女王騎士詰め所の奥にある扉を叩き、「失礼しまーす」とフェリドの政務室に入ったカイルは、まず始めに辺りを見回す。
突飛な行動を、フェリドは手にしていた書類を机に置いてカイルを振り向いた。
「どうした、いきなり」
「あ、いえ。ティー様来てるかなーって」
「ティー? 来ていないぞ」
何があったか尋ねるフェリドに、隠す理由もないとカイルは素直に答えた。
「最近ティー様フェリド様の仕事に関心があるみたいで、頻りに聞いてくるんですよ。----父上はいつもどんな風に働いているの----って。まぁ、理由を聞いてみても教えてくれませんでしたけど」
「ティーがか……」
顎髭を撫で、なるほどな、と小さく呟いたフェリドの口元が嬉しそうに上がる。
「フェリド様?」
「なんでもない。----案外ティーは庭を散歩しているかも知れんぞ」
「散歩、ですか」
いきなり出てきたいやに具体的なアドバイスに、カイルは首を捻りつつずるいなあ、と思う。どうせなら、自分が戻ってきた時に誘ってくれたらいいのに。そうしたら喜んで着いていく。
唇をへの字に曲げ、不満を表すカイルに、「たまにはティーだってゆっくりしたいもんだ」と苦笑を漏らした。
「もう少ししたら探しにいけばいいだろう。お前がちゃんと修練を終えてから、な」
「……サボってるって、バレます?」
「分かり切った事を言うな。早く戻っておけ」
「……はーい」
サボってティーに会おうとした目論見を見破られ、カイルは残念そうに肩を落として出ていく。
「悪いな、カイル」
軽く手を振り、書類に眼を戻したフェリドは頬杖をつき呟いた。
「お前にばかりティーを一人占めさせたくないんでな」
報告に来たシグレが出ていった窓から見えた、銀色の髪。一人で裏庭をうろつくのは、父親としては危ないと思うが、男としては大分冒険をするようになったじゃないか、と満更でもない。
それに今、あそこにいるなら心配する事はないだろう。
「今ごろ、何を話しているんだろうな」
何を話せばいいんだ。
膝に乗せた手を握りしめ、頭が沸騰しそうな程考え込んでいるティーは、顔を赤くして話したい事を必死に纏める。
卓の上には紅茶の入ったカップ。フヨウが持ってきてくれた物だが、生憎ティーはいつ置かれたか、フヨウが何を言ってくれたか、記憶する余裕が無かった。
内心混乱しながら固まるティーを余所に、シグレは帯紐に結び付けていた煙管入れの蓋を開け、煙管を取り出す。先端の穴に刻み煙草を入れ、火を着けるとゆっくり吸い込む。
薄く棚引く煙を吐き出すシグレは、長い前髪のせいで目がティーからは見えず、表情が分からない。
怒ってるんじゃないか。ティーは不安になった。
オボロの船に着くまでにずっとしがみついていたし、二人きりになる直前、ティーはシグレがこっそり溜め息を吐いているのを見てしまった。
でも、会いたかったし。
でも、明らかにシグレは嫌がっているみたいだし。
嫌われたかもしれない不安と、上手く言葉が出せない不安。ティーは俯き加減を深くして口を窄める。
その俯いたティーの旋毛を見ながら、シグレは卓の隅にある灰皿に煙管に燃え残った灰をたたき落とし、そのまま横に置いた。ソファに凭れて足を組む。
さっき煙管を吸っていたようにゆっくり長く溜め息をつき「おい」とティーを呼んだ。
びくりと肩が震え、恐る恐るティーが顔を上げる。シグレの方から声を掛けられるとは思わなかった眼は、驚きに見開かれていた。きょとんと丸い眼で、気怠る気に後頭部を掻いているシグレを見つめ「……何ですか?」と緊張しながら尋ねる。
「お前、何しにここに来た?」
「え……?」
「俺に、何か話があるんじゃないのか?」
なのに一言も話さない。黙りこくったティーを不思議そうに見つめ、シグレは徐に置いてあった煙管を掴むと席を立つ。
「っ!?」
立ち上がったシグレを、見上げるティーの目が一杯に広がる。
