身体が、何人もの人間によって、押えつけられていた。容赦なく手や足で踏み付ける力は強く、肺が押しつぶされ呼吸がうまく出来ない。僅かでも身じろげば、こめかみに冷たい銃口が突き付けられた。
限られた自由の中で、少女はその目を大きく見開き、倒れている母親を食い入るように見つめる。
いつも優しく笑いかけてくれた母親は、自ら流した大量の血の中でをぴくりとも動かない。
「あ……。あ……」
少女は指先で土を掻き、大粒の涙を零す。朧げながらも母親の死を理解してしまった彼女は、立ち上がり骸に駆け寄りたい衝動が沸き上がってくる。だが、無表情の人間が、それを阻んだ。
少女は泣き叫び、手足をばたつかせて虚しい抵抗を繰り広げた。
「うるさい」
辛うじて振り解けた右手をすぐさま少女とは差程年が変わらない少年が足で踏み押さえる。固い靴底に勢い良く地面に擦り付けられ、掌に激しい痛みが走る。
「うっ。ああっ!!」
掌から流れた赤い血が、土に染みた。思わず少女は奥歯を噛み、痛みを堪えても苦悶の表情は隠しきれない。
少年が愉悦の笑みを浮かべた。
「あああ……っ」
「イイ顔をするね、君。けど」
踏み付けた掌を抉るように少年は靴底を動かし、赤い染みを拡大させる。 ただ目に涙を溜め、痛みに呻く少女を見下ろし、顔から笑みを消した。
「------正直、期待外れもいい所だよ。せっかく君の《力》を楽しみにして、人間をたくさん連れてきてやったのに、誰一人傷つけることすら出来ない。僕だったらあっという間なのに」
心まで冷え込む氷の声。少年は冷徹に少女を見つめ、蔑むように唇を歪めた。
少女の耳元に口を近付け、そっと囁く。
「可哀想だったね。彼女。君に《力》があったなら、母親は死なずに済んだかもしれない」
ぼやけた少女の目に、もう笑いかけてくれない母親の亡骸が目に映った。
「おかあ、さ」
声が引きつって、上手く言えない。
息が詰まる。
「君が生まれさえしなければ、良かったのにね」
自分の。
「君が、生まれさえしなければ、彼女は死なずにすんだんだ」
自分の、せいで。
「そう----」
少年が、決定的な一言を言った。
「君なんて、いなければ良かったんだ」
身体が落下していくと同時に、意識が浮上する。
暁斗は頭を固い床にぶつけて目を覚ました。保健室で並んだベッドの隙間。細く長い光の中で、上に伸びた足が情けなくベッドの端に引っ掛かっている。
頭が痛い。暁斗はぶつけた箇所を擦りながら、足を床に下ろし、ベッドの端に手を伸ばして隙間から這い上がった。さっきまで寝ていた布団は暖かく、痛みで覚めた眠りを呼び起こしてくれるが、昼休みが迫っていた為に泣く泣く諦める。
昼ご飯を食いっぱぐれると、ただでさえ悪い調子が余計に悪化してしまう。体調の悪さは任務の遂行にも影響が顕著に出てしまう。しっかりと調整も考えていかなければ。
これでも、健康には自信があったのに。腑に落ちないながらも暁斗は身なりを整え、乱れた布団を折り畳むと仕切っていたカーテンを開けた。
「おや。もういいのか?」
暁斗以外に急病人もなく、ゆるやかに煙管の煙を燻らせていた瑞麗が、灰皿に火を落とした。
暁斗は瑞麗の前にある丸椅子に腰を下ろす。
「はい。休んだお陰で大分良くなりました」
「そうか。だが一応熱を計ってみよう」
机の引き出しから体温計を取り出し、瑞麗は暁斗にそれを差し出した。暁斗は電源を入れ、小さな窓にデジタル式の数字を確かめ、ボタンも外さずそのまま学ランの下から体温計を入れた。
「服を脱げばやりやすいだろうに。どうしてそんな面倒をする?」
「オレはこの方がいいんで……っと出来た」
脇に体温計を挟む目的を果たし、暁斗は体温計がずれないように姿勢を正してじっとする。
授業中の学校は生徒が校舎に詰まっているのに、とても静かだ。暁斗と瑞麗、二人しかいない保健室はそれがさらに際立っている。沈黙の中、煙草の残り香から、僅かに煙の匂いが空気にたゆとう。
