「コノ墓ヲ侵ス者ハ誰ダ?」
 しゃがれた、まるで男と女が同時に言葉を発しているような声が黒い砂の中から聞こえる。不快感を煽るそれは、暁斗の身体に寒気が走った。砂に突っ込んでいた指先に妙な生暖かさを感じ、人の肌とは程遠いざらついた感触に手を引く。
 そして、それは姿を現した。
「−−−ッ!」
 暁斗の身長を超える大きさの女の顔が砂から浮かび上がった。ぎょろりと血走った目を向ける。暁斗の耳元でHANTがうるさく警告を発した。
「オ前カ、墓ヲ侵シタ者ハ」
 女の口が大きく開き、喉の奥で風が渦巻いていく。
「墓ヲ侵ス者ニハ、死ヲ。死ヲッ−!!」
「ッ!?」
 女が氣を吐き出す。至近距離で避けようもなく直撃した暁斗の身体が吹っ飛ぶ。勢いがついたまま宙を飛び、突然現れた巨大な化人に息を飲む皆守と八千穂がいる付近の壁に激突する。背中が強く当たり息が詰まった。そして推力を失い地面に落ちかける暁斗を、皆守が受け止める。
「大丈夫か」
「何とか」
 回復を促すHANTの警告を無視し、暁斗は化人を睨んだ。
「皆守、お前は八千穂と一緒になるべく後方に下がってろ」
「お前はどうするんだよ。あれが取手に取り付いていた呪いの元だろ? 今まで戦ったやつとは桁違いの奴みたいだぞ」
「そうみたいだな」
「死んでしまってもいいのか?」
「いくない。だから、オレはあいつを倒して取手を助ける。皆守たちをちゃんと外に連れ出してやる!」
「葉佩クン…」
 不安げに見る八千穂に、暁斗は精一杯笑ってみせる。
「大丈夫、絶対守るからさ」
 頷き、八千穂の方に優しく手を置く。暁斗はマシンガンに弾を再装填すると、化人の方を見た。女の顔ばかりだったそれは巨大な姿に変わっていた。男と女、二つの顔を持つ獣じみた姿。前足を動かすと、突然暁斗たち目掛けて突進してくる。
 暁斗は八千穂の肩を強く押した。
「逃げろッ!」
「って、どっちに逃げれば!?」
「オレの反対方向にッ! −いいから早く!」
 暁斗は自分が指差した反対方向へ一目散に駆ける。ちゃんと八千穂と皆守が走っていく姿を確認して、一気に壁際まで移動した。
「さぁ、来い。オレはこっちだぞ!!」
 大きく手を振り、自分の存在をアピールすると、化人は皆守たちに目もくれず、暁斗に目標を定めた。
 思った通りだ。あの化人にとって、墓を侵す者に当てはまるのは自分だけらしい。ならば狙われるのは自分。皆守たちに牙が向かう心配は今の所、ない。
 気兼ねなくやってやろうじゃないか。暁斗はマシンガンを構える。化人の巨大な身体に銃口を向けた。女の口がまた大きく開く。
「同じ手を喰らうかよッ!!」
 暁斗は引き金を引き、連続的に銃弾を発射した。折り重なる銃声。化人の身体に瞬く間に銃痕が付けられていく。弾を撃つ度に返ってくる反動を足を地面に踏ん張りながら耐え、暁斗は銃に装填した分の弾を打ち切る。
 化人は、まだ立っていた。撃たれた箇所から血は流れているが、致命傷には至っておらず、危害を与える暁斗に猛烈な怒りを振りまいている。
 女の口が開く。暁斗はマシンガンを片手に持ち直すと、氣が吐き出される瞬間を待って横をすり抜けて走った。化人は首を回し、放射線状に氣を振り回して暁斗を狙った。暁斗の逃げる後を追って、壁が床がえぐり取られていく。
 闇雲に攻めていたら駄目だ。暁斗はひたすら逃げながら考えていた。今の自分の装備はマシンガンの弾がおよそ百発分。ガスHGが三つにさっき落としたコンバットナイフだ。決して有利とは言えない状況。だけど、自分が何とかしなければならない。皆守と八千穂をちゃんと外に生還させる事と、きっと今も苦しんでいる取手を助ける為に。
