「あらあらまあまあ、シグレちゃんどうしたの!?」
戻ってくるなりうるさいフヨウの出迎えを受けたシグレは、鼓膜が震えそうなぐらい大きな声に、げんなり肩を落とした。
「どうしてシグレちゃんの後ろに、王子様がくっついているのかしら」
「知るかよ……」
シグレの腰に纏わりつくように、ティーが抱きついていた。
転んだまま動かず、足首を掴んできたティーを一瞬でも怪訝に思って様子を窺ったのがまずかった。動きが止まったと分かるやいなや、ティーは顔を上げ、標的が目の前にいる事を確かめると、逃げる隙もなく起き上がりシグレの腰に手を回して抱きつく。振り解こうとしても、思いのほかティーが根性を出してしまい、離れようとしない。
それはシグレが太陽宮の隅に着けてある船に戻るまで続き、今も尚離してたまるかと力が篭っている。
フヨウはシグレに抱きつくティーを、困ったように頬に手を当てて眺め、シグレを見上げる。
「もしかしてシグレちゃん。王子様を誘拐しちゃったの? 駄目よそんな事は」
「こんな状況でそう言うのかよ。全ッ然違うだろ」
「だからって、王子様が勝手にシグレちゃんについてくるなんて」
ふくよかな腰に手を当てて怒るフヨウは、ちっとも怖くない。元より愛嬌のある顔だちと生来の明るい性格のせいか、何度怒鳴られてもシグレは怖いとは一度も思った事がなかった。
「あーうるさいうるさい」
うるさい小言にシグレは耳を塞ぎ「勝手についてきただけだ」とありのまま本当を言った。そして腹に回っていたティーの手を掴むと、無理矢理自分から引き剥がす。
いきなり腕を剥がされ驚いたティーは、後ろによろめき腕を回してバランスを取る。
転びかけたティーを、フヨウは慌てて後ろに回りこみその身体を支えた。
「大丈夫ですか、王子様」
「あ……、はい、すいません」
「いえいえ謝らないでくださいな。うちのシグレちゃんが御迷惑をかけたんですもの」
「かけてねえっつの」
あくまでもシグレがティーを連れてきたと思い込んでいるフヨウに、シグレはいら立ちで舌打ちをし、どっかりとソファに座り込んだ。
ティーも頷いてシグレの言葉を肯定する。
「あの僕がいけないんです。しがみついて無理にここまでついてきたんですから」
「あら、そうなんですか……」
ティーの言葉に、ようやく納得したフヨウが不思議そうに尋ねる。
「でも確か王子様とシグレちゃんは今日が初対面の筈よね」
「………」
シグレの口元が苦味に歪む。
「シグレちゃん?」
返ってこない返事にフヨウがシグレを振り向き、心配そうに名前を呼んだ。
「----ただ今戻りました」
ティーの真後ろで扉が開いた。慌てて扉から退けると、痩身の男が入ってくる。白髪に近い色をした髪を持つ、何処か飄々とした雰囲気。
男はティーに気がつくと、赤い眼で見下ろした。丸で血のような赤色に、ティーは背筋がざわめく。
だがティーが感じたものとは裏腹に、男は妙に爽やかな笑顔を浮かべ、恭しくお辞儀をする。
「これは、アル・ティエン王子殿下。このような所でいかがなさいましたか?」
「あ、あの……」
言葉に詰まるティーの代わりに、フヨウが答えた。
「フェリド様の所から戻ってきたシグレちゃんが連れてきたんですよ、先生」
「おや、そうなんですか」
「だから、違うっての……」
うんざり言い返しシグレに「常日頃の行いがアレですからそう言われるんですよ」と先生と呼ばれた男は言い、ティーに視線を合わせるように膝をついた。
「うちの者が失礼しました王子殿下。私はオボロと申します。この船で探偵事務所を開いておりまして」
「……探偵?」
「ええ」とオボロは自信たっぷりに頷いた。
「失せ物から人探し。どんな些細なものでも調べ上げ、依頼者に真実を導くのが私たちの仕事です」
「じゃああの人が父上と会っていたのは」
フェリドはシグレに「オボロによろしく伝えてくれ」と告げていた。目の前の男がそのオボロなら、フェリドはここに何かを依頼していた事になる。
「そうですよ。少し、色々ありまして」
オボロはそっと人さし指を立てると、口に当てた。まるで今から言う事はここだけの秘密だ、と言っているように。
「ですが殿下に教える訳には参りません。すいませんが守秘義務なものでして」
「それは構いませんけど……」
聞いたってどうにかなるものではないし、フェリドの妨げになるつもりはティーにはない。
「……あの、もしかして僕は、ここに来ない方が良かった?」
フェリドとオボロに繋がりがあるのは、ひっそりと報告をしている所から見ても、太陽宮では内密なのだろう。自分がここにいる事がバレたら、まずいのでは。
自分のやっている事の重大さにティーが青ざめると、オボロは「安心してください」と笑った。
「うちには優秀な人材が揃っています。人に見付からず、殿下をここまでお連れするのは容易い事ですよ。----ねえシグレ君」
「…………」
そっぽを向いてシグレはわざとらしく「だりぃ……」と呟いた。素直じゃない彼に、オボロは苦笑を漏らすと立ち上がる。
「このままでは何ですから、どうぞゆっくりしていってください。フヨウさん、殿下にお茶を」
「分かりました、準備してきますね!」
「あ、そこまでしてもらわなくても……」
いいのに、と引き止める前にフヨウは鼻歌混じりで奥の扉から出ていってしまった。
いいのかな、初めて来たばかりなのに。
戸惑い、ティーはオボロを見上げる。オボロは優しくティーの肩を押すと、シグレの向側に座らせた。
シグレが何か言いたそうに顔を向けるが、オボロは表情を変えないまま言う。
「せっかく殿下にここまでご足労していただいたのに、無下に帰らせるなんて出来ませんからね。殿下はシグレ君と話したがっているみたいですし」
「どうして、分かるんですか」
ここに来る前から、ティーはどんな用事の為にシグレに引っ付いてきたか口にしていない。眼を丸くして驚くと、オボロは「簡単ですよ」と考えを披露する。
「殿下は頻りにシグレ君を見ていましたからね。まるで逃げられるのを恐れているみたいに。少しでも視界の端に留めておきたくて、ちらちらシグレ君を見ていた」
「…………」
オボロの考えは殆どあっていて、図星を刺されたティーは開いた口が塞がらない。探偵だと言うだけあって、推測や人の観察に長けており、素直に凄いとティーは思う。
「ではここは殿下のお望み通り二人きり、と言う事で。私は失礼しますね」
軽く頭を下げ、オボロもフヨウが出ていった扉に続いて消えていった。
「あ------」
まだ心の準備が伴わないまま置いていかれたティーは、落ち着かない様子でオボロを振り返り、無情に閉まった扉に肩を強張らせる。つられるように強張りは全身に広がって、ガチガチに固まったティーは、元の方向を向いて座り直した。
シグレを前にして、致命的な事に気付く。
着いていくだけに必死になっていたティーは、何を話そうか、全然考えていなかった。
完全に固まり思考が停止したティーを前に、シグレは気怠る気に欠伸を掻いていた。
← ↑ →
06/05/16
|