細長く、まるで蛇の腹の中にいるような錯覚を覚える暗い坑道に、低く地を這うような地響きが一杯に広がる。
 道が揺れた。今まで通った区画とは違い、土がむき出しになっている壁や天井の割れ目から、土ぼこりが落ちてきた。
「はやくッ。急いで急いでッ!!」
「言われなくても分かっているッ!!」
 一番前を走る皆守が、地を蹴り走る。そして、後ろをついて走る暁斗の数メートル後ろには、侵入者を押しつぶす為の大岩が転がってきていた。少しでも疲れ果て、走る速さを緩めたら、その瞬間、暁斗たちは大岩に潰されてしまうだろう。
 二人は必死に走り続ける。
「急がないと、潰されてしまいますのォ」
 一人呑気に、暁斗の脇に抱えられたリカが呟いた。
 坂道を登って降り、直線通路をこれまでにないスピードで走り抜ける。息継ぎをする暇もなく、唾を飲み込む度に、暁斗の喉は痛む。自分自身を叱咤して、一生懸命に走り、暁斗はゴーグルの向こうに眼を凝らした。
 ぽっかりと走る先に穴があいている。
「皆守ィ!」
 暁斗は叫んだ。
「−−飛べェッ!!」
 呼び掛けに呼応して、皆守が飛んだ。続いて暁斗も地を蹴る。天井すれすれを頭が通り過ぎ、脚を身体に寄せながら、飛距離を伸ばしていく。
「底が見えませんですの」とリカが下を向いて、驚いたような声を上げた。
 ざんッと向こう側まで飛んだ皆守が、着地に成功する。暁斗も、前によろけながら着地すると、地面に膝をつき、リカを庇いながら転がった。
 へばる暁斗たちの穴を挟んだ向こうで、ごろごろと地響きを上げていた大岩が、飛び越えたばかりの大穴に吸い込まれるように落ちていく。風を切る音がしばらく続き、最後に一際大きく坑道を揺らして、ようやく静かになった。
 リカが、暁斗の腕から抜け出して降りる。
「大丈夫ですの?」
 仰向けに倒れている暁斗の側にしゃがみ込み、彼女を心配そうにたずねてきた。暁斗は力なく笑って起き上がる。上がる息を胸を押さえて落ち着かせ、大きく呼吸をした。
「なんとか、ね」
 死の恐怖から逃れられ、安心から額に流れていた汗を拭った。
「いやいや。危機一髪だったなァ……」
「……」
 後ろでまだ荒く息をつきながら、暁斗を半眼で睨み下ろしていた皆守が、何も言わず脚を振り上げ、下ろした。暁斗の後頭部に鋭く踵が命中し、暁斗の視界に星が飛ぶ。痛む箇所を両手で押さえ、思わず前屈みになってしまった暁斗は、涙を堪えながら振り向く。
「お、前、何すんだよ。やるんなら、せめて足じゃなく手で」
「知るかそんなの。第一、暁斗お前な。何碑文を読み明かしたくせにわざわざ罠を起動させるんだ。このアホがッ!!」
「……ああああ。さっきまでの優しさが、嘘のように冷たいよ……」
 本気で嘆く暁斗を聳やかすように見つめ、ふんと鼻をならすと、皆守は「先に行ってるからな」と一人で進んでしまう。
「あッ、おい。待てって! 一人で進むのは危な−−、いててててて……」
 蹴られた頭が痛んで、暁斗はそっと後頭部を押さえた。痛みと同時に、体内の血が集まったような熱も感じる。しばらくしたら、立派なこぶができるだろう。帰ったら冷やさないとな。暁斗は溜め息をついた。
 優しいと思えば、すぐに酷い突っ込み。皆守甲太郎の心の内は、未だに読めない。探索には付き合ってくれるのだから、嫌われてはいない筈。だと、思いたい。
 ……好かれて、いるのか? 暁斗はふと不安になった。
「気にしなくても、大丈夫ですわ」
 リカがふんわりと笑って、しょぼくれた表情になってしまった暁斗を見る。
「実はァ、リカ見ちゃいましたの。皆守クンが大慌てで校舎から出てくるところを」
「皆守が、大慌て?」
 そんな状況を拝んだことがない暁斗は、にわかにリカの言うことが信じられない。だが、リカは確信を持って頷く。
「ええ。校庭や、色々回った後で、また入っていったようですけど。あれは明らかに慌てていましたわ」
「皆守が……」
 暁斗の頬が赤くなっていく。
「それに、さっきのだって一番危ないのは暁斗クンだったんですもの。きっと無茶をしてしまった暁斗クンを心配して怒ったんだと思いますわ」
 それって、やっぱり少しはオレのことを考えてくれているってことだよな。暁斗は昇降口にいた皆守の姿を思い出した。もしかして、あの時も探してくれていたんだろう。泣きそうな顔をして逃げ出してしまった自分を、彼は探してくれた。
