昼休み近くの休み時間。一階にある購買に多くの生徒で賑わう。あらかじめ昼食のパンを買おうとする人の群れが、自分の欲しいものを手に入れる為に我先にと商品に手を伸ばす。
 暁斗が着いた時には、もうかなり大勢の人が購買にいてたじろぐが、すぐに気を取り直し直撃していく。
 狙いは一つ。カレーパン。
 皆守の為に! そう意気込んだのはいいが、すぐに暁斗は人にもみくちゃにされて弾き飛ばされる。諦めずにまた挑戦するも、結果は同じで、人は食べ物が絡むと途端に恐ろしくなるものだと実感した。というか、怖い。暁斗は壁の端に寄って、へたり込む。
 ひとり、ふたり。買い物を済ませた生徒たちが帰っていって、購買内の人口が少なくなっていく。パン売り場が、直視出来るぐらいにすいてきて、暁斗は急いで立ち上がり、目的のものを探す。
「……ない」
 どこにもカレーパンがない。愕然と暁斗は血の気が下がり、棚の隅々まで眼を凝らして探す。しつこいぐらいに何度も見たが、どこにもその姿を確認出来ない。
 うっそぉ。暁斗は頭を抱えてうちひしがれる。このままでは任務を遂行出来ないではないか。
「あああ。どーしよう。どーしよう」
「どうかされました?」
「へ?」
 頭を抱えたまま、後ろを振り返ると灰色のつなぎに公務員が来ているジャンパーが見えた。優しい笑顔で微笑んでいる、人気が高いと噂される人物に、暁斗は慌てて居ずまいを正した。
「こっ、こんにちは緋勇さん」
「はい、こんにちは」
 弥幸はにっこりと軽く会釈する。
「どうか、されたのですか? 困っておられたようですが」
「あ、あの、オレ、カレーパン買いに来たんですが、もう売り切れてて……」
「カレーパン、ですか」
 弥幸の表情に影がかかる。
「もしかして、それは皆守君に頼まれたものではないですか?」
「えっ」
 まだ何も言ってない。言い当てた弥幸に、暁斗は驚いた。
「どうして、分かったんですか?」
「君と皆守君が一緒にいる所は良く見ますし、何より友達にそうさせる程、カレーへの執念を見せる生徒は一人しかいませんからね」
「……ああ、確かに」
 反論のしようがない。
「それに、先程彼がここに来ましたしね。尤も、僕を見るなりすぐに出ていってしまいましたが。その代わりに、暁斗君に頼んだのでしょう。……全く、変な所で子供ですね、彼は」
 皆守の名前を出す時、弥幸の声は微かに温度が下がる。いつか皆守が弥幸の名前を出す事すら嫌がっていたが、目の前の人当たりの良い校務員さんも、どうやら皆守をあまり好ましく思っていないらしい。
 犬猿の仲。
 暁斗の頭に、浮かんだ言葉がその二人に一番しっくり来る気がした。
 返答に困り、あーと声を漏らし、何とか言葉を絞り出そうとするがうまく思い付かない。
「あ−−、……」
 だんだん下がる語尾と共に、肩も下がる。落ち込んでいく姿に、弥幸は小さく笑った。
「すいません。困らせてしまいましたね」
 少し待っていてください。そう言って暁斗を残し、カウンターに戻ると弥幸はしゃがみ込み、姿を消した。数秒後にまた起き上がり、手に何か持って帰ってくる。
「はい、どうぞ」
 持っていたものを、全部暁斗に渡した。掌にカレーパンが転がってくる。市販のものではなく、サランラップに包まれた手作り感のあるそれに、暁斗は驚いて弥幸を見上げる。
「これ」
「僕が作ったものなんです。奈々子さんに頼まれまして」
 料理を得意とする弥幸は、その腕前を見込まれてマミーズの店長に試作品を作ってもらうように頼まれたらしい。
「もともと作ったのは普通のカレーなんですが、余ったので手を加えましたが、どうでしょうか」
「ちょっと」
 どころではないだろう。包装こそはサランラップだが、見た目はいつも売られているものより美味しそうだ。彼の作るお菓子を目当てにやってくる生徒もいるぐらいだから、味も保証付きだろう。
