夢を見る。
とおいとおい、昔の夢を。
「すぐに戻るから、いい子にして待ってるのよ」
母親は優しく頭を撫でてくれた。しゃがみ込んで、心配そうにつぶらな瞳を向けるオレを安心させるように笑いかける。
だが、オレは不安で、母親の服の袖を小さな指で掴んでいた。
これを離してしまったら、二度と会えないような気がしたから。
「おかあさんも、一緒に戻ろうよ。皆戻っていくじゃない。だから」
「お母さんは、まだやる事があるから。ちゃーんとこの人の言う事を聞いて、逃げるんだよ?」
そして母親は立ち上がり、オレの後ろに控えていた男へ「この子をお願いします」と言って、オレをそいつへ押し付ける。
そして、オレの頬にいつもしてくれたキスを落とすと、一人奥へと進んでいった。
言いしれぬ不安がオレの胸を襲う。咄嗟に母親の後を追おうとしたが、「駄目だッ」と男に止められた。
冗談じゃない。オレは必死に抵抗する。
ここは発掘途中の遺跡で、初めてオレは母親の仕事を見に来たんだ。
そして、起きてしまった爆発事故。作業員らは、不慮の事故に驚き、急いで避難していく。だが、母親は外へ出ようとしなかった。
見つけてしまったのだ。自分の子供と同じ年頃の少年が遺跡の奥へと入っていった所を。
見た事がない子だった。忍び込んだのかもしれないし、もしくは自分と同じように他の従業員が連れてきたのかもしれない。何にせよ、放っておけなかった母親は、オレを他の人間に託すと行ってしまった。
怖い。
母親が遠くに行ってしまいそうで。
だから、オレは必死で行く手を阻む男を抜けようとしたが、男はそう簡単にかなう相手ではなかった。オレを抱き上げると、無理矢理外へ行こうとする。
「はなしてッ。お母さんがッ!」
「ここは危険なんだ。麻喜の言う通り、早く逃げ−−」
ぐらりと男が急に傾くと、オレと一緒に倒れこむ。はずみでオレは地面を転がり、男の手から逃げだせた。
いきなりの事で、オレは動かなくなった男の様子を窺う。
地面が男の頭を中心に赤くなっていく。
血だ。
濡れた赤い色に、オレは男が死んでしまったのだと本能的に理解した。
ひゅうと喉が鳴る。怖くなってオレは走って遺跡の奥へと向かった。
こわいこわいこわい。
はやくお母さんの所へ行きたい。
泣き出したい衝動を歯を食いしばって抑え、懸命に薄暗い道を走った。時折聞こえる爆発音や銃声が耳に届き、その度に身体は恐怖で震える。
不意に、道が終わり目の前が開ける。そこはとても広い区画だった。石畳の床。壁は至る所に細工が施され、こんな状況でなければ美しさに目を奪われていたのかもしれない。
揺れる視界の中で、オレは母親の姿を見つける。
「お母さ−−」
後ろから伸びてきた手が、オレの口を塞いだ。同時に足と手も掴まれ、床に叩き付けられる。
目の前に立ち塞がる人、人、人。そのいずれも顔は装甲で隠してある。まるで人形がそろってオレを見ている様だった。
逃げなければ。
オレは必死にもがくが、口を塞いでいた手が持っていた布の薬品をもろに嗅いでしまい、意識が遠のいていく。
力が出ない。
抵抗が緩んでしまう。
ああ、早く行かないと。
おかあさんの、もとへ。
視界がふやけ、オレは意識を手放した。
後少しで、母親に会えるのに。
「−−ようやく来たか。……待っていたよ」
瞼を閉じてしまう寸前、どこか人を見下したような、男の子の声が聞こえた気がした。
「−−−−ッ!!」
跳ね上がるように起き、暁斗は全身汗を掻きながら荒く呼吸を繰り返した。
カーテンの隙間から見える空は暗い。秒針が時を刻む音が室内に小さく響く。
暁斗は枕元に置いてあった時計を見て、眠り始めてからそんなに時間が立っていない事に気付いた。随分長い間、悪い夢を見ていたような感じがする。
「はぁ」と溜め息をついて、汗で額に張り付く前髪を掻きあげる。
心臓は速く、脈をうっていた。
