放課後のチャイムがなる校舎を背に、暁斗と皆守はテニスコートをフェンス越しに見ていた。テニスを間近で見た事がないらしい暁斗はフェンスを掴んで、食い入るようにラケットを振る生徒らに興味を持っていた。皆守はみっともないと、暁斗の頭を叩く。
「何すんだよ」
軽い衝撃が走る程度で、痛みなどすぐ消えただろうに、暁斗はわざとらしく頭を擦る。
「せめて、もう少し離れてみていろ」
呆れた皆守の声と、中での号令が重なった。今日のテニス部の活動が終わったようだ。部員らに挨拶をしたりされたり、慕われながらラケットを片手に八千穂が二人の方へと向かってくる。
「ごめんね。急に呼び出したりして」
「それは別に構わないんだけどさ。何かあったの?」
昼休みに大寝坊したと、今さらな事を言いながら登校してきた八千穂は、教室に戻ってきた暁斗に御相談したい事があるから、放課後にテニスコートにまで来てほしいと頼まれた。八千穂が困るのを目の当たりにするのは初めてだったし、別段断る理由もない為、暁斗は二つ返事で了承した。ついでに嫌がる皆守を引っ張って、今ここにいる。
ちゃんと約束を守ってくれた暁斗に、八千穂は嬉しそうに笑った。
「良かった。暁斗クンならそう言ってくれると思ったんだ」
「……で、何で俺までここにいるんだよ」
「良いじゃない。どうせ暇でしょ?」
「……お前な」
「それでね、二人を信頼して相談するんだけれど」
抗議が虚しく八千穂の耳を通り抜けられ、皆守は口を閉じると、何も言わずにアロマを吸った。そんな彼を端に置いて、八千穂は話をすすめる。
「最近、寮にいる時、誰かに見られている気がするの。しかも、あたしだけじゃなくて、他の女の子たちも。
「……」
八千穂の言う事は、弥幸と取手の言っていた事に重なる。
「もしかして、不審者?」
「そうかもしれない」
暁斗の言葉に、八千穂は神妙な顔で頷いた。
「……でもね、あたしはそうじゃないかもって思うんだ。それを証明する為に、今夜二人で女子寮を見張っていてほしいんだ」
暁斗と皆守は顔を合わせた。途中の説明が省かれ、いきなり女子寮を見張ってほしいだなんて。訳が分からないにも程がある。皆守はすぐに、異論を唱えた。
「なんで、いきなりそうなるんだよ。警備員にでも頼めばいいだろ」
「警備員さんはダメだよッ。証拠もないし、マトモに取り合ってくれないよ。……それに、こんな話信じてくれるかどうか……」
やけに引っ掛かる言い方。何か、分かっているような口ぶりだ。
「で、お前は誰が犯人だと言いたいんだ?」
「うん、−−あのね」
二人の間で、暁斗が息を飲む。
「これは、異星人の仕業じゃないかって」
「…………」
沈黙が、流れた。しっかり三秒は固まってから、皆守はようやくアロマプロップを口から外す。
「……は?」
間の抜けた声が漏れ、呆れとも驚きとも取れない眼で、八千穂を凝視する。
「悪い、八千穂。よく聞こえなかったんで、もう一回言ってくれるか?」
「いいわよ。これはきっと異星人の仕業だと−−」
「お疲れさん。じゃ、暁斗。俺、先に寮に帰ってるわ」
何事もなかったかのように欠伸をして、くるりと背を向ける皆守に、そうはさせるかと八千穂はそれに追い縋って、立ち止まらせる。
「まだ、あたしの話は終わってないわよッ」
「バカ野郎ッ! どこの宇宙に女子寮を覗く異星人がいんだよッ! んな妄想に、俺たちを付き合わせるなッ!!」
二人で寮を見張ってほしいと言う無茶なお願いよりも、こっちの方がたちが悪い。異星人なんている訳ないと考えている皆守にとっては、まさに八千穂の話はバカバカしさの極みにまで来ていた。そんなものに付き合う理由なんてない。
怒り心頭で怒鳴り、そして、同意を求めるように、暁斗を見る。
「お前だってそう思うだろ、暁斗」
「そんな事ないよねェ、暁斗クン!」
皆守の学ランの裾を持ったまま、八千穂も暁斗を見た。二人はきつく暁斗を見つめ、そして眼を丸くする。
「……」
「……暁斗?」
「……暁斗クン?」
「……」
その周りだけ時が止まったように、暁斗は固まっていた。心無しか顔色は悪く、額には脂汗が浮かんでいた。