 暁斗の走る先にコンバットナイフが見えた。身を屈め、素早く取ると、暁斗は鞘を抜いて急ブレーキをかける。切っ先を化人に向けると、方向転換して体当たり気味に突っ込んだ。
「いやああぁあ!!」
 跳躍してナイフを振り、女の顔に一線の傷をつける。途端に化人は痛みに悶え苦しみ、地面を足で踏みならした。着地して、暁斗はその痛がりように眉を潜める。銃で身体を撃った時には、大した打撃を与えられなかったのに。今の一撃は銃よりも遥かに浅かったが威力が違っていた。
 もしかして。
「八千穂ォ!!」
 悶えるけ人から目を離さず、大声で暁斗は呼んだ。
「頼むッ。女の顔、狙ってくれッ!!」
「…分かった。まかせてッ!!」
 皆まで言わなくとも総て理解した八千穂は、すぐに答え、リュックから硬球を出すとラケットを構えた。
 暁斗も化人が動けない隙を利用して弾を再装填すると、化人が意識をこちらに向けるように撃っていく。少しずつ移動して女の顔が八千穂の直線上に来るように仕向けた。
 苦し紛れに口から氣を吐く化人の攻撃が掠め、服が切り裂かれると覗いた肌から血が流れるが、構わず暁斗は攻撃を続けた。
 弾が半分以上なくなった時、八千穂と女の顔が直線上に並ぶ。
 暁斗が叫んだ。
「今だッ!!」
「行っくよッ−−−!!」
 八千穂が部活で鍛えてきた豪速球のスマッシュを手加減無しで繰り出す。強烈な回転も加わったボールは威力もそのままに見事女の額に命中した。悲鳴を上げ、口がこれ以上ないぐらいに大きく開く。それを、暁斗は見逃さなかった。持っていた全てのガスHGの起爆装置を作動させ、暁斗は高く跳躍する。
「これで終りだァッ!!」
 口の中にガスHGを投げ入れた。伏せろと皆守たちに言いながら、暁斗も受け身を取り転がりながら地面に伏せる。
 閉じられた口から閃光が漏れる。断続的に女の顔が膨れ上がったかと思うと、それは全身に回った。
 爆発。
 化人は内部からの爆発に耐えきれず、膨れ上がりその身を崩壊させた。化人の固まりが飛んでいく端から元の黒い砂へと戻っていく。
 どさりと、一際大きい固まりから取手が落ちてきて、気付いた暁斗たちは慌てて取手の元へと駆け寄る。暁斗が抱き起こし名前を呼ぶと微かに反応が返ってきた。目立った外傷もなく、脈もはっきりしている。
 よかった。取手の無事に、暁斗は胸をなで下ろした。
「あ…、葉佩クン」
 八千穂が取手の胸の上を指差した。空中に漂っていた黒い砂の一部が留まり、円を描くように浮いている。ゆらゆらと動いていたそれは、やがて一ケ所に集まり数枚の紙になる。浮力を失い落ちる紙束を、暁斗は受け止めて見た。
 五線譜が並ぶ、丁寧に音符が書かれた楽譜。一枚目の右上に短い文章が走っている。目で読んだ暁斗の顔がほころぶ。
「…ぅ、あ………ッ」
 取手の瞼にぎゅうと力が入ると、彼はまつげを震わせながらゆっくりと目を開いた。
 心底嬉しそうな八千穂。関係ないと言いながら、それでも来てくれた皆守。どうしようもない自分に、手を差し伸べてくれた、暁斗。皆、自分の傍らにいてくれる。
「取手」
 暁斗が何かを差し出した。取手は受け取るのに躊躇したが暁斗が優しく頷いて、そっとそれを手に渡す。
「………これは、………」
 譜面を見て、すぐに気付いた。これを誰が書いたのか。誰に対してどんな想いを込めて作ってくれたのか。
 今まで、こんなにも大切な《宝》を僕は忘れていたのか。再びこの手に戻ってきた嬉しさに、取手の眼が潤んでいく。胸が暖かくなって、どうしようもなくなっていた。
「良かったな、みつかって。お前の大切なもの」
 暁斗がとても暖かい声で言った。支えてくれる手もすごく暖かい。その暖かさが、取手の中にあった寂しさを消してくれるような気がした。
 取手は何度も頷いて楽譜を胸に抱く。頬に一筋、涙が流れた。

