「これがツチノコだ」
黒板にチョークを起き、皆守は自慢げに暁斗と八千穂に向かい合う。黒板に書かれている皆守作の『ツチノコ』は、絵心が欠けまくった鬼の姿をしていた。御丁寧に絵の横には、簡単な皆守のサインまで入っている。
「何と言ってもツチノ『コ』と言うぐらいだからな。こういう子供の形をしていたぜ。中々凶悪な面構えだろ」
「うわぁ」
堂々と臆面もなく自分の描いた絵を解説する皆守に、暁斗は乾いた声でそう棒読みした。以前、音楽は苦手だと言っていたが、皆守は美術も駄目なんだなぁと暁斗は思う。
「はーい、それは違いまーす」
八千穂が大きく手を上げて、皆守に異義を申し立てる。そして、皆守を脇に押し退け、赤いチョークを手に取った。
「ツチノコはね、蛇みたいな形をしているんだよ」
「蛇みたいな?」
「そう!」
カツ、と固い音を立て八千穂は黒板にチョークを走らせる。
「これがホントのツチノコ! どう、似てるでしょー」
彼女が皆守が描いたツチノコの横に、かわいらしい丸みを帯びた蛇の物体を描いた。眼は点が二つ並び、舌は先が二股に別れた細い線。絵の舌には、元気良く『やっちー作』と名前。
和やかなそれに、頬を緩めると、暁斗は八千穂の頭を撫でた。
「かわいいなー。良く描けた! この勝負は八千穂の勝ちだなー」
「えへへッ。暁斗クン、だーい好きッ」
勝負に勝ち暁斗に誉められ、御満悦な八千穂は、嬉しそうに両手を広げて彼に抱きつく。
「……お前ら、絵心ってやつを分かっていないな……」
黒板の落書きみたいな蛇を見つめ皆守がぼやき、さらにその背後から、
「……はぁ……」
溜め息が聞こえ、三人は一斉に振り向いた。
両手に本を抱えた眼鏡の少女が、入り口の所に立っていた。八千穂が暁斗の肩ごしに彼女を見る。
「あっ、月魅。おっはよ〜」
八千穂の挨拶を返さずに、七瀬は静かに口を開く。
「古人曰く−−『絵画とは作者の心と観る人の心との間に架けられた一つの橋である』その橋が頑丈なのか、脆いのかはお互いの関係次第と言う事ですね」
「ちょっと〜。それ、どう言う意味?」
「いえ、別に」
「…………」
「そ、それよりもさ。うちのクラスになんか用でもあったか?」
微妙に気まずくなった沈黙を払うように、暁斗が聞くと七瀬は、
「いえ、これから移動だったんですが、興味深い事を話していたのでつい」
と答える。なる程彼女がいつも抱えている本に混じって、生物の教科書が見える。
ツチノコは『古事記』など神話にも出てくるから、その関係に造詣が深い七瀬なら興味が沸かない筈がない。暁斗は納得する。
興味があるらしい七瀬の口ぶりに反応して、八千穂がすかさず彼女に訪ねる。
「月魅はツチノコに興味あるのッ? じゃあ、あたしと一緒に−−」
「駄目ですッ!!」
全部言い終わる前に、七瀬は全力で首を振って悲しそうに八千穂を見つめた。
「ツチノコは本来野に棲んでいると言われている生物なんです。それがこんな場所に出てくるなんて。もしかしたら人間の手によって開かれた自然から、追われたのかもしれないんですよッ。なら、これ以上人間の勝手で捕まえてしまうなんて、もってのほかです!」
「そうだな」
ゆっくり皆守が頷く。
「七瀬の言葉を全て賛同する訳じゃないが、捕まえようとすることに対する意見は同じだな。ツチノコや宇宙人なんてものは、謎だからこそロマンがある。何でもかんでも白日の元に晒そうってのは、人間のエゴだと思うがな」
「それはそうだけどさ〜。…………」
説得力のある二人の言葉に挟まれてもなお、諦めきれない八千穂の肩を、暁斗は諌めるように優しく叩く。渋い表情で振り向く八千穂に、苦笑した。
「八千穂。もう、諦めよう。ほら今度マミーズで奢ってやるからさ。食べたいって言ってただろ? 新メニューのウルトラスペシャルジャンボパフェ」
「うう」
目の前に振ってきた魅惑の誘いに相当心が惹かれ、八千穂は唸る。しばらく黙考した後、彼女はようやく、
「分かった」
と頷いた。
「その代わり! ちゃんと奢ってよ、暁斗クン!!」
「はいはい。了解しました八千穂様」
暁斗にしつこく念を押す八千穂に、皆守は疲れたように肩を落とした。
時計に並ぶように付けられたスピーカーからチャイムが鳴った。これは予鈴で、後五分したら授業が始まる。
「いけない! うちのクラスも音楽だから移動だよッ」
