耳の側で、大きく銅鑼を叩かれたように、脳の中がうるさく鳴っている。眼を閉じて、揺れる気持ち悪さに耐えつつ、皆守は上に覆い被さっていた暁斗を押しのけ起き上がった。軽く頭を振り、こめかみを掌で押さえる。
 気持ち悪い。それでも、何とか治まりはじめゆっくり眼を開ける。いまさっきまで遠巻きに見ていた見物人が近づき、こちらを見ている。
「………」
 不機嫌もあらわに睨み付けた。すると見物人らは、蜘蛛の子を散らすようにまた遠ざかる。少しだけ、気分がスッキリした。
「あいててて…」
 皆守のすぐ横で、押し退けられ、床で打った頭を押さえながら暁斗が起き上がった。
「いきなり起き上がるなよ」
 暁斗は呑気な口調で皆守をたしなめる。皆守はその自分に対する安全の無頓着さに怒り、暁斗の胸ぐらを掴んだ。
「何で、庇ったんだ」
「…?」
「何でさっさと避難しなかったんだと言ったんだ。俺なんか、庇う必要無いだろ?」
「−必要ある!」
 暁斗ははっきりと言い切り、呆れて皆守は開いた口が塞がらない。自分よりも体格が細く、吹っ飛びそうな人間が何を言うのか。
 暁斗は両手を握りしめ、小さく揺らしながら力説する。
「どんな人間だって怪我はするし、その怪我が元で死ぬ事だってあるんだ。…それになぁ、爆弾ってのは怖いんだぞ。熱いし、痛いし、破片が飛び散って刺さるかもしれないし。それに。………」
 言葉が切れ、暁斗の眼が潤んでくる。息が詰まり呼吸が止まりそうになりながら、続けた。
「とにかく、そんな事は言うな。………バカヤロ」
 そしてとうとう泣き出した暁斗に、皆守は言葉が出ない。ぐずぐず子供のようにしゃくる同級生をどう扱えばいいか、分からなかった。
「−−−なかなか友達思いの方ですね」
 この場から窮地を救った、バーテンダーの男が暁斗の傍らにひざまずき、ズボンのポケットから白いハンカチを取り出すと差し出した。暁斗は素直に頷き、涙を拭う。ついでに洟も拭っていた。
 男は微笑ましく笑い、暁斗の腕を取るとゆっくり立ち上がらせる。皆守も続いて立つと、男の方へ向かい合った。
「………悪かったな」
「いいえ。爆発と言っても殺傷能力が低いのが幸いでした。火薬の匂いがせず全体から熱を発していた所を見ると、薬品の混合か蒸気や圧力を使ったのかも知れません」
 穏やかに物騒な爆弾の性質を話す男の横では、まだ暁斗がぐずっている。男は優しく暁斗の方を叩く。
「ほら、貴方も泣き止んで。彼が困っていますよ」
「………はい」
 思いきり大きく洟を啜り暁斗はハンカチから顔を上げた。強く擦った目もとが赤く腫れている。
「…すいませんでした。ハンカチ洗って返します。−ええと」
 名前を聞いておらず、迷った暁斗を察して、男が御紹介が送れましたと改めて暁斗と向かい合った。
「千貫厳十郎と申します。学園内にある《バー・九龍(カオルーン)》で店主をさせてもらっています」
「バー…」
 学校の中にはまずあり得ないその存在に、暁斗は呆然とする。
「そういうもんなんだよ。この学校は」
 暁斗の横で、皆守がさり気なく頭を小突いて、口を閉じさせる。ようやく泣き止んだ暁斗に安心しつつ、皆守は千貫の台詞に補足を入れた。
「学校の教員たちの為にバーは置かれている。でも実は俺たちも入店は許可されているんだ」
「へぇ!」
 暁斗が感嘆する。
「だが、もちろん酒は飲めない。牛乳が出されるだけだけどな」
「当たり前です。若人には牛乳が一番。−うちの坊ちゃまも、小さい頃から私が牛乳で育て上げましたから」
 誇らしく千貫は胸を張る。そして未だ床に耳を塞いで、伏せている奈々子を助け起こした。
「−ほら、舞草さんも起きて」
「………ううう」
 紳士な態度で手を貸し、奈々子はふらつきながらもしっかりと立つ。トレイを両手に抱え、身が震えていた。
「ああああ、怖かったですゥ。お二人は怪我ありませんか?」
「うん。ちょっと吃驚したけど、千貫さんのお陰で大丈夫」
