ガラスが割れて、小さな箱が外へと飛び出してくる。大きさの割に白い煙を大量に吐き出しながら、その箱は地面に落ちるなり一気に爆発した。
跡形もなく破壊され、蒸気で圧縮された熱が風を伴い渦巻く。中にもそれが入ったのだろう。店の中からは悲鳴が聞こえた。
慌てている店の中の様子を覗き、忍び笑いを浮かべる。だが、ある男子生徒を見つけると、一気に機嫌は落ちた。
どうやら《処罰》は失敗したらしい。目標の無事を確認し、悔しくて唇を噛み締める。
学園の秩序を守る為なのに、どうして邪魔をするのかしら。いら立ちをつのらせ、店に背を向けた。
まだチャンスはある。次はもっと威力を強くしよう。考えると、また自然と笑みが溢れた。
もし、死んでしまっても大丈夫。
『お父様』が、迎えに来てくれるわ。
昇降口に凭れ、ラベンダーのアロマを吸う同級生の姿に、暁斗はマミーズから走っていた速度を徐々に落とす。次第に走りは歩きに変わり、ぴたりとその前でぴたりと止まった。
「…何だよ」
じっと見つめられ、皆守はたじろぐ。
「本当にいた」
弥幸にあんな事を言われ、アイツが待っているものかと半信半疑だったが、実際にいたので暁斗はつい見つめてしまった。
何だか嬉しい。実際に触って、皆守の感触を確かめるとへにゃりと笑った。
「置いていかれたかと思ったから。待っててくれて嬉しい」
「…別にお前を待っていた訳じゃない」
暁斗の視線に耐えきれなくなった皆守は、視線を反らした。
「ただ、片づけをするのも、教室に戻るのも面倒で、ここでぶらぶらしていたら、たまたまお前が来た。…それだけだからなッ」
最後は半ば自棄になっているのがバレバレで、余計に暁斗の笑みはふやける。
皆守はこめかみを引きつらせて、徐に両手を伸ばすと暁斗の頬をつねった。思いきり、横に広げる。
「あだだだだだっだ」
「へぇ、よく伸びるな」
よく伸びる皮膚の柔らかさに、皆守は変な感心をしつつ、さらに引っ張る。
「ふぁに、ふぅるんふぁよ(何、するんだよ)!」
「お前が、余計な事をするからだ」
「ふぁなぁせー(離せー)」
暁斗は痛みに涙して、皆守の腕を払うが、すかさず同じ場所をまた抓られ、伸ばされる。
「いふぁいいふぁいいふぁいー(痛い痛い痛いー)!!」
「はははっ。賑やかだな」
下駄箱の方から渋い笑い声がした。頬を抓られた体勢のまま、暁斗と皆守は同時に振り向く。
巨躯の男がこちらを見ていた。その姿を認めた途端に皆守は、ぱっと暁斗を解放する。ようやく離れられ、暁斗は頬を掌で擦った。
その間にも、男は靴を履き替えこちらに近づく。影になって見えなかった部分が、陽に照らされて露になる。
背が高く、暁斗と並んだら頭の部分が自分が小さく感じてしまいそうで、隆々とした胸の筋肉が緑のTシャツを押し上げ力強い事を如実に示している。腕もまた太くて、力一杯握られたら、細い暁斗は折れてしまいそうだ。
きりっとした顔だち。顎の無精髭と十字の傷痕がなかったらもっと若く見えていただろう。
自分や皆守と比べると男はどこか大人びている部分が見隠れしている。
手強い。脈絡もなく暁斗は頬を挟んでいた手を大きく広げ、男と皆守の間に立ちはばかった。
「何やってんだ」
後ろで、皆守が呆れた声を出した。
「なんとなく」
「アホか」
溜め息と共に頭を叩かれた。
「こいつは俺たちと同じクラスの同級生だ」
「ええッ?」
暁斗は驚き、目の前の男を見上げる。今まで一度も教室で見た事のない男が同級生とは、にわかに信じられない。
皆守がだるそうに男を紹介する。
「名前は夕薙大和。こいつはな、物好きな事に、俺たちよりも二年多く高校生をやっているのさ」
「それはひどい言い様だな。甲太郎」
夕薙は遠慮ない皆守の説明に顔を渋くする。
「人には色々事情がある。君だってそう思うだろう。葉佩暁斗君」
いきなり話を向けられた暁斗は、会ったばかりの夕薙が自分の名前を知ってる事に驚く。目立つ行動は控えていたのに。
「−なんで、オレの名前を?」
「知ってるさ。転校して色々、君の話は聞いているからな」
「………誰に」
「さぁて、な」
「………お前、授業はどうしたんだ」
皆守が口を挟んできた。
「学校に来ているって事は、授業を受けに来たって事だろ」
「今日は朝から調子がよかったから、試しに来てみたんだが」