「……ったく早く登校したのに、授業に遅刻したらシャレにならないな……」
皆守はたるそうに机の中から教科書を探ると、
「先に行くからな」
と言い残して、さっさと一人で行ってしまった。呆気に取られた八千穂もすぐに我に帰ると、
「暁斗クンも、早くおいでね。待ってるからね!」
と皆守を追い掛けて教室を出ていってしまう。
ツチノコ談義をしている間に、クラスメートは殆ど移動していったらしい。後数名を残すだけで、その彼らも音楽室へ移動しようとしている。暁斗だけが、デイバックを背負ったままで黒板の前に突っ立っている。このままでは確実に遅刻だ。
暁斗は七瀬を見た。七瀬はにっこり笑って、
「それでは私も行きますね。八千穂さんを止めてくださってありがとうございます」
一礼すると、教室を出ようとした。が、入れ違いに、教室へ入ろうとした男と鉢合わせし、肩を軽くぶつけた七瀬は、後ろへたたらを踏む。
「…………」
男は七瀬を注視した。
「……ごめんなさい」
伏目がちに七瀬は小さく謝ると、足早に教室を出ていった。
暁斗はいきなり現れた男を、怪訝そうに見遣った。白い髪、右目に走った傷痕。そしてそれを隠す眼帯に加え、着流しの格好。腰には木刀を差している。まるで男は江戸時代から、こちらに迷いこんでしまったような印象があった。今まで色んな格好をしてきた人物を、この学園に来てから何度も見てきたが、彼のそれも学校と言う空間の中では奇抜そのものだ。
男は真直ぐ暁斗の元へと向かい、相対する。
教室には男と暁斗の二人しかいない。暁斗は身体を緊張させ、油断なく男を見つめる。しばらく互いに黙りあっていたが、やがて男が口を開く。
「お初にお目にかかる。拙者、参之『びい』に世話になっておる真理野剣介と申す」
真理野と名乗った男の言葉遣いも時代がかかっていて、声は低く威圧感を相手に与える。そして、隙がない佇まい。恐らくは、相当な腕の持ち主なのだろう。
「つかぬ事を聞くが、お主の名は?」
「オレは、……葉佩暁斗だ」
暁斗は正直に答え、
「しかしどうして? 今まで会った事がない奴が、いきなりそっちから出向いてくるんだ? オレはお前を知らないのに」
逆に真理野に聞いた。
「ふっ、確かにお主の言う通りだ」
彼は素直に頷き、妙に自信のある表情で笑った。
「拙者はこそこそするのは性に合わぬ。だから正々堂々と素性を明かしてしんぜよう」
「…………」
「剣道部の主将とは世を忍ぶ仮の姿−−。拙者の身の姿は《生徒会執行委員》−−」
「なっ」
暁斗は一瞬何を言われたのか、理解出来なかった。
誰が、何だって?
「信じられぬようだな。だが、これはまぎれもない真実。拙者はこの身に《呪われし力》を与えられた。そう、お主が今まで戦ってきた者たちと同じよ。《宝探し屋》」
訥々と語る真理野の言葉には、暁斗を騙そうとする感じは微塵もない。だが、これまで成りゆきの出来事でしか出会ってこなかった《執行委員》が自分に直接会いに、しかも正体まで明かしてくる事が初めてだったので、暁斗は酷く動揺してしまい、慌てて表情に出そうな衝動を抑える。
自然と、真理野を睨む形になってしまった。
「−−それでお前は何をしに来たんだ。処罰か?」
「ふっ、そう睨むな。拙者はただ手合わせの申し出をしに来ただけだ」
「手合わせ?」
「そうだ。お主はこれまで遺跡に潜り続け、《執行委員》を倒し、生き長らえながらも今日まで進んできた。その類い稀なる腕を見て、拙者もぜひ勝負したくここまで参った次第だ。どうだ? 拙者と一勝負してもらえぬか?」
「−−いやだ」
暁斗は考える間もなく、首を横に振った。
暁斗が《執行委員》と対峙して刃を交えてきたのは、自分の道を切り開く為と、何より闇に捕われ苦しんでいる彼らを少しでも救いたくて、手を差し伸べたかったからだ。真理野のように、戦ってみたいからと言う理由だけで銃を取る事は出来ないし、取るつもりもない。
「オレは、お前と戦いたくない」
「…………」
真理野は冷酷な光を眼に宿して、暁斗を見る。
「不甲斐無き者よ。理由がないからと言って、お主は殺気を向ける者からも戦わないのか。−−ならばお主をその気にさせるまで」
「−−なんだと?」
挑発じみた言葉を発する真理野に、暁斗の目付きが剣呑なものへと変わる。それを見て、真理野は面白そうに笑った。