「……さっき、随分とうなされていたようだったが」
瑞麗の顔が、カウンセラーの心を覗き込むようなものへと変わった。
「最近も体調が悪いみたいだし、差し支えなければ私に何を見たのか教えてくれないか?」
「…………」
しばらく考えた後、「すいません」と暁斗は頭を下げた。
「イヤな夢なのは分かるんですが、思い出せないんです。頭に霞がかかっているみたいにぼんやりして」
「そうか。葉佩が謝る必要はないさ。だがうなされるなんてただ事ではないと思うからな。もし、夢見の悪さが続けばちゃんと報告してくれ」
「すいません」
体温計が小さな電子音を繰り返す。暁斗は再び学ランの裾に手を入れ、取り出した体温計を瑞麗に手渡した。
「三十六度九分。微熱か」
「でも、オレ。もともと体温が高いから」
「だが用心はしておくべきだ。熱が出たら言うんだぞ?」
「はい」
シャツの裾をしまって暁斗は立ち上がる。
「それじゃ、失礼します」
暁斗は丁寧に一礼し、保健室を出ていく。
瑞麗は体温計の電源を切り、プラスチックケースに入れながら、
「このまま何もなければいいが」
希望にも似た、不安な呟きを漏らした。
昼休みに入り、ツチノコ騒動は収まるどころか、さらに熱が強くなってしまっていた。すれ違う人の大部分が、何かしら手にツチノコを捕獲する為の道具を持っている。
校庭に出たと言えば校庭に。体育館の裏で見かければと噂が出れば、こぞって競うようにみんな移動する。休み時間だけの行動なのがさすがだった。授業中生徒が敷地内をうろついていたら、《生徒会》はかなりの人数を処罰する羽目になっていただろう。
みんな真面目なんだけど、どっか夢見てんだよなあ。暁斗は先日の宇宙人騒動の慌ただしさを思い出し、うなだれた。あれも身体にと言うよりは、精神的にきつかった。
ツチノコ騒動でこれだから、学校の地下に超古代文明の遺跡がってことになったら、あっという間に大事になる。
墓地に眠る入り口に殺到する人の群れを想像して、暁斗は苦笑いを浮かべた。
モップと木刀を持った男子生徒が横を通り過ぎる。襲われたもしもを考えていたらしい彼は、剣道の防具を着込んでいる。学ランに防具のおかしな組み合わせに、暁斗はついそれを眼で追ってしまう。
前にあった壁にぶつかった。暁斗はバウンドし、床に尻餅をつく。壁なのに、妙に暖かくそして弾力があった。
「お?」
壁--------だったものが振り向いた。
「何だ、葉佩じゃないか」
「夕薙」
「いきなりぶつかってくるから驚いたよ」
今日初めて会った夕薙は、手を伸ばし倒れた暁斗を助け起こす。彼の力が強いのか、それとも自分が軽いのか、悠々と片手で引き上げられ暁斗は少々複雑だった。
「それにしても」
夕薙は戸惑ったように顎鬚を撫で、慌ただしい廊下を見回す。
「今日は一体どうなってるんだ? ここに来るまでに虫取り網やモップを持った奴らと何度もすれ違ったぞ」
「……まぁ、そう考えるのが普通だよな」
暁斗は安心して頷き、簡単に事のあらましを説明してやる。ツチノコと聞いて、彼はとても驚いたが、話が進んでいくうちに表情が渋くなる。
「馬鹿らしい。学校内にそんなのがいると本気で考えているのか? ジャングルの秘境ならともかく、ここは東京のど真ん中だ。ある訳がない。まったく宇宙人騒ぎに続いてツチノコとはな。どうなってるんだ、この学校は」
「そうだよな」
「葉佩は俺と同じ考えのようだな」
夕薙はほっとしたように笑った。
「そうだ。ツチノコに限らず、ネス湖のネッシーやブエルトリコのチュバカブラだって真相は不明のままだ。『不明』と言うのは、『明らかになっていない』と言う意味だけではなく『明らかに出来ない』と言う意味もあるだろう。いずれにしろ、俺はツチノコだのなんだのより大切なものがある」
「大切?」
