「王子って、カイル殿の事が好きなんですねぇ」

 前触れもなく言われて、ティーは口に運びかけていたケーキをフォークごと落とした。
 音を立てテーブルに落ちたフォークを慌てて皿に戻し、真向かいに座る女性へ目を向ける。

「何、いきなり」

 彼女は不審な目を向けられても気にせず、紅茶を一口飲んで「何時来てもすごい本の量ですねぇ」とティーの部屋の感想を述べて笑った。

「誤魔化さないの」
「いやですってばぁ、わたしはただ王子はカイル殿の事が好きなんですねぇって言っただけですってば。そんな怖い顔しないでくださいよぉ」
「……冗談は程々にして、ミアキス」

 痛む顳かみを押え、ティーはいきなり降って涌いた難題に頭を悩ませる。どうにもこの手の人間とは、こっちの調子を狂わされてばかりだ。
 ミアキスはティー達がロードレイクから戻った頃と重なるように、太陽宮にやってきた人間だ。サウロニクスの出身で、幼い頃から竜馬騎兵団の兵士相手に剣の腕を遺憾なく発揮。だが女性は竜馬騎兵団に入れない掟で、その才能を惜しんだクレイグ・ラーデン団長の口添えで女王騎士となる為に遠い地から来た。
 話を聞いただけだと、さぞ勇猛な女性だとティーは思っていた。だが実際は、天真爛漫を地で行くような人間で、初対面の時ティーから離れず抱き着いてミアキスの様子を窺っていたリムスレーアに「お二人ともこうして見るとあるまじろんの親子みたいですねぇ」と言い王族をからかう大物だった。
 リムスレーアは「失礼な奴じゃ」と憤慨していたが、ウマは合うようで短い時間で二人はあっという間に仲良しになっている。度々ミアキスはリムスレーアをからかって遊んでいるようにも見えたが、年相応の反応を返すリムスレーアに、これはこれで良いんじゃないか、とティーを始め家族達は温かく姉妹のような二人を見守っていた。
 だが、こうして矛先が向けられると、こんなに大変なもか良く分かった。
 ティーは内心リムスレーアに謝る。本当の事なんて、実際体験しないと分からないものだ。
 溜め息をつき、ティーは気持ちを切り替えてミアキスに反論を試みる。

「確かに、カイルとは付き合いも長いけど、でもだからって……」
「あらぁ、わたしは仲の良い兄弟のように見えるんですけどぉ。でも良く見れば恋人同士にも見えるかもしれませんねぇ」
「………」

 ああカイル。早く帰ってきて。
 居心地の悪さを紛らわせるように、ティーは無言でケーキを食べた。わざわざ市街に下りて買った、有名店のチーズケーキだったが、味が全然分からず、何となく損をした気持ちで飲み込んでいく。
 打開策を考えてもミアキスは強敵で、本で培ってきた知識は役に立たない。反論しても跳ね返り、予測不能な場所から飛び込んでくるので余計に油断出来ない。
 頻りに扉が開いて、カイルが顔を覗かせるのをティーは横目で待ちわびる。ミアキスはそれを見て、持っていたカップを机に置き、軽く笑った。

「カイル殿だったらきっとまだ姫様に掴まったままですよぉ。王子の事をもっと知りたいらしいですからぁ」
「それだったら僕に直接聞けば……」
「そこが可愛い乙女心なんです。分かってないですねぇ」
「………」

 やっぱりミアキスには叶いそうにない。きっとカイルもリムスレーアに話を強請られて大変だろうな、とティーは思う。
 ロードレイクの件で、色々な認識を改めたリムスレーアは、あれから積極的に兄との交流を望み、ティーを一番知っているカイルから様々な情報を手に入れて、勉強時間の合間を縫って部屋を訪れている。
 カイルがリムスレーアに捕まっている間は、ミアキスがティーの部屋にやってきて、色々聞いてくる。だからって、何でも言える訳ではないが、とティーは深く突っ込んでくる質問に、頬を引き攣らせる事も多かった。
 最後まで味の分からなかったチーズケーキを食べきり、ティーはこれからどうしようかと迷う。
 こんな時、カイルだったら困りきった様子に話を変えてくれるんだろうけど。

