石畳が続いている。
 外の寒さがしみ出し始めた空気が消え、墓場の穴に続いていた遺跡の中は粉じんが空気に混じりこんでいる。下手に深呼吸したら、咳き込み、喉の内側がむず痒さで纏わりつくのだろう。
「まさか、学校の地下にこんなのがあるなんてね」
 護身用のテニスラケットを手に持った八千穂が指先で壁に触れる。びしりと壁一面に刻まれた模様は、日本よりもエジプトの象形文字を思わせた。途中で見かけた棺も、ピラミッドの王の遺体を収めるものに良く似ていたと、八千穂の横で皆守はぼんやり思う。
「それよりも、分かっているとは思うが誰にも言うなよ。墓地に入った事がバレれば一発で処罰ものだからな」
「分かってるって」
 皆守の警告に、八千穂が頬を膨らまかせる。
「あたしだってそんなの嫌だよ。そういうのは、鬼の副部長がするしごきだけでもう十分だし」
 言って八千穂は大袈裟に肩を抱いて震える。
「あの千本サーブを思い浮かべるだけで…。うう」
「それは御愁傷様だな」
 他人事のように返す言葉が反響する。それ以外の音はほぼ皆無で、会話が途切れただけで水を打ったように静まり返る。
「…葉佩クン、遅いね」
 ずっと立っていて疲れたのか、八千穂は壁に凭れ掛かりしゃがみ込むと、背中に背負っていたスマッシュ用のテニスボールが入ったリュックを下ろし、ひざ頭に顔を埋める。
「作業って大変なんだろうなぁ」
「でもちゃんとこなすのが仕事なんだから、仕方ないだろう。あいつは高校生のふりをした《宝探し屋》なんだからな」
 皆守は部屋の中央の方へと目を向けた。その先には暁斗が、ついさっきせん滅させた化人の骸と共にいる。任務に関する情報が少しでも欲しい為に、彼は戦闘事に自分が倒した化人の骸を調べ、収集した情報をHANTに入れていた。今も安全を確認した後で、皆守と八千穂を遠くへ押しやり一人で作業を行っている。
 八千穂は手伝いを申し入れたが、敢え無く却下された。本来、任務に民間人を連れて入る事自体稀なのに、これ以上関わらせる訳にはいかないと暁斗の正論に何も言えなかった。
 二人はただ次の区画に続く扉を前にじっと暁斗を待っている。
 壁に凭れかけ、皆守はアロマプロップをくわえた。先端に火を付けて、ラベンダーの香りを吸い込む。
「あいつにはあいつのやるべき事があるんだろう。そしてそれを俺たちが口出しする必要はない」
「でもさ」
 八千穂は頭を上げて、皆守を見上げた。
「何かしてあげたいとか、思わない?」
「は?」
「だってさ、ついてきたのに手持ちぶたさなんて嫌じゃない?」
「お前はそのラケットで化け物を倒しただろ」
 八千穂は最初の部屋での罠で出てきた化人を、ラケットで繰り出したスマッシュで見事に昏倒させていた。人外の存在に恐慌していた八千穂だったが、正確に当ててみせた腕前に、暁斗も吃驚しながらも感謝し、そして直後に無闇に自分より前に出ないよう、きつく怒りもしたが。
「その調子でやってけば、手持ちぶたさどころか、頼られる事間違い無しだ」
 確信をもって皆守は言うが、八千穂の顔は何故か晴れない。皆守は訝しむと、背を屈めて八千穂を見た。唐突に八千穂は振り向いて口を開く。
「行ってきなよ」
「あ? どこに」
「葉佩クンの所!」
「どうして、今までの流れからそうなるんだ」
「だって、皆守クン来てくれたけど、何もしてないじゃない」
 確かに八千穂の言っている事はあっているが、だからと言ってそう素直に行く気に皆守は到底なれなかった。つい数時間前に言い争っているので、どうしても会話の切っ掛けが掴めないのだ。いくら他人に関心がなくても、さすがに堪える。
「…お前な、たかが一介の高校生に出来る事があると思うか?」
「側にいてあげられるじゃない」
「お前は、俺が行くとお前が一人になるだろ」
「あたしは平気。だからさ、行っといでよ。ね」
 直接仲直りをしろとは言わず、皆守を暁斗の元へ行かせようと八千穂は言葉を選んでいる。何があっても、自分が危険な目にあうよりは二人のぎこちない空気を何とかしたいのだろう。何を言っても、すぐに返せるように身構える八千穂に、とうとう皆守は折れた。
「…分かったよ。行くだけだからな」
「頑張ってね」
 手伝うとは言ってないのに。
 満面の笑みで送りだされた皆守は、足取り重く暁斗の元へと向かった。

