放課後の校舎は、ただそこにいるだけでも処罰の対象になりうる。そしてそれは、外であっても校舎のすぐ側なら同じ効力を持っていた。要するに、校舎から出たから安心出来る、と言う訳では無い。
 暁斗は皆守の安否を気遣いながらも、少しでも校舎から離れようと走り出した。不気味に静まり返る外は、何の音もしない。他の生徒の声も、物音も、一切聞こえなかった。
 早く、離れないと。
「------遅イッ!」
 規則正しい、だがくぐもったような声が静寂を切り裂いた。暁斗は脚を止める。辺りを見回してみるが、誰の姿も見えなかった。
「下校の鐘はとうに鳴り響いたゾ! 貴様の行いは、神聖なる学園の生徒として言語道断でアルッ!」
 何処からともなく聞こえてくる声は、暁斗に敵意を隠さず放っている。暁斗は、聴覚を研ぎすまし、声の在り処を探すが、余程相手は上手く隠れたのか、どうしても見付からなかった。どこだ、どこにいる。焦りが生まれてくる。
 じゃこん、と音がした。それは暁斗にとって耳に馴染み過ぎた音。銃に弾を装填した時の、音。
 不味い。もしかしたら、最悪の状況に向かっているかも知れない。暁斗は息をつめた。よりにもよって、何時皆守が来るかどうか分からない時に!
「よって、貴様を《生徒会》の名の元に処罰スル--------!」
 銃声。
 暁斗は咄嗟に左に飛び、右脇腹に痛みが走った。鉛玉が、制服とともに身をも抉り、灼けるような痛みと出血をもたらす。「ぐうっ」と反射的に手で傷口に触れると、滑る感触がした。鼻をつく、鉄錆の匂い。
「無駄ダ」
 くぐもった声は、高らかに言った。
「どんな所にいようが、自分は貴様を狙う事が出来ル。大人しく--------」
「暁斗ッ!」
 用事を終わらせたのか、昇降口から出て来た皆守が、撃たれた痛みに上体を曲げる暁斗を見つけ走ってくる。
「おいっ、どうした!」
 問いかけ、地面に落ちた血痕を見て状況を悟る。
「皆守、」
 暁斗は脂汗を浮かばせながら、皆守を押しとどめる。
「早く逃げろ」
 このままでは、皆守まで処罰の対象になってしまう。一応安全だと思われていた場所が、今一番危ない。自分に向けられていた銃口が、皆守に向けられているかも知れない。
「早く……。オレが惹き付けておくから」
 傷口を押えた指の間から、染み出た血が手を伝う。はっきりと見えた傷の色に、いよいよ皆守は眉を顰めて、空いていた暁斗の左手をとった。
「皆守?」
「何ぼけっとしてるんだよ。----走れッ!」
「でも-----」
 それでは皆守まで巻き込んでしまう。それに暁斗には気にかかる事があった。今自分達を処罰しようとするその声に。それを思い出すまでは、逃げてはいけない気がする。
「逃げなくていいのカ?」
 また銃声が響き、今度は傷口を押えていた暁斗の腕を掠めた。袖が裂け、新たな傷をつくり出す。
「貴様に出来るのは、ただ成す術なく逃げまどう事だけダ」
「………」
 勝ち誇る声に、それでも暁斗は動かない。泊まったまま動こうとしない暁斗に、皆守は苛立った。
「何してるんだッ。こっちに行くぞッ!」
 掴んだままの左手を強引に引き、無理矢理走させる。あまりの強さに暁斗はよろめきながら、引きずられ転ばないように走る。
