「----ずっと小さい頃から、身に染みて分かっていたんだ。僕が何かを望んだら、それだけで周りに荒波を立ててしまうって」

 指先で涙で泣き腫らした目に触れ、シグレに長い話をし終えたティーは、切なそうに洟を啜った。
 王位継承権を持たない王子と言う立場。祖母----先代の陛下が意図せぬ時に生まれてしまった子。他にもそう思う理由は色々あるけれど、そう決めたのは、自分を大切にしていた人たちを悲しませたくなかったからだ。自分のせいで悲しい顔をさせてしまったら、こっちもすごく悲しくなる。
 だから、一人でいる事を選んだ。

「でもカイルが目の前に現れて、一緒に過ごすようになってから、そう思う気持ちがどんどん薄くなっていってしまったんだ」

 カイルが壊してしまった世界に、ティーが恐れているものはなくどこまでも広くて、とても心地よく感じた。最初は一歩を踏み込む事さえ怖かったけど、飛び込んでしまえばそこは色鮮やかに輝いてうつくしく、ティーの胸を強くうち続ける。

「うれしかった、すごく。----でも」

 もう今までのように思えない。
 一度は収まった涙が、またティーの目から大粒の粒となって出てくる。鼻が詰まり、ぐちぐちと啜りながら息を苦し気に吸い込んだ。
 どれだけ泣いたら、収まるのか。

「もう、だめなんだ」

 一気に言葉を吐き出して、ティーは顔を手で覆った。

「カイルが正式な女王騎士になるって決った時、カイルすごく喜んでいたけど、僕は全然嬉しくなかった」

 今までは殆どずっと、一緒だったのに。護衛から外れてしまうと、もう今みたいにいられなくなるから。例えいる場所は同じだとしても、隣にいないだけで、ずっと遠くに行ってしまいそうな気がして、耐え難い寂しさに押しつぶされてしまいそうだった。

「ずっとカイルは側にいるんだって、思ってしまった」

 出会った時から生意気な口ばかり叩いて、接触さえ拒んできた自分を見捨てずに、いつも笑っていてくれた。怒ってくれるのも、悲しんでくれるのも自分の為で、それがどれだけ嬉しかっただなんて、多分誰にも分からないだろう。
 だから、いつも自然にカイルが側にいる。それが当たり前だと思ってしまった。現実はそうじゃないと、決りきっているのに。

「バカだ」
「ティエン……」

 じっと黙ってティーの話を聞いていたシグレは、震える肩に胸を痛めた。自身を痛めつけ、自分が来るまでずっと泣いていたのかと思うと、余計に。
 そっと指先で自分の羽織の肩に触れる。濡れた名残りはまだそこにあって、どれほど想いを押さえ込んだのかを如実に伝えてきている。
 まだ年端もいかない子供が、どうして追い詰められなければならない。じわりと、ファレナに巣食う闇が、ティーの足枷になっている気がして、いら立ちが沸き上がった。
 たとえ王位継承権がなかろうが、どうだろうが好きにすればいいのに。きっとフェリドやアルシュタートもそう望んでいるだろう。

「……別に好きだって言えばいいだろ。あの金髪だって」
「駄目だ」

 シグレの言葉を恐れるように、ティーは覆っていた掌から顔を上げ、自嘲的に笑う。

「僕が今望んだら、手放せなくなってしまう。側にいたいって願い続けて、自分の想いを押し付けて、そうしたらカイルを駄目にしてしまいそうで。……もしそうなったら、僕は僕を許せなくなりそうだ」

 病的で、黒い感情。
 こんな汚いもの、カイルに見せたくない、触れさせたくない。
 消さないと。
 ティーは眉を寄せシグレを見ると、羽織の裾を掴んで引いた。
 怪訝な表情でティーを見るシグレに「お願いがあるんだ」とか細い声で願う。

「言ってほしいんだ。僕の気持ちが----間違ってるって」
「……でもお前」
「いいんだ」

 はっきりティーは迷いなく首を横に振った。
 自分は幾らでも苦しんでもいい。慣れているから。でもカイルだけにはどうしても知られたくない。彼には、そのままでいてほしいから。

「----お願い」
「……ティエン」

 間違ってない。
 シグレは言いかけて、止めた。ティーの目がそれを拒んでいたからだ。ただ、自分が望んでいた言葉が紡がれる事だけを待っている。その姿はまるで張り詰めた糸のようで、もし願いを叶えさせなかったら、そのまま呆気無く切れてしまいそうだ。
 どうしてそこまで拒むのか。
 あの金髪も、お前が好きなんだろうに。
 シグレはさっき言えなかった言葉を、口の中で反芻した。
 いつもティーと会って話をしていた場所に、たまたま気が向いてシグレが足を向けた時、そこには背中を丸めて泣いている人影が一つ。それは足音に気付いて振り向き、シグレを見つけるとたちまち涙を溢れさせ、勢い良く立ち上がり抱き着いて泣きじゃくった。
 身体を押され後ろによろめきながらも、シグレはティーのさせるがままにして肩ごしに後ろを見た。
 大方、何処かで走って何処かに行くティーを見つけたのだろう。カイルが太陽宮の壁に隠れるように立っていて、こっちを凝視していた。
 何故ティーが泣いているのか理解出来ない表情で視線を注ぎ、まだ会った事がないシグレを見て眉間に皺を寄せる。
 それは今まで大切に守ってきたものが、横からさらわれてしまった悔しさと苛立ち、それから----嫉妬が混じっていた。
 特別に想わない限り、あんな目はしないだろう。
 他の人間だったらまだ良かっただろう。だが、周りを大事にするあまり、自らを疎かにしてしまうティーが相手なら自覚するのが遅かったかもしれない。
 不器用なティーと、気付くのが遅かったカイル。
 どっちもどっちだ、とシグレは溜め息をつきながらティーを見つめる。

「……そうだな。間違っている」

 ゆっくり望み通りの言葉を告げた。
 カイルの方はどうでもいい。今にも手折られてしまいそうなティーの平穏をシグレは取った。どうかこれ以上、自分を追い詰めないように。

「間違っている」
「----うん」

 自分の気持ちを否定されたのに、ティーは嬉しそうに笑った。心から安堵している表情に、シグレはとても苦しくなり、ティーに手を伸ばすと乱暴に引き寄せ、足掻くように言った。

「でもな、無かった事にはするな」
「………っ!」

 思い掛けない言葉に、ティーの目からまた涙が溢れ、シグレの羽織を濡らしていく。
 ティーは羽織の裾を掴んで、強く瞼を閉じた。
 どうしてこうも僕の周りには優しい人ばかりいるんだろう。途方に暮れるといつも誰かがやってきて、手を差し伸べてくれる。
 そんな人たちを、僕はやっぱり自分のせいで悲しませたくないんだ。
 だからもう、泣くのはこれで最後にしよう。カイルへの想いも断ち切って。
 迷惑、かけたくないから。
 シグレに縋り付いて、ティーはカイルと出会って過ごした日々を思い返しながら泣いた。
 あの頃に戻れたらいいのに。何も知らないあの時に。
 もう叶わない事を願いながら。


06/06/14
最後まで読んでくれてありがとうございました!
蛇足 フェリドとシグレ