「----今、カイル殿の事を考えていたでしょう?」

 図星を突かれ、吃驚した肩は跳ね上がる。驚いて顔を真っ赤にしたティーを可愛らしく見つめ、ミアキスは楽しそうに笑った。

「やっぱりぃ」
「な、なんで分かるの」
「だってすごく良い表情するんですもの、こっちが当てられるぐらいに」

 頬を熱くさせるティーに、ミアキスは止めを刺した。

「王子は、カイル殿が好きなんですね」



「……そんな事を言われてもこっちが困るよ」
「……」

 ようやくミアキスから解放されたティーは、シグレが太陽宮に来ている合図代わりのネズミの姿を見つけ、彼に会いに行っていた。太陽宮の裏庭。一見しただけでは見分けがつきにくい建物の影で、二人は並んで座る。
 ティーは膝を抱えてミアキスの文句を言い、シグレは半分寝そべって黙って聞いている。手持ちぶたさに煙が目立つ為、吸えない煙管を所在なげに弄んでいる。

「確かに付き合いは長いからさ、それなりに仲は良いと思うよ。でもミアキスのはちょっと言い過ぎだと思うんだよね」
「……」
「カイルは……、誰にだって優しいし。特に女の人」
「……」
「この前だってね、新しく入った女官の人を口説いていたんだから。叔母上とだって良く話しているみたいだし!」
「……話がずれてるぞ」

 ミアキスの文句の筈が、カイルの女癖の悪さへ話が変わり、怒るティーにシグレは冷静に突っ込んだ。

「大体、そんなにあの金髪が気になるなら、捜しに行けば良いだろ。俺と話してないで」

 シグレの指摘に、ティーは急に落ち込み膝頭に顔を埋める。

「カイルは多分打ち合わせに言ってると思うよ。もうすぐ正式な女王騎士になるから」

 ロードレイクでティーとリムスレーアの窮地を救った功績として、カイルは正式な、リオンは見習いとして女王騎士に任命される。それを良しとせず、口うるさい貴族もいたが、フェリドの一睨みで黙らせた。
 長年見習いをしてきたカイルには、喜ばしい事だろう。名実共に、カイルは女王騎士に相応しいとティーは思っていた。
 だが、同時に燻る思いが胸を焦がす。
 表情が曇り暗くなるティーに、シグレは身体を起こして胡座をかくと「どうした」と尋ねた。

「随分しょぼくれてるな。嬉しくないのかよ」
「う、嬉しいよ」

 慌てて言い繕うティーの声は、言葉とは裏腹に気落ちしていた。

「僕の護衛から外れてしまうけれど、でも太陽宮にいる事は変わりないし、これからはリオンが護衛に着いてくれるから」

 無理に明るいティーに、痛まし気に口を歪ませシグレは俯きがちに溜め息を着いた。

「……ま、お前がそう言うなら良いけどよ」

 言いながら立ち上がり、羽織の汚れを払い落とすシグレを、ティーは残念そうに見上げた。

「もう行くの?」
「仕事が溜まってるんだよ。あのおっさんが次から次に引き受けやがるから」
「……そっか」

 ぼやくシグレを、それでもティーは引き止めようとしない。こっちから無理を言って会ってもらっているのだから。

「気をつけて。また今度」
「……」

 笑って手を振り送るティーを、シグレは痛まし気に見遣りぽつりと呟いた。

「……あんまり、無理するなよ」
「え----?」

 何の事かティーが尋ねる前に、シグレはあっという間に風に巻かれて遠ざかってしまう。見えなくなった姿に「もう」と肩を竦め、ティーは空を見上げた。
 良く晴れた青い空に、漂う白い雲。まるであの日の空みたいだ、とティーは掌を太陽に透かすように掲げる。
 ロードレイクでウルスにやられ、動かない身体を抱き上げたカイルは、自分が目覚めた時「オレは貴方の護衛ですから」と手を握りしめて言ってくれた。
 それがどんなに嬉しかったか。今でもちゃんと覚えている。
 カイルが来てくれてから、ずっと感じていた寂しさが薄れていくのが分かった。同時に、心を占めるカイルの割合が大きくなっていくのも。
 カイルが笑ってくれるなら笑えるし、カイルにとって嬉しい事は、自分にとっても嬉しい筈なのに。

「……何でだろ」

 カイルが女王騎士になるのが、全然嬉しくない。
 不意に潤んだ目の前に、ティーは空に翳した掌を瞼の上に落とす。



 ついでだと、詰め所で女王騎士見習いになるリオンと並び、女王騎士の心構えを改めて聞かされ、カイルは凝り固まった肩を回して解しながら、円卓の席に着いた。何時だって難しい話は眠たくなるもので、真面目に聞くリオンを余所に何度も寝かけたカイルは、その度にフェリドに起こされていた。
 うんざりと、カイルはリオンと話しているフェリドに言う。

