瞼を開けると空が映った。
この前までは夏の色濃さが残っていたが、九月下旬にもなればそれも和らぎ、柔らかくなっていく。陽射しもそれと同じで授業をサボって昼寝をするには良い環境だ。
悠然と流れる白い雲を見つめながら、皆守甲太郎は屋上の固いコンクリートの床から起き上がった。貪っていた睡眠の余韻で欠伸をかき、まだ微睡む眼を擦りながら腕時計を見る。あと数分もすれば昼休みになりそうだった。今日は授業を受ける気にはなれず、登校してから教室に鞄を置いて直ぐ屋上に向かったので、四時間はここにいた計算になる。
大きく背伸びをした。石の床で寝て、強張っていた身体を解しフェンスの向こう側を見る。何処かのクラスがグラウンドで体育をしていた。陸上らしい、トラックの周りを生徒がぐるぐる回っている。走り終えた生徒は、疲れ果て座り込んでいる人もいた。
何が面白いんだか。皆守は冷めた眼で悪態をつく。そんな事に体力を使っても意味があるのか分からない。分からないものに意味を見い出すのは無駄だろう。
皆守はズボンのポケットからアロマプロップを取り出すと口にくわえ、先端に火を付けるとゆっくりアロマを吸い込んだ。ラベンダーの甘い香りが肺の中に満ち、鼻孔をくすぐる。今度はゆっくり息を吐き出すと、空気の中にその香りが溶け込んでゆく。
グラウンドから笛の音が飛ぶと、集合を呼び掛ける体育教師の声にのろのろと生徒たちが集まる。皆守は眼を反らして東の方角を見た。
すぐに見えるのは体育館。その向こうには寮。向かって右側に教師たちの家があって、その反対側には。
「………」
うっそうとした森の中にある墓地に気が滅入った。
天香学園の中には、普通のそれにはそぐわない存在がやけに多い。もう誰も住まなくなり廃虚と化した街や、ファミレス。生徒も入れるには入れるが牛乳しか出さないバー。
それらは、天香学園に在籍している間は、夏休みなど長期休暇以外は決して学校の外に出てはならない。《生徒会》に決められた規則によって生まれたモノ。
極め付けが学園の外れにある墓地だ。近くには墓守も居て、夜中に入り込む者はいないか、墓を荒らす奴が出ないか見張っているからよけいに気味が悪い。
出る事の叶わない学校。墓地。そんな存在や、学校を取り囲む壁を眺めると思ってしまう。ここはまるで牢獄のようだと。
『 』
頭の奥底で低い声が響く。胸の中で燻っていた靄が纏わりつく。皆守はアロマを吸い、それを押さえ込んだ。振り切るように、墓に背を向けて扉のノブを掴む。
授業の終了を告げるチャイムが鳴った。
昼休みに入ったばかりの廊下は人が多い。二階まで降りて、皆守はもう少し早くくればよかったと後悔した。そうすれば、悠々と歩けただろうに。うんざりしつつ、アロマプロップを揺らす。
さて今日はどうするか。マミ−ズでカレーでも食べるか。それとも購買でカレーパンでも買って保健室でのんびりと食うか。
あまり選択の範囲が広くない考えを頭の中で繰り広げていると、誰かがこっちに寄ってくる。一目見て誰なのか分かった。
天香学園では珍しくない転校生、葉佩暁斗。
性別は男。背は皆守より少し小さく、体格は男子の中では細めの皆守よりもさらに細い。学ランのサイズも間違えたのか大きめで袖を捲り上げている。強めに叩いただけでも骨が折れてしまうんじゃないかと思えた。
暁斗は脇に化学の教科書とノート、それに筆箱を抱えている。皆守の前でぴたりと立ち止まると途端にむくれっ面をした。
「なんだ、転校生。俺に何か用でもあるのか?」
「授業サボっただろ」
男にしては高い声で暁斗は怒る。だが、皆守はつれなく返した。
「受ける気になんかなれないからな。言ったろ、そんな無駄な事をするよりは、昼寝でもして夢見ていた方がマシだって」
「オレは授業してほしかったのにな」
「はァ?」
いきなりなんて事を言うのか、この転校生は。
「せっかくお知り合いになれたのだから、もうちょっと友好深めたいじゃないかッ。ノートの見せあいとか、先生の眼を盗んで手紙のやり取りとかさ−−−」
