歩いていくうちに震えも治まり、遺跡探索にも似た雰囲気に暁斗の調子は上がっていく。怯えていた眼は真剣さを帯び、怪しいものはないか、懐中電灯を照らしながら隅々まで探していく。後ろで皆守が、暁斗の背中を眺めながら後を追っている。
 フェンスと女子寮の間は思ったより広くなく、暁斗と皆守は二人並んで歩けない。小柄ですばしっこい暁斗は、直ぐに先に行こうとして、その度にパーカーのフードを皆守に引っ張られてしまう。「苦しい」と抗議すれば、「先に行くからだ」と即座に返される。
 そんな掛け合いを繰り返し、半分まで見回りを終えた。まだ、異変も不審者も、−−八千穂たちが楽しみにしている異星人も出てくる気配はない。
 もう、何も起きないだろう。おっかなびっくりしながら始まった見回りだったが、何ら変わりない夜の雰囲気に暁斗は安心した。逆に何だか、夜の散歩をしているみたいだ。
「こうしてみると、こういうのも探検みたいで面白いかもな」
「俺はとっとと帰って、ベットに潜り込みたいがな。本来なら、もうとっくに寝ている時間だ」
 欠伸をかみ殺しながら皆守がぼやいた。暁斗は身体ごと後ろに振り返り、そのまま歩きながら、楽しげに手を広げる。
「ちぇ、雰囲気も何もあったもんじゃないな」
「言ってろ」
「まぁ、オレも緊張しっぱなしで疲れたからな。早く終わらせて帰ろう」
 皆守が笑った。
「ふん、珍しく意見が合ったな」
「だな。よし、そうと決まればさっさと−−、うわあッ!!」
 後ろを向いたまま、角を曲ろうとしたのが悪かった。暁斗は何かにぶつかって悲鳴を上げながら、後ろに倒れこんだ。コンクリートの固い地面の感触ではなく、嫌に生温かいものが触れる。下から、潰れた男の声が聞こえた。
「暁斗ッ!」
 いきなり闇に消えた暁斗に、慌てて皆守が角を曲った。そして、驚いて眼を丸くする。
「おい、誰だ。それ」
「は?」
 誰かと問われて、暁斗は下に敷いてしまったものを見た。そこには、見た事もない男が仰向けに倒れている。夜なのにサングラスをかけ、やたらと派手な蛍光色のシャツに革ジャン。わざと生やしているのか、それとも不精なのか。あまりきれいに整えられていない鬚の生えているその顔は、どこか不審者めいた感じを与えた。
「しッ、知る訳ないだろ。それよりも、早く助けてくれよ」
「ったく、……ほら、掴まれ」
 皆守が差し伸べた手に、暁斗は縋り付いて立ち上がろうとしたが、腰に這う大きい手の感触に、思わず背を剃り返した。「ひ」と情けなく声を漏らし、皆守の手を握りしめる。
「おいおい、ちょっとはこっちの心配をしてくれても良いんじゃないのか?」
 今にも笑い出しそうな声が、暁斗の下からする。腰に触れていた手が、するりと下へ落ちた。
 つまりは、尻の方へと。
「ぎゃああああッ!」
 暁斗は尻を持ち上げて、勢い良く下ろす。それは下にいたものの腹にめり込み、潰れた悲鳴を出させた。急いで立ち上がり、暁斗は皆守の後ろへと回る。息を荒立てて威嚇し、目の前のものを睨み付けた。
「……、おい、何された?」
「こいつ、こいつ、変態! オレの尻触った!!」
「はぁッ!?」
「誰が変態だッ!」
 暗がりから、倒れこんでいた男が立ち上がって姿を見せる。腹部を掌で大袈裟に擦っている男は、恨めしそうに暁斗を見た。
「……ったく、いきなりボディブローをかますとは。近ごろの若者は気が短いな」
「痴漢行為をすりゃ、誰だって怒るわッ!」
 明るみに出た男の姿に、暁斗はますます警戒を強める。格好だけでもこんなに怪しいのに、行動もそれ以上に怪しい。さらに言えば、男はどう見ても、暁斗たちより年上で、学校内でこんな派手な風貌の人物もいない。
 正に、不審者そのもの。
 皆守も、それに気付き半眼で男を鋭く睨み付けた。
「誰だ、おっさん」
「誰がおっさんだッ! 俺はまだ二十八だッ!!」
「俺らから見れば、十分おっさんだ」
「そうだそうだ−」