「……また、この夢……」
天香学園に潜入してから、暁斗は繰り替えし同じ夢を見る日が増えていた。
母親が亡くなった時の夢。その時の事件に遭遇してから出てくる夢は、時が経つにつれ、次第に見る回数も減ってきたが、最近はほぼ四、五日に一回は見てしまう頻度にまで上がっている。
まるで、『忘れるな』と心の奥にいる無意識の自分が見せているような感じ。
「オレはあの時、何があったのかはっきり思い出せないのに」
母親の死を目の当たりにした衝撃は、暁斗の精神に多大なダメージを与え、当時の記憶を曖昧にさせている。ただ一つ、大きい爆発音はそれがする度に、その時の恐怖を思い出させるように、暁斗の身に刻みこんでいる。
「………お母さん」
肌身離さず身に付けている、母親から貰ったペンダント。トップについている小さな箱を握りしめ、暁斗は呟いた。
「………」
不安になったら、いつもこれを見て心を落ち着かせていた。母親が見守っていてくれるような気がして。
だが、今は効果も見れず、逆にざわめく一方だ。
暁斗は、自分を抱き締め、頭を折り曲げて寄せた膝頭に埋める。
「……オレは、何をなくしているんだろう……」
消え入る声で言って、暁斗は小さく咳をした。
四時間目が終わり、教壇に立っていた教師が出ていく。同級生はようやくやってきた昼休みにそろって賑やかになった。
弁当を出したり、マミーズや購買へと向かったり、思い思いに行動していく中、暁斗は眠い目を擦りながら教科書を仕舞っていた。結局あれから一睡も出来なかったのだ。
「暁斗クンッ」
隣の席の八千穂が、大きく欠伸をかく暁斗に、話し掛けてきた。何故か、異様に何かを期待している眼をしている。
「眠たそうだね。もしかして、眠れなかったの?」
「ああ、まぁ」
気のない曖昧な返事に、八千穂はさらに身を乗り出してくる。暁斗は思わず反対方向へ仰け反った。
「ね、もしかして悩みごととか、あったりする?」
「あーーーー」
暁斗は一旦迷ったが、すぐに首を横に振った。
「ないよ。昨日は……ちょっと調合で、徹夜して……」
嘘ではない。実際眠れず、気を紛らわせる為にずっと暁斗はこれからに備え必要なものを調合していた。
「そっかぁ。その調子だと悩みごとはなさそうだね。あればなんでも聞いてあげるのに」
心底残念そうな八千穂だが、暁斗は言えない。『母親が亡くなった時の夢を頻繁に見てまいっている』だなんて、彼女が聞いたら困る事間違い無しだ。
第一、なんて言えばいいのか分からない。
暁斗は困ったように笑った。
「ゴメンな、八千穂」
「ううんっ、そんなのいいよ。あたしが勝手に言ってる事なんだから」
八千穂が笑った。
「あたしね、最近は少しでも多くの人に親切にしようって決めてるんだ。そうすることで、自分も幸せになれるんだって教えてくれる子がいるの」
「へぇ」
「それにね、暁斗クンを見てても、そう思うんだ。だって取手クンと、彼から聞いただけなんだけど、椎名サンを助けたのもキミなんだから。同じことは出来なくても、困った人の手助けみたいなことができればいいなって」
何の衒いもなく言う八千穂に、暁斗は思わず照れてしまう。彼女は真直ぐ嘘のない言葉でものを言うから、受け取ってしまう方もその気持ちを直に受け取ってしまう。
八千穂にそんな風に言われるのは、何だか気恥ずかしかった。
「で、その子の話を聞いているだけでも、幸せになれるの−−って、ああッ!」
「ッ、どうしたんだ?」
時計を見ながら、八千穂は慌ただしく席を立った。
「ゴメンッ、お昼のセミナーがあるから、あたし行くね」
セミナー? 八千穂、そんなものに行っていたっけ。眉を潜める暁斗を余所に、八千穂は急いで教室を出ようとする。
そして、何もない場所でつまずいた。
「きゃっ−−」
危うく倒れこみかけるが、運良く入ってきた男子生徒の手によって、八千穂の身体は支えられる。
