ソルファレナ市街の東にある交易所。毎日街や国を超えて入って来る商品が所狭しと並んでいる。棚には民芸品。篭や箱には果物や調味料、麦や米。真珠や金銀は一目のつく所に置かれ、膨大な品揃えに圧倒されてしまう。
 ティーは「こんにちは」と入ると直ぐに、店番をしていた年嵩の男に声をかけた。

「すいませんが、何か面白そうな本とか、入っていますか?」
「丁度いい時に来ましたね」

 男はお茶目に片目を瞑り、後ろの棚に手を伸ばすと、本を一冊引き抜いてティーに差し出した。古びた革の本を受け取り、ティーはそっと指先で表紙を撫でる。

「遥か北方の国、グラスランドから入った物です。その国の成り立ちや歴史が記された書物で、なかなかの逸品ですよ」
「へぇ……!」

 ティーは息を飲んで、手にした本を見つめる。ファレナや隣国の群島諸国やアーメスのは何度か見た事があるが、グラスランド----ここからだと本当に遠い、どんな所か予想もつかない国の本に、持ち前の探究心や知識欲が沸いてくる。

「少し見てもいいですか?」
「もちろんですよ。良かったらこちらの椅子をお使いください」
「ありがとう」

 男の申し出を素直に受け、椅子に座ったティーは逸る心を抑えて本を開く。
 一緒についてきたカイルはその間手持ちぶたさだ。興味深くあたりに置かれた交易品を観察し、そして辺りを見回すと言う。

「いつも思うんですけど。ここって物が沢山あって、まるでティー様の部屋みたいですね」
「うるさいよ」

 文章を読みながら、ティーは切り捨てる。

「本当の事なのになー」

 最初に入った時の本だらけのティーの部屋と、沢山の品物が押し詰められたような交易所。ある物は違うが、雰囲気は同じようなものだ。
 ティーは集中して、本を読んでいる。もしかしたら乱雑としている部屋の方が、彼にとって落ち着きやすいかも知れない。

「多分おじさんも驚くと思うよ。ティー様の部屋。すっごい本が沢山あるんだから」

 両手を広げて振り、カイルが同意を求めると、男は「それはそれは」と柔和に笑った。ティーを見下すような貴族の上辺だけのそれではなく、本心から優しく見ている。

「なら、こちらとしても仕入れ甲斐がありますよ。こうして熱心に読んでくれる方がいるんですから」
「ですねー」
「……陛下のお陰で、私たちも随分自由に交易をさせてもらっています。いえ私たちだけではありません。ソルファレナに住む多くの民は皆陛下をお慕いしている。あの人とフェリド様は、私たちの為に復興に尽力してくださいましたから」

 復興、とは先のアーメス侵攻の時を言っているのだろう。疲弊して疲れた国を建て直した二人は、さらに民が豊かに暮らせるように、今も力を尽くしている。
 男の眼差しに、女王に対する敬愛の感情が混じった。視線の先には本を読むティー。彼を蔑む貴族とは全然違う、女王に向ける感情と分け隔てのない思いを感じ、カイルも嬉しくなる。ティー自身とてもいい子だと思っているので、彼が優しくされると嬉しい。
 ちゃんと見ている人間は分かっている。
 ティーがどんなにいい人間なのか。

「ティー様が喜べば、陛下も嬉しいでしょう。これからも、なるべくティー様が喜ぶような物を見つけたら、仕入れてきますよ」

 男の嬉しい言葉に、カイルは満面の笑みを浮かべる。ティーは苦しいものや傷つけるものばかりじゃない。ちゃんと優しく見守る存在だって多くいる。
 こんな時、カイルは女王騎士で、ティーの護衛で、ソルファレナに来て良かったと、心から思う。
 俯いていたティーは、二人の表情に気付かず、本を食い入るように読み続けた。


