「僕、人を呼んで来ます。二人だけじゃ到底終わりそうにありませんから」
「あ、ティー---------」
「失礼します」
制止も聞かず、これ以上いたくないと言わんばかりに部屋を出ていったティーに、サイアリーズは悪びれもなく「仕方ないか」と肩を竦めた。
「あの子はあんまり他人といようとしないから、いきなり護衛をつけられて面喰らってるみたいだし」
「まだ会って二日目ですから、しょうがないですよ。でも、これ位でめげてちゃ駄目なんですよね」
信頼が欲しいのなら、上辺だけの付き合いだけでは駄目だろう。怒られたっていい、逃げられても追い掛けていけばいい。こっちが心を開いて接していかないと。
サイアリーズがカイルを見て、意地悪そうに訪ねる。
「で、どうするんだい。案外人を呼ぼうとして逃げているかもしれないよ、ティーは」
「その時はその時。捜しに行きます」
あー、でも少しはちゃんと片付けないとそれはそれで怒られそうですけどね。
笑って、カイルは本の背表紙を乱暴に掴みかけ、ティーに怒られた事を思い出すと動きを止めて、そっと包むように持ち直す。
ティーの気持ちを考えて行動するカイルに、サイアリーズは安堵したように微笑んだ。
「……義兄上があんたを連れてきたのは正解だったみたいだね」
「え?」
カイルが振り向き首を傾げると、サイアリーズはさっきまでの飄々とした雰囲気を消し、真剣な眼差しを帯びた。
「カイル、あんたに聞いておいてほしい事がある」
リムスレーアのティーを否定する言葉に、カイルは声の震えを抑えられなかった。嘘であってほしいと願いながら、尋ねる。
「……それは、本気で言っているんですか?」
「そうじゃ、皆そう言うておるぞ」
「………っ」
泣きたくなる。
どんなに守ろうとしても、どこからか忍び込む毒が、ティーを蝕んでいく。見えない刃が、無垢な心を傷つけて、血を流させる。
小さな子供を陥れる為だけに、妹のリムスレーアにまで口さがない言葉を聞かせ続けて。
太陽宮に潜む闇が、色濃くカイルの目に映った。
「あの子だって、好きで閉じこもろうとしたんじゃないんだ。確かに嫌な貴族のやっかみもあったけど、それでもあそこまで人を拒絶しようとはしなかった」
最早世界の総てになってしまったような、本に埋もれた部屋を見渡し、サイアリーズは悔し気に唇を噛んだ。
カイルは話が見えず、黙って耳を傾ける。
何かを考え込むように腕を組み、俯いたサイアリーズは苦し気に呟いた。
「あたしは、ティーが産まれてきて嬉しかった。大好きな姉上が、好きな人との間に産まれた子で、あたしも大好きだから」
目を伏せ、悲しく続ける。
「でもあの女、----あたしと姉上の母親は違っていたんだよ」
「……何がです?」
「ティーはね、闘神祭の前に産まれたんだ。そうしたら姉上の闘神祭が出来なくなるんじゃないかって、自分が女王になれないんじゃないかって、ずっとあの女は思っていたんだよ。その原因はティーだと決め付けて、逆恨みしたんだ。腫物を触るみたいに扱って、いつも口汚く罵ってた」
「……そんな」
先代の女王の時、熾烈な王位継承権争いがあった事を、カイルは知っていた。近年稀に見る血を血で流すいざこざが耐えなかったとは聞いていたが、それでティーを恨むのはお門違いだろう。ただ、産まれてきただけなのに。
「それはずっと続いて、日を追うごとにあの女の恨みは強くなっていったよ。そこに王位継承争いが激しくなってさ、毎日のように人が暗殺されていった。……そこにつけ込んで、あの女が何をしたと思う?」
サイアリーズが言わんとしている事が分かってしまい、カイルは愕然とした。いくらなんでもそれは、あまりにも酷い仕打ちだ。
「まさか」と震える瞳で問いかけると、サイアリーズは忌々しいように頷く。
「殺そうとしたんだよ。王位継承権のごたごたにつけこんで、暗殺者をまだ小さな子供に」
「………」
守りたいと思った。
サイアリーズから話を聞いたからではなくて、男の王族だと言うだけで疎まれているからじゃなくて。
ただ訳もなくひたすらに、思った。
初めてティーの部屋の扉を潜った時、誰かの為に感情を押し殺す背中を。
だけど日々を過ごしていくうちにそれは緩んで、目先で笑うティーの笑顔に安心していた。心の内側では何時どこで傷付いていたか、ティーは絶対に言おうとしないのに。聞きもしないで、笑う姿に安堵していた。
こんなの、全然守るとは言えない。
カイルを見上げていたリムスレーアが、わずかに目を見張った。
「……何故お主が泣くのじゃ」
泣く?
