「おーほほほッ! アタシのダーツを打ち返せるかしらッ!!」
 鋭くダーツが飛んで行く。
「−−テニス部エースをなめないでよねッ!」
「いっくよーっ!」八千穂がダーツを打ち返し、朱堂のデカい顔の横を擦り抜けた。続けてリュックから硬球を素早く取り出すと、目にも止まらぬ速さでスマッシュを繰り出す。
「白鳥のように華麗に舞う、アタシの動きに翻弄されなさいッ!」
 朱堂がバレエのような滑らかな動きで、スマッシュを躱した。
「ええいっ! すばしっこく逃げるなぁっ!!」
 皮肉げな朱堂の笑みに、八千穂は肩をいからせながらスマッシュを連発する。
 遺跡に降りて、新たに開いていた北北西の扉から新たな区画を進んでいた暁斗、皆守、八千穂の三人は化人創世の間で待ち構えていた朱堂を見つける。彼は、自分が《生徒会執行委員》と明かし、狙った獲物をダーツで百発百中の確率で射抜く《力》をもって、戦いを挑んできた。
 さっそくダーツを投げてくる朱堂に、暁斗は持ってきたファラオの鞭でダーツを払い落とそうとするが、彼の前に立ち塞がった人影が、それを打ち落とした。
「や、八千穂……?」
 大きく暁斗は口を開けて、ラケットを構える八千穂を見た。恐ろしい怒りのオーラが、彼女の周りに迸っている。
「暁斗クンは、下がってて」
「下がってって……、それはこっちのセリ……」
「いいからッ!!」
 大きく叫ばれ、暁斗は吃驚して思わず直立不動の体勢をとってしまった。
「こいつのせいで、しばらく不安な日々を送ってたのよ。わたしや、女子寮の皆」
 八千穂はラケットをびしりと朱堂に向ける。
「でも、そんなの今日で終りにしてみせるッ。−−覚悟なさいッ!!」
「ふっふっふっ、いいわッ。止めたければ、力で捩じ伏せなさい、アタシも徹底的に抗戦させてもらうわッ」
 高らかな八千穂の宣戦布告に朱堂も乗り、戦いは《生徒会執行委員》と《宝探し屋》と言うよりも、どこかスポ根的な雰囲気が漂う、緊張感が張り切れてない感じへと変わっていってしまった。
 冒頭のやり取りを繰り返しながら、ダーツと硬球を打ち合い続ける八千穂と朱堂を、傍目から半ば呆然としている暁斗と我関せずの皆守が傍観している。
「……うー、あああ」
 本当なら、すぐにでも両者の間に入って戦いを止めさせたい暁斗だが、うっかり間を間違えればこちらがダーツとスマッシュ両方命中してしまいそうで、うっかり踏み込めず、悩みながら頭を掻きむしる。
「放っておけ。見た分だと、そんなに危険そうじゃない」
 八千穂は十分戦えているぞ。皆守が呑気な事を言いながら、ラベンダーのアロマを吸った。
「でもなぁ……。これじゃ、立場が逆じゃん」
 本来なら《生徒会執行委員》と戦うのは《宝探し屋》である自分であるべきで、八千穂はあくまでもサポートするだけに留まってほしいのが、あんまり彼女を危険な目に合わせたくない暁斗の本音だった。だが、今はその役目が見事に逆転してしまっている。
「オレ、少し自信なくなった」
 肩を落とす。目の前で繰り広げられる戦いに、暁斗は幼い頃からやってきた訓練を思い返して、さらに落ち込む。
 どうして、訓練を受けていない八千穂が、こんなにも強いのだろう。
「気にするな。あいつは特殊だ」
 皆守の慰めが、心に痛い。
「あああああ……」
 暁斗の悲嘆を余所に、戦いは熱く苛烈を極めていった。
「暁斗ちゃんに、届け愛の二酸化炭素ッ!!」
 暁斗に熱い眼差しを送りながら、朱堂がダーツを投げれば、
「気味悪い事言わないでよねッ。このオカマッ!!」
 八千穂が打ち返す。
 延々と硬球とダーツが飛び交う時間の長さに、暁斗は終りが来ないような錯覚さえ覚えた。