「皆守ッ!」
「ったく面倒な奴だなお前はよ。こっちの寿命が縮むぜっ!」
「………」
 校舎を抜け、暁斗たちは走る。その背中を、無慈悲な銃弾は、立て続けに乾いた発射音を立て、狙ってくる。
 このまま人の多い寮の方向へ行くのは躊躇われた。関係ない人たちを、皆守のように巻き込ませたくない。
「皆守ッ。用具室の方。そこなら、人いないと思うから……ッ」
 皆守にそう言うと、脇に激痛が走る。暁斗は顔を歪めた。呼吸は荒くなり、乾いた喉はひゅうと鳴る。
 皆守は肩ごしに暁斗の様子を見て、
「お前は何処までお人好しなんだこの馬鹿が」
 と呆れながらも、言う通りに用具室の方へと方向を転換した。固く握られた手はそのままに。暁斗は皆守に手を引かれていく。
 暁斗は何時も皆守より先に歩く事が多い。学校生活でも、《夜遊び》の時も。だから、こんな風に背中を見る事などあまりにも少なくて。
 銃声が鳴る度に、皆守の制服も袖や裾が掠れていた。それでも彼は立ち止まらず走り続ける。さっきまで一日何時間眠れるか、試してみようとしていた男が。
 弾が命中すれば死んでしまう可能性もある状況の中で、暁斗は不謹慎ながらも頬を染めた。だが、状況はその原因を模索する事を許してくれない。なり止まない銃弾に追いやられるように、二人は用具室に続く横道へと入った。
 その先は、前も両面も、すべて体育館などの壁に囲まれている袋小路。最早逃げ道はない。だが何も考えていない訳じゃない。三方を囲まれる事によって、向こう側の攻撃する方向も限られてくるからだ。
「くそッ。あの銃一体何発弾が入ってやがるんだ」
 息を上げ、皆守がぼやいた。彼の脇を通り過ぎた銃弾が、体育館の壁にめり込む。
 暁斗は学ランに隠し持っていた古びた拳銃を取り出すと、出血し続けている傷の痛みを堪えながら、皆守を自らの後ろに押しやった。彼を庇うように、前に出る。
「暁斗!」
「いいから!」
 皆守を巻き込む訳にはいかない。暁斗は油断なく銃を構え、辺りを探った。気配を探すんだ。必ず何処かで件の《執行委員》はこちらを見ているはず。
 ぱあん。
 銃声と共に、暁斗の頬に、一筋の赤い線が顎へと垂れていく。くぐもった笑い声が、聞こえた。
「どうシタ? もう逃げないノカ?」
「………」
「言っておくが弾切れを狙おうとしても無駄でアルッ! 自分にはあらゆる鉛成分から弾をつくり出す《力》があるのでアルッ。地獄の弾丸が、貴様等を何処までも追い詰め、正義の鉄槌を下すノダ」
「ちッ」皆守は忌々しく舌打ちをして言う。「何が正義だ。姿も見せずに物陰から人を狙うような奴に正義を語る資格があるのか?」
「ムムッ……」
 唸る声が聞こえ、しばらくしてから一人の男子生徒が、暁斗たちの前に立った。男子生徒は赤い髪を逆立て、顔全体をガスマスクで隠してしまっている。学ランの下に着込んでいるのは、防弾チョッキ。肩や太ももにつけられたホルスターに、銃やナイフが収まっていて、その姿はミリタリーマニアを彷佛させる。
 暁斗は彼の赤い髪を凝視する。その色には見覚えがあった。確か今日、同じものを見ていなかったか?