カイルは指を自分の頬に滑らせ、濡れた指先を目の前に持っていった。震える手を握りしめ、きつく瞼を閉じる。
「何故お主が泣くのじゃ」
それは悲しいからだ。産まれ落ちた時から、ずっと太陽宮に潜む闇に当てられ続けたティーが、今もこうして誰かに傷つけられている事が。
それを守ってやれない自分が、情けなくて、莫迦だと思う。
誰よりも知っていたと思っていたのに、全然気付いてやれやしない。
守りたいのに。
「……姫様は本当にそう思っているんですか?」
「……何をじゃ」
「ちゃんとティー様を知って、自分の言葉で今まで向き合いましたか。他人に言われたからじゃなくて」
虚を突かれ、リムスレーアは言葉に詰まりかっと顔を赤くする。自分の考えを否定された怒りで震える指をカイルに突き付ける。
「なっ、何を言う! わらわはっ……!」
「自分で、知ろうとは思わなかったんですか?」
自分に言い聞かせるようにカイルは言った。
これは戒めだ。ちゃんとティーと向き合う為にしなきゃいけないのは自分だってそうだ。
ティーが心から笑えるように、今自分はいたいと思いたい。その為だったら不敬だろうが、何だろうが処分されても構わなかった。
「ちゃんとティー様を、知ろうとしましたか?」
涙を拭い、カイルはリムスレーアとの間を阻もうとする女官を鋭く睨んで押さえ付け、そのまま視線をリムスレーアに向ける。見えない矢で射られる強さに、リムスレーアは怯んで一歩後ずさった。
ティーがリムスレーアを大切にしたい気持ちは分かる。たった一人の妹なのだから。
だが同様に、カイルもティーを守りたかった、例え他の誰かを傷つける事になろうとも。
自分はティーの護衛、なのだから。
「本当のことも知らないのに、ティー様をそんな風に言わないでください……!」
言いたい事を言って、カイルは怒るリムスレーアをそのままに部屋を出た。
扉を背にして、溜め息をつく。王女相手に口喧嘩なんて、不敬もいいところだが、不思議と心はすっきりしていた。今まで言えなかった事が、言葉に出来たからだろうか。
どちらにせよ、このままではもうリムスレーアの護衛など出来ない。正直気は進まないが、フェリドの事の次第を白状して、他の人間に変わってもらうよう頼もう。
親ばかなフェリドの事だ、さぞ五月蝿いだろう。気を重くしながら歩こうとして、カイルは壁に凭れている人影を見つけて目を丸くした。
「----よう」
「フェリド様……」
捜そうと思っていた人物を目の前にして、カイルは驚く。呆然と立ち尽くしていると「何だ、その顔は」とフェリドは軽く笑い、弾みをつけるように壁から離れる。
「随分派手にやったな」
「派手……?」
「あっ」と声を上げたカイルは、壁の向こうから聞こえた苛立つリムスレーアの声に、フェリドの言葉の意図を理解した。
「フェリド様、謀りましたね」
大方、フェリドは自分とリムスレーアが衝突すると見越していたのだろう。そうじゃなければ、子供を泣かせた奴を許そうとしない男が、こんなに穏やかである訳がない。
あっさり嵌められた苦渋に、カイルは顔を顰めた。それを見て、フェリドは悪びれもなく笑い踵を返す。
「どうしてこんな事をするんですか。回りくどい」
追い掛けながらカイルは反論する。わざわざ喧嘩をするよう仕向けなくても、フェリドなら、もっと上手い方法があるだろうに。
フェリドは答えずそのまま歩き、鍵が開きっぱなしのティーの部屋に入った。さっきまで部屋の持ち主がいた痕跡の、寝台に置かれた本を持ち、珍しく嘲笑を漏らす。
「……俺は悔しい事に、ティーが産まれるところを立ち会えなかった。アルと別れ、ここで再開した時もうティーは一歳になってたんだぞ」