 嬉しい、と暁斗は思う。掌で隠した唇が弧を描いた。嬉しすぎて笑ってしまいそうだ。まさか皆守に心配されるのがこんなに嬉しいだなんて、自分自身思いもしなかった。不謹慎かもしれないけれど、正直な思いに胸が高鳴る。
 何となく、弥幸の言っていたことがわかった気がした。
 心配されて、思われることでもこんな風になってしまうのなら、自分が怪我をせず、戦いを終えた時。もしそれで、大切な人が嬉しそうに笑ってくれたなら。
 それは、どんなに幸せなことだろうか。
 単純な考え。
 でも、悪くない。
「椎名」
「何ですの?」
「オレが戦って無事だったら、嬉しい?」
 ぽつりと暁斗はたずねる。
 リカは、不服そうに頬を膨らませ、両手を腰に当てる。
「当然のことを言わないでくださいまし。リカは暁斗クンの無事をいつも祈ってますわ。だって、大切な、−−お友達ですもの」
 リカの答えに、暁斗はたちまち満面の笑みになった。
「オレも、椎名を助けられて、大切な友達が出来て、嬉しいよ」
 それに八千穂や、取手。皆守だって、大切な。
「行こう、椎名」
 暁斗は立ち上がり、リカに手を伸ばす。
「−−皆守が待ってる。それに、オレを待っている奴が奥にいるからな」



 今までの《墓守》たちと同じく、蛇が向かい合う黄金の大きな観音扉の錠を開け、暁斗たちは進む。
 狭い通路や部屋が続いていた区画より、何倍も広い空間。遠くは暗がりで見えず、奥はどこまで続いているか分からない。
「やっぱり、来てしまったんでしゅね……」
 落胆した声が聞こえ、暗がりの向こうから肥後が現れた。
「そうやって、キミは悪い魂の言いなりになるつもりでしゅか?」
「オレは、自分自身の意志で来た。悪い魂とか良い魂とか、そんなのは関係ない」
「……分からないでしゅ……。どうしてキミは、ボクの邪魔をするでしゅか。皆を幸せにしたいボクとキミの考えは、そう違ったものじゃないでしゅのに」
「そうだな」
 否定せず、暁斗は微かに笑んだ。
「だけど、わかったんだ。他人に何かを与えるだけが、自分を幸せにするもんじゃないって。自分を大切にすることで得るものもあるんだ。だから、オレは、お前を放っておくこともできないんだ」
「放っておけない? そんなの余計なお世話でしゅ。僕はもう救われているんでしゅから、君にそう言われることなんてないんでしゅ」
「だけど、八千穂は言っていた。『−−何より救われたがっているのは、タイゾーちゃん自身かもしれない』って」
「えッ……」
 暁斗の口からでた名前に、肥後が戸惑う。
「八千穂は肥後を心から心配していた。きっとお前がこんなことをしている間は、ずっと心を痛めている。−−だから、オレは言うんだ」
 きつく、暁斗は肥後を見据えた。
「もうこれ以上《力》を使うのは止めろ。八千穂の為に、八千穂が大切に思っている肥後、お前自身の為に!!」
「……うるさいでしゅ!」
 投げかけられる言葉を払うように、肥後は耳を塞ぎ、頭を強く振った。暁斗を睨み付け、明らかな敵意をもって、足を踏み出す。
「暁斗」
「わかっている。二人とも頼んだ」
 皆守の呼び掛けに、暁斗は冷静に応じる。背負っていた二つの銃のうち、武骨な砲身を持ったバズーカを手に取って、弾を装填する。
 バズーカは見た目よりも重く、慣れない重さで、暁斗の手が揺れた。
 それを合図に、肥後が脂肪の詰まった大きな巨体を揺らして突進してくる。常人よりも重たい身体に押しつぶされたら、暁斗は一発でやられそうだが、動きは鈍く、何秒後に到達するか容易に知れた。
 暁斗は落ち着きながら後ろに回した右手の親指を立てて、バディに『移動しろ』と合図を送る。皆守が左に、リカが右に離れ、そして暁斗は上に飛んだ。
 誰もいない空間に、肥後が突っ込む。宙返りの要領で宙に浮いた暁斗から見たら、彼の背中は隙だらけだった。
 すかさず暁斗はバズーカの標準をそこに合わせる。
 トリガーを引いた。
 ぱすんと気の抜けた音がして、こぶし大の弾が発射される。
「−−ッ?」
 背中に軽い衝撃が走った肥後は、いきなり周りの空気が白く濁ったことに驚く。思わず吸い込んでしまうと、喉に粉っぽいものが纏わりつく。それは小麦粉の味がした。