 笑って答えて、暁斗は千貫に深く頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました。オレ、葉佩暁斗です。転校生です」
「−−−《転校生》ですか」
 千貫の顔が一瞬鋭くなる。がそれはすぐに消えて、柔和な笑みが生まれた。眼を細め、そっと暁斗の顔を上げさせる。
「天香学園へようこそ。私はバーの他にも忙しい昼時はこちらにいる時があります。これからまた何度も会う事がありましょう。こちらこそよろしくお願いいたします」
「………とまぁ、自己紹介しあうのはいいが」
 多少うんざりした口調で皆守が口を挟んだ。
「もうそろそろ、この状況を何とかしないか?」
「あ」
 皆守の言う通り、店の中は騒然としている。爆弾そのものは外で爆発しているが、大きいガラスが一枚破損しているし、爆風で細かなガラスの破片は店内に入り込んでいた。慌てて逃げた人の波で、ところどころの料理の皿はひっくり返り、片隅に固まっている客らも落ち着かず、こちらの様子を窺っている。
「確かに、後片付けが大変ですな、これは」
 辺りを見回した千貫が冷静に返した。ああ、と暁斗と奈々子が、そろえて間抜けにぽっかりと口を開けている。
「………」
 面倒くさい。
 即座に皆守はそう結論付けた。この状況から見て、あの遠巻きに見ている奴らが片づけなんて出来る訳がない。つまり出来る人間が限られる。イコール自分も巻き込まれ、片づけをさせられる。
 そんなのゴメンだ。
 案の定、暁斗は皆守の予想通りに動く。
「オレ、片付け手伝いますよ」
「おや、いいんですか?」
 千貫が感心したように言った。
「大変ですよ?」
「構いませんよ。千貫さんには助けてもらいましたし。−なぁ、皆守っておい!!」
 同意を求め、暁斗が横を向いた先には皆守はいない。逃げ足も早く、出口の方へと向かっていた。
 慌てて、暁斗は皆守を呼び止めようとする。
「どこ行くんだよッ!!」
 皆守は顔を顰め、ゴメンだと首を振る。
「お前の勝手に付き合わせるな。俺は行くぞ」
「なっ、こ、の。大馬鹿アロマ−−−−ッ!!」
 叫びも虚しく、皆守は店を出る。伸ばした暁斗の手が、ものさみしく垂れ下がった。
「…行っちゃいましたねぇ」
 奈々子がしんみり呟く。
「言うな。悲しくなる」
「まぁ、仕方がありません。三人で何とかしましょう」
「ですね。…皆守の分まで、オレしっかりやりますから!!」
 暁斗は気を取り直すと、さっそく三人はそれぞれ役割を決めた。
 奈々子は掃除用具の調達と、料理の後片付け。千貫は動揺が残っている客を落ち着かせ、帰らせた後奈々子の手伝い。そして、暁斗はガラスの破片拾い。
「よしッ」
 もともとまくっていた袖口を肘までさらに上げ、意気込み暁斗はさっそく作業に取りかかる。
 調理室から手に入れた厚手のビニール袋に、眼についたものから拾い上げていく。細かいものは帚で掻き集めていったら大丈夫だろう。危険物を取り扱う事自体は慣れているので、滞りなく作業は進んでいく。
「−それよりも、だ」
 暁斗は皆守が逃げた事が衝撃だった。まさか、置いていくなんて。マミーズに誘ってくれたのは嬉しかったんだけど。友好を深める難しさに、落ち込み肩を落とす。
 溜め息混じりながらも手は動き続ける。大きい破片をほぼ取り終え、奈々子が用意してくれていた帚で床を掃こうとした。が、横から手が伸びて、帚が取られる。
 え? 暁斗が横を向けば、すぐ側に見なれない男が立っていた。
「あああッ。弥幸さん!!」
 わたわたとペンギンのように歩きながら、落ちた食器を片付けていた奈々子は表情を明るくさせ、弥幸と呼んだ男の元に駆け寄る。彼は、帚を片手に、涼しい笑みを見せた。
「やぁ、舞草さん」
「どうしたんですか?」
「爆発騒ぎがあったと聞いて、慌てて来たんですよ。−大丈夫でしたか?」