 

 胴体に風穴を数発入れられ、息絶えた化人の骸を前に、暁斗は自分に向かってくる皆守に背を向けて座っていた。側にはすぐに構え撃てるようにマシンガンが置かれている。頭の頭頂近くにまでゴーグルを上げていて、そのお陰で足音に気付いた暁斗が振り向くと途端に驚いた表情をしているのがすぐに分かる。
「…何?」
 まさか来ると思ってなかったのだろう。眉を潜めて暁斗が聞いた。皆守は肩を竦める。
「文句は八千穂に言え。俺はあいつに言われて仕方なく、来ただけだからな」
 そのまま返事を待たず、皆守は暁斗の横に場所を陣取り、立つ。暁斗はちらりと皆守を見上げたが、すぐに膝の上に置いてあるHANTに目を戻す。
 いてもいいと言う許可の意だった。

 

 小さくHANTのキーボードを叩く音だけが空間に響く。皆守と暁斗はずっと黙ったままで、隙を見て、お互い相手を盗み見ていた。些細な仕草や、口の動きでいつ話かけるのか、いつ話かけようか、迷っている。皆守の胸の裏が、じりじりするような焦燥でにじむ。何を言えばいいのか。
「………何か、する事はあるか?」
 ようやくそれだけを言って、すぐに皆守は自分を馬鹿だと思った。先程八千穂に出来る事はないと言い切ったばかりではないか。
 暁斗が目を丸くすると首を振る。
「…さっきも言ったけれど、あまりやっていていい気持ちになれないし、第一民間人にさせるべき仕事ではないよ」
 そこまで言ってから、暁斗は少し迷って。
「やる事が出来たら言うよ。そうしたら手伝ってくれればいい」
 と続ける。
「そうか。なら、いい」
「向こう行ってていいぞ。こんなの、見たかないだろ」
 こんなの、とは化人の骸の事だ。目をひんむかれ、口から泡を出し腹部の風穴からは血が出ていて、確かに見目麗しくない。
 だが。皆守は緩くアロマを吸いながら息をついた。
「別に構わないさ。生きてる訳でもない。俺たちに危害は加えないだろう。だったら向こうに行くのも面倒くさいからな。ここにいる」
「…そか。でも離れるなよ、オレの側」
「おう」
 答えると、暁斗はまた作業に戻る。また沈黙が続いたが、校庭の言い争いから続いていた気まずさは薄れ始めていた。
「…なぁ」
 今度は暁斗から話しかけてきた。目はHANTに落としたままで、ぽつりと呟いてくる。
「なんで、ついてきた?」
「あ?」
「関係ないって言った。…でも、来てくれた。どうしてだ?」
 キーボードを叩く手はそのままに暁斗は訊ねる。皆守はアロマプロップを手に取ると、息を吐いた。ラベンダーの香りが周囲に香る。
「…気が向いただけだ」
「…そっか」
 それ以上、暁斗は何も言わなかった。彼は彼なりに考えているのだろう。それを皆守は口出しする気はなかった。少なくとも今は、暁斗の出す行動がどんな結果を生み出すのか。それを知る為に皆守はここにいる。
 ふと、視界の端で灯火が灯るように何かが光った。
「?」
 化人の骸が光っているのだ。体全体を包みこみ、光は増殖していく。白く光が強くなった箇所から、骸が分解され始めた。
「どう言う訳か、ここの番人は倒されてしばらくすると皆こうなるんだ」
 起動を終了させたHANTを仕舞い、暁斗が立ち上がると皆守と並んで化人の骸を見下ろす。
「何らかの呪か、それとも幽霊の類いだったのか。オレには分からないけどな」
 ゴーグルを下ろすと暁斗の目が隠れ、表情が読めなくなる。が、皆守の方を向いた彼の口は笑っていた。
「まァ、解き甲斐があるって言えば、あるけどな。行こうぜ、八千穂が待ってる」
 皆守の肩を軽く叩き、暁斗は消えゆく化人に背を向ける。
「それに今は、《秘宝》よりも取手の方が心配だよ」

 

