
暁斗は理解した。
全てを爆発させる《力》。
下手に使えば、人を容易く殺せる力を、目の前の少女は平然と笑ってやってのける。残酷な無邪気さに、暁斗の背に寒気が走り、恐れが身体を震え上がらせた。
八千穂を止める手を強く握りしめた。額に脂汗が浮かぶ。
「駄目だよッ。そんな事」
八千穂が暁斗の腕から身を乗り出して、強く否定する。
「もし、死んじゃったりとかしたら…」
「死?」
リカはきょとんと眼を丸くするが、すぐに顔をほころばせた。
「そんなの、構いませんわ」
「…え?」
「だって、お父様が、幾らでも代わりを連れてきてくれますもの。ねぇ」
笑んだまま、視線を暁斗に向ける。
「死なんて、全然大した事ではないですわよねェ?」
「………大した、事………?」
暁斗が大きく眼を見開いた。違うと声も出さずに呟く。
『残念だけど…。麻喜、…君のお母さんは』
「…どうして、そんなお顔をなさるの?」
リカが戸惑い暁斗を見る。知らずに溢れていた涙が、筋になって頬を流れる。
「………大したものだよ、それは………」
涙を拭いもせず、悲痛に言う暁斗に、初めてリカは困惑の表情を浮かべる。言っている事が分からない。理解出来ずに慌てている。
「なッ、なんでそんな事を言うんですの? だってお父様は仰っていたもの。死んでも代わりを連れてきてくれるって」
「代わりにはなれても、そのものにはもう、会えない」
気怠い男の声。階段を降りて、廊下を歩いて近づく皆守の姿。泣いている暁斗を見て顔を顰め、彼を庇うようにリカの前に立ち塞がると、冷静に言った。
「死は、そんなに甘いものじゃない。死んだ奴にはもう会えないし、誰もその代わりにはなれない。−お前は、本当に死と言うものを理解しているのか?」
淡々とした口調だが、皆守の言葉は重たく響く。それを感じた暁斗は、のろのろと顔を上げて皆守を見た。濡れている頬に、彼の視線はますます苦味が混じる。
「−−少なくとも、こいつはその痛みを知っているから、泣いているんだ」
「………嘘ですわ。そんなの………」
突如現れ、現実を突き付ける皆守に、リカは耳を強く塞ぎ否定する。きつく睨み付け、唇を噛み歪めると不快感を露にした。
「何ですの、貴方。突然現れて訳の分からない事ばっかり。貴方たちの言う事は全部デタラメだって事、リカはちゃ〜んと知っていますのよ。死んだ人を死の国に迎えに行けるって」
「………何?」
皆守が声を潜める。
「伊邪那岐の神様は、伊邪那美の神様が死んだ時、死の国である黄泉まで迎えに行ったんですのよ。遺跡に書いてありましたもの。
だから、必ず、お父様が全部連れてきてくれる。お母様もベロックも友達も、みんな」
「………」
哀れだと暁斗は思った。
ただただ、何時か父親が今まで亡くしてしまったものを連れてきてくれると、信じている少女を。
恐らく、リカには死と言う感覚を無くしているのだ。取手が、姉の死の記憶を失ってしまったように。
だから彼女は信じ続ける。死んでも、迎えに行ける。また会える。
死んでしまっても、大丈夫。
そうやって、リカは何かを傷付け続けるのだ。
−それは、凄く悲しいことだ。
暁斗はそっと皆守の前に出た。学ランの裾で、涙を拭い、リカを見据える。
「オレは、君を倒す」
「え?」
「君が《執行委員》で、オレの前に立ち塞がるのなら、」
確たる言葉と共に、暁斗は自分の意志を固めて言った。
「オレは君を倒して、救う」
「ご冗談を」
リカは即座に言い捨て、暁斗の言葉を一蹴する。
「リカは貴方に助けてもらう必要なんてありませんわ。それに、貴方の事なんて、リカ大ッ嫌いですもの。
墓を侵す墓荒らしさん。あそこで会う時は、その時はもう遠慮しませんわ」