「太陽宮で産まれたんじゃないんですか?」
「あそこでは、とてもじゃないが産めなかったそうだ。先代が産む事すら反対していたからな。下手をすれば堕ろされていたらしい。そこをロヴェレ卿が助けてくれたからこそ、今ティーはこうして生きていてくれる」
ロヴェレの存在がなかったら、ティーはこの世に産まれてすらなかった。
そう思うと、それは命の恩人にも等しい。
「ティー様がロヴェレ卿をあんなに慕っていたのは……」
「ああ」とフェリドは頷いた。持っていた本を本棚に返し、遠い目で窓から見える景色を見つめる。
「だが、産まれてからもごたごたが続いてな、ティーをあまり構ってやれなかった。ずっと寂しい思いをさせ続けていたのに、あいつはそれを出そうともしないで。出来た子だが、もう少し……」
言いかけフェリドは口を閉じると、ゆっくり首を横に振る。
「これ以上言っても、言い訳にしかならんな」
「……いえ」
カイルがフェリドに反論する理由はなかった。王位継承権でごたついていた頃の太陽宮は、今の比ではないぐらいに緊迫していただろうし、アルシュタートが即位してからは、アーメスとの戦やその後の復興に手を焼かされている事を良く知っているから。
「どちらにせよ、今までティーの面倒を見てやれなかったのは事実。そんな奴がリムを諭そうとしても意味はあるまい、だが」
フェリドはカイルを悔し気に、でも羨ましそうに見つめた。
「太陽宮に来てから、ずっとティーの側にいたお前なら、あるいは、と思ってな」
「あ……」
「一番ティーの近くにいて、間違いをちゃんと正せるお前みたいな奴こそが言ってこそ、重みがあるんだ」
なんてすごいんだろう。言い様のない感情に胸を突かれ、カイルは「いいえ」と慌てて首を横に振った。
やっぱりフェリドは凄い。自分が振り返ってやれなかった事、今出来ない事をあっさり認め、でも自棄にならず、少しでも良い方向へ事態を進ませようとする。
リムスレーアを前に感情を爆発し、溜めていた気持ちを吐露する自分とは大違いだ。
「フェリド様だって、十分凄いです。じゃなかったら、ティー様はあんないい子に育ちませんよ。だって子供は親を見て育つって言うじゃないですか。だからフェリド様だって自信を持っていいんですよ」
ティーの父親がフェリドで本当に良かった。心から思い、カイルは笑う。
満面の笑みに降参したように、フェリドも笑って呟いた。
「本当にお前を選んで良かったよ、カイル」
玄関の方向から聞こえる騒がしい物音に、ロヴェレから借りた一室で仕事をしていたカイルとフェリドは顔を上げて不思議そうに見合わせる。
「ティー様達ですかね」
「それにしては様子がおかしいが」
確かにティー達なら、そんなに騒がしく入ってこないだろうし、だんだん近づいてくる音は一人分の足音だ。
扉を開く音、足音と二つの音が交互に繰り返され、慌てて何かを捜しているような感じに、二人の顔色は不安なものへと変わっていく。
尋常じゃない様子に、部屋を出ると丁度廊下を走ってきたリオンが、青ざめた表情で見つけたフェリドに取りすがる。
「リオン、どうしたんだ一体」
「大変なんです……っ!」
切羽詰まった瞳にカイルの不安は煽られた。
出かけた時、確かに一緒だったティーが、いない。
「王子が……っ、姫様を追い掛けて森にっ!」
予想だにしなかった事態に、空気が凍り付いた。
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06/06/08
06/06/10 文章追加
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