「ちゃんと見ておくから、着替えてこい」
 そう言われ、八千穂が心配でたまらなかった暁斗は、急いで体操服から学ランに着替えると、皆守を引っ張って保健室に入った。息せき切りながら、丁度カーテンを開けて出てくる瑞麗にさっそく病状を聞く。
「随分と衰弱している。が、元々丈夫な子だからしばらく休めば安心だろう」
「……そうですか。良かった」
 考えていたよりも、軽い症状に暁斗は安心したが、逆に瑞麗の表情は芳しくない。
 暁斗の後ろで、皆守がそれを見咎めた。
「安心だなんて言っておきながら。なんでそんな辛気くさい顔をしているんだ」
 瑞麗が暁斗らを見る。
「−−葉佩。君は彼女がこうなった原因に心当たりがあるかね?」
「原因……」
 暁斗はふと思い出した。そう言えば、八千穂本人は自覚していなかったみたいだが、朝から調子が悪かったように見えた。何もないところでバランスを崩したり、顔色が悪かったり。体育で倒れた時の顔色は普段の彼女にはあり得ないと思う程蒼白だった。
 何より、


『そこに貴方のお友達が熱心に行っているところを、リカ何度も見まして』

『あそこはとぉっても危険な場所ですわ。だから御忠告を申し上げようと思いまして』

 