 蛇が向かい合う金の扉に付けられた、錠に赤白貝−神産巣日神へと続く貝神を象ったレリーフをはめると、錠自体が反応して強い光が溢れる。暁斗たちが眩しさで瞼を閉じた一瞬で、錠は消え、中に進めるようになっていた。
「何があってもオレの指示には従ってくれ。オレは、出来る限り全力でお前らを守るから」
 その先にある危険を本能で察知したのか、暁斗が皆守と八千穂の顔を見て、自分の意志を確かめるように言う。八千穂が深く頷いた。
「行くぞ」
 呼吸を潜め、暁斗はゆっくり扉を押しあけ、足を踏み込んだ。
 そこはとても広い空間だった。人が大挙して押し掛けても容易に入れる程。暁斗は、注意深く辺りを見回し、HANTに意識を傾けるが、自分と皆守と八千穂の生命反応のみが、ゴーグルの中に光点として表示されるだけで何の反応もない。半分拍子抜けして、暁斗はゴーグルを上げた。
「…誰もいないのか?」
「いいや」
 くぐもった声。三人の視線が同時に中央に集まった。
「…来ると、思っていたよ」
 何もなかった場所に男が立っていた。顔は見えない。殆どの部分をマスクで隠し、ゴーグルを付けた時の暁斗以上に表情がうかがえなくさせている。上半身は露出が激しく青白い肌が見える。長い腕が暁斗の目についた。
 それは暁斗の頭に、一人の男を連想させる。
「………取手?」
 暁斗が出した名前に八千穂がえ、と驚き男を見る。
「………そうだよ」
 男−取手は取り乱さずに頷いた。
「この墓を侵す者は処分する。それが《生徒会執行委員》である僕の役目だから」
「………」
「違うよッ! あたしたちは墓を荒らすなんて考えてない」
 黙り込む暁斗のすぐ後ろで、八千穂が懸命に声を上げる。
「ただ、あたしたちは取手クンを助けたくてここに」
「僕を助けに?」
「うん。ルイ先生が言ってたんだ。キミが苦しむのは墓地に関係があるかもしれないからって。−だから」
「−だから?」
 いつもと雰囲気を一変させた取手に問い返され、八千穂は返答に窮し口を噤んだ。代わりに暁斗が、八千穂を守るように間に立ちはばかる。
「だから、オレたちは取手を助けに来たんだ。その為に、ここにいる」
「馬鹿な」
 取手はありえないと言わんばかりに鼻で笑った。
「君たちが僕の魂を救ってくれるとでも、…本気で言っているのかい? 呪われたこの学園から救い出してくれるのだと」
「ああ」
 暁斗は確かな意志を持って、即答した。
「取手が望むなら。オレは全力を出してお前を救おう」
 しっかりと自分を見据える暁斗に、初めて取手は狼狽えた。目を隠し視界はなくとも、はっきりと感じる真直ぐな視線にたじろぐ。
「取手、お前はどうしたいんだ」
 今まで後ろで傍観していた皆守が口を出した。思ってもいなかった相手の発言に、暁斗が後ろを振り向く。
「皆守」
「こいつは今お前に手を差し伸べている。取手、お前はそれをどうするつもりだ?」
「………僕は」
 取手は巡る考えに迷い、頭を押さえる。やがて、緩く頭を振るとゆっくりと顔を上げる。敵意が取手から滲んだ。
「救うなんて出来ないよ、そんな事。誰にも」
 手を力を込めて握る。
「だって、君たちはここで死ぬんだから」
 取手が地を蹴った。病弱な見た目とは違う俊足で暁斗たちに迫る。後ろ手に回していた両の掌が光っている。光に呼応して、天井の暗がりに潜んでいた蚊欲が起き上がる。そして、真下にいる暁斗を見つけた。久しぶりの新鮮な血と肉に、甲高く鳴いて飛びかかる。
「−−−
ッ!!」
 暁斗は真後ろにいた八千穂を突き飛ばす。驚きの声を上げ八千穂は地面に転がった。
「伏せてろッ」
「でも、葉佩クンがッ!」
 前からは取手、上空からはすぐそこに蚊欲が暁斗を狙っている。それらは動きが早く、武器を構えている時間はない。
「墓を侵す者に呪いをッ!」
 取手が暁斗に向かって手を突き出す。直前、皆守が暁斗を蹴り飛ばした。突然の横からの攻撃に暁斗は避けようもなく、八千穂同様地面に転がった。蹴りの反動を使い皆守も下り、取手の両手の前に、蚊欲だけが残る。