「なんでしゅか、これは!」
 肥後は小麦粉の煙幕から逃げようとする。
「そうはさせませんですの」
 可愛らしい声がして、肥後の足元で小さな爆発が起こった。リカがごく小さく《力》を使ったのだ。怪我をさせるには低すぎる威力だが、肥後を転ばせるには十分だった。爆発に驚いた彼は、バランスを崩し、地面に転倒する。
 バズーカを撃った反動で、後ろに押されながら暁斗は持ち前の運動神経をフルに活用して、着地に成功する。息つく間もなく、すぐに地面を蹴り、離れていた肥後との距離をぐっと縮めた。
「肥後ッ!」
 バズーカを握りしめ、暁斗はそれを剣のようにして肥後に殴り掛かる。だが、彼自身が手加減を加えていたことと、予想以上に肥後を護る脂肪の壁は厚く、緩やかな衝動を伝わらせるだけ。
「肥後、これ以上は無意味だ。もう、止めよう」
「−−わからないでしゅ」
 理解出来ない瞳で、肥後は暁斗を見上げた。
「どうしてキミは、進むことを止めないんでしゅか? そうすることで、誰かを傷付けてもかまわないんでしゅか?」
「そうは思っていない。誰かを傷つけるなんて、オレの願いじゃないよ」
 暁斗はゴーグルを外し、表情をさらけ出して肥後を見た。
「オレのやり方はどうやっても人を傷付けてしまう。だからこそ、助けた後も、出来うる限りのことはしてやりたいし、笑ってほしいとも、思う」
 甘いと、言われるかもしれないけれど。
「オレもお前と出会ってわかったよ。オレにもちゃんとオレのことを考えてくれている人がいるって。オレが傷付くと、心配してくれる人がいる。オレがオレ自身を護ると安心してくれる人がいる。自分を思い遣ることで、他者も救えるんだ。肥後、もう止めにしよう」
 暁斗の眼に、哀しみが混じった。
「−−お前がお前を大切にしないと、八千穂が、泣くぞ」
「−−−−ッ!!」
 肥後の眼が、見開かれた。八千穂の名を呼びながら、訳も分からない唸り声を上げる。
 皆守が「暁斗」と切羽詰まったような声で呼んだ。
 暁斗はぱっと肥後から離れるように後ずさる。ゴーグルをはめ直し、戦闘体勢の構えをとった。
 黒い砂が、肥後の身体から滲むように出てきて、まるで生き物のように彼の身体を包み込んでいく。暁斗が打ち込んだ粉の白さは消え、周りの闇と呼応するように黒が溢れてくる。
 砂は完全に肥後を閉じ込め、巨大な一つの形をとった。
 二つの頭を持つ化人。一つは人間と同じあるべき場所に。もう一つは両足の付け根に。それぞれ前と後ろを鋭く見渡し、「暴レタリネェ!」と凶暴な響きを持って叫ぶ。青い肌が、微かに残った薄暗い光に照らされ、粘るような表面を見せる。
「オオオオオオッ!!」
 具現化を終えた化人は、足で地面を踏みならし、身体を捻りながら暁斗に対して体当たりをけしかける。
「暁斗ッ!」
 暁斗よりも早く反応した皆守が、彼の頭を押さえる。地面に沈んだ二人の上を、化人が勢い良く通り過ぎていった。
「椎名のところまで一気に走れ」
「わかった」
 皆守に促され、暁斗は手を大きく振って自分の存在をアピールするリカの元へと疾走する。途中肩ごしに後ろを振り向いて、皆守がちゃんとついてきていることを確認すると、バズーカを仕舞い、代わりにもう一つ背負ったままだったアサルトライフルを手に取り、構える。
 攻撃が空振りに終わり、怒りに声を荒げ、化人が方向を転換して皆守の後を追う。
「皆守ッ!」
 百八十度回転して暁斗が止まり、皆守がその横を通り過ぎた。同時に、暁斗はアサルトライフルを連射する。だだだだだだ、と絶え間なく発砲音が響き、薬莢が一つ地面に落ちる度、反動で暁斗の身体も後ろへ土を少しずつ削ぎながら下がっていく。
 十分安全なところまで皆守が下がり、大きく暁斗を呼ぶ。
 暁斗は発砲を止め、化人を見つめた。全身をくまなく撃たれたにもかかわらず、立っている。それでも多少は効いていたのか、二つの顔が苦痛に歪んでいた。頭を擡げ、ぎこちなく動く。
 アサルトライフルを地面に落とし、暁斗はバズーカを手に取る。ウェストポーチからありったけの弾を出して、バズーカに込めた。
 化人に狙いを定め、暁斗はバズーカを撃つ。弾は次々に命中して、小麦粉の幕が化人を覆った。
