自分が成長する度に、ティーはフェリドが羨ましく感じた。己一人で大切なものを守れる度量と、武術の才がある。きっと自分の信じる道を、そのまま走ってここまで来たんだろう。
好きな人を守る人として、国を守る女王騎士として、ティーはフェリドを尊敬していた。
一度で良いから父親の仕事をする姿が見てみたい。
密かに思っていた事を実行する為に、ティーは一人太陽宮の外からフェリドの政務室を目指す。庭から後ろに回りこみ、植木と壁に挟まれた狭い通路をこっそり歩いていく。
人通りが多い表の庭は手入れが行き届いているが、裏は手が回らない場所がどうしても出てくる。
カイルと出会ってから二年経って、三つ編みを結える程になった髪は、時たま伸びていた植木の枝に引っ掛かり、小さく痛む。その度に解きながら、腕を前にして庇いながら進んだ。
殆どティーと共にいるカイルとリオンの姿はなかった。二人とも武術の修練に行ってしまっている。カイルはお馴染みの事だが、リオンも女王騎士になりたいと、最近自分から修練場の方に赴く回数が増えていった。
二人といる時間が短くなったのは、ほんの少し寂しかったが、今回はそれが良かったのかもしれない、とティーは思う。忍び込んで歩くなんてバレたら、リオンは止めるだろうし、カイルはきっと、いや絶対ついてくるだろう。
そうなったら、目的地に着くまでに見付かる嫌な自信がティーにはあった。
騒がしいし、うるさいし。カイルはこういう忍び込むっていうのは向いてないと思うんだよね。
しみじみ頷きながらも、ティーは腕にかすり傷を幾つか作りながら、ようやく目的の場所に辿り着く。
中腰に屈んだティーの真上に見える、大きな窓。その向こうはフェリドがいる政務室の筈だ。
ティーは一度膝をつき、辿り着くまでに消耗してしまったなけなしの体力を、ゆっくり回復させながら息を整えた。それでも心臓は静まらない。
顔を合わせると直ぐに女王騎士長ではなく、優しい父親の顔に戻ってしまうフェリドの、滅多に見れない姿を見れる事に、持ち前の探究心が疼いてしまう。
最後に深呼吸をして、ティーは見付からないよう細心の注意を払って、窓から中を覗き込んだ。
フェリドが窓の方を向いている。だが目線は持っている書類に落ちていて、ティーには気付かない。
そして。
「………?」
ティーは自分の眼に映ったものを疑った。
どうしてこんな所に。
予測出来ない事態に、ティーは窓の下に隠れる。フェリドの仕事を見ようとして高鳴っていた心音は、全く違うものにすり替えられてしまった。
フェリドと同じ部屋に、もう一人誰かが居た。女王騎士ではないし、政務室付きの女官でもない。そもそも、ラフトフリート製の羽織を着た人間なんて、太陽宮にはいない。
初めてカイルと市街に行った日、ティーが迷子になる原因となった背中が、今硝子越しの向こうに立っていた。
あれから二年。記憶も朧げになって、頭の隅で埃を被っていたのに。再び見た途端、ぶわりと沸き上がる懐かしさ。
……懐かしさ?
どうしてそんな事を思うんだ、とティーは頭を捻る。今のを含めて二度しか会っていないのに。
でもどうして父上の政務室にいるんだろう、とティーは思う。あの部屋は、女王騎士詰め所を通らなければ入れない。加えてぼさぼさ頭の、ラフトフリートの羽織を着ていれば、嫌でも目立つだろう。何度も出入りをしているなら別かもしれないが、今までそういう人間が来ているなど、一度も聞いた事がない。
その割には親しく話しているようだけど。
ティーは息を飲み込み、恐る恐る窓を覗き込んだ。
硝子一枚隔てて、フェリドと男は何かを話している。あまり芳しくない内容なのか、フェリドは顰め面をしていた。書類を睨みつつ、一言二言口を開いている。
男は緩慢に首を振った。手振りで何かを示すようにすると、気怠る気にフェリドの机に凭れ掛かる。
下手をすれば視界に入ってしまう。ティーは慌ててしゃがみ込んだ。
薄い隔たりがもどかしい。少しでも窓が開いていれば会話が聞けるかもしれないのに。
盗み聞きが悪いと分かっている。本当だったらこれを見て良いかも分からないのだから。
どうしよう。見付からないうちに戻るべきか、とティーは迷う。
「……言う事は言った。俺はもう行くからな」
いきなり窓が開いて、抑揚の無い声がする。
咄嗟に息をつめティーが見上げると、男が窓の桟に足をかけフェリドを振り向いている。
「おうまた来いよ」
「こねえよ」
「オボロによろしく頼むと伝えといてくれ」
「自分で言え」
噛み合わない会話を繰り返し、男は「じゃあな」と素っ気無い言葉を残して窓から飛び出した。真下に居たティーにも気付かず、音もなく降り立って歩いていく。
街での雑踏の中消えていく背中と、今の姿が重なった。
「あ……」
男に向かって伸ばした手が、宙を彷徨う。
どうしよう。もしここで捕まえなかったら、今度はいつ会えるか。
迷いが深くなるティーを置き去りにするように、男はどんどん遠ざかっていく。進む先には壁と水路があるが、そんなの男を阻むものにはならないだろう。
ティーは立ち上がった。
「待って!」
男を見失う前に捕まえようと、手足が伸びたままの草木で擦れるのも構わず追い掛ける。
声が聞こえたのか、男は立ち止まり怪訝に辺りを見回した。
チャンスと言わんばかりに、ティーは男目掛けて飛び、痛くなる程手を伸ばした。距離を縮め精一杯伸びた指先は、羽織を----掴む前に落ちていく。
届かない!
悔しさに歯がみする余裕もなく、ティーは重力に引かれ、そのままバランスを崩して地面に転がる。
ばたんと後ろから聞こえる音に、男は辺りに巡らせていた視線を下に向けた。
「………」
草むらに倒れた子供が一匹。転んだ痛みに小さく呻いている。銀色の髪で、太陽宮にいるなら十中八九、王家の第一子だろう。
どうするべきか。大体、何でこんな所に転がっているんだ?
疑問が浮かぶが、深くは考えず男は帰る事を選んだ。このまま関わってたら、多分余計な深みに嵌る。
そのまま踵を返し、歩き出そうとしたが小さな手が、男の足を掴んだ。
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06/05/16
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