 足元を、八千穂が打ち返したダーツが転がってくる。先端に付けられている鋭い針の表面が、暗い区画内の明りを受けて鈍く光る。それを見て、暁斗ははっと気がついた。
 今はこんな状況だとしても、朱堂が《生徒会執行委員》と言う事に変わりはないのだ。今八千穂が十分に渡り合っていたとしても、もしかしたら朱堂にはまた別の《力》があるかもしれない。
 危険なのだ。そう、思いたい。例え、目の前で八千穂が勝ちそうになっていても、危険だと思いたいのだ。暁斗は鞭を持つ手に、力を込めた。やっぱり、自分の手で終わらせないといけない。
 力強く立ち上がった。
「オレは、朱堂を止めなければいけない」
「………出来ると思うか? あの中に割り込んで」
 もっともな皆守のツッコミ。
「しなきゃいけないのッ!」
 じゃなければ、ずっと立場が逆になりそうで、何となく嫌なんです。
 鞭を構えながら、暁斗は一歩前に踏み締める。まずは朱堂をどうにかしないとな。そう思いながら、八千穂の方へと歩み寄ろうとした。
 その時。
「きゃああああッ!」
 八千穂が悲鳴をあげる。彼女は、スマッシュを撃つ事に夢中になって、足元に転がっていた硬球に気がつかなかったらしい。バランスを崩して、固い石の床へ尻を打ち付けていた。
 ようやく出来た隙を朱堂が見逃すはずもなく、彼はダーツを取り出して指先で華麗に回転させる。
 痛みに呻く八千穂目掛け、投げ付けた。
 鋭い針の先端が、八千穂を狙う。
「−−くッ!!」
 暁斗は反射的に鞭をしならせた。
 鞭は蛇のようにうねり、ダーツを見事にたたき落とす。
 二人の間に暁斗は立ちはばかって、朱堂に向けてさらに鞭を振るった。その攻撃は遠くにいた彼を巻き込み、拘束する。
「……もう止めたらどうだ。朱堂」
 逃してたまるかと鞭の柄を握りしめ、地面を踏み締める暁斗を、朱堂は自由を奪われたにも関わらず、きつく睨み付ける。
「いやよ。これはアタシの望みを叶える為でもあるのよ」
「……望み?」
「……何よ、それ」
 顔を険しくした八千穂が、立ち上がって叫んだ。
「異星人に成り済ましたり、女子寮を覗いてあたしたちを観察みたいな事をして−−、叶う望みなんてどうせロクな事じゃないんでしょ!?」
「アナタにはッ、アタシの望んでいる全てを持っているアナタには分からないわよッ!!」
 朱堂の悲痛な叫びに、八千穂は驚き身を竦ませる。
 暁斗は気付いた。朱堂が泣いている事に。
「アタシはッ……、羨ましいのよ。花のように美しく、蝶のように優雅な女性たちの姿がッ。アタシだってそういう風に生まれたかった。でも、願いは叶わない……。だからッせめて女性らしく振る舞いたくって、ずっと見ていたのよ。……アナタたちを……」
「……朱堂……」
 俯き声を上げてなく朱堂を、暁斗は可哀相だと思った。出あってすぐに強烈な印象を植え付けられ、ここまで振り回され続けたけど。初めて触れた彼の悩みに、思わず暁斗は力を緩めてしまう。
 朱堂の悩みは暁斗にも、何だか分からないものではなかったから。八千穂も同じだったようで、声を無くして崩れ落ちる朱堂を見つめている。
「暁斗」
 皆守が朱堂の下を見るように目線で促す。
「……ッ!」
 朱堂の足元から《黒い砂》が現れ、彼を取り込もうとしている。だんだんと意志を持って蠢く砂。
「八千穂、下がって」暁斗は八千穂を皆守の方へと押しやり、鞭を構えた。吹き出した汗が首を伝う。
 今回、木刀やら黒板消しやら半ばふざけているともとれる装備のまま、八千穂に遺跡へと引きずり込まれた為、一番マシな武器がファラオの鞭のみになってしまっている。これで凌げるか不安だったが、やるしかない。
 緊張して、思わずつばを飲み込んだ。
 その間にも、《黒い砂》は朱堂を包み込んでいく。