一触即発。
今にも破裂しそうなびりびりとした空気が二人の周りに立ち篭める。それでも真理野は楽しそうに、ゆっくりと腰の木刀へと手を伸ばした。
「どうしたの、葉佩君?」
柔らかい女性の声が二人の間に割って入る。振り向くと、教室の出入り口に雛川が驚きながらこちらを見ている。暁斗は慌てて眉間に思いっきり寄っていた皺を必死で直した。
「いえ、なんでもないんです」
笑顔を取り繕い、誤魔化すように言う。心中では、冷や汗が勢い良く流れていた。
「そう? ならいいのだけれど」
雛川は、真理野に視線を向け、
「貴方はB組の子ね? 真理野君だったかしら」
「…………」
雛川に応えず、威圧感を消した真理野は、暁斗に背を見せ、首だけを横に向ける。
「葉佩暁斗よ、続きは後でだ。正々堂々とこの事は他言せぬよう。それでは、御免−−」
教室から真理野が出て、完全に姿が見えなくなると、暁斗は長く息を吐き出した。思っていたよりも不測の事態に心も身体も強張っていた。緊張しすぎて固く握りしめていた掌は、汗を掻いている。
「あの、ごめんなさい。話の邪魔をしてしまったかしら」
真理野が出ていった扉と、暁斗を交互に見て、雛川が申し訳なさそうに謝り、
「そんなことないです」
暁斗はすぐに手を振った。むしろ真理野を遠ざけてくれた雛川には感謝したい。教室で暴れる−−なんて事になったら言い訳のしようもないし、《生徒会》にはこれ幸いと処罰を与えられる切っ掛けになっていただろう。こちらが不利になる事だらけだ。
「そう? 先生に気を使わなくてもいいのよ? 友達は大切なんだから」
「あははははは……」
実際には、敵なんですけどね。本心を押し止め、暁斗は苦笑いをする。最後にはそれが溜め息に変わった。真理野の出現で、また面倒な事になりそうだ。
チャイムが鳴る。一時間目が始まった。
教室に入った時のままだった暁斗は、大いに慌てる。これで遅刻は確実だけれど、取手のピアノが待っているので、サボる事は絶対にしない。
デイバックを机に下ろして筆箱を出し、机の中から音楽の教科書を取り出すと脇に抱える。
「ふふっ。今度からはあんまり遅刻をしないようにね」
「はいっ、以後気を付けまーす。それじゃ先生また後でっ!」
雛川に見送られ、暁斗は教室を駆け足で出ていった。ばたばたと騒がしい足音が聞こえてくる。それに怒るでもなく彼女は、
「元気なものね。私も見習いたいわ」
微笑むと、黒板の前にある教卓へと向かった。上には朝礼が終わった後持ち帰るのを忘れた出席簿が、寂しく雛川を待っている。
それを手に取った時、彼女の後ろに何かが降り立った。自分の視界が陰り、雛川は後ろを振り向く。
そこには−−、闇があった。どこまでも暗く、深い漆黒。
「−−ッ!?」
彼女がそれを認識するよりも早く、闇は彼女を取り込み、霧となって教室から姿を消した。
「…………」
同時刻。校務員の仕事をサボりがちだった境に、自分の作業を全て押し付け、一人校務員室で休んでいた弥幸は、ふと胸騒ぎを覚え、頭を上げた。
無意識に動かした視線の先にあるものは、3-Cの教室。そこから昨晩感じた陰氣が蠢いている。それは教室に残っていた、柔らかく温かい氣を一つ飲み込んで消えた。
思わず腰を浮かせ、氣を探るが見つからない。
しくじった!
弥幸は立ち上がりつなぎのポケットから鳥の形に折られた紙を出した。鳥の腹の辺りに、赤く五方星が印されている。
「−−−−出てこい。榊」
紙を放り投げた。それは空中で白い光を放ち、瞬く間に大きくなる。質量実感を伴って、黒い鴉へと姿を変えた。
鴉は弥幸の腕に着地して、主の命を待っている。
「墓場で昨晩の陰氣が姿を消した。−−行け。微かな残滓を手繰り寄せ、俺の前に道を示せ」
鴉は承知したと言わんばかりに鳴いて、飛び立った。壁を擦り抜け弥幸に命じられるまま、任務を遂行する。
「−−−−頼んだぞ、榊」
鴉が消えた壁を弥幸は見つめる。これで少しは天香を覆う闇の手がかりがつかめればいいんだが。
机の上に置いてあった携帯が、音を奏でながら振動する。掴んで目の前に持っていき、着信者の名前を見てうんざりする。
「こっちはこっちで………」
休ませてくれよな。
溜め息をつきつつ、弥幸はスリッパをつっかけて、外へと出ていった。
|