「自分は三年C組の墨木砲介でアル」
 男----墨木はマスク越しに名前を言った。そのくぐもった声を間近で聞き、暁斗はますます首を捻る。良く聞けば、この声も知っている。
「《執行委員》として校則違反した貴様等に処罰を与える----」
 墨木は銃を暁斗に突き付けた。
「だが、処罰をする前に、貴様の名を聞いておこう」
「----葉佩。葉佩暁斗」
 正直に名乗りを上げる暁斗に、男はわずかに驚きで身じろいだ。
「その声……。貴殿は昼間の……」
「昼間……」
 やっぱりそうだった。暁斗は確信した。彼は、昼の雨降る昇降口で短い時間、言葉を交した相手。
「やっぱり、あの時の奴だったんだな」
「お前知り合いか?」
 皆守が聞いてくる。
「ああ」頷く暁斗の向こう側で、墨木が肩を落とした。
「そうか……。《転校生》カ……」
 悲し気に墨木は呟く。首が傾き項垂れていたが、何かを吹っ切るように再び銃口を暁斗に向けた。
「----ただの違反者だけじゃなく、相手が《転校生》であるならば話は別ダ。貴様は神聖なる墓を侵した大罪人でアルッ! あの場所は何人たりとも踏みいる事は出来ない聖地でアルッ!」
「……お前が最近評判の暴走《執行委員》か」
 熱弁する墨木に、冷ややかな視線を皆守は突き刺す。
「お前は本当に自分のしている事が正しいと思っているのか?」
「自分は……、自分はッ、法の執行者でアルッ。法を犯す者には、制裁が必要なのでアルッ! 兎も角葉佩ッ。貴様は自分の敵ダ。自分は正義の名の元に、法を執行するものであり、貴様こそが悪なノダ!」
「…………」
『悪』だと決めつけられ、暁斗は悲しくなった。お互いの正体が分かってしまえば、敵対する事は仕方ないかも知れない。だが、少なくとも背中越しに交した言葉の中、墨木は暁斗を優しいと言ってくれたし、暁斗も墨木をいい奴だと思っていた。だから今、敵だと罵り、銃を向ける墨木を見ているとやるせなくなる。
 暁斗はそっと瞼を伏せ、持っていた銃を下ろした。
「暁斗ッ!?」「……何ダト?」
 皆守と墨木が同時に驚いた。危機的状況で戦闘体勢を解く事は、自殺行為と同等だ。
「馬鹿野郎ッ! 何やってんだよお前はッ!」
 皆守は暁斗の行動を非難するが、暁斗は聞かない。悲しい色をたたえた瞳を上げ、墨木を捕らえた。
 墨木の身体が震える。
「ナッ……。何だ、それハ……」
 引け腰になり、後ずさる。銃口が上下にぶれた。
「……同情? 憐レミ……?」
「何なんだ?」墨木の変化に皆守は訝しむ。
「そんな目でッ……、自分を見るナッ……!」
「ふん……。顔を隠してこそこそしながらでなければ何も出来ない奴に、指図される覚えはないがな」
「! ------バカッ!」
 暁斗は皆守を思わず怒鳴りつけた。墨木は人の視線が怖いと言っていた。ガスマスクを被っているのも、それが起因しているのだろう。皆守の言葉は、正に墨木の心を抉る的確なもの。知らなかったとは言え、声を荒げずにはいられない。
 墨木が、うめきながら銃をゆっくり上げた。暁斗と皆守は一斉に墨木を見る。ニ対の視線を受け、墨木は苦しげに身を折った。
「ウッ……。クッ……」
「何だ……?」
「見ル、ナ……」
 銃口が三度暁斗に向けられる。
「そんな目で、そんな目デ! 見るナアアァアア!」
「暁斗ッ、逃げろッ!」今にも引かれそうな引き金に、危うさを感じ、皆守は暁斗の肩を掴む。だが、暁斗は動こうとしない。揺り動かす手を拒み、はね除けた。
「暁斗ッ!」
「……貴様、何故逃げないノカ……」
 死が目前に迫っている暁斗は、怯えず自分を見つめている。暁斗の取る行動を理解出来ず、墨木は首を振った。
「自分に撃たれるのが、恐ろしくないノカ……?」
「だって、逃げたらお前を知る機会がなくなるだろう?」
「何、ダト……?」
「オレは、何も知らないのにお前を『悪』だと決め付けたくないよ、墨木」
「ナッ……。貴様ハッ……!」