唇に弧を描き、リカは会釈をして踵を返した。向かったのだろう。罪人を裁く為に、あの遺跡へ。
ようやく暁斗は、八千穂を抑えていた手を下ろし、息を吐く。固く握りしていた拳を広げると、掌は汗をかいている。指が、小刻みに震えていた。
「葉佩クン、顔色が悪いよ」
顔色が真っ青になっている暁斗を、八千穂が心配する。平気だと笑ってかわそうとしたが、それよりも皆守が早く口を出してきた。
「お前、アイツを恐れているだろう?」
「!!」
暁斗の身体が竦む。やっぱりなと皆守は呆れ気味に頭を掻く。
「いや、正確に言えば、アイツの《力》にか」
「………」
その通りだった。物質を爆発させる《力》が暁斗は何よりも怖い。
大きい音と、熱と風と、それに傷付く人を見てしまうと昔の古傷が疼いてしまう。
思い出して、身体が震えて動けなくなってしまうから。
「………葉佩」
何も言おうとしない暁斗を、皆守は見た。
「俺は、お前が何の為に、この学園に来たのかなんてどうでもいいことだ。だがな、死にたくなければ、もうあの遺跡の事は忘れろ」
「………」
確かにそうなのかもしれない。あの遺跡は得体の知れない所が多すぎる。《執行委員》とは違い、なんの力も持たない自分がそこに行くのは、自殺行為なのだろう。
でも、
「…出来ない。出来ないよ、そんなの」
暁斗はゆっくり首を振った。
目の前に、何かをなくして立ち止まる人を見つけてしまった以上、放っておけない。
皆守は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「死ぬかも、しれないんだぞ」
「でも、オレは」
「嫌なんだよ。面知ってるヤツが死ぬってのは」
「…皆守」
お前もオレと同じなのだろうか。何時か通った過去に、大切な誰かを、失ったのか?
思わず口先まで出かかった台詞を、暁斗は慌てて飲み込む。今はそんな場合ではないし、言ってはいけない気が漠然とした。
「…ちッ。何言ってんだかな、俺も」
自ら言った言葉に、動揺して皆守は視線を暁斗から外す。
その時、授業が終わるチャイムが鳴った。今日の授業はこれで全部終わる事になる。
「下校のチャイムが鳴ったらいつまでも校舎に残っていないで、さっさと帰れよ」
そう言い残して皆守は、暁斗たちを見ずに来た道を戻っていく。階段を昇る足音が聞こえた。
−ごめん、皆守。
遠ざかる音に、暁斗は心の中で皆守に謝る。
皆守は暁斗の身を心配してそう言ってくれたのに、その想いを暁斗は無下にしてしまった。
『嫌なんだよ。面知ってるヤツが死ぬってのは』
大丈夫。皆守には見せない。オレだって、お前や八千穂が傷付くのを見るのは、絶対ゴメンだ。
だから、一人で行こう。それなら、傷付くのはオレ一人ですむ。
「…葉佩クン?」
「帰ろうか」
八千穂に悟られないように笑い、暁斗は一人決意した。
「………」
廊下で繰り広げられる言い争いを、誰もいない教室から聞いていた弥幸は、困ったように腕を組む。
会話はだいたい聞こえた。長い人生経験のお陰で、なんとなく彼が取る行動も予測出来る。
何とか、誰か付いていかせるように仕向けないと。
溜め息を付いて、廊下に人がいなくなった事を確かめると、静かに教室を出た。まだ、化学室の方は騒がしい。爆発事故が合ったばかりだから仕方ないのかもしれない。
今回の《執行委員》は厄介だ。それに関わらず、助けようとする暁斗。
その姿は弥幸にある人物を思い出させる。
本当、良く似てるよ。
初めて逢った時の驚いた顔を思い浮かべ、肩を竦めると、黄昏色に染まっていく階段を降りていった。
保健室にて
onlooker
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