皆守だった。いきなり目の前に飛び込んでくる八千穂の姿に驚いて眼を丸くしている。
「おい、何器用なことやってるんだ」
「み、皆守クン」
「やれやれ」と溜め息をつきつつ、皆守はしっかり八千穂を床に立たせた。
「やっと帰ってきたか。今日もサボり時間が長かったなぁ」
朝礼を済ませて、今までずっと屋上でサボっていた皆守の帰還に、暁斗は呆れたように言う。雛川の授業だけ出席率がいいくせに、他の授業ではすこぶる悪い。
「俺の事はどうでもいい。それよりも八千穂。お前、顔色が悪くないか?」
皆守の指摘に八千穂は首を傾げた。
「ええ、そんなことないよ。身体が丈夫なのが取り柄なんだから」
「ま、それもそうか」
「ひどいなぁ、もう」
怒ったように頬を膨らませるが、すぐに八千穂は笑った。
「でも、ありがと。心配してくれて。それじゃ行くね」
教室を出ていく八千穂を皆守は見送り、暁斗もその隣に立って、開かれたままの扉を見た。
「……大丈夫かな。八千穂」
「……さぁな」
すぐ近くでは、よく八千穂と昼食をとっている女子生徒が、最近八千穂の付き合いが悪いことと、テニス部にもあまり顔を出していないこと。そして、学校で噂されているらしい倶楽部に通っていることを話しているのが聞こえる。
嫌な予感を感じ、暁斗の胃にぴりぴり痛みが走る。それは皆守も同じらしく、教室を出ていく女子生徒の背を見ていた。
「−−大丈夫かな。八千穂」
今度は不安を滲ませて、暁斗は呟いた。
「……よくは分からないが、今の所は何が起きているのか分からないんだ。詮索しても仕方がない」
皆守が暁斗の頭に手を置いた。
「それより、俺たちもマミーズに行こうぜ。これからなんだろ」
「あ、うん。行こうか」
皆守と連れ立って歩こうとした途端、突然暁斗は喉が苦しくなって咳を吐き出した。何度か続きそれは治まる。
「暁斗? おい、大丈夫か」
心配そうに皆守が言った。
「お前も八千穂のことは言えないな。顔が青白いぞ」
「え、そうか? 別に普通だと思うけど」
暁斗は笑った。
「お腹がすいているだけだよ。食べないと気持ち悪くなっちゃうしさ」
「………そうか?」
「そうなの。ほら、さっさと行こうぜ」
暁斗は皆守の背中を押しながら、教室を出ていく。
「今日もカレーなんだろうな」と呟く暁斗の口から、また咳がこぼれ出ていた。
お昼時らしく、マミーズは沢山の人で賑わっていた。
暁斗と皆守が店内に足を踏み入れると、忙しそうにテーブルの間を歩き、注文をとっていたウェイトレス−−奈々子が持っていた伝票をエプロンのポケットに入れてやってくる。慌ただしく動いていたのに、笑顔は絶えず崩れていないのはさすがだと暁斗は思う。
「いらっしゃいませ。マミーズへようこそ!何名−−」
「二人」
最後まで言わせない皆守の素早い発言に、奈々子がうっと唸った。
「何だか微妙に先手を取られましたね……」
「毎度毎度、分かりきったことを聞くからだ」
「そうだなぁ、オレ、マミーズにはこいつと二人でしか来たことないし」
暁斗も曖昧に頷いた。
「それはそうなんですけどォ。マニュアルに書いてあるんですもん〜〜」
トレイを両手で抱え、奈々子は首を傾げてたずねる。
「大事ですよね、マニュアルって」
「そうだな。オレも最初はそういうのを聞きながら訓練したもんだ」
銃の取り扱いや爆薬、簡単な調合、エトセトラ。《宝探し屋》に必要な要素を本で読んだり、時には師匠に叩き込まれながら成長していったものだ。思わず暁斗は昔を懐かしむ。
だが、そんな暁斗の様子に、奈々子は訝しんだ。
「訓練?」
「何でもない。聞き間違いだろう」
皆守は言い直し、失言をした暁斗の頭を勢いよく叩いた。鈍い音がして暁斗は前に屈みこんだ。
「それよりも、ここはいつまで客を待たせる気か。早く案内しろ」
「あっ、すいません。……あたしとしたことがッ」