夕薙の笑みに苦味が走る。
「やっぱり駄目だったよ。これから寮に戻って寝る事にするさ」
そのまま夕薙は暁斗を見た。
「今度会う時はゆっくり話してみたいものだ。その時を楽しみに待っているよ」
「あ、…うん」
それじゃあと手を振り、肩に脱いでいた学ランを引っ掛けて、夕薙は暁斗と皆守の横を通り抜ける。体つきに似合わない、ゆっくりとした歩みが、彼の調子の悪さを物語っていた。
「不思議な奴」
見送りながら、ぼんやり暁斗が呟く。皆守はそれに頷き同意した。
「何を考えてるか分からないって事に関しては、白岐並みに謎な奴さ。大和自体は外国暮しをしていたらしいが、詳しくは誰も知らない」
「…何か、この学校に来てから、本当色んな奴に会ってるよ、オレ」
しみじみ呟きながら今まで出会った人の数を、暁斗は指折り数える。
「皆守に八千穂。七瀬。白岐さんに黒塚。境のじいさんに奈々子ちゃん。千貫さん。−それに緋勇さん」
「………緋勇?」
皆守の声が一気に低くなった。だが、それに気付かない暁斗は、明るく続ける。
「うん。お前が逃げた後に来てくれたんだ。片づけを手伝ってもらって、キャラメルもくれて。いやぁ、いい人だった。お前もそう思うだろ?」
暁斗はポケットからキャラメルを差し出し、同意を求める。あんなに優しそうな人だもの。だるそうにしながらも皆守はきっと頷いてくれる。俺には関係ないなんて、言いながらも。
しかし、暁斗の予想は大きく崩れた。皆守の表情は険しく、眉間に皺が寄っている。
「み、皆守?」
露になった皆守の嫌悪感に、暁斗は戸惑った。皆守が、誰かに対してそこまであからさまに感情を出すなんて。
「葉佩。俺の前では、そいつの話題は出すな」
皆守は暁斗を低く見据える。
「え、緋勇、さんの?」
「するなっつってんだろ」
がちりとアロマプロップの先を噛んで、胸くそ悪いと皆守は吐き捨て、どう返したらいいか分からず、困る暁斗を置いて中に入る。
慌てて、暁斗も後を追った。靴を履き替え、乱暴に下駄箱を入れると廊下を走る。ずんずんと歩く皆守は暁斗に眼もくれない。
「皆守。なんでそんなに毛嫌いしてるんだよ」
「………」
「何か言えよ」
「………」
「皆守ッ!!」
何を言っても皆守は沈黙を押し通す。暁斗は足を止めた。廊下の角を曲り、皆守は姿を消す。階段を昇る音が腹立たしく聞こえる。
「………この、頑固アロマがッ!!」
行き場のない怒りが込み上げ、近くの壁を殴りつける。骨が振動して拳から全体に痛みが広がる。
理由を言ってくれない事が、悔しかった。
六時間目の化学室。
憮然として決められた席に座る暁斗を、隣の八千穂が心配そうに覗き込む。
「どしたの? 顔、怖いよ」
「…別に」
関係ない八千穂を心配させるのは忍びないので、なるべく平静を努めて返したが、うまくいかない。八千穂はなおも見つめ続けるので、何だかこっちが悪い事をしているような気がして落ち着かない。
「………」
身体の力を出来るだけ緩めて、頬に手を当てる。筋肉を解すように、軽く円を描いて撫でて、深呼吸をした。そして改めて八千穂を見る。
「うん。さっきよりマシになってるよ」
そして、声を潜める。
「…また、皆守クンと喧嘩でもした?」
「したって言えばした事になるけど…。なぁ、八千穂って緋勇弥幸さんの事、知ってる?」
「知ってるよ」
あっさりと八千穂は言った。
「とぉ〜っても優しい人でね。この前も荷物が多くて困ってたら、持つの手伝ってくれたんだよ」
嬉しそうに両手を合わせ、そして頬を染める。
「…かっこいいし」
「………ふぅん」
かっこいいと全てにおいて有利に働くのだろうか。何となく首を捻りながら、暁斗は頷いた。
「じゃあさ。そこまで騒ぐって事は女子の方だけに人気があるって訳か」
「そうでもないよ。分け隔てなくて、人の相談とか親身になって聞いてくれるし。男子の中でも弥幸さんが作ったお菓子目当てに購買に通う子だっているんだから」
「………完璧人間?」
外見も良くて、性格も人気もバッチリ。話を聞いた限りでは、非のうちどころがない好青年で、実際に暁斗もそう思っている。なのに、どうして皆守はそこまで嫌悪するんだろう。
また、暁斗の中で皆守に対する謎が増える。
「葉佩ク〜ン。戻ってこ〜い」