 それから数十分たっぷり時間をかけて、本を読んでいたティーは、本を閉じた。内容に満足したらしい。充足した顔で、本を男に差し出す。

「とても面白かったですこの本。買わせていただきます」
「ありがとうございます」
「幾らになりますか?」

 男が言った値段の分のお金を、ティーは財布から取り出す。使い道がなくこつこつ溜めていたティーのお金を受け取り、男は本を改めてティーに差し出した。

「では確かにお金は受け取りましたので。----どうぞ」
「ありがとう」

 自分のものになった本を両手で持ち、見つめていたティーは嬉しそうに目を細めてそれを抱き締める。その様子を後ろから見ていたカイルは思っていた事を素直に口に出した。

「陛下を尊敬している----って言った割には、きっちりお金取るんですねー」
「商売ですから」

 したたかな男にティーも「当たり前だよ」と返した。

「王族だからと言って、何でも思うがままにしてたらそれは能無しの馬鹿と同じだよ。ちゃんとお金を払って買わなきゃ」
「うわーティー様しっかりしてるぅー」

 わざとしなを作って言ったカイルは、ティーに睨まれ曖昧に笑って誤魔化す。すっかり眠気が取れているので、眼光の鋭さも元通りだった。「怖い怖い」と下がるカイルを余所に、ティーは男に会釈する。

「お邪魔しました。また本が入荷したら教えてください」
「はいもちろん。真っ先に教えますからね」
「----ありがとう」

 ふんわりと、ティーが柔らかく笑った。今までで一番優しい笑顔に、カイルは心がほだされる。最近はこうして素直に感情も出す事が多くなってきていた。眉間の皺も薄くなり、年相応の表情を浮かべる。
 以前はそんなに笑わない子供だったのに。そう言っていた彼の叔母の言葉を思い出し、カイルはならば笑うようになったのは、少しは自分が関係しているといいなと期待する。
 口には出さない。言ったとしても、また素直じゃないティーは、見る見るうちに怒ったように拗ねて睨んでくるだろうから。

「それじゃあ、行きましょうか」
「うん。----それじゃあ」

 カイルとティーは男に軽く頭を下げて交易所を後にする。
 ティーは片手に本を抱え、もう片方をカイルと手を繋いで。

「良かったですねー。いい本見付かって!」
「うん、まあね」
「グラスランドですっけ? 確か随分北の」
「群島諸国を超えて、さらにさらに上にいった所にある国なんだって。幾つかの部族に別れている、草原の広がる土地らしいけど」
「へえー。行ってみたいですねー」
「そうだね、僕も行ってみたいよ。それに群島諸国とか、カナカン。赤月帝国もいいかも」
「世界は広いですから。きっと吃驚しますよ」

 突然、カイルの腹が大きく鳴った。空いた手で胃の辺りを押さえる彼を、ティーは目を丸くして見上げる。

「僕は今、世界の広さ云々よりも、カイルのおなかの音に吃驚した」
「そうですねー。オレもです」

 そう言えば、まだ昼食をとってなかった。ティーを起こす事だけに頭が一杯だったから。
 午後は修練が待っている。少しでも胃に何か入れておかないと、後で辛い目にあいそうだ。誰も手加減なんてしてくれない。こっちも本気でかからないといけない。その分運動量は増え、身体も燃料が大量に必要になってしまう。
 でもカイルはティーの方を優先する。こっちは後で簡単に何か食べればいいだろう。気を取り直し、ティーに訪ねる。

「他に行きたい場所があったら言ってください。時間の許す限り付き合いますよ」

 ティーはカイルをじっと凝視する。穴が開きそうな程見つめられ、カイルは思わず顔を反らした。何となく嘘を見破る強さにいたたまれない。
 手を引っ張られる。ティーが歩き始めた方向には、食堂の看板が目についた。前につんのめりかけながら、カイルは手を引かれ続ける。

「ティ、ティー様?」
「どうせおなか空いてるんでしょ?」

 呆れて言い、ティーは半眼でカイルを睨む。

「……まぁ、僕も無理矢理連れてってもらったようなものだし、少しぐらいだったらカイルを優先するよ。空腹のままで修練に出て倒れられても困るし?」
「ティー様………」

 思わず弛んでしまった顔を見て、ティーはさっと頬を赤くする。今度はティーがカイルから顔を反らして、手を引き、カイルを食堂へと連れていく。

「ほらっ、早く行くよっ。カイルが食べている間。僕は本を読んでいるからね!」
「はーい!」

 嬉しそうにカイルは返事をし、「恥ずかしいから大声出さないでよ!」とティーにまた叱られた。


06/05/02