死んだ魚のように、濁った眼。皆守は八千穂を引き剥がし、暁斗の前に立つと、掌を広げて目の前で泳がせる。彼の眼は、動かない。
「お前、まさか」
ある事に思い至った皆守が、それを聞こうとした途端、暁斗の身体が竦む。その反応に確信した。
「怖いんじゃ」
「わーわわわわーー!!」
いきなり暁斗が大声で喚き、皆守の言葉をかき消すと、そのまま口を抑えてきた。間近に見える顔。合った眼は、血走っていた。
「何言ッテンデスカ、ソンナノアル訳ナイジャナイデスカー」
「じゃあ、俺の眼を見ろ。ちゃんと」
「ウ……」
押し黙った暁斗は、拳を握りこませ、皆守の腹にそれをめり込ませる。痛みにたまらず、皆守はしゃがみ込んだ。
「二人とも、どうしたの?」
恐る恐る様子を窺っていた八千穂が、覗き込んできた。また暁斗が動きを止める。
「そうさ、怖くなんてない」
「……え?」
「だから、引き受けようじゃないか。女子寮の見張りを!!」
「えっ、ホント?」
「ああ、そうだ!!」
そして、暁斗は高らかに告げる。
「皆守と一緒に!!」
「おいおいおいおい!」
冗談じゃない。皆守は、腹に残る鈍い痛みを押して、立ち上がった。どうして、異星人を見つけるなんて下らない事で暁斗に巻き込まれないといけないんだ。
「どうして、俺まで付き合うことになるんだよ。やるんなら、お前一人でやれ」
「あの時、付いていってくれるって言ったじゃないか。さっそく破る気かよ」
「それとこれとは別物だ」
黙ってリカを救いに遺跡に赴き、そして生還した時の言葉を引き合いに出す暁斗に、皆守も負けじと返す。自分は、勝手な怪我を暁斗にさせない為にあの言葉を言った訳で、決してこんな事に使われる類いのものではない。
「やるなら、一人で、やれ」
「ええ〜〜ッ」
不満を隠さない暁斗から、眼を反らした。全く進歩がない。何度自分を面倒事に巻き込ませれば気が済むのか。
一方的な言い合いをじっと見つめる八千穂は、不意に何かを思い付いて、悪戯げな笑みを浮かべる。ラケットを肩に置いて、わざと明るく言った。
「あッ、分かったァ!!」
「……?」
暁斗と皆守が同時に振り向いた。
「さては、皆守クン、……怖いんでしょ?」
「なー−ーッ!?」
それこそ冗談じゃないと言いたげに、皆守はあからさまに驚いた。その反応を知っていて、八千穂は何回も頷く。
「そっか。ゴメンね。怖いのに、無理言って。そうだよねェ、誰だって異星人は怖いもんね」
「誰が怖いって言ったよ? 異星人なんている筈ないもの怖がっても意味がない」
「そうだそうだ」
「お前が言うな、暁斗」
半ばムキになる皆守に、あくまで八千穂は調子を崩さない。
「いいよ、強がらなくても。みんなには内緒にしておいてあげるから」
「ちッ。お前の内緒ほど信用出来ないものはないぜ」
ぼやく横で、暁斗がこくこく頷く。彼はその身を持って、如何に八千穂が口を滑らせやすいかを知っていた。そして、今度は皆守が味わう番になるかもしれない。ここで断れば、そう遠くない日に、イイ年して、異星人を怖がる男子生徒のレッテルが貼られるだろう。
全くもって、気に食わない。
皆守は長く、重い溜め息を吐いた。
「……分かったよ。見張ればいいんだろ、見張れば。……全くツイてないぜ……」
とうとう折れた皆守に、暁斗と八千穂が表情を明るくする。
今夜もまた、長い夜になりそうだった。
明りから逃げるようにしゃがみ込み、暁斗は冷えた指先に息を吹き掛ける。壁に背を凭れ、皆守は寒さ対策に着込んだジャンパーのポケットに手を突っ込んで、暁斗を見下ろした。
白のハーフパンツに、灰色のパーカーの出で立ちで、冷えてくる秋の夜長で見張りをするには、不用意な格好の彼に呆れる。厚着をしていてようやく寒さを防げるぐらいなのに。
「……一度寮に戻って毛布でも取ってこい。出なけりゃ着替えてくるとか」
風邪を引かない為に提案したつもりだったが、暁斗は立ち上がらない。
「ダメダメ。一介の《宝探し屋》は一度受けた任務は完璧に遂行すべしなんだから。オレが離れた時に異変が起こったらどうするんだよ」
顔を上げた暁斗の、頬と鼻頭は赤くなっている。皆守は半眼で睨んだ。
「……怖いくせに」
「……」