 皆守に同意して、暁斗も大きく頷いた。ぐと男は言葉に詰まる。
「……だからガキの相手は嫌なんだよ……」
「ガキって何だよ。大体初対面にセクハラかますような男に、そんな事を言われる筋合いなんて微塵もない」
 皆守の後ろで吠える暁斗に、男はさらに言葉に詰まる。誤魔化すようにせき払いをして、あさっての方向を向いた。
「……そういえば、自己紹介がまだだったな」
「……」
 誤魔化された。暁斗は憮然とする。未だに腕を強く握りしめられている皆守は、「いい加減に離してくれ」と呟いた。
「俺は鴉室洋介。ペット探しから、素行調査。依頼された事を調査する−−、まァ平たく言や私立探偵ってやつだな」
「探偵なら、探偵って最初から言えよ。このセクハラ男が」
 男の正体が知れたにも関わらず、皆守の態度は冷たい。鋭い睨みもそのまま鴉室に向けている。
「それに何だってここにいる。この学園は全寮制。加えて関係者以外の立ち入りは禁止されている。なら、お前は立派な不法侵入者だ」
「まァ、確かにそうだな」
 鴉室は素直に認めて、肩を竦める。
「でも、俺もここでしなくちゃいけない事があるんでね」
「……しなくちゃいけない事?」
 皆守の脇から顔を出し、暁斗は尋ねる。
「それって何だよ」
「学園で行方不明になった生徒の親に頼まれたのさ」
 鴉室が説明するには、その生徒は、学園内で忽然と姿を消し、未だに見つかっていないらしい。警察は家出だろうと結論付けたのだが、不審な点も多く、親が掛け合っても学園側の反応は芳しいものではなかった様だった。
「だから、俺が雇われた訳よ。不法侵入などの違法調査を覚悟でな」
「……」
 説明を聞いて、皆守は黙り込む。対して鴉室は面白そうににんまり笑った。
「この学園はなかなか興味深い。何かありそうな気がするぜ。隠された秘密ってやつがな」
 こいつ、何か知ってる。暁斗は本能的に察知して、鴉室を窺った。
「……ッ」
 鴉室と眼が合ってしまい、ウィンクされる。また慌てて皆守の背中に隠れた。あからさまに嫌がられ、鴉室は傷付いた顔をして、大袈裟に落ち込む振りをする。
「……ま、しばらくは何処かに潜伏しながら調べるさ。あ、ちなみに先生にチクっても無駄だぜ? 俺には協力者がいる」
「……」
 協力者。つまり学園内に外部の人間と通じている人物がいる。危ないのではないか。見つかったら、《生徒会》に処罰されてしまうかもしれない。
「おい」
 暁斗は皆守の前に進み出た。
「捜査すんのは止めないけどさ」
 その点は自分も変わらないし。
「その代わり、絶対見つかるなよ。そうなったらその協力者に迷惑がかかるんだからな」
 鴉室がサングラスの向こうで眼を丸くする。そして、笑い出した。
「何で笑うんだよッ!」
 せっかく忠告してやってんのに。暁斗が怒ると、鴉室は「違うんだよ」と制した。
「いや、悪い悪い。似てると思って、ついな」
「は?」
 誰に。暁斗が口を開くよりも早く、鴉室は腕時計を見るなり、掌を前に突き出して暁斗を制する。
「おっと、時間だ」
「お、おい。ちょっと」
 またな、ベイビー。軽い調子で言い残し、鴉室は踵を返して、暗がりに消えていく。思わず暁斗は呼び止めてしまうが、すぐに派手な革ジャンの後ろ姿は見えなくなっていった。言いたい事を言って、いなくなるとは随分ずるい去り方をされてしまった。腑に落ちずに、暁斗は鴉室が消えた暗がりを見る。
「……変な奴」
「お前が言うかよ」
 お前だって同類だろ。そう言葉の裏で言いたげに皆守は呟き、うんざりと溜め息を吐いた。暁斗は半眼で睨み付けたが、どこ吹く風で空を見上げられかわされる。
「にしても、異星人なんて出てこないな」
「……」
 鴉室に続いて、また誤魔化され、暁斗は口をへの字に曲げる。まったくどいつもこいつもと吐き捨てたくなる。
「……そうだな。見回ったけど、それらしいものなんてなかったし」
