ティー達を手を振って見送ったカイルは、二人の姿が消えると同時に笑みを引っ込め、重く溜め息をついた。
分かっている。リムスレーアの護衛はフェリドの、女王騎士長としての命だから、それを拒む事は出来ない。それがやりたくない任務だったとしても。
リムスレーアと二人きりだったらまだ良いが、あの女官と一緒だ。あの場でティーが如何に妹思いの優しい兄だと、誤解を無くす努力を見せようとしたらすぐに邪魔をしてくるだろう。
でも姫様がティー様をどう思っているのか、聞けるチャンスでもあるんだよな。
嫌っている根本を突き止めれば、ソルファレナに戻ってからでも仲直り出来る方法が見付かるかもしれない。
正直、女官と同じ空間にいるのは嫌だが、ティーの為だ。我慢してでも行くしかないだろう。
カイルは腹を決める。手を小さく握りこみ、気合いを入れて中に戻ると、ティーの部屋に行く前予め教えてもらっていたリムスレーアの部屋へと向かった。どんな会話を交わそうか何度もシュミレーションを重ね、辿り着いてからも扉の前で熟考する。
口元に手をやり、転がすように言葉を呟きながら、ようやくカイルは意を決した。
扉の向こうにはリムスレーアがいる。気を引き締めてかからないと。
行くぞ。
カイルは軽くノックをして「失礼します」と中に入った。
ティーの部屋に良く似た構造の部屋の中、バルコニーに通じる硝子扉の近くで、リムスレーアは椅子に座って景色を眺めていた。なるべく自然な風を目指して笑うカイルを見て眼を見張り、薄く開いていた唇をきつく横に引き結ぶ。
「何の用じゃ」
「フェリド様からの命で、ロードレイクにいる間は姫様の護衛をせよ、と言われまして」
「父上が……」
潜まる声の調子からして、どうやらリムスレーアはカイルが護衛に来るとは知らなかったようだった。居畳まれない空気が流れ、居心地のいい筈のロードレイクの空気が刺々しい針になって全身を刺すような窮屈さをカイルに齎す。
笑みを強張らせながら、フェリド様何を考えているんだ、とカイルは内心悪態をついた。こんなんじゃあ会話がままなるのか。ただでさえ、ティーの護衛と言う事でリムスレーアには警戒されているのに。
必死に組み立てたシュミレーションが、音を立てて崩れていく。カイルは気を取り直すように咳払いを一つし、改めて言う。
「と、とにかくフェリド様に頼まれましたのでよろしくお願いしますね」
挨拶をして、リムスレーアに握手を求め、手を差し出した。
「……」
眼を瞬かせ、リムスレーアはカイルの手を見つめるが、すぐについ、と睫毛を伏せて窓の方を向く。
「……よろしく頼むのじゃ」
「はい」
やっぱり一筋縄じゃいかない。握手が叶わなかった手を下げて、カイルは苦笑いをする。それでも言葉を交わしてくれただけマシだろうか。ティーの時は全身で拒否されてしまった事を思えば。
仕方ない。自分に言い聞かせ、カイルは卓の椅子を借り、扉の横に座った。
「じゃあオレはここに座ってますね」
リムスレーアに告げ、カイルは背凭れに体重をかけた。腰にかけた剣を抜きやすい場所に移動させ、何時でも抜けるようにしておく。ないとは思うが、有事に備えておくべきだろう。
女官がちらちらと、無遠慮な視線をカイルに投げかけてくる。明らかに邪魔者扱いの眼だ。
やっぱりな。溜め息を他には聞こえないようについて、腕を組み視線から逃れるように瞼を閉じる。
周りに気を配りながら、ぼんやりティーのことを考えた。
今どこにいるんだろう。ロードレイクに馴染みのないカイルは、どこに何があるか分からない。案内してもらえる時間があれば良いんだけれど。
はしゃいでいるんだろうなあ。転んだりして怪我していないかな。ティー様はあまり運動とか得意じゃないから。いつも本を読んでばかりだし。リオンちゃんがいるから安心出来るけど、やっぱりついていたかった。
ティーと共に居れない不安。一緒にロードレイクを回りたかった無念さ。それにティーを傷つけてほくそ笑む女官への苛つき。様々な感情が混ざりあい、カイルは唇をへの字に歪め、眉間に皺を寄せた。