「墨木」
 暁斗が一歩、前に出る。「馬鹿」と無謀な行動を皆守が非難する。
「----墨木」
「----自分の銃は、正義の、為、ニ………ッ!」
 墨木の銃がかちりと鳴った。安全装置が外れている。あとは引き金を引くだけで辺りは暁斗の死体と血の海が出来上がるだろう。
「オ、オオオオォオオオオッ!!」
 叫び、墨木は銃を撃った。抵抗もなく立っているだけの暁斗目掛け、鉛の固まりが発射させる。
「暁斗--------ッ!」
 暁斗の背を、皆守が蹴りつける。まさか後ろから蹴られるとは考えていなかった暁斗は、避ける暇もなく蹴りを受け、地面に倒れ込んだ。そして自分自身も身体を低くする事で銃弾を交す。鉛玉は、二人の上を通り過ぎ、体育館の壁に当たった。
 目にも止まらぬ速さに、墨木は勿論、蹴られた暁斗すらどうして地面に転がっているのか理解出来ない。
「全く、所構わず撃ってきやがって」
 身を起こし、皆守は倒れた暁斗に手を差し出す。
「悪かったな、いきなり蹴って。まぁ鉛玉喰らうより、マシだろ?」
「皆守……」
 為すがままに皆守の手を取り起き上がる暁斗の後ろで、銃弾を躱され慌てる墨木が皆守を凝視する。
「何故ダッ……。何故当たランッ!」
「さぁな」わざととぼけて言いながら、皆守は暁斗を庇い墨木と対峙する。「お前の腕が悪いからだろう?」
「クッ………!」
 心無い一言に、墨木はいきり立ち、皆守に銃口を向けた。かたかたと腕は震えていて、めちゃくちゃな狙いを定めている。
 逃げろ皆守。暁斗がそういうよりも早く、
「警備員さーん! 早く早く! こっちですよー!」
 大きな声が割り込んでくる。
「こっちで銃声みたいなのが聞こえたんですよー!」
 辺りに響く大声に、墨木は慌てている。流石に、大事になるのは好ましくないらしい。それに彼にとって一番苦手な他人からの視線が集まるのだ。こうなってしまうのは必然だろう。
 墨木は銃の安全装置をかけると肩のホルスタに収める。そして暁斗の方を向くと、
「葉佩……。次に会う事があれば、容赦なく----撃つ」
「今だって撃っていただろ……」
 うんざり返しながらも、皆守はさり気なく暁斗を自分の背中へと追いやり、墨木の視界から隠した。
「五月蝿イッ。部外者は黙ってイロッ!」
 声を荒げ、墨木は「ウッ……」と苦しげに呻き、手で顳かみを押さえる。
「自分の銃は、……正義の、為、ニッ……」
 そう自らに言い聞かせ、墨木は走り去っていってしまった。その背中を、暁斗は苦しそうに見つめる。
「はい、警備員さーん。ここですよー------って」
 自分達を窮地から救ってくれた声が近づき、テニスウェア姿の八千穂が、「二人とも、大丈夫!?」と息を切らせて大急ぎで走ってくる。
 見知った恩人に、皆守は目を丸くした。
「八千穂-----ってことは警備員なんてのは嘘だな?」
「どうして分かったんだ?」
 訪ねる暁斗に、八千穂は息巻き、怒ったようにこしに手をつく。
「だって、部活に遅刻した罰でランニングさせられてたら、銃声がいきなり聞こえてくるんだもん! それで見てみたら、暁斗クンと皆守クンが襲われているから……」
「八千穂……」
 銃声に慣れているからと言っても、八千穂の行動は無謀だ。警備員を呼ばれて、墨木が逆上する可能性だってあり得たから。だが、暁斗は素直に心配してくれた彼女に胸を突かれた気持ちになった。
「ありがとう。助かったよ」
「うんッ」
 嬉しそうに頷き八千穂は、暁斗と皆守をじっと見た。
「それで、怪我とかしてない?」
「俺は平気だ」
 即答する皆守に対し、暁斗は戸惑ったように口籠り、そして、
「……オレも、大丈夫」
 さり気なく脇の傷を腕で八千穂の視界から隠す。これ以上、八千穂を心配させたくない。
「って、暁斗クン、血が出てるじゃない!」
「えッ----」
 思わず指摘され、暁斗は肩を震わせ驚く。ばれてしまったか?