 マミーズでリカが教えてくれたことが、頭に引っ掛かる。どう考えても、暁斗が思い付くのは一つだった。
「……《隣人倶楽部》……」
「そうだな」
 瑞麗が頷いた。
「今までにも、何人か八千穂と同じ症状で、ここに運ばれてきている。そのいずれも、その集まりに参加していた。共通しているのは、皮膚に病原微生物−−ウィルスと言った方が聞きやすいか。そのウィルスと思われるものが付着していた」
「ウィルス?」
 皆守が顔を顰める。
「物騒だな」
「そうだ。だがそれ自体はそれほど生命力は強くないんだ。だが、継続的に接種することで威力を増し、正常な身体機能を阻害して生命活動に必要なエネルギーを、吸い取られるのだろう」
「……ちッ。八千穂のやつ、予想以上に面倒なことに巻き込まれやがって」
 説明を聞きながら、だんだんと渋みを増していく表情で、アロマプロップの先端を皆守は噛み締める。それを見て、瑞麗はふと顔を緩めた。
「おや珍しい。君がそんな風に心配するとはな」
「俺は別にどうでもいい。ただ、底抜けバカでお人好しのこいつが駆け寄っていったから、仕方なくついていっただけだ」
 親指でさされ、暁斗はむっと唇をへの字に歪めた。
「ひでぇ。友達が倒れたんだぞ。心配するのが当たり前だ」
「だからって、上履きのまま駆け出すアホがどこにいる」
「ここに」
「認めるなよ」
「はははッ。分かった分かった」
 負けじと言い合いをしている暁斗と皆守の間に、瑞麗の笑い声が二人を遮った。同時に振り向くと、彼女は腹を押さえながら、溢れる笑いを堪えず素直に出している。
 暁斗が眼を丸くして、皆守がちと舌打ちをする。
「君たちは本当に仲が良いんだな」
「誰が」
 皆守がそっぽを向く。
「こいつが側によってきて騒ぎ立てるから、そう見えるだけだ」
「だが、それが不快じゃないから、君は葉佩と共に行動しているのだろう?」
「………」
 答えない皆守に瑞麗の笑みは、からかいと言うよりも、もっと優しさが表れているようなものに変わる。
「何にせよ、良い傾向だよ。そうして人と関わることを避けずに生きていけば、いつかはアロマも必要なくなる。−−葉佩のような友達も出来たことだしな」
「えッ」
 丸まっていた暁斗の眼が、余計に丸くなった。そして嬉しそうにきゅうと細められる。
「うん、オレ、皆守のこと凄い大事な友達だって思ってる」
「ふふふッ」
 瑞麗も暁斗につられて、表情を崩した。
「君は素直な子だな。葉佩」
「………」
 皆守は、何時の間にか話題が八千穂から自分の方へと移っていることに、むっとして黙り込む。こんなことでからかわれる為に来たのではない。そのまま、不快を露にした。後頭部を強く掻き、大きく溜め息を吐く。
「くそッ。こんなことならわざわざ来るんじゃなかった。俺はとっとと帰−−」
「………ん……」
 カーテンの奥から小さく八千穂の声が聞こえる。「おや」と瑞麗は小さく肩を竦めた。
「誰かさんが騒がすから、起こしてしまったようだな」
 誰のせいだよ。皆守は喉先にまで出かかった言葉を飲み込む。瑞麗は彼の様子に構うことなく、煙管を振り「ついてこい」とジェスチャアで促すと、カーテンを引いた。
「……八千穂。大丈夫……」
 暁斗が小さく呼び掛ける。
 ベットの上にはさっきまで眠っていた八千穂が、弱々しく瞼を開けて、暁斗たちを見ると小さく頷いた。彼女には似つかわしくない、手折れた花のように儚い笑顔に、暁斗は困ったように眉を寄せる。
「……みん、な」
 か細い声は掠れているようにも聞こえた。
「気分はどうだね?」
「あ、……はい。ふわふわしているけど、大丈夫、です」
 瑞麗の問いに、自分の状況を理解しているらしく、八千穂はちゃんと答える。瑞麗の肩ごしにこちらを見ている暁斗たちを見返して、八千穂は無理矢理笑った。
「えへへ………。あたし、倒れちゃったんだね……。………ごめん。でも……少しは、心配、してくれた……?」
「当たり前だろッ」
 暁斗が怒ったように言った。
「あんな風に倒れるから、オレ心臓が握りつぶされるかと思ったんだぞ。……それほど吃驚したんだからなッ」
「暁斗クン……。うん、ごめんね。余計な心配……かけちゃったよね……」
「もう分かっただろ。あの集まりに行くのはよせ」
 皆守が厳しい口調で言う。彼なりに八千穂のことを考えての言葉だったが、彼女は、緩く首を振った。皆守は、理解出来ずに八千穂を見据える。
「どうしてだ。お前がこうなったのは、あの《隣人倶楽部》のせいなんだぞ?」
「……でも、そうだとしてもね……、タイゾーちゃんが皆を救いたいって気持ちは嘘じゃない気がするの……。何か理由があって、でも方法を間違えちゃって。タイゾーちゃんにも責任はあるかもしれないけれど、……悪いのはタイゾーちゃんだけじゃなくて、取手クンや、椎名サンの時みたいに、……何か理由があるかもしれなくて……それに、」
 八千穂は歯がゆそうに、下唇を噛み締めた。
「それに何より、救われたがっているのは、タイゾーちゃん自身だと思うんだ」
「取手や、椎名のように、か……」
 皆守が、暁斗の後ろを見つめる。八千穂も縋るように暁斗を見た。
「……ね、暁斗クン。そうじゃないかな……」
 取手や椎名を助けた暁斗。八千穂はその彼から出てくる言葉を待っている。彼が、自分の言っている『タイゾーちゃん』を助けてくれるんじゃないか。そう期待を込めて。
 二つの視線を受けて、暁斗は静かに口を開いた。
「オレはまだ、あったことがないからちゃんと言えない。けれど、八千穂がそう言うのなら、そうかもしれない」
「……ありがとう。そう言う風に言ってくれて嬉しい……」
 八千穂は笑った。自分が望んだ言葉通りではなかったが、暁斗は否定もしなかった。きっと彼は救ってくれるのだろう。そう思うと嬉しい。
「そこまでだ」
 瑞麗が会話を遮った。
「今は衰弱しているんだ。会話は止めにして、もう少し八千穂はここで休んでいくと良い。後で私が寮まで送っていこう」
「はい……。ありがと、ルイ先生」
 八千穂が素直に瞼を閉じる。
 暁斗と皆守は来た時同様、瑞麗に促されてベットから離れ、瑞麗がベットを区切るカーテンを閉める様子を見守る。
「さて」
 瑞麗が暁斗たちと向き合った。
「君たちももうそろそろ帰りたまえ。もうじき、下校だ」
「あ……。本当だ……」
 壁に取り付けられていた時計は、あと少しで下校の鐘が鳴る時間が差し迫っていることを教えている。もう少し、瑞麗と《隣人倶楽部》について話し合いたかったが、この分だともう無理だろう。
「……行こうぜ、暁斗」
「ああ、うん」
 踵を返して皆守が保健室から出ていく。暁斗も名残惜しそうに八千穂が寝ているベットの方を肩ごしに見つめ、皆守の後を追った。
 静けさが戻った室内に佇み、瑞麗は閉められていく扉を見つめる。
「さて、君はどうするんだ。−−葉佩」

 