「ずっと、ずっと羨ましかったのよぉおおおおッ!!!」
 大きく叫びを残して、朱堂が砂の中へ消えた。宙と浮き上がり、それは巨大な化人の形を取った。顔の周りを中心に円状に広がっていくヒレ。まるで頭が太陽の形をした、魚の様だった。水に上げられたように帯びれを唸らせ、暁斗たちに近づいてくる。
「−−いやぁああああッ!!」
 裂帛の気合いを込めて、暁斗は鞭を渾身の力で振るった。これが効かなかったらお仕舞いだ。一縷の望みをかけ、空を斬ってしなった鞭を化人に当てる。

「………」
「………」
「………」
 暁斗たちはそろって言葉を無くした。
 鞭での攻撃は恐ろしい程、化人に効果を上げている。びちびちうめきながら痛がっていた動きは魚そのもので、仕草が何となく愛らしくも見える。
「いやぁ、このままにしておきたいなぁ」
「絵に描いて、椎名さんに縫いぐるみでも作ってもらおうか。前だって暁斗クン、遮光器土偶さん貰ってたでしょ」
「おー、いいなー」
「………お前ら、少しは真面目にしてろ」

 戦いの最後は緊張感が抜けきっていた。手早く化人を倒し、朱堂を《黒い砂》から引っ張り出した三人は、そのまま気絶している朱堂を引きずり遺跡を脱出した。

 

「さぁ、好きにしなさいよ」
 取り出した縄で朱堂を逃げないように拘束して、これからの事を話し合っていた暁斗たちは、そうふんぞり返る彼に困った表情をした。どんな理由があったとしても、朱堂は女子寮を覗いていた張本人なのだ。
「やっぱり、突き出すべきだろ。迷惑かけちゃったんだし」
 暁斗が頬を掻きながら言った。皆守もすぐに頷く。
「……女子らは勿論、俺たちの睡眠時間を潰してくれた事もあるしな」
「……同感だ」
 短い時間で一気に様々なものを見聞きして、巻き込まれた見回り組は、そろって疲れた表情をした。いい加減、解放されて眠りたいのが本音だ。
 暁斗たちが下した判断に、朱堂は一瞬顔を青くするが、すぐに諦めたようにふっと息をついた。
「……いいわ、突き出しなさいよ。どうせ、アタシの気持ちなんて、誰にも分かってもらえないんだから」
 むくれる朱堂に困って暁斗は皆守と顔を見合わせる。その横を八千穂が通り過ぎて、朱堂の前にしゃがみ込んだ。
「もう、いいよ」
 さっきまで溢れていた怒りを消して、八千穂は朱堂の縄を解く。
 急に自由になって驚き、戸惑いながら八千穂を見る朱堂。暁斗と皆守も、彼女の思い掛けない行動に、呆然と口を開けた。
「いいって、八千穂。お前」
「だって、分かるもの。朱堂クン−−ううん、茂美チャンの気持ち」
「え……」
 朱堂の目が大きく開いた。
「誰にだって、夢や憧れはあるよね。もし、あたしが茂美チャンだったらさ、きっと同じ事をしていたかもしれない。だから、茂美チャンだけが悪いとは思えないんだ……」
「……良いのかよ、八千穂」
 皆守がたずねる。女子寮を覗いてきた犯人で、さんざん引っ張り回された皆守にとってはあまり面白くないのか、半分呆れが入っている。
 八千穂は笑って頷いた。
「うん、夢に憧れる事を、誰にも責める事なんて出来ないよ。この事は、あたしたちの胸に仕舞っておこ?」
 そして、朱堂に手を差し伸べて、起き上がらせた。
「……ありがとう、八千穂サン……」
 礼を述べる朱堂に、「気にしないでッ」八千穂が笑顔で応える。
 そこには、確かに友情が芽生えていた。
 遠い目をして、暁斗がそれを見つめる。
「……ま、良かったんじゃないの。終りよけりゃ」
「こっちは無駄骨だったがな」
「確かに」
 疲れを露に、溜め息をついて肩を回す暁斗の横で、変わらず皆守はアロマを吸っている。今回本当に貧乏くじを引かされたとしか思えない二人は、これでいいんだと自分らを納得させた。