「……本当に、もらっていいんですか?」
「もちろん」
 笑って頷く弥幸に、暁斗も満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
 心を込めて礼を言って、深くお辞儀をした。弥幸は悪戯っぽく、指を口元に当てる。
「その代わり、皆守君には内緒ですよ?」
「はい!」
 暁斗は素直に頷いた。確かに、直接二人が会った所は見てないが、仲の悪さは何となく分かった。言わない方がお互いの為だろうし、暁斗も学生生活の時ぐらいは、平穏に過ごしたいと思う。
「じゃあ、さっそくアイツ探してきますね」
 すぐに皆守にカレーパンを渡す為、購買を出ようとしたら、がたんと大きな物音が校務員室から聞こえる。たてつづけにそれは続き、ここから出せだの老人を労らんかだの喚き声が混じる。
 何かあったのだろうか。後ろを向いて眼で問いかけると、弥幸はこめかみを押さえる。
「最近、女子寮を覗く不審者が出没しているんです。なので、生徒の安全を護る為に警備員がするほかに、自分達も交互に二つの寮を見回る事にしたんですが」
 深く疲れた息を吐く。
「案の定、境さんは女子寮の方しか見なくて。それだけだったらいいんですけど、昨日は覗き行為にまで及ぼうとしたので、仕方なく実力行使を取らせてもらいました」
「………」
 スカートめくりや覗きにかける情熱を他のものにも使えばいいのに。暁斗は心底そう思う。だが、そううまくはいかないから、その分弥幸が骨を折って頑張っているんだろう。
「頑張ってください」
「ありがとうございます。さ、早く行ってあげなさい」
「はい!」
 弥幸に見送られ、暁斗は購買を出る。抱えたカレーパンを見てにんまり笑うと、さっそく皆守を探し始めた。天気がいいから、きっと屋上だろう。階段を一気にかけ昇る。
 その予想に反して、あのサボり魔は、屋上ではなく保健室のベットで見つける事になった。

 

 保健室の真ん中には丸い木のテーブルがあって、中央に小さく白い花が生けられた花瓶がちょこんと置かれている。以前かわいらしいその花に触れかけ、暁斗は瑞麗にたしなめられた事があるそれは、今日もきれいに咲いていた。
 眺めながら、心をほんわかさせて暁斗はカレーパン片手に席に着く。隣に取手が腰掛けて、向い側に皆守がだるそうに椅子を引きずり座る。その皆守はしきりに頭を擦り、暁斗は額が赤く腫らせていた。
 眉を顰めながら、皆守は苛ついた眼で暁斗を睨む。
「あんな起こし方をする奴がいるか。このバカ」
「仕方ないだろ。名前を呼んでも起きないんだから」
 ちなみにあんなの、とはいつまでも眼を覚まさない皆守に業を煮やし、勢い良くボディプレスを発動した結果、勢いが強すぎて二人揃ってベットとベットの合間に落ちてしまっていた。その際、皆守は頭を、暁斗は彼の顎に強く額を打ち付けている。
「暁斗君、大丈夫?」
 心配そうに取手が尋ねてきた。暁斗は手の甲で額を軽く擦る。
「う〜ん。まだ、ちょっと痛いかな?」
「自業自得だ」
「なんだとう!?」
「ふん」
 皆守は身を乗り出して、暁斗の手元にあるカレーパンを二つ手に取り、戻っていく。四つあったうち、半分持っていかれてしまった。
「ああああ〜〜〜〜ッ!」
「何だよ」
「みんなで分けようと思ってたのに!!」
 瑞麗もいるから、ちょうど一人で一つずつにしようと暁斗は考えていたのだ。だが、皆守は反論は許さないと言わんばかりに、眼を鋭くさせ、さらに続けようとした暁斗の反論の言葉を飲み込ませる。口籠ってしまった暁斗は、すまなそうに仕事用の机に座る瑞麗へと向かって頭を下げた。いつものように手に煙管を持つ彼女は、余りにも気の毒な暁斗に、慰めるような笑みを見せる。