 下校の時間が近い廊下は、とても静かだった。誰もが、《生徒会》の眼を恐れて、用事がなければすぐに校舎を出ていくのだろう。並んだ窓から傾き始めた太陽が光を投げ出している。
 静かすぎて周りを窺う暁斗は、何故か立ち止まっていた皆守の背中に軽く追突した。彼は何かを見ている。暁斗は背伸びをして、その肩ごしの向こうを覗いた。
「−−白岐さん」
 戸惑った顔をした白岐が、皆守たちを見ている。いつもの何に対しても無関心な眼差しはなく、困惑して揺れている。
「八千穂さんの具合は?」
 口を開いた彼女は、一番にそう言った。
「とりあえず生き死にに関わるようなことじゃないのは確かだ」
「今、眠っている。あとでルイ先生が寮まで送ってくれるってさ」
 皆守の言葉を引き継いで説明する暁斗に、白岐はほっと安堵したように微笑む。
「そう、良かった」
 だが、すぐにその笑顔に曇りがかかって、白岐は微かに俯いた。
「《汝の隣人を愛せ》−−」
「白岐さん?」
 暁斗が不思議そうに首を傾げる。
「あの集まり、《隣人倶楽部》では、確かにそう説いている。彼らは魂を吸い取られ、衰弱しきっていくことすら幸せの道だと信じて疑わない。愛すべき隣人の為に、何もかも差し出すことが幸せの道だと……。だけど、その言葉だけが一人歩きして本来の意味を損なっている」
「本来の、意味?」
「ええ。葉佩さん。あなたはこの言葉の前に語られるべき言葉を知っている?」
 面を上げ、まっすぐに見てくる白岐に、今度は暁斗が戸惑い首を横に振った。あいにくそちらの知識に関しては疎かった。
「……そう」
「ごめん」
「謝らなくてもいいわ」
 白岐はそっと瞼をふせる。憂いが滲んでいたが、綺麗だと暁斗は思う。笑ったら、もっと綺麗だとも。
「《汝、自らを愛するが如く、汝の隣人を愛せ》−−。裏を返せば、自らを愛することなく、他者を愛することなど出来ない……。あの倶楽部で押し絵を説いている者に欠けているのは、まさにその感情……」
「……自らを省みない者に、真に他者を思い遣ることなど出来ない……か」
 皆守の呟きに、後ろの暁斗が身体を強張らせ、眼を大きく開いた。
「どうしてそんなことをわざわざ俺たちに知らせるんだ」
 皆守が、肩ごしに暁斗を見て、すぐに白岐と向き直る。
「……いや、暁斗に、と言った方が正しいか。なぁ、白岐」
 問いかける皆守に、白岐は「わからない」と呟く。まるで、自分自身でもどうしてこんな行動を取るのか理解出来ないように。
「私は、葉佩さんに何を期待しているのか。……どうして八千穂さんが倒れたことに、こんなにも動揺しているのか……。よく、わからないの……」
 自分の言ったことに逡巡しながら、白岐は静かに背中を向けて去っていく。それを見ながら、皆守は頭を振った。
「……相変わらずわからない女だ。なぁ、暁斗」
 同意を求めようと振り向いて、皆守は暁斗の様子がおかしいことに気付いた。俯きがちになっている彼の身体が強張っている。
 眉を潜め、皆守は「暁斗?」ともう一度呼んだ。弾かれたように暁斗は顔を上げる。彼は今さら気付いたように、皆守を見た。
「え、あ。……ごめん。聞いてなかった」
「おい、しっかりしてくれよ」
「……うん」
 暁斗は肩を落とす。皆守は、そんな彼を怪訝そうに一瞥した。
「お前、八千穂の調子の悪さが移ったか?」
「そんな訳じゃ、ないけど」
「……まぁ、いいさ。それよりも、白岐が八千穂を気にかけていたとはな。後であいつが知ったら喜ぶぞ」
「うん、八千穂は白岐さんと友達になりたがっていたところがあったからな」
 話題が変わって暁斗はあからさまに安堵して答える。
「………」
 暁斗の表情を、じっと皆守はさっきと同じ顔で見つめ、
「……おい、《隣人倶楽部》とやらに行ってみるか」
 と、試すような口調で言う。暁斗はきょとんと皆守の顔を見上げた。
「さっきから、やけに胸が苛々するんだ。タイゾーとやらの顔を拝んでみないと、後味が悪くなるからな。−−どうする?」
 皆守の提案に、暁斗は何も言わずに頷いた。

 