 じゃないと、やってけない。
 夜の風が木の木の葉を揺らして吹く。結構冷たく、暁斗は自分の身体を抱き締めて震えた。
「寒いし、もう帰ろうよ。八千穂、これからどうするんだ。女子たちとか」
「あたしがちゃんと説明しておくよ。もう、事件は終わったんだってね。大丈夫。茂美チャンの事はちゃんと伏せておくから」
 八千穂は朱堂を見た。
「ほら、見つからないうちに行って」
「八千穂サン−−。……何から何まで本当にありがとう。それじゃ行くわ。みんな、またね−−」
 颯爽と朱堂は去ろうとするが、暁斗と肩がぶつかりあう。すると朱堂の学ランから何かがこぼれ落ちた。
「朱堂。これ、落とした−−。ッ!?」
 自然の成りゆきで暁斗はそれを拾い、そして見てしまった。
 写真に写った八千穂の着替え場面や、セクハラ校務員境の手によってスカートが捲られる瞬間の姿を。
「あら、ありがと。暁斗ちゃん」
 朱堂は固まる暁斗から写真を取り、一枚一枚丁寧に汚れがないか調べている。
 暁斗の肩ごしに、八千穂が写真を見た。内容を知って、一気に彼女の怒りがよみがえる。
 あまりの凄さに、皆守が危うくアロマプロップを落としかけた。
 八千穂の笑顔が脆くも崩れ去り、代わりに包丁ならぬラケットを振りかざす鬼女のごとき憤怒の形相が浮かぶ。「ひ」と暁斗は急いで皆守の所まで避難して、一緒に後ずさった。
 一刻も早く、八千穂と朱堂から離れたい。
「ああ、良かった」
 写真に汚れもなく傷もない事に安心して、朱堂は胸をなで下ろした。
「せっかく苦労して、隠し撮りしたのに、汚れちゃったら頼んでくれた男子も買ってくれなくなるわ。今度からは気をつけないと」
 見逃してもらって、余裕が出来たのか朱堂は余計な事ばかり喋る。それを聞いて、八千穂の怒りもさらに磨きがかかり、さらに暁斗たちも後ろに下がる。
「アラ、どうしたの? 暁斗ちゃんに皆守ちゃん。そんなに後ろに下がって−−」
「うっ、うう、うし」
「牛?」
 首を捻る朱堂の肩を、八千穂が掴んだ。
「−−ちょっと、アンタ」
「……何かしら? 八千穂さ−−ッ!!」
 八千穂の拳がうねった。容赦ない一撃をまともに喰らい、吹き飛んでいく朱堂。地に倒れるその身体に、今度は鳬がヒットした。
「いっ、いきなりなにすんじゃ−−」
「さっきの写真はどう言う事よッ!! 隠し撮りして男子に売り付ける? それこそ不審者がするような事じゃない!!」
 友情を誓いあったばかりの彼女からの手痛い指摘に、朱堂の目は空を泳ぐ。それとなく暁斗たちに助けを求めたが、彼らはもう遠くへの避難を既に終了していた。
「悪い」目の前で両手をあわせる暁斗に、「自業自得だ」と言わんばかりに蔑みの目を向ける皆守。
 二人とも朱堂を助ける気が皆無だった。
 一気に青ざめる朱堂は慌てて、八千穂の怒りを押さえようと前にやった手を振った。
「おおおお、落ち着いて八千穂サンッ!! −−アタシの話を聞いて」
「………何よ」
「………」
 言葉に詰まって、言い淀んでから、朱堂は苦し紛れに呟いた。
「I'm your father.(私はお前の父だ)」
「−−−−ッ!!」
 逆効果。
 八千穂の怒りは頂点に達し、遠慮手加減無しの拳が、朱堂に襲いかかる。休む間もなく繰り出される蹴りと拳。最早怒れる獅子とでも形容するしかない彼女の見事な殴りっぷりに、遠くから眺めていた暁斗がぽつりと呟いた。
「−−オレ、これからは八千穂を怒らせないようにするよ」
「−−それが懸命だな」
 アロマを吐き出した皆守の溜め息は、朱堂の蛙が潰れるような悲鳴に敢え無く消されていった。

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