せっかく下手に出ているのに、乱暴に買った道具を渡され、カイルは顳かみを引き攣らせた。こんなものいりません、と床に叩き付けたくなるが堪え、苛立ちを抑えて笑顔を作る。だが、店主は冷たくカイルを一瞥し、ふん、と顔を背けた。
「やめないか!」とダインが声を荒げる。
「客に対して失礼だと――」
「ま、まぁダイン殿おさえておさえて」
先に我慢が効かなくなったダインを、カイルは手を差し出して止めた。「それじゃ、失礼しましたー」とそのままダインを押しやり、店を出る。
さっきから立ち寄った店で、同じようなやり取りが毎回あった。女王騎士であるカイルが訪れても、誰もが一様に冷たく、態度もおよそ接客とは言えない、素っ気無いもの。
まだ太陽宮の貴族が言っている陰口より何倍も可愛いものだったから、まだカイルは我慢出来た。代わりにダインが憤り、揉め事へ発展する前に
カイルは慌てて店を出る事を繰り返す。
セーブルはファレナにある他の街とは違い、近くに河や湖はない。代わりに高い山が周りにそびえ、岩肌が良く見える。敵国アーメスに近いせいもあり、街を囲むように高い壁が作られていた。
平時に訪れたなら、珍しさに色々見て回りたかった。だけど、今は無理だろう。
カイルは街中から突き刺さる刺々しい視線に、きっついな、と溜め息をついた。セーブルに着いてからずっと敵意むき出しで見られているので、自然と気を張り、神経をすり減らしてしまう。
「……すいません。不愉快な思いをさせてしまって」
自分の守っている街で起きている無礼の数々を、ダインは頭を下げ詫びた。
「ですが本当は誰も気安い人たちなんです。どうか誤解だけはしないでください」
「分かってますって」
カイルは笑った。
「そうなってしまうぐらいに、痛い目みているってことなんでしょうから。ダイン殿やボズ殿が見間違う位だ。相当似ているんでしょうねー」
早く会ってみたいなー。
そう呟くカイルは笑ったままだったが、心は波立っている。
レルカーを何とか纏めて、味方につけたティーが戻ってきた時に舞い込んだ、新たな災厄。ティーそっくりな人間が頭目になっている山賊たちが、セーブルを中心に暴れていると言うのだ。
出没時期は、正にティーがレルカーに向かっていた頃と同時期でそれを知る軍の仲間は、でたらめだ、と一蹴した。だが、実際被害にあったセーブルの人間は違う。一度ティーと肩を並べて戦ったボズが、頭目を見るなりその名を呼び、誤解を招いてしまった。それが元で、誰もティーが山賊だと信じて疑わない。
誤解を解く為、自らセーブルに出向いたティーを待っていたのは、民の白い目。誰もティーが本物だと取り合わず、冷たく接しようともしない。
今はあんまり刺激してはいけない、と部屋で待機している。
カイルは山賊の根城、乱稜山へ乗り込む為の準備をする為に、ダインの案内で買い出しをしている途中だった。リオンやサイアリーズを連れていったら、ティーを貶す声を聞いて、怒る可能性もある。実際、聞くに耐えない言葉を何度か投げ付けられ、連れてこなくて良かった、とカイルは心の底から思った。
カイルの台詞に、ええ、とダインが苦々しく頷く。
「もしボズ殿が言わなかったとしても、私が王子の名前を呼んでいたでしょう。それ程までにあの者は殿下にそっくりだったんです。……早く殿下の濡れ衣をはらさねばいけない。この状態が続けば、近いうちにセーブルは孤立し、守り切れなくなる」
セーブルが孤立したら、敵国アーメスだけでなくゴドウィンに目をつけられても、助けは来なくなってしまう。国の外からも中からも脅威に怯え、いつしかセーブルの持つ兵力だけでは守り切れなくなるだろう。ロードレイクや、レルカーの二の舞いになってしまう。
力だけを求める、ゴドウィンの非道さを知るカイルは「そうなる前に解決しなきゃですね」とダインの肩を叩いて励ました。
「ええ、その為にも山賊の根城に行き、真実を確かめなければ。殿下がセーブルで辛い目にあうのも、セーブルの人たちが殿下を貶すのも、私は見たくありませんから」
心から言うダインに、カイルは深く頷いた。
「お帰りなさいませ、カイル様。ダイン様」
屋敷に入るなり広間にいたリオンは、長巻を手に出迎えてくれた。長巻を腰帯に差し、カイルの両手を塞がらせている、荷物の片方を取る。
二人はダインと案内されていた部屋へと向かった。
「すいません。お二人だけで買い出しに行ってもらって」
荷物を置き、リオンが頭を下げた。
「本当はわたしも手伝うべきだったんでしょうけど……」