「しゃべる事がないなら俺はもう行く----」
「……待って!」
横をすり抜ける腕を、ティーはソファから身を乗り出してしがみついた。逃がしてたまるか、とシグレを追い掛けた時のように力をかけ、その場に引き留まらせる。
シグレは怪訝にティーを見下ろし、その必死さに思わず足を止めた。
「………」
「しゃべる事が、ない訳じゃない。ただ、どう話せばいいか分からなくて、でもっ」
息が続かなくなり、一旦言葉を切ったティーは乾いた喉で唾を飲み込む。
「……でも僕は、ここでサヨナラしたくない」
「………」
表情は分からないが、ティーはシグレが呆然とこっちを見ているのが分かる。それはティーも同じで、どうして初対面に近い人間にこんな我が侭を言ってしまったのか、自分でも唖然とする。
今更ながらシグレに抱きつく格好を認識してしまい、慌ててティーは離れてソファに座り直し赤くなった頬を隠す為に俯く。心臓がどきどきとうるさく鳴った。
大それた事を言ってしまった。
もう、気まずくて何も言えない。
室内が痛い程に静まり返り、重苦しい空気がティーの身体にのしかかる。
隣のシグレが動く気配は無いが、とても頭を上げられる雰囲気では無かった。
溜め息が聞こえる。耳に届き、ティーの血の気が下がっていく。
「………ったく」
ティーの頭にシグレが手を乗せた。え、とティーが思う前に強く擦るように乱暴に撫でてすぐに解放すると、そのまま奥へ出ていってしまう。
撫でられてぼさぼさになってしまった髪を手櫛で整えながら、ティーは奥を見た。扉は既に閉じられていたが、まだ頭に残っている感触に思わず照れてしまう。
乱暴で素っ気無い、だけど何処か優しい手。
すごく、嬉しい。
「失礼します」
シグレと入れ代わりにやってきたオボロに、ティーは慌てて居ずまいを正した。さっきまでシグレが座っていた席に座ると「すいませんね」と謝った。
「先程はシグレ君が失礼を。どうかお気を悪くしないでください」
「いえ、こっちもいきなりでしたし……」
自分にも非があるだろう。ティーは首を横に振った。
「少しでも会えて、嬉しかったです。……ありがとう」
もう話せる時は無いだろうけど。言いながらしんみり睫毛を伏せるティーに、オボロは優しく微笑を浮かべ、思い掛けない事を告げる。
「……知ってますか。うちはよくフェリド様からご依頼を受けて、仕事をしているんです。その報告はシグレ君の役目なんですよ」
「………?」
真意が計れず、ティーはオボロを凝視する。
オボロが、悪戯げに片目を瞑ってみせた。
「その後彼にはもう一つ仕事をつけましょう。王子殿下の話し相手を、ね」
「えっ----!?」
「おい、おっさん!」
出ていったばかりのシグレが、オボロの発言を聞き付けて音を立てて扉を開けると、オボロに詰め寄り怒る。
「何勝手に決めてんだ、人の都合もきかねえで。俺はやらねえからな!」
「別に難しい事を言ってるつもりは無いんですが」
わざとらしく嘆息し、オボロは大袈裟に肩を竦めてシグレを見る。
「やらないのならいいんですよ。代わりに他の仕事をつけるだけですから、沢山」
「なっ……」
引き受けなければ仕事の量を増やす。暗にそう言うオボロは意地悪く笑っていて、シグレは絶句した。横暴だろう、と再び怒鳴りかけ、懇願するような目で見つめるティーを視界に入れてしまう。
縋り付くような子供の視線に喉元まで出かかった言葉を飲み込み、舌打ちをする。
最後の抵抗だったが、オボロの表情は崩れない。一気に負けた気分になり、シグレは自棄気味に「分かったよ」と悔し気にそっぽを向いた。
「けど太陽宮の中はゴメンだからな。あんなかたっくるしい所」
「まぁ、そこらは妥協しましょうか。----殿下、宜しいでしょうか?」
「え?」
夢でも見ているかのように、ティーはぼんやりオボロを見上げる。
「良かったら、シグレ君のお相手をしてやってください」