「………お前はオレがそんなくだらない事すると思うか?」
「しないの?」
「するかッ」
切り捨てると暁斗はちぇと口を尖らせる。高校生と言うより子供と称した方が違和感がない仕草に、皆守はこめかみを押さえた。
「ッたく。何でうちのクラスに来たんだか」
他のクラスに転入したなら、こうして話す事もなかっただろうし、ひよこのような眼で見つめられる事もなかった。今までも何度か転校生には会ったが、暁斗のような転校初日からやたらと人に絡むタイプはいなかった。次の日には、こうして自分を無垢な眼で見つめてくるし、昨日だって。
「あ」
「ん? どした? 午後は授業を受ける気になってくれたのか」
「…いや。別の事を思い出してな」
昼寝をしていてすっかり忘れていた。それに、あまりにも目の前の人物と昨日の事が重ならなくて、失念していた。別にはっきりしようとは考えていないが、こうして本人がいるなら聞いてみようか。
「八千穂から、聞いたんだが」
「うんうん」
暁斗は相槌をうって続きを促す。皆守は少し迷ったがそのまま続けた。
「お前、《宝探し屋》なんだって?」
皆守の問いに、暁斗は何もない所で盛大にコケた。
それを見つけたのは昨夜。たまたま散歩をしていて、墓地の横を通り過ぎるとある筈のない人影が映る。誰なのか気になった皆守は、音を立てずに近づいて、その頓狂な格好に呆然とした。
上下共に黒い衣服。その上には全部のポケットが膨れたアサルトベスト。顔には上半分を隠すゴーグルらしきもの。背中にはまるで鞄を背負っているように武骨な銃を掛けている。腰にはナイフがあった。
警察に見つかったら即銃刀法違反で逮捕される格好。しかも見つけた場所は墓地。
怪しすぎる条件の中で皆守が見つけたのは、暁斗だった。横には同じクラスの八千穂明日香までいる。
二人は揃って誤魔化そうと浮かべた曖昧な笑みは、さらに胡散臭さに拍車をかける。
疑う点が多すぎて、おかしいと思わない方がおかしい。
その後すぐに現れた墓守によって追い出された後、問いつめようとした暁斗は脱兎の勢いで逃げたので、すかさず八千穂を捕まえた。
「八千穂」
「えっ、何?」
声が上擦っている。八千穂明日香と言う人間は、明るくて裏表のない分かりやすい性格をしている。見ただけでも彼女が動揺しているのは明らかだった。
「転校生のあの格好は何だ」
「うえっ!?」
単刀直入に問うと、八千穂は逃げるように視線を泳がせる。絶対に何か知ってるな。皆守は確信した。
「銃を持っていたよな。それにナイフもあった。いかにも怪んでくださいと言わんばかりの格好だ」
わざとらしく、口にくわえていたアロマプロップを手へと持ち直す。長く溜め息をついた。
「アイツは何をする気なんだか。学校征服でもする気か?」
「ちがうよッ! 葉佩クンはただ」
「ただ? なんだ、八千穂。知っているのか?」
慌てて八千穂は口を押さえるが、もう遅い。
「ただ、なんだ? 言ってみろよ、八千穂」
仕上げに言い逃れは許さんと見据えて、とうとう皆守は八千穂の口を割らせた。
彼女は周りに人がいない事を十分に確かめてから声を潜めた。
「絶対、誰にも言っちゃダメだからねッ! …あのね、葉佩クンって、《宝探し屋》、なんだって」
「と言う訳だ」
「…八千穂」
説明をしている間、暁斗は床に手をつきショックにうちひしがれていた。
「黙っててくれるって言ったじゃないか。あんなににこやかに固くきつく約束したのに。それをものの三十分もしない間に…。あの自信は嘘だったのか…」
俯いたままぼそぼそと喋り続ける暁斗に、通り過ぎる人たちの視線が集まる。ついでに皆守にも。うっとうしくて皆守は頭をがしがし掻くと暁斗の肩を叩いた。
「おい」
「オレの人生って、いつもこんなだよなぁ…。てかこれからもそうなのかも。イヤだなぁ、せっかく貰った任務なのに」
「おい!」