我を忘れ、考えにふける暁斗の目の前を、八千穂の掌が泳ぐが、戻ってこない。時計の針が動き、チャイムが鳴った。
まだ、化学室に来てなかった生徒が、慌てて室内に駆け込んでくる。そのうちの一人を見て、暁斗は思案の海から一気に抜けだせた。
あいつ。俺と同じクラスだったんだ。
暁斗の斜前の机に座ったのは、マミーズで墓を掘り返そうと計画を立てていた男子生徒だった。
「それでは、各自実験を開始してください」
化学教師が手を叩くと、静かだった室内がにわかに騒がしくなる。この機会でないと触れない実験道具の数々に、皆が浮かれていた。危ないですから、静かにと注意が飛んでもどこ吹く風だ。
分銅と秤を取り出し、暁斗たちのグループも準備を始める。一緒の班だった皆守はサボりでいない為、残った人数で手早くこなす。
ピンセットで挟んだ分銅が、蛍光灯の光に反射して、ぴかぴか光る。
「なんか、こんなの見ると可愛いって思えるよね」
そのまま八千穂は、挟んだままの分銅を暁斗に見せるが、暁斗は落ち着かずに前をちらちらと見ていた。
「…そだな」
遅れて返った返事も、心ここにあらずの状態で、気が抜けている。
暁斗の意識は前で、のんきに実験している男子生徒に向けられていた。マミーズでの処罰は失敗している。でも、あれで終りだとはどうしても思えない。
「しっかりしてよ、葉佩クン!!」
「あ、ああ、うん。これを乗せればいいんだな」
「違うって、反対反対。何やってんだよ葉佩」
実験の順序は途中から全然見てなかった為、葉佩は間違えた場所に分銅を置き、同じグループだった同級生から、頭へ軽い一撃を与えられる。痛くはなかったが、切ない気持ちにはなった。誰も彼も、自分の頭をなんだと思っているのか。
謝りつつも、叩かれた場所を擦る。ふと、横を何かが通り過ぎた。
既視感。
暁斗は顔を上げた。あのマミーズにいたゴシック・ロリータの格好をした女の子。足取りも軽く、教室を出ていく。
そう言えば。暁斗はついさっき起きた爆弾騒ぎを思い出す。あの時は、あの子が姿を現してから消えてすぐ、爆弾の箱が机に乗っていた。
まさか。
男子生徒がいる方向を見て、暁斗は背筋が凍り付く。机の片隅に、可愛くラッピングされた小さな白い箱が、乗っていた。それは暁斗が見つけてすぐに存在を示すように、隙間から煙を出し、人目を引く。
「…なんだ、これ」
「…どっかで見たような…」
見なれない物体に興味を惹かれ、集まろうとする同級生に向かって、暁斗は荒立たしく椅子を後ろに蹴り、立ち上がった。
「馬鹿! 離れろ!!」
叫びに、皆が一斉に振り向く。一様に訳が分からない表情を浮かべていた。
「いいから、はや」
言い終わる前に、箱が大きな音を立てて爆発した。幾つもの悲鳴が重なって、暁斗の耳を劈き、吹き巻く風が眼を開くのを邪魔する。
暁斗は咄嗟に、隣にいた八千穂を庇い、腕を盾に顔を守る。風と音が止むと、すぐに座り込み騒然とする人の間をくぐり抜け、爆弾に一番近い場所にいた、あの男子生徒の元へと進む。
彼は、耳を押さえて踞っていた。耳が、耳がとしきりに言って首を振る。余りにも大きい破裂音に、聴覚がやられていた。
その痛みに呻く姿は、暁斗の脳裏に、過去の出来事をフラッシュバックさせる。
『お母さん、行かないで』
『大丈夫。あの子を助けたら、ちゃーんと戻ってくるからさ』
「………ッ」
一瞬で全身の血の気が下がり、寒気を感じる。眼の裏が熱い。込み上げる吐き気を、手で口を覆い塞いだ。
「葉佩クン、大丈夫ッ!?」
駆け寄ってきた八千穂を手で制し、暁斗は口を押さえたまま辺りを見回す。
「………」
見つけた。扉の隙間から、あの女の子が立っていた。こちらを、耳を押さえ苦しむ男子生徒を見て、嬉しそうに笑い、くるりと背を向ける。
同じく女の子に気付いた八千穂が、考え込むように顎に手をやった。
「あの子………」
「八千穂、あの子知っているのか?」
「知ってるも、何も。あの子はA組の椎名リカさん…って、どこいくの!?」
椎名リカ。暁斗はその名前を脳に叩き込むと、化学室を飛び出した。
「ちょっ、ちょっと待って。あたしも行く!!」
慌てて八千穂も暁斗の後を追う。
未だ騒然とした教室から、静かに!と慌てた教師の声がした。
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