「あっ、ありがとう!」
勢い良く頭を下げてそう言ったティーは、とても嬉しそうに笑っていた。
それを見て、シグレは複雑そうに唇を歪める。
奥で待機していたサギリにティーを送らせ、オボロは窓から太陽宮を眺める。女王が住まう白亜の城は、堂々とした威厳を醸し出していた。
立派で太陽のごとく、しかしその足元には濃い影が佇んでいる。
僅かに目を細め、オボロはソファに座っているシグレに尋ねた。
「どうでしたか。初めて間近で見た感想は」
「………最悪だ」
会うつもりなんてなかったのに。
「……ったく何であんな所にいるんだか。王族なら王族らしく草木の伸び切っている庭なんて歩いてんじゃねえよ」
無茶な事を言い、不機嫌を隠さないいら立ちを口に昇らせるシグレに、オボロは薄く苦笑する。
「ですが確認を怠ったシグレ君も悪いですよ。世の中、自分の思うように動いている訳でもありませんし。たとえシグレ君が会いたくないと思っていても、殿下は会いたがっていた」
「………」
苦々しく黙り込むシグレを、今度はまるで行動を迷う子供を見守る親のような目をしてオボロは言った。
「しっかりお願いしますね、シグレ君」
シグレはゆっくりオボロの肩ごしに太陽宮を見つめ、俯くと手を握りしめる。
「……めんどくせ……」
笑みを静かに浮かべる少女に元の場所まで送ってもらい、ティーは急いで元来た狭い通路を通っていく。思い掛けない事で時間を食ったから、修練を終えたカイルやリオンが自分が居ない事を心配して探しているかも知れない。
焦る心とは裏腹に、嬉しさが隠せない。あの時捕まえられなかった背中に追いつけて、また会えるのだから。
いきなり舞い降りた幸せ。ティーの頬は緩み、にやけてしまう。今度会う時までに話したい内容を考えておかないと。それは勉強よりも難しいが全然嫌ではなく、どこかわくわくしてしまう。
はやる気持ちに背中を押され、ティーは走って表庭に抜け出た。すぐ前に人が居て、追突する形でティーは止まる。
ぶつかった相手は、振り向くなり「ティー様!」と驚いていた。
「やあっと見つけましたよティー様ー」
どこ行ってたんですかー、とティーの肩を掴んだカイルは面白くなさそうに身体を揺らす。
「散歩だったら、俺を誘ってください」
「誘うって……、カイルは修練があるじゃない」
「でも、オレも行きたかったですよ……」
しょげるカイルに「仕方ないじゃない」とティーはその肩を優しく叩いた。
「ちゃんと仕事してからなら、付き合ってあげるから。頑張れ」
「はい……」
慰められつつも、カイルはふと感じた違和感に首を傾げ、不思議そうにティーを見下ろす。
「………」
「……どうしたの?」
「なんか、優しくないです?」
いつもだったら、最初に憎まれ口を一つか二つは叩くティーだ。なのに、今日はいきなり優しい。
「何かありました?」
「……別に」
否定しながらも嬉しそうに笑みを浮かべるティーに、カイルは胸に小さく痛みが走るのを感じた。
自分じゃない誰かが出させた表情。何だか少し、つまらない。自分でも直ぐに出来なかった事を、知らない誰かがあっという間にやってのけた。
「ティー様」
「何?」
「好きです」
「ばっ、何言ってんの、いきなり!」
冗談は程々にしておいてよね!と笑みも消え怒るティーに、カイルは難しいと思い唸る。護衛を勤めてから二年経つのに、笑みを零れさせるのはまだまだ至難の技だ。
見知らぬ誰かに、ほんの少しのいら立ちを向けながらカイルはそれを隠して、ティーをなだめるように笑いかけると「戻りましょう」とその背を押した。
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06/05/31
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