三人で食事を終えて(とは言えカイルが一番多く食べていたが)片付けを皆でしおえた頃には、空はすっかり空は暗くなり、ランプの明かりだけが辺りを照らす。
だが食事だけでささやかな晩餐会をお開きにするのも忍びなく、ティーとカイルは姿勢を崩して、他愛ない話を交わした。二人の間でリオンは、口を開いた方に視線を向けては興味深く聞いている。
純粋な瞳に見つめられ、カイルは苦笑混じりにティーに困りましたね、と言いたげに目ばくせする。ティーも柔らかく眉を寄せ、軽く頷いた。
一日一緒にいて、今もこうして共に居て、少しは仲良くなれたんだろう。その証拠にちゃんと水を向ければ、頷くか首を横に振るだけだがリオンは反応を返してくれた。
だけど。ティーは内心溜め息を付く。まだリオンの声はまだ聞いていない。口が聞けない訳ではないと、以前見掛けた時フェリドと話している所を見ているから分っているが、こうも喋らないと疑わしくなってしまう。
リオンが話をしてくれる様にならないと、どうして自分の部屋の前に立っていたのか、聞けない。
じわり、と焦りが滲む。
「ティー様」
カイルがそっとティーの頬をつついた。指をそのまま自分の頬に当て緩ませると、目を細める。
余りの力が抜けた笑みに、ティーも思わず力が抜けた。そして無意識のうちに、自分の体がいらない力で強張りかけていることに気付く。
リオンも妙な力が入っている事に感づいたのか、ティーを心配そうに見ていた。
「あ----」
ティーはリオンを安心させるように笑いかける。それを見て、リオンも安堵した笑みを返した。
カイルのような明るい太陽みたいなものではなくて、夜に輝く星のような見ている人間をほっとさせる笑顔。
まあ、いいか、とティーは、リオンに聞きたかった台詞の数々を頭の隅に追いやった。焦ってもしょうがない。無理強いすればリオンを怖がらせる要因にもなる。せっかく仲が少しは深まったんのだから、わざわざそれを埋めることはないだろう。リオンが悪さをした訳でもない。
いつか聞ける時に聞けばいいや。ティーはそう結論付けた。今はこの時間を楽しめればいい。
後ろ手に手を床に着いて、ティーは大きく伸びをした。のけ反った頭で空を見ると、一面に星が光っている。
ランプの明かりが消えればもっと良く見えるかもしれない。
ティーは体を戻し、「ねぇカイル」とカイルの側にあったランプを指差した。
「星を良く見たいからランプを消して貰っていい?」
「あ、いいですよ。確かに星を見るなら余計な明かりはないほうがいいですし」
カイルは慣れた手つきでランプを操作し、中で灯っていた火を消す。
見る見るうちに暗くなり星の瞬きが一層映えてくる。
感嘆の息を吐き、ティーはリオンにも見上げるように促しかけ、その体が震えていることに気付いた。自分の体を抱き締め、俯き目を強く閉じている。
「リオンちゃん?」
カイルが怪訝に声をかける。
「どうしたの。そんなに震えて」
「………あっ!」
しまった、リオンは暗いのが駄目なんだ。いつか暗闇に怯えフェリドの首にすがりついて泣いていたリオンを思い出し、ティーは慌てる。
「カッ、カイル!ランプ付けて!」
「ティー様?」
「早く!」
「はっ、はい!」
ティーの剣幕に気圧され、カイルは消したばかりの 火を灯した。さっきまでの明るさが戻ってくる。
「リオン、大丈夫?」
目を閉じ震えたままのリオンの背中を擦り、ティーは心配して尋ねた。
リオンは何も答えない。固く閉じた口は、そう簡単に開いてくれそうになかった。
「ティー様…」
カイルも不安そうにティー達を見ている。理由が分らなかったのか、その視線には疑問が入り交じっていた。
ティーはカイルを手招きし、そっとリオンは暗闇が苦手だと本人には聞こえないよう耳打ちする。
「あー……」と、納得がいってカイルは所在な気に後ろ手で頭を掻いた。
「迂闊でしたね……」
「うん……」
伏目がちにティーはリオンが落ち着くよう、優しく背中を撫でる。多少は効果があったらしい。次第にリオンの震えは治まり、ゆっくり瞼を開いた。余程怖かったのか、目の淵には薄らと涙が滲んでいる。
「カイル」
「はい」
何も聞かず、カイルは片づけを速やかに開始した。
リオンの顔を覗き込み、「今日はもう戻ろうか」とティーは優しく声をかける。真っ黒な、まるで濡れ鴉よりも深い黒の瞳がティーを見上げ、首を傾げる。
「……どうして、ですか?」
初めてリオンが口を開いた。なだめるようなティーの言葉に、異を唱える。
「星とか……見たいんじゃ、ないんですか?」
か細く、途切れ途切れの声。いきなり口を開いたリオンにティーは軽く驚き、それをすぐに笑みで隠して言葉を返した。
「いいよ、星はいつでも見れるから。----夜になると冷えるし、風邪を引いたら駄目でしょう?」
