「お前が――ロイか?」
警戒しながらダインが呼ぶと「ちぇ、お開きか」と質素な寝台に寝そべっていた『彼』が起き上がった。
「もうちょっと、遊べると思ったんだけどなぁ」
残念そうに言う声は、ティーのものと全く同じ。まるで直ぐ横にいる彼が口調を変えていっているように、カイルには聞こえた。
ティーは瞠目して『彼』を見つめている。サイアリーズもダインも驚いて固まっていた。
まさかここまでそっくりだったとは。
カイルは、セーブルの民がここまで、ティーに冷たくあたった理由に納得した。盗賊の頭目――先に倒していた山賊たちからはロイと呼ばれていた少年は、あまりにもティーに似ていた。銀色の髪も、こちらを見つめる風貌も、姿見に映したように瓜二つ。近くで見ても間違えそうなぐらいなのだから、一瞬だけしか見ていないボズが、ロイをティーと間違えても非難できない。
驚愕するティーたちを余所に、ロイは気怠るそうに顔を向けた。
「ああ、逆らわないから安心しな。ここで暴れても疲れるだけ損……」
ロイはダインの後ろにいるティーを見つけ「へえ……」と感嘆する。黙ってティーがロイの前に立ち、二人はお互い同じ形の人間を目に映した。
「本物のお出ましか。似てる似てるって言われたけど、こんなに似てたのかよ。他人のそら似って怖いなぁ」
「あたしもだよ」
二人の横へと移動して、サイアリーズがティーとロイをかわるがわる見つめる。
「これじゃ、ダイン殿やボズ殿が見間違えてもしょうがない」
「……そうですか? わたしはそんなに似ているとは思いません」
リオンがロイを見てはっきりと言った。
「目も顔つきも全然違います。王子はこんなに卑しい顔をしていません」
「へっ、言ってくれるじゃねえの」
ロイは鼻で笑い飛ばした。胡座をかきなおし、膝に肘をつく。そして捻くれ不満に満ちた目をティーに向ける。
「こっちは貧民街生まれのチンピラだ。どん底這いずり回って生きてきたんだよ。何の苦労もしねえでぬくぬく育った王子様とは違って当然だろ」
「………」
ティーが唇を引き結び、手を握りしめた。
「けどよぉ、不公平だと思わねえ? 面はこんなに似てるのによ。だからさぁ、オレは儲かっている連中からすこぉしお裾分けを貰って、ついでにアンタの面にも泥塗ってやった訳よ。面白かったぜ、みんなころころ騙されやがってよ。呆気無さすぎて、拍子抜けしちまったぜ!」
こみ上がる笑いを我慢せず、ロイは腹を抱えて笑った。
「あんた……!」
サイアリーズが怒り、ロイを睨み付ける。カイルもまたティーの不幸を心から喜んでいる不逞の偽者に、腹を立てずにいられなくなった。ティーのことを知りもしないくせに、勝手なことばかり言って、悪さをするなんて、不敬罪もいいところだった。
だが、ティーは黙ったままロイを見つめている。握りしめている拳が震えていた。それを見て、カイルはティーが必死に感情を抑えていると察する。
目前に、セーブルで自らの名と名誉を散々貶めた人間がいる。散々と誹られ腹が立たないなんてない。だけど、こんな時にまでティーは自らを殺している。
ティーとロイは全然似ていない。リオンはそう言った。初めこそ二人の見分けもつかなかったカイルは、朧げに彼女の言葉が本当だと分かってきた。
ティーは何も言わない。周りを優先して、自分の気持ちを滅多に外へと出さない。
ロイは思ったことを口にする。周りより自分の気持ちに正直で、容易く気持ちを外へ出す。
外見は似ていても、中身は正反対だとカイルは思う。
笑い転げるロイを、ティーは見据える。だがそれだけで何も口にしない。貴族から罵られた時と同じ、受けた心の傷が痛むのを必死に耐えている。
こんな時ぐらい、我慢しなければいいのに。
「――下らないことを言うんですね」
リオンが厳しい表情でロイを睨んだ。気持ち良く高揚しているところを、突き落とされるように言われ「あぁ!?」とロイもまたリオンを睨み返した。
リオンは、ティーを庇うように、ロイの前に立つ。
「生い立ちが不幸だったら、人を傷つけたり人の物を盗んだりしてもいいと思っているんですか。――親がいなくても家が貧しくても恥じることなく生きている人は沢山います」
「へっ、お説教かよ」
聞きたくない、と言わんばかりにロイは顔を背けた。
「そんなこと、しません」とリオンは笑う。そしてすぐに笑みが消えると、表情に憤怒を滲ませていく。
「でも、一つだけ自覚してください。貴方は自分のしたいことをしているだけです。自分の悪事を生まれや育ちのせいにしないでください。――そんなことを言い訳にして、王子の邪魔をしないでください!!」
「……リオン」
「リオンちゃん……」
思いの丈をぶちまけ、肩で息をするリオンちゃんを、カイルとサイアリーズは呆然と見つめた。ティーも同じようにリオンを見ていたが、不意に目の色が翳る。