「ああ」
神妙に夕薙は、自分の分厚い胸の上に手を置いた。
「今日は学校に来れたからいいものの、寮で寝ている日も多い。こうも身体の調子が悪いと、学校の生活もままならないし、不自由で仕方ない」
そのまま、物憂気に笑う。
「全く、頑丈そうな身体をしていながら、情けない話さ」
「----それは違うぞ。夕薙」
暁斗は夕薙の腕を両の掌で掴んだ。
「オレも今体調が悪い。でも、同じ体調が悪くても、夕薙は転んだオレを引き上げたじゃないか。しかも軽々と」
『軽々』のところを妙に強調させる暁斗に、夕薙は思わず緩やかに笑う。
「それは葉佩が転んだから」
「そう! でもそんな当たり前ができるんだから、夕薙が気にすることじゃない。病は気からって言葉もあるんだからさ。あんまりくよくよするな」
「……葉佩。……ありがとう。君は優しいんだな」
夕薙は胸に置いていた手を頭一つ以上低い暁斗の頭に移動させ、大きく撫でる。手が左右に動く度に暁斗の髪がどんどん跳ねていく。
「わっわっ。やめろよ。髪がッ」
「なんだ。いつもと変わらないじゃないか」
「もうっ」
手を払い除け、暁斗は跳ねまくった髪を手櫛でどうにか整え直す。
「確かに葉佩の言うことも一理ある。身体と精神は深い関係を持っているからな。東洋医学でも精神に働きかけ、身体の病を治療する療法もある。まぁ、この辺は俺よりも瑞麗先生の方が詳しいからな。今度聞いてみるといいさ。--------君も体調が悪いんだろう? 病は気から、だ」
「そうだなあ。ちゃんと、していかないとな」
暁斗と夕薙は揃って声を上げ笑った。こうしているだけで、さっき見てしまった夢の残滓が洗い流されていくようだ。
夕薙はいい奴なんだけど。
暁斗はふと窓から外を見ている人に眼が止まり、思わず息を止めた。それは隣の彼も同様だったらしい。笑みが引っ込み、二人は同じ所を見つめていた。
「…………白岐か」
硝子に手と頬を寄せ、窓際に立つ少女は温室の方向をじっと視線を向けていた。
途端に身を固くさせる夕薙。彼は白岐と関わる時、妙に自分との間にやたら挑戦的な空気を醸し出してくる。それ以外では本当に気のいい友人なのに。暁斗にとって、今の状況は作られても困るばかりだ。
白岐は大切な友人だ。一方的にライバル視なんてしてほしくない。
「…………」
不意に窓から離れ、白岐は知らず二人のいる方向へ歩いてきた。そして辿り着く三、四歩まえでようやく気付く。彼女はわずかに驚き、軽く身を引いた。
「………こんにちは。そこをどいてくれる?」
話し掛けてはくれるが、言外にあまり関わりたくないと言っているように暁斗には聞こえる。
「ごめん」
暁斗は直ぐさま非礼を詫び窓側へと寄るが、夕薙は留まったまま。
「何を見ていたんだ?」
「………?」
いきなりの問いかけを推しかねた白岐は言っていることが分からないと夕薙へ視線をずらす。
「今窓の外を見ていただろう? 何を見ていたんだ?」
「別に何も。私はただ外を眺めていただけ」
「嘘を言うな」
夕薙の語尾が強くなる。責めているような口調。
暁斗の心臓は生きた心地がしない。緊迫した雰囲気に口を挟めるはずもなく、ただ早く終わってくれと祈るばかりだ。
そんな切なる心情も知らず、夕薙は言葉を続ける。
「あの温室に何かあるのか? ------それとも、温室の方角に」
「……言ったはずよ。私は景色を見ていただけ。それ以外の答えなど何もない」
静かに、だがはっきり答える白岐。彼女を夕薙は瞠目して見る。そして両手を軽く上げ、降参の格好を取った。
「そうかい。分かった。そういうことにしておこう」
「話はそれだけ? それじゃ私は行くわ」
白岐は夕薙の横を通り過ぎようとする。
だが、
「------おっと」
夕薙が手を伸ばし、白岐の進路を阻む。
「夕薙!」
思わず暁斗は声を荒げ、夕薙を非難する。
「そんなことをしちゃ駄目だ。通してやれよ」
