カイルは衝動的に、ティーとロイの間へ割り込んだ。足を踏ん張り、三節棍の突きを受け止める。鎧のお陰で衝撃は緩和されたが、それでも相当な痛みが広がる。
息を詰め、痛みを堪えながら、カイルはそっと三節棍を握りしめるティーの手に触れる。
だんだん冷静を取り戻してきたティーは、目の前のカイルを見つめる。「……カイル!?」と声を震え上げ、身を竦ませた。
「あ、」
首を振るティーの唇が戦慄く。表情が、泣きかけている子供のように、くしゃりと崩れた。手が緩み、三節棍が床に落ちる。
「……ごめ……っ。ごめん、カイル。ごめ――」
震えて謝るティーを、カイルは抱き締めた。固まる心を解きほぐすように背を撫で、繰り返し呟く。
「大丈夫です。誰も貴方を嫌ったりしませんよ。大丈夫ですから。ゆっくり、落ち着いて……」
言葉が囁かれていくうちに、ティーの身体から力が抜けた。右手に溢れていた光も小さくなり、消える。
「王子――」
様子を確かめようと、ティーに近づこうとしたリオンを、サイアリーズが手を伸ばして止めた。
「サイアリーズ様?」
「今は、あんたが行くべきじゃない。理由は……分かるだろ、リオン」
「………」
リオンは黙り込み、後ろへ下がる。
今回、ティーがこうなってしまった原因の一つに、リオンの言動がある。根拠のない自信のせいで、ティーに負担がかかった。サイアリーズはティーが勝てたからと言って、すぐにリオンを近寄らせる程、心は広くない。少しだけでもいいから、己の身勝手な言葉でこうなった責任を感じてもらいたかった。
「――カイル」
さっきまでの自分を恐れ、ティーはカイルの背に縋り付く。そんなティーを、カイルは優しく包み込み、ひたすらに温もりを与える。既にティーから受けた痛みは忘れてしまっていた。
「……邪魔すんな」
カイルの背中へ、ぴたりと三節棍の先端が当てられる。壁に凭れ座り込んだまま、ロイがカイルを見上げていた。
「まだ終わっちゃいねえ」
「何言ってんの。あのままいってたら確実に死んでたよ、ロイ君。それに君だってもう自分が負けたって分かってるんでしょー?」
カイルは肩ごしにロイを見て、笑った。
「髪、カツラだったんだねー」
「ちっ、ずれてたか」
ロイは舌打ちをして髪を掴むと、思いきり引いた。銀糸の髪で作られたカツラが取れ、亜麻色の髪が現れる。こうして見れば、ティーよりもリムスレーアの方に似ている、とカイルは思った。勝ち気そうな目元とかそっくりだ。
「オレは君を助けたんだから、ちょっとは感謝してもらいたいんだけど?」
「誰がっ」
喚き、ロイは怪訝な表情でカイルの背に回る手を見る。痛みが響く頭を押えながら「アンタら……できてんのか?」と場違いな問いを口に出した。
まるで自然に抱き締めあっている二人は、恋人同士のように見える。どちらも男なのにそう思えるのは、ティーの持つ中性的な雰囲気があるからか。
「サシで勝負してんのに、置いてきぼりにしてさ」
冷やかすと、ティーの手がカイルの背から離れ、そのまま彼を押し離す。そして顔を真っ赤にして「違う!」と全力で否定した。
カイルは口を尖らせ、不服そうだったが、なおも胸を押すティーに、渋々離れる。
「……はっ」
ロイは何だかおかしくなる。勝負するまでは、自分の気持ち一つ言えないつまらない奴だと思っていた。だが、カイルが絡めばどうだ。途端に不器用な感情を出して、幼稚な反応を示すではないか。思わず痛む傷を忘れて、吹き出してしまう。
「あー、痛ってー。くだらねー」
何だか、自分のやってきたことが馬鹿らしく思えてきた。痛みに背を丸め、それでもロイは笑う。妙に清清しい笑顔を見て、ティーたちは首を傾げた。
「……やっぱ、慣れねえことはするもんじゃねえな。ぼこぼこにされるわ、当てられるわ。――なんかしらけちまった」
「え? それって……」
訊ねるティーに、ロイは答える。
「負けだ負け。オレの負けだ」
諸手を軽く上げ、降参するロイをティーは呆気にとられて見つめる。
「………………」
ティーの勝ちが決まり、ダインとリオンがほっと安堵する。その横ではサイアリーズが、難しい表情をしてティーを見ていた。
あんなにティーが怒り狂うところを、初めてサイアリーズは目の当たりにした。気がつけば、ティーは既に自分の気持ちを奥に潜め、穏やかな笑みを仮面のように張り付けていたから。子供なのに、周りの勝手な大人の都合に合わせている姿に、どれだけ心を痛めたか。
いつから、そうなってしまったんだろう。記憶の糸を手繰れば、いつも同じところへ行き着く。
自分の母親が姉と玉座を取り合っていた頃。呆然と母親の部屋の前で、立っていたティー。
名前を呼ぶと、がらんどうな目を向け、逃げた。
その日の夜を境目にして、ティーは変わってしまったように思える。誰かに気持ちを漏らすことが極端に減った。
「………」
サイアリーズは自分の掌を見つめる。今まで失うものが多くて、わずかに残ったものも、するりと指の間を擦り抜けていきそうで怖くなる。
きっとティーも同じ思いを抱えている。だけどあっちは自らも失ってしまいそうな危うさがあった。目を離した隙に、いなくなってしまいそうな不安が付きまとう。
カイルはそこからティーを引きずり出そうとしている。例えどんなにお互いが傷付いても、止めない強さを感じた。
じゃあ、あたしはどうなんだろう。
あたしに、出来ることはなに?
サイアリーズは手をきつく握りしめる。
「ドルフ」
主に呼ばれ、ドルフは気配なく、ギゼルの背後へと姿を現した。ギゼルは何もないところから出てきたドルフに驚く様子もなく、机に広げられた地図を見ている。
セラス湖の南。ティーが本拠地にしているフェリムアル城の近くにあるビーバーロッジを指先で、とん、と叩いた。
「ビーバー族を滅ぼすことにした。ファレナに亜人は必要無いからね。異なる民族、人種は国を揺るがす災厄になりかねない。――もちろん父上も同じ考えだ」
ドルフは黙したまま、ギゼルを見た。
ギゼルはドルフを振り返り、楽しそうに笑う。
「ドルフ――君に指揮を頼みたい。会いたい人もいるだろう」
ドルフの目が僅かに揺れるが、すぐに落ち着いた。自分を試しているようなギゼルを、何の感情もなく見つめる。
「――仰せのままに。ビーバー族を滅ぼしてきます」
会釈してドルフは再び闇に紛れて姿を消した。
さっきまでドルフがいた場所を見つめ、ギゼルは顎に手をやり口元を上げる。
ビーバーロッジはティーのいるところに一番近い。危険になれば、必ず助けに行くだろう。そうなれば、『彼』も動くはずだ。
もし見捨てたとしても、そのままビーバーたちを殲滅させればいい。どちらにしても楽しくなりそうだった。
「君も会えるといいね、ドルフ。たった一人の――大切な人に」
闇へと呟いたギゼルの言葉に、応えは返ってこなかった。
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07/03/06
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