寂しそうな色にカイルは、セーブルでのリオンが言った言葉を思い出した。
『早く濡れ衣を晴らさないと。もしフェリド様がいましたら、申し訳が立ちませんから』
「………」
リオンは幽世の門で暗殺者として育てられていた。後二年もすれば、任務を受け人殺しをするところまで来た時に、フェリドの手によって組織は解体された。そしてフェリドに保護された彼女は、救ってくれた存在にしか懐かず、いつも傍にいようとしていた。カイルも、何度かぐずるリオンをあやす、フェリドの姿を見ている。
成長するに従って、リオンは誰とでも打ち解けるようになっていった。それでもどこかフェリドを追い掛けているようなところがリオンにはあった。
――フェリド様の為に。
ラフトフリートでドルフと相見えた時、ティーは寂しそうな目をしていた。セーブルでの一室で、カイルは気まずさから部屋を出た。リオンはフェリドの名前を口に出す度に、カイルはその存在の強さを感じる。恐らくは、ティーも分かっているんだろう。リオンがフェリドとティーを重ねて見ていることに。
ティーはフェリドの子供だから。ティーの志が汚されるのは、フェリドの志をも汚されるのと同じなんだろう。
決してティー自身を見ていない。ティーの向こうにいるフェリドを見ている。
それでも何も口に出さないティーが、哀れだった。
「………」
黙ったままリオンの言葉を聞いていたロイが、口元を歪めた。
「あんた、可愛い顔して無茶苦茶言うよなぁ。……ちょっとマジでムカついちまったよ」
寝台から立ち上がり、ロイはティーの前に立つ。睨みを強くして固めた拳を、ティーの胸元へと押し付けた。
「ふん……面倒くさいから大人しく捕まってやろうと思ったけど気が変わった。なぁ、王子さんよオレとサシで勝負しようぜ」
「なっ……!?」
カイルは驚いた。どうやらリオンの言葉によって、ロイの怒りに油が注がれたようだった。
はっきり言って、まずい。ティーはレルカーからずっと休んでいないのだ。体調が悪い上での険しい山登り。全力を発揮出来る状態ではない。
「あんたが勝ったら、オレを斬るなり裁くなり好きにしな。けどオレが勝ったらアンタの器はオレ以下ってことだ」
ロイはすっとティーに顔を近付け、不敵な笑みを見せる。
「――――オレが変わってやるよ」
ロイの眼差しを受け、ティーは静かに頷いた。
「……分かった」
「ティー様!?」
「何言ってんだい、ティー! 無茶は止めるんだ!」
サイアリーズが信じられないように首を振る。カイルも同じ気持ちだ。
ロイに、ティーと同じく軍を率いてソルファレナを奪還出来る力があるとは思えない。幼い頃から勉学に励んで博識さを見せているティーですら、多大な労力を費やしているのだ。姿形が似ていると言って、ロイが一朝一夕でやってのけるとは考えられない。
「……断ったとしても、彼は納得しそうにないから。だからやるしかないんだよ」
ティーは儚い笑みを浮かべた。
「分かってんじゃねえか」
部屋の空いた空間に立ち、ロイは腰から三節棍を抜いた。ティーもまた間合いを取り、同じく三節棍を構える。
「ティー様、止めてください。こんなの……受けるべきじゃない!」
「カイル殿の言う通りです! 挑発にのってはいけません!」
気が気でなくなるカイルに続いて、ダインもまた危機感を募らせながら言った。圧倒的な不利が分かっている。このままむざむざと負けさせたくない。
だが、リオンが二人を押止めるように言った。揺るぎない目で「大丈夫です」と言う。
「王子は負けません」
「………」
根拠のないリオンの言葉に、ぐらりと頭がふらつく目眩をカイルは覚える。
ファレナの王族が負ける筈がない。そんな盲目的な考えが、リオンの判断能力を鈍らせている。だが、絶対なんてない、とカイルは痛い程に知っていた。もし絶対負けることがないのなら、今ごろ太陽宮は陥落していない。
「へっ、そいつはどうかな」
リオンをあざ笑い、ロイは三節棍をティーに突き付けた。負ける気がしないのか、不敵な笑みはそのままに、前へと踏み出す。
「――後悔すんなよぉ!!」
三節棍を振り、ロイはティーに殴り掛かった。
ふらつく足で、ティーは地を蹴る。
カイルは、かわるがわる立ち位置を変えながら戦う二人のうち、ティーを目で追っていた。そっくりな姿は、時折どっちがティーなのか判別がつき難くなりそうになる。だが、カイルは目を凝らして、ティーの動きを見た。
「どうだい?」
「……やばいですね。押されている」
サイアリーズの問いに、カイルは唇を噛み締めた。危惧していた通り、疲労が溜まっているティーの動きは鈍く、反応が遅い。比べてロイは、いつ何処で身につけたのか、自在に三節棍を操り、攻撃を仕掛けていた。
「くっ……!」
攻め続けているロイに対して、ティーは防戦一方。反撃の隙も見つけられず、受け流すので誠意一杯だった。