 四階にある電算室−−デジタル部の部室であり、《隣人倶楽部》の会場でもあるそこは、もう放課後のセミナーも終わり閑散としていた。パソコンの画面はどれも電源が落ちていて、ブラインドの隙間から西日が差し込んでいる。どこか生温い空気は、さっきまで人がたくさんいたことを示している様だった。
 ゆっくり電算室に入り、暁斗は半ば拍子抜けしながら靴を脱いで上がる。皆守が後に続いて、扉を閉めれば、驚く程そこは静かになった。まるでここだけ別世界に切り取られた世界みたいに。
「……誰も、いないのか?」
 閉め切られ、明度も落ちた部屋に向けて、暁斗は小さく呼び掛けた。静かな分、やけに声は大きく響いて広がる。
「はいでしゅ〜。どなたでしゅか?」
 のそりと、一番奥の机から大きい人影が出てくる。それは入り口近くにいる暁斗たちを発見して、嬉しそうに近づいてきた。
「ようこそ、《隣人倶楽部》へ〜!」
「−−ッ!」
 皆守が絶句した。
 子供のように高い声を発する人影は、酷く太った男子生徒だった。背は皆守と同じぐらいだったが、横幅は暁斗と皆守が並んでも、なお向こうの方が大きい。きつく無理矢理着込んだ感じのある学生服は、今にもはち切れそうだった。
 男子生徒は、地響きを起こしながら二人の前に立つと、にっこりと笑った。
「ここは神の牧場。誰もが救われる権利を持つ場所でしゅ」
 笑う顔には愛嬌があり、それを見た暁斗は、女子に人気があるのは本当らしいと納得する。だが、油断をしてはならなかった。こいつは八千穂を衰弱させた張本人なのかもしれないのだ。
「初めまして。オレは葉佩暁斗。こっちは皆守甲太郎。−−八千穂のクラスメートだ」
 表面は穏やかに、だが内心では警戒しながら、暁斗は名前を明かす。暁斗の名前を聞いて、男子生徒は驚き眼を開いた。
「君が、《転校生》の……。それに八千穂たんのお友達だったんでしゅか。今日は八千穂たん、放課後のセミナーが始まっても姿を見せないから心配してたんでしゅ」
「それじゃあ、お前が……」
 確信を持った響きで皆守で言う。暁斗もはっきりと分かった。
 こいつが、今回の事件を引き起こした張本人、だと。
 そして、男子生徒の発言は、二人の考えがあっていることを教えた。
「ボクは三年D組の肥後大蔵でしゅ。ここで《隣人倶楽部》と言う集まりを主宰しているのでしゅ。良かったらキミたちもセミナーに是非遊びに来てみるでしゅ!」
「……悪いけど、そんなことの為に来たんじゃないんだ、オレたちは」
 首を振る暁斗を、肥後はきょとんと不思議そうに見る。
「どうしてでしゅか?」
「聞きたいことがある。お前は一体人を集めて何をやっているんだ」
「……何のことでしゅか?」
 的を得ない発言に、皆守は苛つきながら剣呑に肥後を睨み付けた。
「まどろっこしいな。だったらはっきり言ってやる。お前は人を集め、ウィルスをまき散らし、何をするつもりなのかと聞いているんだ」
「ウィルスなんてひどいでしゅよ!」
 肥後は怒って腕を振り上げるが、太り過ぎていて上がりきらない。
「あれは、神の光なのでしゅ」
 そう言い切り、肥後はうっとりとした光を瞳に灯す。
「ボクの作る光はすごいのでしゅ。電気を介してキラキラ星のように輝いて。モニターの中に救いを求める皆の元に届くのでしゅ。そして、悪い魂なんてあっという間に吸い込んでしまうのでしゅ。ボクはただ、皆に幸せになってほしいだけでしゅ。皆が皆の為に心を開いたら、皆一緒に幸せに慣れるのでしゅ。−−そうは思わないでしゅか?」
「それは、そうだけどッ。だけど、他に方法があるだろ。お前のやり方は間違っている」
 現に今、肥後の放った光で、八千穂は倒れてしまった。被害が出ている以上、暁斗は彼のやり方を肯定する訳にはいかなかった。
 毅然と言う暁斗。だが、肥後は怯まずに問い返してきた。
「なら、そう言うキミは、正しいと言い切れるのでしゅか?」
「………え?」
 暁斗の心臓が不安に高鳴る。
「キミはさっき、僕の言ったことに、一応は賛同してくれたでしゅ。なら、キミのやっていることは、本当に正しいと、間違っていないと言えるのでしゅか?」
「−−−それはッ。………」
 言い返そうとした口が上手く動かず、反論出来ないまま、暁斗は口を噤んだ。心の中に、迷いが生じる。
 今までの、取手や椎名と対峙した時、自分のとった行動は本当にあっていたのだろうか? 結果的に救えたとしても、少しでも何かがずれていたら、自分は何かを傷付けていたのかもしれない。
 知らず、手を握りしめた。
 暁斗は気付いた。
 自分は他者を助ける為に、傷付くことを恐れず、危険を冒している。それは肥後の唱えていた言葉と同義している。