「ほらここ。掠ったみたいだね」
 八千穂が自分の頬を突ついて見せて、暁斗に怪我の場所を教える。自分で触れてみると、確かに滑った感触がして、血が流れていると教えている。
「あっ、ああ。そこね」
 杞憂だった心配に安堵して、「そう言えば、今頃痛みだしたよ」と気が抜けたように笑う。
「ちゃんと消毒しなきゃ駄目だよ」そう言って消毒薬と絆創膏を取り出す八千穂と、それを受け取る暁斗の様子を、皆守は複雑そうに一人じっと眺めていた。
「ねぇ、あの子……。放っておいて大丈夫かな?」
 あの子とは、墨木の事だろう。心配そうに言う八千穂に、皆守は「どう言う意味だ」と聞き返した。
「ん……。何だか苦しそうに見えたから……」
「……」
 皆守も、暁斗も黙り込む。八千穂は、人を見る目が確かだ。そして心の迷いにも聡い。きっと見た時間は僅かだったが、彼女も墨木に対して思う所があるのだろう。
「ね……。あのさ、あの子が言っていた正義----って何だろうね?」
「そんなもの……。俺が知る訳ないだろ」
 皆守が苛立ったように髪を掻く。
「うん、そうだよね」八千穂は頷き、今度は暁斗を見る。
「暁斗クンは……? 暁斗クンは、自分にとっての正義って何だか分かる……?」
「…………ううん。分からない」
 そもそも、今までこの学園でやってきた事は《生徒会》にはまぎれもない悪として目に映るだろう。暁斗にも、その実感がある。それがある限りは、自分の行動を、墨木のように正義の名の元で、なんて口にするのも憚れる。だから、正義とか悪だとか、それら引っ括めて関係なく、自分の思いを口にしてぶつけるしかない。
「そっか。………」
 八千穂は、暁斗の答えに残念そうに口をたわめる。ぎゅっと唇を閉じて、悲しく暁斗を見た。
「……おい、八千穂」二人の間を遮って、皆守が口を開く。
「お前、部活を抜け出しているんだろう? 戻らなくていいのか?」
「やっばあ! 罰則ランニングの途中だったんだ……。鬼の副部長にしばかれる……」
 青ざめ、八千穂は慌てて踵を返した。「早く戻らないとっ。じゃあまたね、二人とも!」と駆け足で去っていく。
「やれやれ……。ホントに騒がしいやつだな……」
 皆守は八千穂を呆れながら見送った。
「でも、そのお陰で助かったんだし……」
「そうだ、暁斗。お前----------」
「やはり生き残ったか。《転校生》よ----」
 屋上から耳障りな声が聞こえた。鼓膜を不快に震わせて、背筋が凍る声音。二人は弾かれたように上を見上げ、暁斗はその正体を目に映す。
「思っていた通りだ。お前こそが我の正体を知るに相応しい」
 闇色のマントが、吹いた風に靡く。それは鳥を模した仮面をつけた男だった。顔の中で唯一見える口が、不穏な笑みを象っている。左手につけられた三本の長い鈎爪が、動く度に金属を擦りあわせて鳴く。
 まさに、怪人と呼ぶに相応しい容貌----。
「我はファントム。----呪われし学園に、裁きを下す者。----葉佩暁斗。我が求めていたのは、お前のような純然たる強さと欲の持ち主だ」
「何だと……?」
「《力》持つ人間とは言え、所詮スミキも《生徒会》に属する者。あのヒゴと言い、マリヤと言い、《魂》亡き者は肝心な所で役に立たぬ」
「……つまり、お前が《執行委員》たちをそそのかしていたと言う訳か」
 皆守が深々と溜め息を吐く。
「そのお陰で、暁斗や俺が、迷惑を被ってきたのか、察してほしいものだ」
「何を言う。それはそこの《宝探し屋》が進んで巻き込まれてきたせいだからだろう」
「…………」
 ファントムが、声を震わせて笑う。
「忌々しい《墓守》ども----。その《墓守》共が我の意のままに動く様は、さながら地の誘惑に負けた天若日子のようではないか。やがては自らの信じた天に裁かれ、五匹の鳥に葬送される哀れな者。だがそれでいい。天の意志を組む者など、全て滅びればいいのだ」