 暁斗は、一応合わせて言葉を返してやる。
「ったく、骨折り損だ」
 何処か空々しい会話が続いて、暁斗は面白くなくなり、眉間に皺を寄せて俯き地面を注視する。ああ、とっとと帰って何か温かいものでも飲みたい。
「……ん?」
 ふと腕が、皆守のジャンパーのポケットに触れる。微妙に温かい。掌を当ててみると、今度はちゃんとそこに暖かさを感じた。
「何入れてんの?」
「あ? あ、ああ。忘れてた」
 皆守がポケットから、コーヒーを二本取り出した。どちらもブラックだ。
「途中で飲もうと思って、買ってきた。……いるか?」
 一本を目の前に差し出され、暁斗は一瞬の間をおいた後、受け取った。皆守から貰って、実際嬉しいのはこれが初めてだ。以前のカレー鍋は、どうしたらいいか対処に困り、鍋と向かい合って悩んだものだったから。
「サンキュ」
 ちゃんと礼を述べてから、プルトップを開ける。さっそく飲もうと口をつけた時、
「……ッ?」
 辺りが、一気に夜から朝に変わったように、眩しくなった。眼が眩み、暁斗はせっかく貰ったコーヒーを落としてしまう。ブラックの、苦味が混じる香りが漂う。
「なっ、なんだ!?」
 皆守も驚き、腕を盾にして眼を守り、前を見た。眩い光の中心に、人の形をした影が、滲み出てくる。それが眼に入った時、暁斗は身の毛もよだつおぞましい感覚に襲われる。全身が、本能が目の前の存在に対して、強く警告を発していた。それを煽るように、出てくる白い煙。何者だ。暁斗はすかさず手で口を塞ぎ、眼を凝らして影を見据える。
「ワレワレハ、コノ惑星カラ六九万光年ハナレタ星カラヤッテキタ。−−コノ惑星ノ生物ヲ調査スル為ニ」
 男とも女ともつかない声が小刻みに揺れて聞こえる。まさか、本当に異星人、なのか? 暁斗は、パーカーの内側に仕込んでいた、銃の感触を確かめる。
 不思議だった。今までずっと怖がっていたのが、嘘のように暁斗は落ち着いていた。いざとなれば、オレが皆守を守らないと。《宝探し屋》としての意識が、眼の奥に炎となって赤々と燃える。
 なのに、皆守は。
「暁斗……。やっぱりこの宇宙には異星人はいたんだ……」
 今までの意見と百八十度変えた発言をかます。
「はァ!?」
「七瀬たちの言ってた事は本当だったんだ!」
「…………」
 今度は暁斗が皆守に呆れる番だった。昼間はあんなにいないとか、八千穂をバカにしていたくせに。この変わり身の早さは何だ。案外皆守は、異星人を信じているのかもしれないと、暁斗は思う。
 その間にも、異星人の呼び掛けはさらに続く。
「ワレワレヲ、探シテハナラナイ。ワレワレノ調査ノ邪魔ヲスレバ、−−タダチニ母艦カラ、コノ惑星ヲ攻メニクル」
「暁斗……。見ろ、今俺たちは、地球人の歴史的瞬間に立ち会ってるんだッ!」
 熱く語る皆守に、暁斗はもう言葉もでなかった。何だか緊張してる事すら馬鹿らしく思ってしまう。
「……んん?」
 暁斗は気付いた。光の下の方から、何か黒く太い線が走っている。横目で追ってみると、それは暁斗たちの横を通り、壁を伝って、僅かに開いた窓から
女子寮の中へと入っている。
 踏んでみた。間違いない。これは紛れもなく電気コードだ。そして耳をすませると、聞こえるエンジン音。
「………」
 暁斗は銃を抜いて、撃った。あらかじめ、サイレンサをつけていたお陰で、ぱすんぱすんと乾いた音が続き、電気コードは千切れる。
 暁斗の目論見通り、光はまた一瞬で消えた。眩しさは失せ、夜の暗さが戻ってくる。
 光が合った場所には、顔だちが大きく、いやに濃い(色んな意味で)男子生徒が立っている。口にくわえていた深紅のバラが、さらに濃さを際だてていた。
「……あ……」
 異星人だったと思い込んでいた影の呆気無い正体に、皆守は絶句する。そして、白々しく睨む暁斗から顔を背けた。
「……」
「……」
 暁斗と皆守は、それぞれ怒りを込めて、男子生徒を睨む。
「……」
「……」
「−−ワレワレハ」