「もう少し簡潔にしましょうよー、話すの!」
「何を言う」

 話を聞いただけで疲れきっているカイルに、フェリドは呆れ顔で溜め息をつき、首を掻いて睨んだ。

「女王騎士にとっては必要な教養だぞ」
「でも、やる事は決っているじゃないですか」

 身体を捻り、カイルはリオンを見て続ける。

「女王とその御家族を守れればいいんです。ねーリオンちゃん」
「……はい、わたしもそう思います」

 お互いの言葉に満足し、カイルとリオンは同時に笑う。それを見て降参したようにフェリドは首を掻いていた手を額に当て、天を仰いだ。

「全くお前たちには叶わんな」
「あれっ、ようやく分かりましたか」

 したり顔でカイルは笑う。「調子に乗るな」とフェリドは窘め、入ってきた頃とあまり成長しないように見える性格に頭を痛めた。
 お調子者の一面が強いように見えるカイルだが、女王騎士の性質は誰よりも強く思える。きっとこれからもファレナを守る剣として、存分に腕を振ってくれるだろう。

「……忙しくて疲れるのは分かるが、お前たちの為なんだぞ」

 フェリドは、カイルの首根を掴んで立たせる。引っ張られて首が締ったカイルは、苦し気に「フェリド様苦しい」と呻いた。

「ほら、次は鎧の採寸だ。職人を呼んであるからさっさと測れ。叙任式までに作らなければならないんだからな」
「わっ、分かりましたから離してくださいって!」

 喧嘩をしても、仲の良さそうな兄弟のように見えるカイルとフェリドに、リオンが小さく笑みを零す。そのまま二人の後を追い掛け、薄く開かれた扉の向こうにいるティーを見つけた。
 廊下で詰め所に入ろうかどうか迷っているティーは、様子を窺いながら躊躇しているようだった。

「王子?」

 リオンの呼び掛けにカイルも振り向き「ティー様!」と笑って手を振った。
 いつもだったら大声で言わなくても聞こえてる、と言いながらも入ってきたティーは、何故か今日は顔を赤くすると、そのまま走って消えてしまう。
 カイルはきょとんと首を傾げた。

「……どうしたんですかね」

 相手にされず、虚しく下ろした手を腰に当て、何故ティーが逃げたか考えるが、カイルには思い浮かばない。また貴族か誰かに、嫌な事を言われたのだろうか。
 考え込むカイルの横で、フェリドは神妙に開いたままの扉を見つめる。

「……フェリド様?」

 不思議そうにリオンがフェリドを見上げた。不安な目に、フェリドは安心させるように笑いかけ「行くか」と小さな背を軽く押す。


 慌ただしく足音を立て自室に戻ったティーは、逃げ出してしまった後ろめたさに、扉を背にしてその場にずり落ちる。
 疚しい事などないのに、カイルの声を聞いた途端熱くなった顔を隠したくて立ち去ってしまった。フェリドやリオンがいる中で、そうなった理由を問いただされたくないのもあるかもしれない。
 無理だ。到底答えられない。
 ティーは熱い自分の頬に、掌を押し当てた。
 たかが名前を呼ばれただけでこうなるなんて、いくら何でもこれは自意識過剰だろう。ミアキスがあんな事を言うからだ。
 カイルの事が好き、だなんて。それさえ聞かなければ、ほぼ毎日している事に異常な反応を示さずに済んだ。
 確かにカイルは嫌いじゃない。女癖の悪さを除けば、真直ぐで優しくて、頼りがいがある。護衛としては申し分ない。
 じゃあ好きなのか、と聞かれたら。

「……」

 ティーは唇をぎゅっと苦しそうに窄めた。
 ロードレイクで握りしめた手の温もりと、胸の裡に生まれていた想いが同時に蘇り、心臓の下が締め付けられるように苦しくなる。
 それは口さがない陰口を叩かれ、じっと我慢する時に感じていた久しい痛みと似ている。だが、今の方が昔よりずっと苦しい。
 まるで心が千切れてしまいそうな痛みに、ティーはそこを掌で押え、緩く首を振る。

「……ちがう」

 小さく呟き、顔を上げたティーは部屋を見回した。そこは相変わらず本で埋もれているように見えて、あまり昔と変わらなかったが、何故か酷く置いてきぼりにされてしまったような気がした。


06/06/12
06/06/13 文章追加