「椎名ッ。とびっきりデカイの頼むッ!」
「ハイですのッ!」
 どこからか、可愛くリボンで包装されたプレゼントのように見える箱をリカが取り出し、思いっきり力を込めて化人に放り込む。弧を描き、箱は小麦粉の幕の中に入った。
 暁斗は、太もものホルスターから古いハンドガンを抜き、撃つ。
 化人ではなく、箱を狙って。
「ふせてくださいですのッ!」
 リカが叫びながら、化人に向かって両手を突き出した。暁斗と皆守は、言われるがままに地面に伏せ、耳を強く塞ぐ。
 箱が爆発した。リカだけの《力》だけではなく、化人の周りにまかれた小麦粉が、連鎖反応を起こして威力が強まる。それは容赦なく化人を打ちのめした。
 断末魔を上げ、化人はその身を黒い砂へと戻して消えていく。肥後が砂の中から出てきた。ゆっくりと地面に落ちて倒れていく。
 その手に、黒い砂が集まって一冊の本へと姿を返る。所々紙が痛んだ、よく読まれている感じのする聖書。
 固い表紙の感触に、肥後は眼を覚まし手の中にあるものを見る。そして、そこにあるものを見て、静かに涙を流した。



「明日、八千穂に一番に会いに行くって、肥後」
 遺跡から帰還してリカと別れた暁斗は、皆守と並んで男子寮の道のりを歩いていた。日付けはとうに変わってしまい、深夜の道はとても静かだった。会話の声も小さく、足音の方が大きく聞こえる。
「話したいことがたくさんあるんだって。八千穂、喜ぶだろうなァ」
 化人を倒し、大切なもの−以前転校生から貰った聖書を取り戻した肥後は、自分がしてきたことを素直に詫び、暁斗の協力まで申し出てくれた。
「大切なことを教えてくれたキミの手伝いを、ボクもしたいのでしゅ」
 そう晴れやかな笑顔で言ってくれた肥後は明日、八千穂に会って話をするそうだ。八千穂のことだから、きっと笑って肥後を許し、改めて言うに違いない。「友達だからね」と。
 簡単に想像が出来てしまい、思わず暁斗の頬は弛んだ。いきなり笑い出した彼に、皆守は怪訝な眼を向ける。
「……何だ、いきなり笑って。気味が悪いぞ」
「ええ、そうかな?」
 とぼけたつもりだったが、筋肉は緩みっぱなしでしまらない。掌で、頬を挟んで押さえた。
 今日は色んなことがあった。
《隣人倶楽部》のこと。八千穂が倒れ、肥後に痛いところを突かれ、迷いが生まれた。どうすればいいかも、わからなくなって、不安や迷いに押しつぶされそうにもなったが、何とか乗り越えることが出来た。
 結局、自分の信じることを進んでいくことが一番大切なのだ。だが、自分を大切にすることで、他者に良い影響を与えていくのだとも、知った。
 暁斗は横を見る。そっと手を伸ばし、皆守の学ランの裾を握りしめた。
「−−どうした?」
 無愛想で無気力なくせに、面倒見がよくて、優しいかと思えばすぐに蹴ったり叩いたり。皆守はまだ暁斗の中で理解不能なところがまだまだ多いけれど、それでもそんな彼のお陰で、迷いを振り払えた。それから、弥幸の言葉も。
 二人を想うと、不思議と胸が暖かくなる。同時に笑みも深くなった。
「今日は本当にありがとう。皆守に迷惑かけっぱなしで、悪かったと思ってる。でも嬉しかったよ。オレのこと少しは考えてくれてたんだな」
「……別に……。ただお前のしけた面なんて、見ているだけでも鬱陶しいからな」
「−−へへッ」
 皆守の軽口に、嬉しそうに暁斗は笑う。
 二人の歩く先に、男子寮が見えた。暁斗は自室の窓に掛けたロープをよじ登って、皆守は夜間玄関からこっそり中へと戻る。今日はもうこれでお別れだ。
 掴んだ手の力を強め、暁斗は爪先立ちになり、皆守の耳元で囁く。
「ほんとうに、ありがとな。それじゃ、おやすみ−−−−甲」
 初めて皆守を名前で呼んだ暁斗は、照れながら窓側へと走っていってしまった。呆然と残された皆守は、不意に耳元で囁かれた吐息のくすぐったさから、掌底で耳を押さえ、角を曲っていく暁斗の背中を見送った。彼には珍しく、頬を赤い。くわえていたアロマプロップが上下に揺れた。
「いきなり、なんだ。あれは」
 調子が狂う。
 呟き、後頭部をがしがしと掻きながら、皆守も寮へと足を向けた。



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