「駄目だ。せっかくの機会だからな。有効に使わせてもらう」
「…………」
暁斗をあしらい、夕薙は白岐と向き合った。今度は一体何を言う気か。内心ハラハラする暁斗が聞いたのは、
「今度、晩飯でも一緒にどうだい?」
さっきまでの話からは懸け離れているあり触れた誘い文句だった。もしかして、今までの会話は全て前ふりだったとか? だけどそれならそうで、もう少し和やかにするべきだろう。こんな気まずさの中では返答にも困るし。半ば混乱して暁斗は頭を抱えたくなる。
一番冷静だったのは誘われた本人だった。彼女は無表情に瞬きをしながら夕薙を見、そして彼の肩ごしに混乱中の暁斗を見てから、
「葉佩さんが一緒なら考えてもいいわ」
そう答える。
「へ? オ、オレと?」
「ええ」
思い掛けない返答に、夕薙ばかりだけでなく、暁斗自身も眼を開いて白岐を凝視した。
彼女は静かに口の端に笑みを乗せる。冷たい雪の中でも可憐に咲く花のようだった。
「どうかしら」
「どうもこうも、オレは全然オッケー。白岐とは一度ゆっくり話してみたいしさ」
今までも温室で会うことは数回あったが、会話らしい会話が成立した回数は殆どない。
だったら夕薙の提案も案外悪くないかも。友達として白岐の事を知りたい暁斗は、思わぬ方向に話が変わったことを素直に喜んだ。
「是非。こちらからもお願いします」
「ええ。私も葉佩さんとは話してみたいから。考えておくわ。------それじゃ」
今度こそ夕凪の横を通り、廊下を歩き始めた白岐の後ろ姿を、夕薙は神妙な面持ちで見送る。まるでそれは恋愛と言うより、何かを得る為の手がかりに執着するような感じだった。
夕薙も何かを捜している?
直感的に暁斗はそう感じた。
「------葉佩」
「………何?」
「この学園には謎が多いと思わないか?」
「どうして、そんなことを」
「……生徒の間でまことしやかに囁かれる怪談。墓地や廃虚、学園と言うには不似合いな場所。一見無関係に思える全ての点は、------俺には一つの真実に繋がっている気がしてならない」
「……しん、じつ……」
墓地に眠る、あの遺跡に?
飛び出かけた言葉を暁斗は慌てて飲み込む。
夕薙はさっきまで白岐が立っていた窓へ眼を向けていた。そして白岐が見ていた何かを必死に捜そうとしている。
「……俺の見た所、白岐は何かを知っている。この学園に隠された何かを、な」
「何だって?」
暁斗を置いて、夕薙が踵を返す。
「お、おいっ。夕薙!!」
慌てて呼び止めても、夕薙は「風にあたってくる」と言い残してさっさと歩いていってしまった。
「なんなんだよ……」
夕薙の含みのある言葉に、喧噪に取り残された暁斗は窓に背を付け額に掌を押し当てた。
気になることだけ言って、いなくなるなよ。
一体夕薙は、白岐は何を知っているのだろう。どこかで、自分の知らない何かが蠢いている気がする。
その一端を、謀らずとも担ってしまったのは、ちゃんと自覚しているから。把握しておきたいのに。
何かあったあとで、知ったんじゃ遅すぎる。
暁斗は窓から温室の方角を見た。
その先にあるのは、遺跡が眠る墓地がある。
暁斗が外を見つめ、思いを馳せている頃、皆守は屋上のフェンスに凭れ、ラベンダーの香りに包まれていた。いつもの自主休講をする彼の上空では、ぽっかりと浮かぶ白い雲が、風に揺られゆっくり流されていく。学園を通り過ぎ、雲は外へ移動を続けていた。
皆守は己を嘲る。
今、何を考えていた?
牢獄みたいなこの学園を抜け出して、遠い世界に行ってみたい。何の柵もなく、誰にも縛られず、ただ風に身を任せて。
好きなように生きてみたいと。
何時から俺はこんなことを考える人間になっていたんだ?
アロマプロップの先端を強く噛み締める。
あり得ない。そんなことはあるはずないんだ。
強く言い聞かせる。
そんなことを願って何になる?