……自らを省みない者に、真に他者を思い遣ることなど出来ない……か』

 保健室前の廊下で、白岐とやり取りをしていた皆守の台詞を暁斗は思い出した。
 本当に、心臓が握りつぶされるような圧迫感に襲われ、目の前が遠くなる。





 おかしい。
 皆守は、肥後の問いかけに何も答えない暁斗を、不審に思って肩を叩いた。びくりと身体が震え、恐る恐る振り向いた彼の表情は、すっかり色をなくして、−−泣きそうに歪む。
 皆守は、暁斗を自分の後ろに庇うように引っ張った。身体の位置を入れ替えて、今度は皆守が肥後に向き合う形となる。「皆守」と暁斗がか細く困ったように言った。だが、構わず皆守は肥後を睨み付ける。
「そんなことを言っても、お前の言っていることは詭弁にしか聞こえない。お前の言うことに従って、八千穂はどうなった? 衰弱しきって保健室に担ぎ込まれただけだ」
 ナイフのような鋭い物言いに、肥後は頬を紅潮させる。
「そんなことないのでしゅ! 八千穂たんはもともと悪い魂の少ない優しい子なんでしゅ。側にいれば大切な何かを思い出せそうな……。そんな気持ちにさせてくれるのでしゅ……!」
 興奮気味に肥後は話し、丸っこい眼からみるみる涙が玉になってこぼれていく。
「キミたちは……、葉佩クン、キミは、ボクから大切なものを奪う悪い《転校生》なんでしゅか……?」
「……」
 皆守の背中に隠れる形になっていた暁斗は、黙り込んでいる。電算室に入った時の勢いも消え、頼り無く俯いていた。
「暁斗」と皆守が舌打ちをする。
「やっぱりそうなんでしゅか……」
 肥後は、暁斗の沈黙を肯定と受け止めたらしい。出てくる涙を強引に手の甲で拭って止めると、皆守を通して後ろにいる暁斗をきつく見据えた。
「今までの《転校生》と同じように、キミも……」
「お前……。《執行委員》か」
 皆守の言葉は、問いかけと言うよりも、むしろ確認に近いものだった。
「何故、こんな真似をする。そもそも八千穂が何の校則を犯したって言うんだ」
「ボクは……、ボクは。ただ皆に幸せになってほしいだけなんでしゅっ」
 自分がやっている行動への非難に対する憤りから、気が昂る肥後の高い声が、さらに高くなっていく。
「それに、悪い魂を集めれば、この学園がよくなって、皆幸せになるって、あの仮面の人が−−」
「仮面の人?」
「…………」
 肥後が、固く口を閉ざす。
 同時に、チャイムが静けさを切り裂いて響いた。
 やってきてしまった下校の時間。《執行委員》は兎も角、一般生徒の立場でしかない暁斗と皆守は、すみやかに校舎を出ていかないといけない。
 勝ち誇ったように、肥後が笑う。
         ・・・・
「下校の鐘でしゅ。一般生徒は早く帰った方がいいでしゅよ」
「……言われなくてもそうしてやる。行くぞ、暁斗」
 皆守は忌々しく吐き捨てて、暁斗の腕を引く。糸の切れた人形のように、大した抵抗もなく流されて動く彼に、舌打ちをする。暁斗は、明らかに肥後の発言でのショックを引きずっている。そんな状態で、彼をこれ以上その場に留まらせてはおけない。
「−−葉佩クン。キミは、汝の隣人を愛すことが出来るでしゅか?」
「……わからないよ」
 肥後の問いかけに、暁斗は振り向かずに力なく答える。何時の間にか、皆守の掴まれていない方の手で、縋り付くように彼の学ランを掴んでいる。
「……。キミの悪い心が今夜騒がないように祈っているでしゅ。あの場所に来てしまったら、ボクは、キミを−−」
「じゃあな」
 肥後に最後まで言わさず、皆守は暁斗を引っ張り、電算室を出た。彼が何と言うかはわかりきっている。
 肥後は《執行委員》で、暁斗は《宝探し屋》。あの場所−−遺跡で出会った二人がするのは命のやり取り。
 だが、そんな言葉を、今の暁斗に聞かせる訳にはいかず、皆守はただ、暁斗の腕を引き続けて歩いていた。
 

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