「気にするな。私はちゃんと昼食は準備してある。気持ちだけ、ありがたくいただくさ。それよりも、その額の方が気になる。腫れているじゃないか」
「先生の手を煩わせるほどの怪我じゃないですよ」
 皆守が黙ってカレーパンを包むサランラップを解き、食べはじめる。それに倣い、暁斗と取手もサランラップを剥がし、口へと運んだ。
 手元には、気を効かせて取手が入れたコーヒーが暖かな湯気を立てる。
「……」
 一口カレーパンを食べた皆守の表情が、一気に変わった。さっきまでの不機嫌は消えて、真剣な面持ちで味を吟味している。
「美味しいね」
 取手が笑って呟いた。
「うん」
 暁斗も大満足の美味しさに、大きく口を開けてカレーパンにかぶりつく。自分の中で、ますます弥幸への印象が良くなった。こんなに美味しいものが食べれるなら、その為に通いつめたくなる生徒の気持ちがよく分かる。
 きれいにカレーパンを平らげた後、まだ熱いコーヒーを口元まで近付け息を吹き掛け冷ます暁斗は、先程聞いたばかりの、寮に出る不審者の事を話題に上げた。もちろん、弥幸の名前は伏せて。
「あ、僕もクラスの女子から聞いたよ。寝ようと思ったら、外から視線を感じたり、気を失った子もいたんだって。宇宙人のせいじゃないかって、みんな言ってる」
 関心を示した取手の話に、暁斗は動きを止めた。それはまるで、夕薙の話に出ていた怪談に似ている。
「はっ、バカバカしい。宇宙人なんている訳ないだろ」
「だよなッ」
 ばっさり切り捨てた皆守に、暁斗は嬉しくなる。
「宇宙人なんて、いない、いないんだッ」
「暁斗君、顔色悪いよ」
 のほほんと取手が突っ込む。
「気のせいだッ」
「しかし、興味深くはあるな」
 瑞麗が椅子を回転させ、暁斗たちと向き合う。足を組み、口元には深い笑みが刻まれていた。
「この世には到底言葉では説明出来ない事もある。もしかしたら、それこそが、その説明出来ない事、なのかもしれないぞ」
 どうにも意地の悪い言葉に、暁斗は両手で包んでいたコーヒーの入っているマグカップを落としそうになる。コーヒーが揺れて、少し親指にかかり、熱さに身を震わせる。
「じょ、冗談言わないでくださいよ」
「さぁて、な」
「…………」
 顔を青くして黙り込む暁斗に、皆守は黙ってアロマを吸っていたが、いつもより−−自分がつい酷い事を言ってしまった時以上だ−−落ち込みが激しい彼をさすがに可哀想と思ったのか、深く溜め息をついた。
「暁斗、こいつの言う事なんて、気にしなくてもいい」
「……皆守?」
「だいだい、女子寮に出没する不審者なんざ覗きかなんかだろ? だったらいつかは警備員か校務員が見つけて捕まえるだろう。お前が介入する隙間なんてこれっぽっちもない」
 どうやら慰めているらしい皆守に、取手が微笑ましく笑う。そして、まだ残っているカレーパンをもそもそ齧った。近ごろは二人のそんな掛け合いを見るのがなんだか楽しみになってきている。
 暁斗はいつになく優しい皆守に感動して、マグカップをテーブルに置いて、わざわざ彼の元にまで移動してから抱きつく。すぐに引き剥がされ、ぐぐぐと力の押し合いをする二人に、瑞麗も笑んだままの表情で煙管を吸った。こう言った光景が、保健室での日常になりつつある。
 瑞麗は細い煙を吐き出して、言った。
「関係ないからと、安心するのは早いと思うがな」
「は?」
 体勢は押し合いのまま、顔だけを瑞麗に向け、二人は揃って間抜けな声を出す。
「案外、巻き込まれてしまうかもな?」
 彼女の言葉を裏付けるように、廊下を騒がしく走る足音と、遅刻する! と大きな八千穂の声が保健室にまで、届いた。


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