「でも」
一度言葉を切ってから口を閉じ、リオンは俯いた。
「王子は……今見たかったのに、わたしが、暗いのをこわがったから」
「リオン、そうじゃないよ。全然君のせいじゃない。気にすることなんて、一つもないんだから」
「ね?」と言ったティーに、リオンはとうとう目の淵から滲んでいた涙を零し、泣き始めてしまう。頬を伝った涙に、「リッ、リオン!?」とティーは慌て、カイルに視線で助けを求めた。
カイルは目を丸くし、少女が泣いている事にティー同様驚く。いきなりすぎて、女性の扱いに長けているカイルも咄嗟にどうすれば良いか分からず、うろうろと視線を彷徨わせる。
どうしよう。泣いている子供を慰める経験など皆無なティーは、迷い倦ねて困りきり咄嗟にぽろぽろ涙を零すリオンの手を握りしめた。
握りしめてから、父上のように抱き締めたりしたほうが良かったのか、とティーは今さらのように思う。だがそれは無理だ。ティーはまだそう出来る程成長していないし、フェリドのようにリオンを安心させてあげられる自信など露もない。
出来るのは、手を握りしめてあげるだけ。
「ごめんね、リオン。僕は父上のようにリオンを安心させてあげられないみたいだ」
「ティー様……」
ティーの嘲笑に、カイルが悲しそうに呟く。
「ちがいます」
空いた手で服の袖を掴み涙を拭ったリオンは、頭を強く横に振った。
「あやまるのは、わたしのほうなんです」
「----どうして?」
「……わたしは、王子からフェリド様をとってしまったから」
過去の暗闇に怯え、泣いていた夜。自分を助けてくれた人の肩に顔を埋めながらただひたすら時間が過ぎてくれるのを待っていた。
同じ事を何度も何度も繰り返して。縋り付く肩を涙で濡らす度、自分の弱さに再び涙が溢れた。
フェリドは、リオンの手を振り払う事はなかった。名を呼び伸ばす手を受け止め、いつも優しく逞しい腕で抱き上げてくれていた。
リオンはそうしてくれる度に安心して、同時に罪悪感も胸に募らせる。
一度だけ、ティーが見ていた。泣いているリオンを抱き上げるフェリドの姿を。その時の淋しく何かを諦めていた表情に、リオンは痛みを感じていた。
わたしがこうして安心している時に、王子は、フェリド様の子はあんなに淋しくしている。
わたしが、いるから。
くらいのを、こわがるから。
「フェリド様は、王子のことが大好きなんです。でも、わたしがくらいのをこわがるから、フェリド様はわたしのところに来て、王子のところには、行けなくて」
その度に、王子は独りで淋しいのに。
「我慢しなきゃいけないって、分かっているのに。こわくて、こわくて、泣いてしまうんです」
なんて弱い自分。
「……ごめんなさい……っ!」
「リオン……」
零れでた謝罪に、ティーは目を見張る。頭の中に考えが過り、そのままゆっくりとリオンに訊ねた。
「……もしかして僕の部屋の前に立っていたのは、その事で謝ろうとしてたから?」
リオンは頷く。そしてとうとう抑えきれなくなった嗚咽を漏らし、手で口を覆った。
「……そっか……」
震えるリオンの手を握りしめ、ティーは呟いた。
心配そうに見ているカイルに大丈夫だよ、と返して微笑み、もう片方の手でリオンの頭を撫でてやった。
「----ありがとう。でもね、リオンが謝る必要なんてないんだよ」
「……え?」
涙で潤んだ瞳が、優しく笑むティーを捕らえる。
「僕だったら、泣いている女の子を放ってなんかおけないよ。父上だってきっとそうだ」
「でも」
「それにね」
ティーは意地悪そうにカイルに視線を向けた。
「今の僕は、すぐ近くにすごく騒がしいカイルがいるから、淋しいのなんて感じてられないよ」
「……ティー様、それって褒めてるんですか、貶してるんですか?」
「褒めてるの」
「そうですか……」
褒めてると言われても、微妙な気持ちに複雑な表情をするカイルを置いて、ティーは「だからね」と続ける。真直ぐリオンの瞳を覗き込み、淋しさなど微塵も感じない目で言った。
「リオンは我慢しなくても良いんだ。ゆっくり慣れていけばいいよ。僕だって、手伝うから」
「勿論オレもですよ」
「王子……。カイル様……」
ティーとカイルへ交互に視線を向けて、リオンの目は大きく開き、直ぐに泣きそうにぎゅっと細まる。
「ありがとう……、ございます……っ!」
声を絞り出し、今度は嬉しさにリオンは泣いた。ティーは涙を拭ってやり、つながれた手に柔らかく力を込める。
温かい、とティーは思った。
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06/05/16
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