「ほらよ」
メニューのページを開き、差し出す皆守の好意を受け取ってみると眼に映るのは、カレー。取り合えず暁斗はページを捲ろうとしたが、皆守の指によって阻まれた。
「俺のお薦めはだなァ−−−」
「ちょっ、ちょっと待ってください、皆守さん」
暁斗はメニューを引っ張る。だが同時に、皆守も反対側にそれを引いて邪魔をした。
「カレーには色々な隠し味があって」
「いや、ラーメンとか」
「ヨーグルトや、醤油などの定番ものとか」
「スパゲッティとか、ピラフとか等の選択は」
「まぁ、二種類合わせ技って言うのもありだけどな。この店のはなかなか」
「ないんでしょうかって、メニューをよこしなさい、こんちくしょうが」
「いいから黙って俺の進めたものを選べ。あまのじゃくめ」
どうやら皆守はカレーしか進める気がないらしい。メニューを引っ張りあう無言の攻防戦が続く。横では、元気が取り柄のファミレス『マミーズ』のウェイトレスを勤める舞草奈々子が、店のロゴをプリントされたトレイを両手に持ち、緊張して成りゆきを見守っている。
「…なるべく早く決めてくださいね〜」
そう釘を刺すのも忘れずに。
ぐぐぐ。ぐぐぐと二人は引き合いをしていたが、普段は無気力無関心の皆守の、絶対にカレーを選ばせようと言う未だ見た事がない気力に、暁斗は根負けした。分かったよと負けを認め、カレーライス二つを奈々子に注文する。皆守は機嫌もよくメニューを閉じるとスタンドに立てた。
「カレーライスお二つですね。しばらくお待ち下さい〜」
営業スマイルで下がる奈々子を見送り、暁斗は店内を見回した。
明るい象牙色した壁紙に、柔らかい木目のテーブル。かけられている音楽はうるさくもなく、また静かすぎず。大きい四角のガラス張りの窓からはうららかな午後の陽射し。
窓際で、コーヒー片手に過ごす午後。
なるほど。確かにそんな情景がよく似合う。暁斗は初めて連れてきてもらったファミレスに好印象を持った。こんな所なら何度来てもいいかもしれない。
「どうだ。学校の中にあるものとしては、なかなかいい店だろう」
皆守の言葉に、暁斗は素直に頷く。その後で名残惜しく、スタンドに収まっているメニューを眺めた。
「でもオレ、カレー以外のメニューが見たかったんだけど」
「あきらめろ。少なくともオレと来る時はな」
「………」
きっぱりとした答えに、暁斗は返す言葉もない。
でもまぁ、こうやって昼食に誘ってくれるなんて、一歩前身だよな。それが例え、五時間目をサボっていってる事だとしても。それに皆守がカレーが大好物だって分かった訳だし。暁斗はプラス思考で考え、自分を納得させる。
そして、カレーが来るまでする事もないので、暁斗は学ラン裏のポケットから、HANTを取り出し起動させる。小さいテーブルの面積が半分埋まってしまったので、水の入ったコップを皆守の方へ移動させた。倒れないよう、皆守がコップを自分のと合わせて安全な場所へ持っていく。
「そういえば、ここ二、三日は図書館だったな、お前。やっぱりアレか。その」
「そう、アレ」
アレとは墓地に眠る遺跡の事だ。HANTには、図書室で開いていたデータベースが再び表示される。難しい表情を浮かべ、暁斗は唸った。
「気になる事が多すぎて、少しでも情報が欲しいんだよ。七瀬の話もあるし」
「七瀬の? アイツが何か言ってたのか?」
「うん。取手の事があった日にな」
暁斗は溜め息をついて、ぼやく。
「もしかしたら、もう七瀬にはバレてるかもしれない。八千穂に正体がバレた次の日に話し掛けられてるし、メールもなんだかそれくさい」
「それは残念な事だ」
気持ちのこもっていない皆守の慰めが、心に痛い。うちひしがれつつ、暁斗はむりやり仕方がないものだと割り切って、話を続ける。
「今まで足を踏み入れた場所の地図は出来たんだがなァ」
「地図? お前いつの間に」
てっきり、アレから潜っていないと思っていたのか、皆守が驚いた。
「いつの間にか。オレだってただ遊んでる訳じゃないからねェ。ほら」
暁斗はHANTの画面を皆守に向け、手を伸ばすと操作をする。図面が現れて、さらにその一部が拡大された。
「ここの壁、取手が居た区域の所を撮影したものなんだけどさ」
壁の紋様を指差す。
「これ、テレビとかで見た事ない?」
「−−−−−?」
皆守は眼を凝らし、じっと見つめる。そして、考え込みぽつりと呟いた。