「……」
 自らに陶酔して、熱っぽく語るファントムを、皆守は冷たく睨んだ。彼の後ろで屋上を見上げていた暁斗は、ファントムを取り巻く黒い靄を垣間見、瞠目する。あの、七瀬と入れ代わった事件の際、闇夜の墓場で会った黒い影と同じものだ。
 知らず、手が震え、皆守の学ランを強く握りしめる。あの闇は怖い。心の根底から、崩れ去りそうな恐ろしさを伴っている。
 そんな暁斗をファントムは嘲る。
「そう恐れるな、葉佩暁斗。我はお前の味方だ。そしてお前は、あの忌わしき《生徒会》を打ち倒す者だ。我に手を貸せ。同じ目的を持つ者同士、協力しあおうではないか」
「……誰がッ!」
「ほう? ならば聞こう。お前が今までしてきた事は何だ? 結果的には同じ事だろう。お前は《生徒会》の戦力を減少させてきている。その結果を知らぬとは言わせぬ」
「……それは-----」
「まぁいい」ファントムは暁斗の弁解も聞かず、何かを投げて寄越した。建物の隙間から差し込んだ橙の夕日が当たり、鋭く光を反射させる。地面に落ちるとそれは、ニ三度不規則に跳ね、暁斗の足元で止まった。
「-----鍵?」
 それは何の変哲もない鍵だった。今まで貰ってきたものと形状が左程変わらない。
「それがあれば、夜でも校舎に入る事が出来る」
「校舎の?」暁斗はまじまじと鍵を見つめる。「この鍵が?」
「そうだ。それを使い、この学校の秘められた夜を思う存分暴くがいい」
「どうしてオレに」
「我は《鍵》を探さねばならないからだ。忌々しい《墓守》の相手をしてもらうお前には入り用だろう?」
「………」
「我は《ファントム》」
 風はとうに失せたのに、ファントムの外套が大きく翻る。
「この地の解放を遥か太古より待ち望む者……。また会おう。闇に魅入られし人の子よ」
 暁斗が顔を上げれば、外套に身体を包まれたファントムが屋上からかき消えるようにいなくなる。耳障りな笑い声を残して。
 完全に静寂が戻り、今まで聞こえてこなかった人の声や、体育館の壁越しにボールを打つ音が聞こえてくる。まるで、今さっきまで異世界を彷徨っていた錯覚を覚えた。だが掌にはちゃんとファントムから渡された鍵がある。これは夢なのではないと、冷たい金属の感触が教えてくれた。
 鍵を握りしめる。二度目の邂逅だったが、どうにもファントムは気味が悪かった。下手に近づいたら、闇に引きずられそうだ。
「あれがファントムか……」
 皆守は屋上から暁斗へと視線を移す。
「あの仮面は何処かで見た事がある気がするな」
「本当か? 何処で?」
「何処でってなあ-----」
 仮面の正体もしくは何処から来たのか分かれば、ファントムについて何か分かるかも知れない。暁斗は期待の篭った目で皆守を見つめるが、
「ここで考えても仕方ないか」
 さっさと考えを打ち切られ、落胆する。深々と溜め息を吐けば、忘れていた脇腹の傷がずくんと痛む。あまりな不意打ちに、暁斗は思わず「いっ」と堪えきれず呻いた。
「暁斗?」皆守は不審に暁斗を覗き込み、「そう言えばお前脇を撃たれていなかったか?」と余計な事を思い出してしまう。
「へっ、平気! こんなのすぐ治るかすり傷だから!」
 内心妙な所で鋭い皆守に悪態をつきながら、暁斗は空元気に笑う。本当は肉も多少は抉れているだろう傷はさっさと戻って治療しなければならなかった。
「ふーん」皆守は疑わしく暁斗をジト目で睨んでいたが、「ま、いいか」と踵を返す。
「いつまでもこんな所にいないでとっとと帰るぞ」
「あ、うん。待って------」
 暁斗は道へ出ようとする皆守を追い、脇の傷を庇いながら走っていく。

『………』

 遠ざかる背中を、二人の少女が見つめ、そして消えていった。

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