包み隠さない発言に、暁斗は口をへの字に曲げて、首にかけられていた鎖を手繰り寄せ、パーカーの中から出てきたものを握りしめる。
「大丈夫だもん。お母さんが守ってくれるさ」
母親代わりのお守りか。皆守はしゃがみ、暁斗と目線を合わせて覗き込む。暁斗は素直に掌を開いて、それを見せてくれた。
細く銀色に光る鎖の先に、握ればすっぽり隠れる小さい箱のようなものがくっ付いていた。中からからからと音がする。きっと何かが入っているのだろう。
「不安な時は、こうして握っていると、とっても安心する」
「……」
大切そうに握りしめる暁斗を、皆守は複雑な眼で見つめた。自分は暁斗の事をあまり知らない。せいぜい《宝探し屋》と言う事と、バカな行動に反して頭はよく、あとは宇宙人を怖がっている節がある。
母親を大切に思っている所もか。ついさっき知った事を合わせても、まだまだ謎は多い。
くしゃみを我慢して、顔をマヌケに歪ませる暁斗の横で、アロマプロップを取り出し、くわえると火をつける。暗がりに、小さな赤がついた。
「バカ、火で、見つかるだろ」
見つかるって何に。
鋭く反応する暁斗に、思わず口を開きかけた皆守は、真剣な眼によってまた閉じられる。火を付けたばっかりで勿体無かったが、仕方なく消して、ズボンのポケットにしまいこんだ。
その時、暁斗の背中からクラシックが流れてくる。いきなりだったので、二人は身を竦めた。
「ああ、ビックリした。メールが来るなんて」
パーカーを捲り、後ろからHANTを取り出す暁斗に、皆守はどうしてまともな隠し方をしないのだろうかと、遠く思った。以前、遺跡から暁斗が戻ってくるのを待っていた最中、乱雑に服やら、ノートやら、銃弾まで散らばっている部屋にいたので、余計にそう感じる。
「誰からだよ」
「八千穂から。だけどな……」
あまり嬉しそうではない暁斗の手の中で、再びHANTが同じ曲を流した。すかさず、メールが開かれる。
「今度は誰だ?」
「…………」
今度は返事もせずに、ただ暁斗は画面を注視していた。心無しか、げんなりとした表情。
変だ。皆守はHANTに送られてきたメールを見てみようと、覗き込みかけた時、ジャンパーのポケットにしまっていた携帯電話が大きく音を立て、驚く。つい設定をし直し忘れていた皆守は、慌てて取り出し、ボタンを操作して止めた。そして、改めて送られてきたメールを開く。
差出人は八千穂。もう、異星人と遭遇したかと尋ねる内容は、不審者云々よりも、まるで自分たちが異星人に会う事を期待している様子が見て取れる。
宇宙人とかを怖がっている暁斗にしては、酷だ。皆守は暁斗が黙り込んだ理由が何となく分かった。
「……」
「……」
二人して黙っていると、今度は同時にHANTと携帯が音を立てる。出たくはないが、仕方なくメールを開いた。差出人はまたもや八千穂で、文面を眼で追い、暁斗は肩を落として、皆守は苛つき携帯を閉じる。
「……まさか、あいつ。どこかで俺たちを見張ってるんじゃないだろうな」
まるで、上から見ているような内容のメールに、皆守は空恐ろしいものを感じた。かわいそうに暁斗は自分は異星人に会うのだとだんだん決めつけられていく恐怖に震えている。そして、震えすぎてバランスを崩し、地面に転がった。
「……とりあえず、見回るか。簡単でも、ざっとして八千穂たちを安心させてやれば、すぐに帰れるだろ」
宙を掻く暁斗の手を掴み、引っぱり上げて立ち上がらせると、皆守はどちらに行くかと眼で尋ねる。彼はしばらく迷った後、左を指差した。
「よし、行くか」
「……皆守」
すっかり気弱になった暁斗の声の後に、皆守のジャンパーの後ろが引っ張られる。暁斗が俯いて、恥ずかしがりながら、その端を握りしめていた。
「ごめん。……少し、こうしててもいい?」
「……」
仕方がない。今回はこいつにとって分が悪い事が多すぎた。
「しばらくしたら、ちゃんと離せよ」
「どうも」
皆守の答えに、暁斗は安心して笑う。不思議な事に、震えが落ち着いた気がした。
いけるかも。
皆守のジャンパーの端を握りしめ、二人は暗がりの中を進み始めた。
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