「王子……!」とリオンは両手を組み合わせ、一騎討ちを見つめていた。さっきまでの揺るぎない目の強さは精彩を欠け、焦りが見え始めている。
「なんだ、一軍を率いている割には、全然大したことねえな、あんた。だっらしねえ」
三節棍の連結を解き、ロイは右へ左へと連打を浴びせた。ティーはすかさず後ろに飛ぶが、すぐ後ろの積まれた荷物に退路を阻まれる。ひゅう、とロイは息を吸う。ぐるりと回転して勢いをつけ、三節棍を振った。
「そんなんで、やってくつもり?」
「ぐ、う……っ」
避けられない一撃を脇腹に受け、ティーは呻き歯を食いしばる。三節棍を横へ薙ぎ、ロイを遠ざける。痛みで力の入らない手を叱咤し、前へと踏み込んでティーはロイに一撃を繰り出すも、あっさり躱されてしまった。
荒く息をつくティーを、冷めた目でロイが見つめた。
「……なんだ、つまんねえ。あんたの力って、こんなもん? 全然大したことねえじゃん。ロードレイクやレルカーを救ったってのも、これじゃ信じられねえな」
「………っ」
眼光鋭くするティーに、ロイはにやりと笑って続ける。
「それとも、他の奴に助けてもらってばっかで、力がねえとか?」
「……あいつ、挑発してる」
ぽつりと呟くカイルを、固唾を飲んで見守っていたサイアリーズが「え?」と怪訝に見上げた。
「多分、あいつ自分の勝ちを確信しているんです。でもそれじゃあつまらないから……」
「ティーに本気を出してもらおう、ってことかい」
「ええ」
カイルは頷く。
恐らくロイは、どんなに貶しても感情を見せないティーを見たいんだろう。今まで彼になりきって山賊をして来た。少なからず本物がどのような相手か、知りたくなった。
だが、ティーは耐え続けた。歯を食いしばり、向けられる痛みを心身共に受け止めている。それがロイにとって、どれだけつまらないものか、カイルには分かった。その証拠に、挑発を続けるロイの表情はだんだん呆れたものへと変わっていく。
「――もういいや、あんた。つまんねえ」
言い捨て、ロイは三節棍を再び一つに連結した。とんとんと肩を三節棍で叩き、ふらふらになりながらも立つティーに言う。
「自分の気持ち一つ言えねえやつなんて、オレにとっては胸糞悪いだけだ。……後はオレが変わってやるよ。だからあんたはくたばっちまいな――!」
手加減無しの一撃が、ティーの顳かみを直撃した。身体が傾き、膝を床につける。打たれた場所から、顎に向けて、血が流れた。それを見てリオンの顔色が青くなる。
誰もが、ティーが負けてしまったと思わざるを得ない状況。
このまま、ロイに全て取って代われるのか。苦渋で眉間に皺を寄せたカイルは、ティーの身体が小刻みに震えていることに気がつく。落ちていた三節棍を持ち、強く握りしめる。
「……も、……い…………くせに」
「――あん?」
ロイが訝しんでティーを見た。俯いていた面が上がり、ティーはさっきまでとはうって変わって強い眼差しをロイに向ける。
右手から光が零れていく。レインウォールからラフトフリートへと本拠地を移した夜、カイルが見たものと同じ。あの時はまるで泣いているかのように儚く小さなものだった。だが、今目に映るのは、苛烈なまでに燃える、怒りの炎。言葉に出さないティーの代わりに、紋章の光が青く燃え盛っていた。
ロイはティーの気迫に押される。やばい、と本能が危険を告げているのに、身体が動かない。動いたら、あの光に身を焼き尽くされそうで、足が竦む。
「なにもしらないくせに」
ティーは立ち上がった。三節棍を構え、ロイを睨み付ける。
前へと力強く足を踏み出した。
「何も――知らないくせにっ!!」
ティーがロイの前から姿を消した。否、目にも止まらぬ速さで、懐へと潜り込み、三節棍を突き上げる。「がっ!」とよろめくロイに容赦なく、全体重が掛けられた一撃が上から肩へとめり込んだ。
息が詰まる。ロイは目の前が眩んだ。口が切れたせいで、血の味が口腔内に広がる。
「ティー様……」
ヤバい気がする。カイルは漠然と感じた。このまま加減もなく、怒りをぶつけていったらロイを殺してしまうかもしれない。そうなったら、ティーはもう、彼の中にある暗闇から戻ってこない気がした。
徒手での打撃を受け、ロイが壁に激突する。崩れ落ち咳き込むロイの目に、腕を引き突きの構えをしたティーが映った。
狙う先は――心臓。
ここまでか。ロイは自分の敗北を悟る。元々王子の名を騙り、山賊行為で貶めてきたのだ。バレた瞬間に、命はもうないものだと覚悟している。一時は勝てるかと確信したが、この状態から巻き返すのは無理だ。
「――うわあああああっ!!」
ティーが三節棍をロイへと突き出していく。
ロイは静かに目を閉じた。
「――ティー様っ!!」
暗闇の中、誰かの声がロイの前から聞こえた。
← ↑ →
07/03/06
|