慌てて居ずまいを正し、奈々子は営業スマイルを浮かべる。
「ただ今店内は大変込み合ってますので、なるべく相席をお願いしたいんですが」
「相席」
「おおお……。思いっきり叩きやがって」
叩かれたダメージから立ち直り、暁斗が起き上がった。それをたった今気がついたように皆守が見る。
「何だ、もう復活したのか」
「するわっ!」
「……あのー。あたしの話、聞いてます?」
「あっ、ゴメン。うんオレは別に構わないよ。……皆守は?」
「人による」
にべもない皆守。だが、奈々子は「助かります」と嫌みなく笑ってさっそく案内を始めた。
通されたのは窓際の一番奥。四人がけのテーブルにはもう既に一人先客がいた。その姿に、暁斗はあっと声を漏らす。
「アラ、暁斗クン」
既に片付けてしまった皿を脇に寄せ、優雅にティカップを傾けていた椎名リカが暁斗に笑いかけた。可愛らしい笑みに暁斗も笑って返す。
「すいませんが、葉佩君たちと相席よろしいですか?」
「勿論ですわ。さぁ、どうぞ」
リカが席を移動して出来た空間に暁斗が座り、その真向かいに皆守が腰を下ろす。
メニューを見る間もなく、皆守はカレーライスを二つ頼んだ。暁斗も半ば諦めたように溜め息をつき注文を了承する。
奈々子はお辞儀をしつつ、他の客への接客へと向かっていった。
「悪いな。一人でゆっくりしたかったんじゃないか?」
すまなそうに言う暁斗に、リカはふんわりと眼を細める。
「いいえ。リカ、暁斗クンとご一緒出来て嬉しいですわ」
そして、残念そうに空になって仕舞っている皿を見つめる。
「こうなるんでしたら、もう少し遅く食べてましたのに。お昼が一緒になるなんて、そうそうありませんですもの」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。じゃあさ、今度お弁当でも作って、お昼一緒にしようか。椎名の好きなもの沢山入れてさ」
「まぁ、ステキ!」
嬉しそうに腕に手を回し擦りよるリカが、愛おしく暁斗はその緩く波がかかった髪を優しく撫でる。
「……」
それを皆守が頬杖をつきながら、眉間に皺を寄せて見ている。
「お前ら、いつの間に仲良くなったんだ。初対面の時はあんなに睨み合っていたくせに」
不機嫌を滲ませた声音。
「あのなぁ」
暁斗は口を開こうとするが、それをリカが制し、体勢はそのままで皆守の方を見て笑う。
「リカと暁斗クンは貴方の知らない所で色々やってますのよ。だからこーんなに仲良しですの」
「ねぇ?」と暁斗に同意を求めているが、リカの視線は皆守に留まったままだ。それどころか、勝ち誇ったような笑みまでプラスされている。
暁斗は慌てる。どうして、リカが皆守を挑発するようなことを言うのか。それに、
どうして、皆守は機嫌が悪くなってるんだよ。
不機嫌オーラをまき散らす皆守に、暁斗は自然と逃げ腰になってしまった。
「それに、皆守クンだけに暁斗クンを独り占めさせる訳にはいきませんですの」
「し、椎名?」
「ほォ? 俺がいつこいつを独り占めしているって言うんだ」
皆守の眼が細くなる。が、笑っていない。寧ろ凄みが増しているが、リカは怯える素振りもなくさらに暁斗へ擦り寄った。
「あら、分からないですの? いつもですわ。別々にいる時間の方が短いのではなくて?」
「冗談じゃない。俺と暁斗はいつも一緒にいる訳じゃない。そう見えるのなら、それは勝手にこいつが寄ってくるだけの話さ」
「御謙遜を。ノロケにしか聞こえませんですの」
二人の間に火花が散らばる。
この二人、こんなに仲が悪かったっけ?
奈々子がカレーライスを持ってくる、短いようで長く感じる時間、暁斗は生きた心地もしないまま、二人の無言の睨み合いに内心、頭を抱えたい思いで、冷や汗を掻いていた。
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