「リオンちゃんが気にする事ないよー。セーブルは今ピリピリしているからね。ぞろぞろ出歩くのは反って良くないよ」
揃いも揃って冷たかった店での接客を思い出し、カイルは苦笑いを浮かべる。
「口惜しいですが、殿下を好意的に見る人間があまりに少ないのが現状です。あまり無闇に出ればカイル殿の言う通り、いらぬ争いが生まれるでしょう」
ダインが悔しさを滲ませながら言った。
「心無いことで殿下を傷つけてしまったことは、申し開きもありません。これ以上がないよう、力を尽くさせていただきます」
実直なダインの決意に、カイルとリオンは目をあわせる。そして、どう答えるべきなのか、考え倦ねた。
尤も悪い存在がいるのなら、それはダインでもボズでも、セーブルの住民でもない。セーブルを荒らした山賊なのだ。何を考えているのか、よりにもよって、王子として名乗りを上げ、ティーを貶めている。
ティーを大事にしているカイルにとって、彼の名誉を傷つけ汚すのは許されることではなかった。
「わたし、悔しいです」
ダインが部屋を出ていった後、リオンは唇を噛み締め、差していた長巻に触れた。
「王子は姫様やソルファレナを取り戻そうと頑張っているのに、どうしてそれを邪魔するんでしょうか」
「リオンちゃん……」
怒りに震えるリオンを宥めるように、カイルは優しく笑いかけた。
「リオンちゃんの気持ちも分かるよ。けど、平常心を無くしたらどうにもならないよ。そうでしょう?」
「カイル様……」
「落ち着いて。まずは目の前のことを考えよう。早く山賊をぶっ飛ばしてティー様の濡れ衣を晴らす。今はそれが先決だ」
片目を瞑り明るく戯けるカイルに、リオンは「はい!」と笑った。
「そうですよね。早く濡れ衣を晴らさないと。もしフェリド様がいましたら、申し訳が立ちませんから」
カイルは目を見開いて、リオンを見つめた。いきなり口を噤むカイルに、リオンは首を捻る。
無理矢理カイルは笑い、「そう言えばティー様は?」と誤魔化すように訊ねる。かなり無理がある話題の転換だったが、リオンは全く疑わずに答えた。
「まだ部屋に入ったきりなんです。サイアリーズ様がついておられるんですが……」
「そう。じゃあ、オレちょっと様子見てくるよ。心配だし」
そう言って、カイルはリオンを部屋に残したまま、そそくさと部屋を出た。
閉じた扉に背もたれ、カイルは、はぁ、と溜め息を吐き、ずるずるずり落ち座り込んだ。
リオンの中で、フェリドは他よりも比重が高い、とカイルは思う。幼い頃救われた恩があるからか。それとももっと深い感情があるのか、カイルには分からない。だが、何よりもフェリドの言葉を忠実に守ろうとしているのは見てとれた。
『わたしはっ、わたしは! 王子の護衛なんです! 王子を守ってくれと、フェリド様から仰せつかっているんです! その邪魔をすることは誰であっても許しません!!』
ラフトフリートでドルフと鉢合わせした際、リオンが言っていた言葉。それはまるで、フェリドの命だからティーの護衛をしている、という風にも取れた。ティーもそうだったんだろう。あの時、とても寂しそうな顔をしていた。彼女はティーを見ているようで、見ていない。目に映すのはその向こうにある、フェリドの面影。
カイルは立ち上がり、ティーがいる部屋の前まで来た。かける言葉も見つからず、そっと扉を開いて中を覗く。
ティーは窓際で椅子に座り、外を眺めていた。直ぐ傍でサイアリーズが付き添っている。お互い言葉はなかったが、入り難い雰囲気があった。
ティーの横顔を眺め、カイルは静かに扉を閉める。
重症だ。
人の悪意に敏感なティーが、セーブルに来てから起った一連の出来事を気にしない訳がない。ぱっと見ただけでも、傷付いているのが分かった。
かけたい言葉が見つからない。女性を口説く時は滑らかに動く唇も、ティーが相手では途端に吃ってしまいそうだ。
シグレだったら、どんな言葉を言うんだろう。どんな風に接して、慰めるのか。
ティーは、シグレが来たら容易く笑ってしまうんだろうか。
どうしようもないことを考えてしまい、カイルは自己嫌悪に陥った。ここにいない人物を引き合いに出しても、答えは出ない。自分の頭を叩いて、浅はかな考えを戒めた。
カイルはこれからやるべきことを反芻する。乱稜山へ登り、山賊の根城を叩く。そして、ティーの偽者を倒して、濡れ衣を晴らす。山には、魔物も出るから、しっかり準備しておかなければ。
「――よしっ」
頬を叩いて気合いを入れ、カイルはリオンがいる部屋へと引き返した。彼女に対する気持ちも落ち着いている。動揺している暇なんてない。
