加減なく引きずられ、カイルは「ひどいひどいー」と恨めしくフェリドを詰る。せっかくの遠出、しかもティーの思い出の地だ。ティーに案内がてら視察もしちゃえばいいじゃないか、と心の中では不満が今にも吹き出しそうだ。その方がフェリドも嬉しいだろう。勿論自分もだけれど。
だがフェリドは、頑としてカイルの言葉を聞こうとしない。そのままカイルを引きずり続け、玄関に続く広間に辿り着いたところでようやく解放された。
床にへたり込み、カイルは苦しさから解放された喉を擦り、荒く呼吸を繰り返す。後もう少し締まっていたら、まともに息が出来なくなっていた。
「何か、何時にもまして意地悪じゃないですかフェリド様! いくら自分がティー様やリオンちゃんや姫様の側にいられないからって!」
睨み上げるカイルに、フェリドは片眉を引き攣らせていう。
「なら今から帰ってもいいんだぞ、カイル。ソルファレナで書類の山とザハーク達が待っている」
「滅相もない」
小さく呟き続けていた文句をぴたりと止め、カイルは元気に立ち上がると大丈夫です、と手を上げる。
「全身全霊を込めてフェリド様の手伝いをしましょう、ええ!」
「……調子のいい奴だ」
フェリドは顳かみを押えて呟き、疲れを振り払うように頭を振る。
「まぁいい。じゃあさっそく仕事を頼もうか」
「オレはフェリド様の付き添いをすればいいんですよね。どこから行くんですか?」
尋ねるカイルに、何故かフェリドは複雑そうな視線を返す。カイルが怪訝に眉を潜めるより早く、思い掛けない言葉がフェリドの口から出てきた。
「お前には、リムの方へ行ってもらおうと思っている」
「えっ?」
空耳かとカイルは聞いた言葉を疑うが、フェリドは御丁寧にも「お前にはリムの方へ行ってほしい」と同じ言葉を言ってくれた。
「どうしてですか。オレはティー様の護衛ですよ」
「リムの護衛は嫌なのか?」
「それは……」
カイルは押し黙る。リムスレーアが嫌いな訳ではない。そうなるとティーが悲しむのは火を見るより明らかだし、何より訳もなく嫌うなんて出来ない。
「いやじゃない、……いやじゃないですけど」
リムスレーアの側にいる女官が嫌なのだ。
ティーを、まるでいらない物のように見る冷たい眼。間違った事を誇張して吹き込ませ、妹に兄を嫌わせ続けて、一人影でほくそ笑む彼女が。
「それじゃあオレが姫様の護衛をしている間、ティー様はどうなんです?」
寂し気に丸くなる背中を思い出し、弾かれるようにカイルは必死の形相でフェリドを見た。元々ティーの護衛なのだから、ここでもそうあるべきだ。
フェリドの首を横に振って答える。
「ここではティーに護衛は必要無い」
「どうしてです!」
「ティーを脅かす人間はここにはいない。だからリムの方へ行け」
「………」
カイルは真意を探るようにフェリドを窺う。そこには、納得いかない怒りも混じっていたが、それに怯まずフェリドは実直にカイルを見つめ返した。
睨み合いが続いたが、真直ぐすぎる視線に先にカイルが折れる。やっぱりフェリドには叶う気がしない。
ささやかな抵抗で軽く溜め息をつき、カイルは両手を上げて降参する。
「分かりました。……行きますよ」
その後広間にやってきたロヴェレに、ティーの居る場所を教えてもらったカイルは、リムスレーアの護衛を任されたと報告する為に、屋敷の一室へと赴いた。
扉をノックすると「どうぞ」と直ぐに聞き慣れた少年の声がする。
中はこじんまりとした部屋だった。寝台に箪笥と本棚の他には余り物がないが、綺麗に手入れをされていてどことなく落ち着ける雰囲気がある。
「もう父上とのお仕事は終わったの?」
思っていた以上に帰りの早いカイルに、寝台の端に座って、リオンと本を読んでいたティーは不思議そうに首を傾げる。
「いや、そう言う訳じゃなくて、その〜」
言葉に迷い、声を詰まらせカイルは、取り繕うように部屋を見渡す。
「そ、そうだロヴェレ卿に聞いたんですけど、ここってティー様の部屋なんですって?」
「うん」
頷くティーに続いて「すごいですよ」とリオンが眼を輝かせる。
「ソルファレナもですけど、ここにも本がたくさんありますし、外からの景色もすごくいいんです!」
「確かにねー」
窓から見える景色はバルコニーから見えるものよりは狭いが、それでも眺めていて飽きない。きっとロヴェレがティーの為に用意したのだろう。
「ロヴェレ卿と御家族のお陰だよ。皆優しくて、こんな良い部屋を用意してくれたから。本も殆ど頂いたものだし」
照れたように言いながら「でもね」とティーは続ける。
「ロードレイクじゃ、結構外に出たりもするんだよ。ほらクワルシェードでも言ってたよね、リオン」
「木いちごのなっている場所ですね」
「そう、森が結構広いから探検もよくして、疲れちゃったらこの寝台で寝てた。その繰り返しで、ロードレイクの地理はよく知ってるよ。森に通じる秘密の道とかね」
「すごいです!」
リオンは手を叩いて、掛け値なしの賛辞を述べる。
「でも、そこまで詳しいだなんて知りませんでした。ロヴェレ卿とも仲がよかったですし、こんなに素敵な部屋まであるなんて……。本当に凄いです、王子」
「そんなことないよ」
やんわりと苦笑するティーの表情が僅かに暗く翳るのを、カイルは見逃さなかった。やっぱりクワルシェードの時を気にしているのだろうか。
ティーは眼を瞑り、翳りを払うように首を振ると、無理矢理明るく笑った。
「そうだ、森に行ってみようか。木いちごのなっている場所に案内してあげるよ」
「本当ですか!?」
嬉しくはしゃぐリオンに眼を細めて笑い、ティーはその表情のままカイルを見る。
「カイルも行く?」
ちくりと胸を針で刺すような痛みが走った。本当だったら直ぐ行きたい、と返事が返せるのに。今日に限って。
「あー……、オレ姫様の護衛をフェリド様から頼まれたんです。今から行くのでティー様達とは一緒に行けません」
すいません、と気まずく頭を下げるカイルに、ティーは「いいよ」と手を伸ばして面を上げさせる。
「行ってきなよ。父上の判断は正しいんだから」
「ティー様……」
「リムはいつか女王になるんだから、僕より優先させるべきだ」
どんなものよりも。
ああ、まただ。何処か卑下をするティーに、けれどカイルは口を出せなかった。慰めようとしても、ティーを傷つけるだけに終わってしまいそうで。
「僕は大丈夫。リオンもいるし」
「はっ、はい!」
ティーに頼りにされ、リオンは声を大にして「お任せください!」と意気込む。
確かに女王騎士見習いになる為に、訓練を怠らないリオンだったら一緒にいて安心かも知れないが、それでもカイルは離れ難かった。
今までも短い時間離れた事はあるのに、こんなにも不安になったのは初めてだ。
どうしてだろう。
考える間もなくティーは言う。
「行ってらっしゃい。もし僕のことで何か言ってきても、何も言わなくていいからね」
「……はい」
カイルは頷いて、部屋を出ていくしかなかった。
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06/06/06
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