業を煮やして皆守は暁斗の頭を叩いた。いい音がする。
「あいた」
「愚痴を垂らしても仕方ないだろ。ほら、いい加減に起きろ。でなけりゃ何処か余所でやってくれ」
「うう…」
周囲の視線に絶えきれなくなると、今度は暁斗を引っ張り廊下の端へと連れていく。引っ張られている間、暁斗はずっとうなだれていた。立続けに正体を知られてさすがに落ち込んでいる。
相手を慰める言葉なんて数多く持たない皆守は、困って俯く暁斗の旋毛を見た。
「俺はお前に秘密を言うつもりなんて毛頭ない」
「え」
「八千穂に知られたのは、犬にかまれたと思って諦めろ。アイツも人が困るのは嫌がる方だからな、滅多な事以外言わないと思う」
「本当か?」
「ああ」
あくまで『思う』だが。
「とりあえず、俺は言わないから安心しろ。だからさっさと起きろ」
「…おう」
念を押した言い方に納得して、暁斗がようやく起き上がる。皆守を見て口を緩めてはにかんだ。
「よかった〜。転校二日目にしてオレの事が学園全体にバレるのかと思ったよ。皆守がそう言ってくれると安心するな」
「俺は口は軽くない」
少なくとも、八千穂よりは。
「それに、バレたって殆どは通用しないだろうな。頭の可笑しい奴だと勘違いされるぐらいですむんじゃないのか」
皆守は《宝探し屋》なんてものは映画の中だけで活躍するような存在だと思っていた。今この現実に、ましてや目の前の転校生がそうなのだとしても、実際信じる奴がどれ位いるものか。
だが、暁斗はあっさりして、
「仕事が出来なくなるよりマシ」
と言い切る。
その満ちあふれる程の自信は何処から来るのか、聞きたいようで聞きたくない。だが、それこそが《宝探し屋》である為の一つの条件なのかもしれないだろう。実際、暁斗はあるまじき行動力で、探している《秘宝》へ続く入り口を見つけている。
あの墓場。ある墓の裏側に見つけられた人が通れるぐらいの穴がそうなのだろう。
昨日は墓守に見つかって叶わなかったが、今日も行くつもりなのだろうか。
「なぁ、転校生」
「−−ん?」
「お前、今日も墓地へ」
行くつもりなのか?
皆守の問いは、最後まで暁斗に届かなかった。言葉の語尾に覆いかぶさるように、女の悲鳴が飛んでかき消される。鋭く反応した暁斗が声が聞こえてきた方向を正確に向いた。
「皆守、あっちは?」
「−音楽室だ。行くか?」
暁斗は頷く。さっきまでの調子良さが失せていた。
「ああ」
「じゃあ行くぞ」
突然響いた悲鳴に動けない生徒の間を縫って、皆守と暁斗は音楽室へと向かう。
おかしい。皆守は嫌な予感がした。
天香学園は学内の管理が厳しく、普段使われない教室は殆ど鍵がかかっている。鍵を持っているのは、《生徒会》や一部の職員などごく一握りだ。
音楽室もその一つ。屋上から出る前、視線の端に映った音楽室のカーテンは閉められていたから授業がない筈。だが鍵がかかっていた扉は今、薄く開かれている。
先に辿り着いた暁斗が躊躇わず扉を開けて入ると、皆守も後に続いて入った。
「誰か、いるのか!?」
室内は静かで、ひっそりとしている。窓が一つだけ開いていて、入り込む風が白いカーテンを揺らしていた。
「おい、あそこに誰か倒れているぞ」
皆守が、グランドピアノの下に倒れている女生徒を発見して、暁斗に伝える。彼はすぐさま駆け寄ると彼女を助け起こした。
「おい、おいッ」
軽く揺らして、女生徒を起こす。彼女はゆっくりと眼が覚めると直ぐに身体を震わせた。
「あッ、ああッ!!」
焦点が合わない眼をして、異常に怯えている。
「どうしたんだ。何か、あったのか?」
「あたしの、あたしの手がッ、手がァ!!」
うなされるように呟くうわ言に、視線を動かして暁斗は絶句した。驚きの表情で皆守を見る。
「…皆守」
促され、皆守は女生徒の手を見て、暁斗同様に言葉を失う。
女生徒の手が、干涸びていた。
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