 直後異変が蚊欲を襲った。取手の両手から、光と共に波動らしきものが出てきて蚊欲を包むとあっという間に干涸びさせていく。全身の水分を奪われたようにしわがれた蚊欲は床に落ちると塵と化し、命を落とす。
 それを目の当たりにした暁斗は、目を大きく開いた。
「−これは」
 これはまるで、音楽室に倒れていた女生徒に降り掛かった災いと同じ。蹴られた痛みで腹部を押さえ、立ち上がった暁斗は確信した。
「取手、あの子の手をあんな風にしたのは、お前が」
「そうさ。僕は大切な宝を差し出して、その引き換えに《呪われし力》を授かった。−この、神の両手を」
 取手は暁斗に自分の掌を見せた。
「砂漠の砂が水を吸い取るように、精気を吸う。それが僕の《力》。−あの女生徒は無断で墓地に足を踏み入れた。その報いさ」
「だからって、そんな事をしていい理由にはならないだろう!?」
「…それに姉さんが言ったんだ」
 笑みを含んだ声で取手は呟く。
「あの子の指が欲しいって。動かなくなった指の代わりが。ピアノを引きたいと泣いてる。…僕は、姉さんの願いを叶えるんだ。姉さんの為にッ!!」
「取手ッ!!」
 暁斗が鞘を付けたままのコンバットナイフを手に持つと取手に向かって突進する。足音を察知して、取手が《力》を発動させる。そして、前に掌を突き出した。
「葉佩クン!」
 遠くから、成りゆきを見守るしかない八千穂が、悲鳴を上げる。
「−違うだろ、お前」
 取手の《力》がぎりぎり及ばない所で暁斗のナイフは取手の右手を受け止めていた。あいた手で、左手の手首を掴み強く戒める。取手は、腕を引き逃れようとするが、暁斗は引かない。小柄な身体が、自分より大きい存在を押さえ込んでいく。
「そんな事をしても、取手さゆりは喜ばない」
「違う。そんな事はない」
 取手は必死に否定する。
「姉さんは、僕の側にいる。それで僕が姉さんの願いを叶えるのをずっと待っているんだ!!」
「たった一人の弟が、人を苦しめて、自分も苦しめている。それで喜ぶ姉なんかいないだろ!!」
「−−−ッ!!」
「思い出せ、取手。お前の本当に大切な存在が願っていたのは何だったのか。少なくとも、お前が苦しむ願いなんて、彼女は持っていない!!」
 暁斗の叫びに、精気を吸い取ろうとした手の力が弱まる。戒めを解いても、もう暁斗を襲う素振りはもう見せない。暁斗は取手のマスクに手をかけた。そっと頭を縛っていた紐を解き、取り払う。今にも泣きそうな表情だった。
「………僕は」
「自分から独りになろうとするなよ。…寂しいだろ?」
 暁斗の顔も悲しそうに曇った。
「オレがいるし、八千穂や皆守だっている。だから、こっちにおいで。側にいるから」
「………は、ばき、君」
 取手がよろめくように進み出る。ほっと暁斗は安堵したが、すぐに頭を押さえて崩れこむ取手に驚き、慌てて身体を支えてやる。
「取手ッ?」
「あ、頭が、痛いッ」
 強く頭を押さえる取手の身体が、異常に震えている。痛みから逃れようと身を捩り、必死で取手はわめく。
「取手ッ! しっかりしろ取手ッ!!」
「…やっぱり駄目なんだ」
 ぽつりと、取手が呟いた。否定の言葉に反論しようと口を開きかけた暁斗が、どこからともなく現れ、取手を包もうとする黒い砂を目にする。慌てて手で払っても、すぐに動きを再開して止まらない。
「何も見えない、聞こえない。風のざわめきも、水のせせらぎも、光も闇も。あの日に失ってから、全ての旋律を、なくしてしまったから−」
「馬鹿ッ! しっかりしろ、取手ッ!!」
 取手が呟き続ける間、黒い砂はどんどん彼を覆っていく。それ自体が意志を持つように、取手を暗い闇の中へ捕らえていく。暁斗の行動も虚しく、取手の姿が、砂の中に消えた。それでも、諦めず暁斗は砂をかき分ける。
「取手。−取手ッ!!」
「コノ墓ヲ侵ス者ハ誰ダ?」
 砂の中から、取手とは似ても似つかわしくないしゃがれた声がした。

 

 

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