そう言えば、シグレがついてこないのは意外だった、とカイルは思う。
レルカーから帰った直後に今回の騒動を聞かされたティーの、衝撃は想像に難くない。それに発熱は治まっているが、体調はまだ万全ではないのだ。
心身共に弱っているティーを、シグレは放っておかないだろう。カイルは同伴を覚悟していた。だが、実際はメンバーから外れ、他の仕事につかされている。恐らく、ルクレティアに呼び出されたことと関係があるんだろうか。
底知れぬ笑みをする軍師を思い出し、ありえるかも、とカイルは納得する。ルクレティアならどんなに睨まれたって、涼しい顔で無茶な仕事を頼んでしまいそうだ。
それに、彼女にはどんなことにも見通しているような鋭さもあるから。
カイルの考えていた通り、ルクレティアは机を挟んで向いに立つシグレを涼やかな笑みで見ていた。シグレは傍目からも苛立っていることが分かるが、歯牙にもかけない。
「……あんた、分かっててやってるんだろう」
「何をです?」
「俺がティエンと行動出来ないよう仕組んでる」
「分かっちゃいましたか」
悪びれもせず、ルクレティアはあっさり認めた。シグレは呆然とルクレティアを見る。小憎らしい表情に気持ちが昂り、手を握りしめると机を叩きかけ――止めた。
そっと息を吐き、拳を解く。
「……ビーバーロッジに向かう時とセーブル。あれだけ露骨に呼び出されたりしたら、気付ねえほうがおかしいだろ」
シグレはどっちにもついていくつもりだった。
わざわざ王家を憎んでいるトーマを連れていく時も。疲れているくせに身の潔白を証明しようと、山向こうにあるセーブルへ向かう時も。
だが、ルクレティアがシグレの邪魔をする。ティーの傍にいようとする考えを見越して、先手を打ってきた。ついていこうと名乗りをあげる前に、ルクレティアはシグレに任務を出してくる。
「わたし、どっちかと言うとカイル殿の味方なんですよ」
ルクレティアは羽扇を持ち、ゆるりと宙を扇いだ。そして口元を隠し、目を細めて笑う。
「貴方の気持ちも分からないでもないですし、実際、王子殿下にそれを強いるのはかなりの負担になるでしょうね」
「だったら」
「それでも、王子殿下には強くなっていただかないと困るんです」
おっとりとした雰囲気とは裏腹に、ルクレティアの眼差しは強く、シグレは飲み込まれそうになる。圧倒され、思わず身を引いた。
「あの人の肩にはこれからのファレナがどうなるかがかかっているんです。ハイティエンラン軍が勝てば良い方向へ、もし負けてしまったら悪い方へ傾きます。負ける訳にはいかないんです。もし王子が弱いままでいたら、いつか責任の重さに潰れてしまう日が来るでしょう。……貴方は、それでいいんですか?」
「……良くねえよ」
シグレは弱く頭を振る。ティーの心が潰れて壊れ、何も映さなくなる。考えるだけで恐ろしくなる。
あんな顔を見るのはもう。
「……確かにあんたの言う通りだろうさ。だけどな、俺はティエンが傷付くのは見たくないんだよ」
小さい頃からずっと傷付き、痛みに耐えてきた繊細な心。さらに傷付き苦しめるのは忍びない。
苦々しく呟くシグレだが、ルクレティアは調子を変えない。
「ええ、貴方はそう言うと思ってました。だから、貴方と王子を一緒にしないようにしたんです」
「……ヤな女だな、あんた」
「それはどうも」
精一杯の嫌みを、ルクレティアは笑って返した。
「と言う訳で頼んだ仕事の方、よろしくお願いしますね。恐らくはゴドウィン領にいると思いますから気をつけて。捕まったりしたら、貴方も処刑されちゃいますから」
「……本当にヤな女だ、あんた」
ルクレティアはにっこり笑う。
「セーブルから王子が戻る前には帰ってきてくださいね。貴方がいないと、淋しがるでしょうから」
「…………」
誰が、とは聞かず、シグレは無言で踵を返し部屋を出ていった。荒々しい足音は、防音の効いている部屋だとすぐに小さくなり、聞こえなくなる。
ふう、と息をつきルクレティアは羽扇を机に置いた。椅子に凭れ、遠く何処かを見つめる。
「……貴方の場合、心配でもあるんですよ。守らなければならないものが沢山あれば、それ程弱みを抱えることになる」
ルクレティアはそっと目を伏せ、呟いた。
「貴方は自分で自分を卑下しすぎなんですよ。――可哀想なぐらいにね」
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07/03/05
07/03/06 文章追加
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