「…ピラミッド」
「…ビンゴ」
暁斗が指を鳴らす。しかし出てきた答えに皆守はいまいち解せないらしい。もっともらしい質問を投げかけてきた。
「そもそも、日本にピラミッドなんか関係あるのか?」
「あるんだな。これが」
自慢げに笑い、暁斗は説明を開始した。
「昭和九年。エジプトから帰ってきたピラミッド研究者酒井勝軍(さかいかつとき)氏。彼は広島県の葦嶽山(あしたけやま)がピラミッドだと発見している」
「山が、ピラミッド?」
「そう、昔から神武天皇陵と言い伝えられ、山中や山頂にある巨石軍は古代遺跡の跡だと言われた、園山の頂きにはピラミッドの頂点石(ピラミディオン)である《太陽石》。それを取り巻く《磐境》(いわさか)を発掘した酒井氏は、この山を世界最古のピラミッド−日本ピラミッドだとしたんだ。
それに葦嶽山を加え、青森の靄山(もややま)、奈良の三輪山。神話の世界では、伊邪那岐命が伊邪那美命を祀り、墳墓とした比婆山が日本ピラミッドだとされてる。
酒井氏の説ではピラミッドが生まれたのは日本で、それがエジプトに伝わったのではないかとされてるんだ。適した山がない代わりに大きな石を積み上げて、な」
「………意外だな。何にも考えてないような顔して、そこまで歴史に通じてるなんて。案外七瀬とも気があうんじゃないか?」
感心する皆守に、暁斗が嬉しそうに笑った。
「オレの母さんが考古学者でさ。その影響でけっこう得意なんだぜ」
「へぇ。なるほどな」
納得したように皆守は相槌をうった。しかし、そこで暁斗は明るい顔から一変、眉間に皺を寄せる。
「ピラミッドにはオーパーツや超古代文明の関係も取り沙汰されているし−。でも、今の所はそれと遺跡がどう関係しているか。よく調べてみない事にはどうにもならない。ああ、もう」
掌を額に押し当て、大袈裟に嘆き暁斗はHANTを終了させる。元の場所に仕舞いこむと、カレーのいい匂いがした。
「お待たせいたしました−!」
トレイに出来上がったばかりのカレーを二つ乗せて、奈々子がそれをテーブルに置く。ごゆっくりどうぞと深々とおじぎをして、すぐに他の客の注文を取りに行った。
「…ま、難しい論議はそこまでにして、まずはカレーを食べないとな」
今までになく嬉々として、皆守はスプーンを手に取るとカレーを食しにかかる。
オレの話を聞いている時とは大違いだな。複雑な心境で暁斗もカレーに手を付けた。
スプーンで掬い、口に運ぶ。丁度よい辛さと旨さが暁斗の食欲をそそる。
「…………」
無意識に食べるペースが早くなった暁斗を、皆守は眼で笑い、二人は黙々と食事を進める。
暁斗のカレーが三分の一まで減った頃、ふと耳に自分達と同じくサボりでやってきた男子生徒二人が、後ろの席に座り何かを話しているのが聞こえる。
何気なく聞き耳をたてると、思い掛けない単語を拾ってしまった。
「−なぁ、昨日さ俺見たんだけど」
「何をだよ」
「墓地で、墓守の爺さんが穴掘って何かを埋めてたんだぜ」
墓地。
暁斗は鋭く反応して、気取られないよう肩ごしに薄く男子生徒らを見遣った。
話を出した一人は、身振り手振りを加え、大袈裟に自分の見たものを熱弁していく。よくよく聞いていくうちに、話は実際に墓地まで行って、掘ってみようとだんだん物騒な方向へ進んでいく。
「…命知らずな奴だな」
カレーをきれいに食べ終えてスプーンを置いた皆守は、準備の相談をしあう男子生徒らを呆れて眺める。
「…それって、どう言う事だ。ここには生徒会はいないだろ?」
「…葉佩。お前まだ分かってないな」
皆守は溜め息をつきつつ、アロマプロップを取り出すと、先端に火を付ける。ラベンダーの香りがした。
「生徒会には《役員》と《執行委員》と別れているんだよ。
生徒会《役員》は学園全体の実験を握り、学園の秩序を守る為に働いている。そして、違反者もしくは著しく秩序を乱す者を発見したら《執行委員》が対象を処分する。
その《執行委員》は普段どんな奴がやっているか分からないし、一般生徒に紛れて常に監視の眼を光らせている。そして見つけて、いざとなれば、処罰」
「…そりゃ恐ろしい」
暁斗はスプーンをくわえたまま、口をへの字に歪める。生徒会がそんな仕組みなら、無闇に物が言えなくなるし、下手をすればいくら直接関係ないとも処罰されるのかもしれない。
まさに、後ろの男子生徒らなど、格好の餌食だ。