俺の魂は、ずっと『あの時』から捕われ、
これからも。
『--------甲?』
はにかむように微笑んで名前を呼ぶ声がする。
「…………暁斗?」
皆守は身体を浮かし、入り口を見た。
重くさびを擦る音を立て、扉が開く。そこから出てきたのは、
「ふー。やれやれ、だ」
皆守が期待していた人間ではなく、寧ろ絶対に二人きりになどなりたくなかった人物だった。この瞬間、皆守は屋上にいることを後悔する。
きっちりと着込んだジャンパーを脱ぎ、つなぎの上部分も大きくはだけている。いつもの姿からは想像出来ない砕けた顔をして、その人物--緋勇弥幸は晴れ渡った空を見上げて、屋上に出てくる。直ぐにラベンダーの香りに気がつき、彼は顰め面をしている皆守を発見した。
たちまち他人の前では絶えなかった穏やかさが失せ、抜き身の刀のような冷たく鋭利な光が眼に宿る。彼が誰にも--暁斗の前ですら見せない一面を、皆守の前では簡単にさらけ出していく。
シニカルな笑みで、弥幸は皆守に言う。
「よぉ。またいつものサボりか?」
「……お前には関係ない」
皆守はそっぽを向いた。出来るならこれ以上喋りたくない。
「とっとと失せろ」
「つれないこと言うなよ」
弥幸は肩を竦め、警告も恐れず皆守の隣に並ぶ。
「俺にだって休みたい時があるんだよ。人のイイお兄さんを演じるのに、疲れる時だってある」
弥幸は低く笑う。どうして他の奴らはこうも簡単に彼の演技に騙されるのか。皆守は不思議でたまらない。加えて何故自分にだけ本性を表すのか。
皆守はアロマを強く吸い、心の平静を保とうとする。横にいるのが、弥幸などではなく、暁斗だったなら、どんなに良かったことか。
「------今、暁斗の事を考えていただろう?」
「------ッ!!」
皆守は弾かれたように弥幸を見上げ、睨み付けた。
「おいおい。自覚ねえのかよ。お前」
弥幸が呆れて笑う。
「……何がだ」
「あの子----暁斗の事を考えると、お前の氣が和らぐんだ。どうやら知らぬ間にお前は暁斗に心を許し始めているみたいだな」
「そんなこと」
「ないとは言わせない。俺はかれこれ、不本意ながらも一年以上お前と関わってきたんだ。これまたイヤなことだが、他人よりはお前の内情も考えていることも分かっているつもりだ」
弥幸はフェンスに凭れる。フェンスが僅かに揺れ、それに合わせて皆守の身体も上下に揺れる。
「『あの時』からずっとラベンダーに包まれて、全てを。生きることすら億劫だったお前が----。今じゃ同級生と一緒に授業に出たりサボったり。夜だって『どこか』に行ったりな」
「--------お前。何を知っている?」
皆守が夜に出る用事など、限られている。その殆どが暁斗に誘われての遺跡探索。人目を忍び影の中を移動していく自分らを見つけられるのは難しいはずだ。そもそも、弥幸の住む教職住宅街は、墓地とは反対方向。
《生徒会》の処罰を恐れさえしない無謀さがなければ、墓地に何かあるなんて、分かるはずもない。
「さあって、な」
弥幸はわざとらしく答えをぼかす。
「ただ一つ言わせてもらうとすれば、もう少しはっきりしてもらいたいもんだ。お前が暁斗をどう思っているのか」
「………」
「お前はどうするつもりなんだよ。暁斗を、あの子を。『護る』つもりなのか? それとも-----」
皆守のポケットにしまわれていた携帯が、弥幸の言葉を遮り、五月蝿く鳴り響く。皆守はどこかほっとして送られてきたメールを開く。再びしまい、アロマプロップの火を消すと立ち上がった。
「悪いが、ここまでだ。俺は用事が出来たんでな」
一方的に言い渡し、皆守は急ぎ足で校舎に入っていった。
「…………」
風がふく。
ラベンダーの残り香を全て吹き飛ばしていく。
弥幸は開いたままの扉を苛立ちながら見た。
「………いつまでも逃げられると思うなよ。いつかは変化が訪れるんだ。皆守甲太郎。お前は何時まで逃げ続けるんだ?」
そう皆守へと問いかけ、
「……人の事は言えないか。俺も。…………」
自虐的に笑った。
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