 

 たった一人の大切な弟へ。

 わたしはここにいます。音楽と共に、あなたの側に。

 ずっと、側に。

取手 さゆり  

 

 一枚目の楽譜の上。右上の空白に短い手紙があった。指に力が入らなかったのか、あまりきれいとは言えなかった文字だが、そこには確かな想いがあった。
 大切な弟に対する、姉の想いが。

 

 

 

 

「皆守君」
 後ろから呼ばれ皆守が振り向くと、取手がこちらに歩いてきていた。手に持っているのはあの楽譜だ。取手の足取りはしっかりしていて、あの悲痛なまでの肌の白さは柔らいでいる。
 取手は真直ぐ歩いてきて、皆守の前でぴたりと止まった。
「これから授業じゃないのかい? 皆はもう行ってしまったんだろう?」
「ちょっとした用があってな」
「そうか、残念だな」
 取手が残念そうにしょんぼりする。
「皆守君にも聞いてほしかったのに」
「聞く? 何をだ?」
 皆守は頭を捻った。次の授業は音楽だが、そこで別のクラスの取手が出てくるのか。
 表情を見て疑問に気付いた取手はあ、ゴメンねと教えてくれた。
「実は音楽の先生にお願いしたんだ。3−Cの音楽でピアノを弾かせてもらえないかって。そうしたら、雛川先生の提案もあってしばらく授業でピアノを教えてあげる事になったんだ」
「ピアノを…。体調は大丈夫なのか?」
 取手が頷いて笑った。作ったものではなく、自然に出てきたそれを見るのは初めてだった。
「あれから頭痛もなくなったし。何より…本当に気分もいいんだよ。それにピアノが弾ける事が、…今は何よりも嬉しい」
 心から嬉しそうな取手に、皆守も薄く口元を緩める。
「そうか、それは何よりだ。これでめでたく保健室仲間も解消だな」
「あ、でも…」
 口籠りながらも取手は続ける。
「ルイ先生がもう少し心理療法を続けなさいって。…もう一度真直ぐ、自分の過去と向き合う事が必要だって」
「…辛くは、ないか」
 自分の過去と向き合うのは。
 皆守の問いに、取手は少しずつ、でもはっきりと言葉を紡ぐ。
「…確かに、いい事ばかりじゃないと思う。だから、僕は一度逃げてしまったけど、今ならちゃんと向き合える気がするんだ。−側にいてくれる人がいるから」
 緩やかに、取手は微笑む。
「…それに、僕にはこの《宝》があるから、きっと大丈夫だよ」
「………」
 皆守はかすかに眩しいものを見るように眼を細める。躊躇いもせず差し伸べた暁斗の手を、取手は取った。そして、呪いから解き放たれた。彼はもう立ち止まらずに前に進めるのだろう。
「−−−取手君?」
 廊下の角から顔を覗かせて、音楽教師が取手を呼んだ。今行きますと返事を返してから、取手は改めて皆守と向かい合う。
「彼が取り戻してくれた、この《宝》。これに込められている想いは、どこか僕が彼に対して想っている事に似ている。だから、僕は聞かせたいんだ。
 −暁斗君に、この曲を」
「………そうか」
「本当は皆守君にも聞いてほしかったんだけど」
「また今度の機会にさせてもらうさ。…ほら、早く行かないと授業が始まるぞ」
「うん、それじゃあ…」
 晴れやかな笑みで顔を崩し、取手は踵を返すと取手は音楽教師と共に音楽室へと向かう。その背を見送り、皆守は反対方向へと歩き出す。始業のチャイムを無視して校舎を出て、温室へと足を進ませた。
 いつかの校庭でのやり取りを思い出す。暁斗は取手本人ですら出来ないと言った事をみごとにやってのけた。
 取手は暁斗に救われた。その時をはっきりと皆守は見た。

良かったな、みつかって。お前の大切なもの

 暁斗の笑みを思い浮かべると、何故かじりじりと焼け付くような焦燥が胸を焦がす。漠然と変革の予兆が脳裏を掠めた。
 それを振り払うように頭を振ると、皆守は温室の隅に植えられていたラベンダーの花を摘み、温室を後にした。

 

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