暁斗はまだ手付かずの水入りコップを手にした。
「…滑ったふりでもして、コップでも投げようか」
「やめとけ。お前が怒られる確率が遥かに高い。それよりもさっさと食え」
皆守に怒られ、しぶしぶコップから手を離し暁斗は食事を再開するが、どうしても気になって、後ろを覗いてしまう。その度に皆守が暁斗を呼んで前を向かせていた。
「心配する気持ちは分からんでもないが、うっとうしいからやるな」
「…でも」
「他人の事にそこまで気を張る必要があるか? そんなんだと、お前が先にまいるぞ。大体誰が《執行委員》だなんて、俺たちには分からないんだ」
「………」
「…まぁ、気を付けるにこした事はないが。−−−ん?」
暁斗と皆守が座る席の横を、小柄な少女が通る。栗色の波がかかった髪を揺らし、大きくつぶらな瞳がかわいらしく瞬きする。
「…うわぁ」
思わず暁斗は息を飲んだ。
少女は元の制服の原形を見られない程改造して、所々にレースやフリルの装飾をほどこしている服を着ている。いわゆるゴシック・ロリータの服装に頭にはヘッドドレス。顔や手などの肌が見える部分は白く化粧がされていて、唇や爪に塗られた黒がさらに引き立つ。
ここにいるなら彼女は高校生と言う事になるのだろうが、暁斗にはまるで年下の無邪気な子供のように見えた。
少女は暁斗たちには見向きもせず、弾むような足取りで歩く。墓地へ行く算段を話し合う男子生徒らの横を、机に袖を掠めるように通り過ぎて、振り向いた。
少女の顔を見て、皆守が眉を顰めた。
「−−−あいつは」
「…皆守?」
皆守の変化につられ、暁斗は後ろを向くが、少女はもういない。代わりに、
「あれ、なんだこの箱」
男子生徒が机の隅に置かれた箱に気付いた。
片手に乗るぐらいの小さな、赤いリボンがラッピング。まるでプレゼントのように見えるが覚えのない男子生徒は首を捻り、奈々子を呼んだ。
「はいはいは〜い。あら、何でしょう、この箱」
奈々子は何の疑いも持たず、箱を持ち、すぐに放り投げた。
「あひゃあああああッ!!」
「ッ!?」
暁斗が立ち上がって、奈々子の方へと向かう。おいよせと皆守は止めるが聞かず、舌打ちをして後に続いた。
「どうした?」
「あの、あのはこはこはこはこはこはこはこはこッ! なんかとっても熱いんですけどッ!!」
慌てふためく奈々子の指先は、火傷をしたように赤く腫れている。
「熱い?」
暁斗は奈々子を脇に行かせ、箱を見る。すると箱から白い煙が出てきた。
「何か、煙とか出ちゃったりとかしてるんですけど」
奈々子がさらに怯えた声を出す。
「まさか、これって、ばくばくばくばくばくばくばくばく爆−−」
「いいから落ち着け」
冷たく皆守が突っ込むが、それに反して奈々子の動揺は、店全体に広がっていく。当事者かもしれない男子生徒らの姿はいつの間にか消え、遠くに避難している客と一緒に、遠巻きに見ている。
いつの間にか、箱の周りにいるのは暁斗、皆守、奈々子の三人だけだった。
「あああああああああのあのあの、どうしましょう?」
「いいから、伏せてろ」
皆守は挙動不審にきょろきょろ首を動かす奈々子の背を突き、強制的に床に倒す。みぎゃあと潰れた悲鳴がした。
「−−−葉佩ッ。………ッ?」
皆守の視界が傾く。暁斗に押し倒されたのだと気付いた時には視界は低く、テーブルの脚が横目に見える。上に、暁斗が覆い被さるように乗っかっていた。
「馬鹿ッ、何を−−−」
「動くなッ!!」
切羽詰まった声。皆守の首筋を暁斗の黒髪がくすぐり、手が学ランを固く握りしめた。
薬品の匂いがして、暁斗の手の力がさらに強くなる。
爆発する!
思わず、身を固めると、黒い革靴が軽やかな音を立てて現れる。皆守は無理矢理顔をあげると初老の男がそこに立っていた。
「−あんたは」
「これは、いけませんね」
バーテンダーの格好をした男は爆弾に怯えもせず、それを手に持った。そして、渾身の力を込め、側面の窓に向けて投げた。ガラスが割れ、外へと飛び出した爆弾は、爆音を立てて破裂する。逃げていた人たちの悲鳴。それと爆音が入り交じり、耳を塞ぐ事の出来なかった暁斗と皆守の頭の中で大きな音が、容赦なく響く。
それが治まり、男に肩をそっと叩かれるまで、暁斗はずっと皆守を守るように、彼の学ランを固く握っていた。
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