 なおも芝居を続ける男子生徒に、皆守は前触れもなく、まだ封の開けていなかったコーヒーを振りかぶり、力の加減もなしに投げた。
 直線を描き、殺人的な速さを持ってそれは男子生徒の頭に直撃する。めり込んで、骨が折れてしまいそうな鈍い音に、暁斗は顔を顰めた。一歩間違えたら死ぬだろう、それは。そう言いたかったが、皆守がとても清清しく額の汗を拭っているので、言わずにおく。
「死んだか?」
「勝手に殺すんじゃないわよッ!!」
 後方に倒れこんだ男子生徒が、甲高く叫び起き上がる。広い額には、くっきり投げられた缶の痕がついていて、赤く腫れている。とても痛そうだ。
「ちょっと、アンタ! そんな中身の入った缶を投げ付けるなんて、当たりどころが悪くて死んだらどうするのッ!」
 投げられた缶を掴み、怒りも露に皆守に向かって指差す男子生徒。だが、異星人への期待を無惨に裏切られた皆守の怒りも、相当に強かった。
「やかましいッ! この野郎、驚かせやがって。紛らわしい登場すんなッ!!」
「騙されてたくせに」
 白い眼でぽつりと暁斗は呟く。皆守が、ぎ、ときつく暁斗を睨んだ。
「ああ!?」
「何でもない」
 暁斗は今の皆守には、下手に構わない方がいいと悟り、わざとらしく、男子生徒を見る。
「……それよりも、お前は何者だッ。さんざん怖がらせやがって」
 指を突き付けると、男子生徒は暁斗をなめるようにすみずみ見つめる。まるで、獲物を狩る猛獣の眼に、暁斗の背筋は震える。何だか、関わりあいになりたくない人種だ。
「あら、アナタ−−」
 暁斗の危機感を煽る声で、男子生徒は言う。
「もしかして、アタシの華麗な演出に感じちゃったの? いやん、アタシったら罪な、オ・カ・マ」
「誰がじゃあ!!」
 身をくねらせる男子生徒に、一気に怒りが沸点まで到達して、暁斗は持っていた銃を渾身の力で投げ付ける。銃は、皆守が投げた缶と寸分違わず同じ場所に命中した。
 再び、男子生徒は昏倒する。
 肩で息をしながら、額の汗を拭う暁斗は思う。ああ、きっと皆守の気持ちは、今の自分の考えている事と一緒なんだ。
「……分かってくれたか、暁斗……」
「……皆守……」
 気持ちを一つに通じ合わせ、固く見つめあう暁斗と皆守。新たな友情が芽生えた気がする。
「何、二人の世界作ってんのよ」
「……もう、復活したのかよ!」
 額を押さえ、起き上がる男子生徒に暁斗はうんざり嘆いた。
「当たり前よ」
 ゆらり揺らめいて、男子生徒は学ランの懐から、手帳を取り出して捲ると、声に出して中身を読んだ。
「アナタたちの名前は、−−皆守甲太郎に、《転校生》の葉佩暁斗−−」
「……なぜ、俺たちの名前を」
「朱堂茂美特製、《すどりんメモ》に網羅された天香学園のイイ男たちのデータを見れば、一目瞭然よ。それにきっちり載せている男二人が、目の前にいるんですもの。むざむざ気絶なんて出来ないわッ」
「すどりん、……メモ」
 ぞぞぞと寒気が走り、暁斗は身体を擦る。えらいモノに眼を付けられてしまった。
「何だって、そんなモノ」
「ああら、そんなモノ呼ばわり? これはねェ、他にも色んな事が書いてあるのよォ。アタシにとってはとても重要な事ばかり。『綺麗な眉の描き方』とか『小顔に見せる化粧』」
「………」
 そんなに顔が大きかったら、無駄じゃなかろうか。暁斗は思った。
「『リバウンドしないミクロダイエット』に『着痩せする服の着かた』」
「……おいッ」
 聞くのが面倒くさくなったらしく、皆守が苛々して、朱堂の言葉を遮った。
 だが、朱堂は構わず続ける。
「そして、『天香学園における、女生徒の生態と傾向』−−」
「−−なッ!?」
 最後に出してきた調査内容に、暁斗と皆守は驚いて固まる。
 驚愕する二人に、朱堂はさも嬉しそうに、笑った。

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