「はいッ、大丈夫です。…ううう、嬉しいです。弥幸さんが来てくれるなんて!」
 頬を紅潮させ、大袈裟に喜ぶ奈々子。暁斗は首を傾げて聞いた。
「…この人、誰ですか?」
「え!? あった事ないんですか? けっこう有名な方なんですよ」
「うん」
 転校してから一週間以上は経つが、暁斗は未だに目の前に現れた弥幸には、一度も会った事がない。いや、もしかしたらすれ違ったのかもしれないが、取手の事や、皆守と友好を深めるのに半ば必死で、気付いてなかったのかもしれない。
「…やっぱり、会った事ないような気がする」
「あははっ。正直な方だ」
 弥幸はひときしり笑い、優雅にダンスパーティでしそうなお辞儀をする。灰色のつなぎに、転校初日に会った公務員の境と同じジャンパーを着ていたが、不思議と格好と動作に齟齬がなく見えた。
「僕は緋勇弥幸(ひゆうみゆき)と申します。この学園の公務員と売店の店員。清掃員または境さんがサボらないよう見張ったり。−まぁ、色々しているものです」
「人気は弥幸さんが上ですけどねッ」
 すかさず奈々子が弥幸の後に言葉を付け加える。それは言わずとも暁斗は理解出来た。
 すらりとした体躯に、見目麗しい顔。濡れた鴉の羽のようにどこまでも黒い短かめの髪と、切れ長の瞳。口元の黒子が魅力的だと言う人もいるかもしれない。
 何よりも、穏やかで誰にでも穏やかに接する物腰のよさも、ポイントだろう。会ってそうそう、八千穂のスカートを捲り殴り飛ばされた境と、比べるのもおこがましいと思う。もちろん、比べてもどっちが勝つかは火を見るより明らかそうだが。
 暁斗は無遠慮に、弥幸を上から下まで注視する。顔まで視線が上がった時、眼が合って弥幸はふんわりと笑う。それだけで、顔全体が熱くなった。
 何だろう。何だか懐かしい。まるで、しばらく会えなかった家族に会えたような。心臓が大きく脈打つ。
 照れくさくて、思わず横を向くと、奈々子の顔も暁斗と同じ赤く染まっている。
 何となく、どうして弥幸が人気があるのか分かった。そんな笑顔を向けられたら無下には出来ない。
 弥幸は帚を手に、ガラスの破片が飛び散っている箇所を見た。きらきら日光に反射して眩しく光る破片が自分の存在を教えている。
「なるほど。そんなに被害は大きくなさそうですね」
「…はいっ。マスターのお陰で助かったんですぅ」
 こくこくと奈々子は頷く。
「それは良かった。−−−葉佩暁斗君」
「はい?」
 暁斗は驚いた。まだ名乗っていないのに、弥幸は知っている。
「どうして、オレの名前を?」
「知っていますよ。せっかくこの学校に来てくださった《転校生》ですからね。それよりも、君はもう行きなさい」
「へっ? でも」
 まだ残っている作業があるし、言ったからには最後までやるべきだろう。なのに、途中で他人にやってもらうのは、どうにもその人に悪い気がする。暁斗は困り、弥幸とその手に持たれた帚を交互に見た。
 暁斗の言いたい事が分かったのか、弥幸は優しく押しとどめる。
「本来、こういう仕事は僕の役目なんです。寧ろ、ここまでやってくださった君にはお礼を言わなくてはなりません。どうもありがとう。お陰で助かりました」
「い、いえ。そんな」
「後は僕に任せてくれて構いません。…それとも、任せる事なんて出来ませんか…?」
「そんな事絶対ありません。…お願いします」
「良かった」
 弥幸はジャンバーのポケットを探り、何かを取り出すと暁斗に握らせる。掌にキャラメルがふた粒転がった。
「これは感謝の気持ちです。良かったら食べてください」
「あっ、ありがとうございます…」
「葉佩君、いいなぁ〜」
 心底羨ましがる奈々子に、また後でねと弥幸はフォローすると、暁斗に店を出るよう促した。
「お友達も、首を長くして待ってますよ」
 そう意味深な言葉を付け加えて。

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