ティー様に、会いたいな。
ついさっき別れたばかりなのに、立ち上がって会いに行きたい衝動が押し寄せてくる。小憎らしい事を言っても、何度冷たくされても、それが本心じゃないって分かっているから。そんなティーの側にいたいと思うのは、彼の護衛が馴染みすぎて離れたくないからなんだろう。
お気楽な考えに、カイルは思わず不機嫌に歪んだ口元を綻ばせた。眉間の皺も消え、自然と心穏やかになれる。
不思議だ。ティーのことを考えているだけなのに。
「----何を笑っておるのじゃ」
いきなり間近に聞こえた声に、カイルははっとして瞼を開けた。
俯く顔を何時の間に寄ってきたのか、リムスレーアがしゃがみ込み、膝に頬杖をついて覗き込んでいる。
「うわあっ」とカイルが大袈裟に驚いて腰を浮かしよろめくと、リムスレーアは憮然として「このぐらいで驚くでない」と立ち上がり服の裾を叩いて整える。
「わらわは普通に歩いてきたのじゃ。なのに気付かぬとは……。もし不逞の輩が襲ってきたらどうする。そのような有り様ではあっという間にやられてしまうぞ」
ふん、と鼻を鳴らし、腕を組んで睨むリムスレーアに、カイルは「……すいません」と小さくなる。言っている内容は確かにその通りなので、返す言葉もなかった。
まだ何か言われるかも。カイルは、続いて飛んでくるだろう説教に備えて、身を固くする。だがリムスレーアは眉を潜め「なに子供相手に怖がっておるのじゃ」とカイルの行動を理解出来ないように言った。
「いや、まだ何か言われるかと思いまして」
「お主に声をかけなかったわらわも悪いしの」
自分も悪いと迷いなく認め、リムスレーアは笑う。見せる表情はしっかりとしている部分を除けば、年相応の子供のようだった。
思っていたよりもいい反応に、カイルはほっとする反面複雑でもあった。
クワルシェードでリムスレーアがティーに見せた表情は、今とはかけ離れている。心から嫌っているような、きつく厳しい眼で見据えて。
兄妹なのに。
「……お主、確かカイルと言う名じゃったな。アーメスとの戦で、父上の眼に止まったと聞いておる」
探るような問いに、カイルは素直に頷いた。嘘をついたってしょうがないし、また怒られる。
「そうですよ」
「あやつの護衛もその頃からと聞いておるが」
「……はい、そうです」
答えながらもティーを『あやつ』呼ばわりされ、カイルは語尾を悲しそうに弱めた。そう言えば、リムスレーアがティーをそれ以外の呼称で呼んだ事がない、と今更のように思う。
「そうか……」
カイルの些細な変化に気付かず、リムスレーアは指を顎に当てて思案する。難しい顔をする少女に、カイルは首を傾げた。
「姫様?」
「のう、お主」
真直ぐカイルを見据え、リムスレーアは躊躇なく言った。
「どうしてそなた程の者が、あやつの護衛なぞしておる」
放たれた言葉を受け止め損ね、ぴくりとカイルの指が震える。真っ白になった頭は何も考えられず、呆然とリムスレーアを見つめた。
「わらわは知っておる。あやつが産まれる前、母上の腹にいた時から、ずっと苦労をかけてきた事を。父上とて同じ事じゃ。謂れのない事を言われ続け、それは今も続いておる」
まだ幼い口から淀みなく言葉が出るのは、そうなる程に聞かされ続けたせいなのか。
視界の端にも入れたくなかった女官を、カイルは恐る恐る目に入れる。どす黒い、つまらない柵や下らない先入観で雁字搦めになっている目でカイルを見て、口元を歪めて笑った。
リムスレーアが、カイルの服を掴む。焦点の合わない目で見下ろすと、彼女はあっさりと言ってしまった。
「ならば、あやつはおらぬ方が良かったのじゃ。お主も、そう思うじゃろう?」
たった一人の兄を、否定する言葉を。
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06/06/07
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