知識を頭に詰め込むのは嫌いじゃない。
僕は静かに本を開く。埃の匂い。乾いた紙の感触が指を滑り、頁に刻まれた文章はこれを書いた人間の学んで、そして知ったものが詰まっている。中にはまだ読めない文字や意味の分からない単語があったが、傍らに置いた辞書で調べながら目で文字を追った。
開けられた窓からは心地よい風が吹き込む。さらさらと肌や髪を撫で、自然と頭が冴えていった。
僕の、一番好きな時間。
だけど、
「ねー、ティー様ぁ」
気の抜ける声が見事にそれをぶち壊してくれた。
顳かみを引き攣らせ、僕は本を机に開いたままで置く。向かい合って座っていたカイルが、机に突っ伏していた。だらりと宙に伸びた腕が、ゆらゆら揺らして唸る。
「オレ暇で死にそうですよ」
「じゃあカイルも本を読んだらどう。沢山あるよ」
以前本で埋もれ、カイルと二人で大掃除を決行した部屋は、一週間も経たないうちに元通りになりつつある。だけどまた大掃除を提案されても困るので、僕は本棚に入れたりして出来る限りの整頓を心掛けていた。
僕は本棚から一冊抜き出し、カイルに差し出す。だけどカイルは目もくれず、「暇です」と繰り返した。
「それにオレはそんな難しい本なんて。三行で寝る自信があります」
机に顎をついて自信満々にカイルは言う。僕は呆れた。まだ十に満たない僕でさえ、辞書を使いながら読んでいるのに。彼に読めない事なはいだろう。そう言うと今度は頬杖をついて首を横に振る。
「人には向き不向きがあるんです。ティー様は向いてます。オレには向いてません。絶対向いてません」
カイルは身を乗り出す。
「ティー様。オレに暇つぶしをください。何かありません?」
「ないよ、そんなの」
第一本を読むしか部屋の過ごし方を知らない僕が、他の暇つぶしなんて。思い付かない。
僕は頬杖をつき、机を指先で叩きながらカイルを見上げる。
「ねえカイル。貴方は僕の護衛なんでしょう。一応」
「一応じゃなく、ちゃんとした護衛です」
「……そう。なら、暇つぶしとかそんな事は言わないの。護衛は対象の安全を守るものだって僕は知っているよ。暇だとか、そんな我が侭言ってたらいけないんじゃないの?」
カイルが僕の護衛についてから一週間。まだまだ彼の言動に振り回されてばかり。お陰で読書も満足に楽しめない。
だがカイルは自分を崩さず、素のまま接してくる。貴族だとか女王騎士だとか、王族とか。そんなものはカイルの前では何となくちっぽけなもののように僕は思えた。だけどここは太陽宮。少しは弁えてほしいと思う。そうしないとカイルだっていらない感情を向けられる場合もある。僕の周りでそういう風に見られる人がいるのは悲しい。
カイルは腕を組み、難しい顔で唸っている。おおよそおべっかを使う貴族や、近寄り難い雰囲気を持つ女王騎士とはかけ離れていた。
「……そうだ!」
いきなりカイルは立ち上がる。後ろにずり下がった椅子の音に、僕は吃驚した。年上の癖に、子供のような満面の笑顔に、嫌な予感が頭を掠める。
「----街に行ってみません?」
「は!?」
やっぱりだ。突拍子な提案に僕は大きく口を開け、間抜けな声を出す。よりによって、今まであまり外を出歩かなかった人間に、そんな無謀な提案を。
良い提案をした(と思っている)カイルは頷き、目を輝かせた。
「ティー様だってずっと本を読んでいたら、身体鈍っちゃいますよ。少しは運動しないと。オレの暇つぶしにもなるし。一石二鳥ですね!」
「ちょっ、何で、僕がカイルに合わせないといけないの!」
カイルが来てから満足に時間が取れない読書を、今日はとことんしてやろうと決めていたのに。ここで、なし崩しにカイルの提案が決ってしまったら、いつものように振り回されて一日が終わり、になってしまう。
「行くんだったら一人で行けば」
「えー。オレティー様の護衛ですもん。護衛と主はいつも一緒。だからティー様も一緒に行きましょ」
「なんて理屈だ……」
「行きましょうってば」
「い、や、だ」
僕は置いた本を盾にして、カイルの視線を遮った。
「僕は本を読むの。もう決めてるの」
負けてたまるか。勝負をしている訳でもないのに、僕は半分ムキになって本に集中する。
ひしひしとカイルの人懐っこい、犬のようなオーラが伝わってくるが、ここで屈したら終りだ。腹に力を込め、必死に耐える。今日は読書をするって決めたんだから。
「……ティー様」
諦めればいいのに、カイルは回りこんで膝を折り、僕を見上げる。本の盾はもう役に立たず、痛い程突き刺さる視線に、僕の身体は座ったまま、けれど上半身だけカイルから離れるように逃げた。近づいた気配にいたたまれなくなり、とうとう横目で様子を窺ったのが失敗だった。
犬の表情はそのまま。おおきな目をしたカイルが僕を見上げ、小首を傾げながら言う。
「------駄目、ですか?」
「……………………」
「わー、街ですね!」
「………………」
勝負に勝ち、ソルファレナの市街に出たカイルは退屈から解放され、水を得た魚のようにはしゃいでいる。やっぱり女王騎士らしくない。僕は後ろからぼんやりカイルの背中を見て、溜め息をついた。これで今日の読書も儚い夢と消えてしまったから。
「ティー様早く早く!」
立場が逆だ。
急かすカイルにますます肩を落とす。これではまるで僕がカイルのお目付役のようだ。護衛があんなに浮き足立ってはしゃいでていいのだろうか。出かける前から疲れつつ、僕は太陽宮の門を潜り、カイルと並んでソルファレナの市街を見渡す。
太陽宮から真直ぐ伸びる橋を境に、東西へ広がる街並。もし空から見る事が出来たら、きっと扇の形をしているだろう。家や人も多く、立っている場所からもにぎわいが伝わってきていた。
ファレナ女王国の王都だから、人が多いのや賑わうのは当たり前だろう。だけど部屋に閉じこもっていた僕は、そんな簡単な事も分からない。
「どうですかー。街」
カイルが訊ねた。
僕は小さくかぶりを振る。
「そうだね……。前の父上に連れられた赤ん坊の時以来だから」
物心がついた頃には、王家専用の港に行く時しか街へ出なかった。横目で街を窺い、些細な様子しか分からない。それもほんの一瞬。
自分の住んでいる所なのに、分からない。何だか遠くて、疎外感が空虚な胸を突いて淋しくなる。
僕は口を噤み目を伏せた。嫌な気持ちでむかむかする。だから出たくなかったのに。
「じゃあ久しぶりですね」
カイルが西側の階段に足を向けた。
「オレ、ソルファレナに来てからまだ日が浅いんですけど。多分ティー様を案内するぐらいはできると思いますので。どんどん頼っちゃってください」
僕を振り向き、手を差し出してくる。行動の意味が分からず、不安にそれを見つめる僕に、カイルは戻ってくると、徐に手を繋いだ。
カイルの手はやっぱり年上で、育っているから大きくて。小さな僕の手をあっさり包み込む。温かな体温がぎゅうと力を込めるので、僕は慌てた。こうして誰かと手を繋ぐのも久しぶりで、慣れない触れ合いに、心臓が速く動いてしまう。
背中がむず痒い。僕は「一人でも歩ける」とカイルの手から逃れようと腕を引っ張った。
「駄目ですよー。ちゃんと手を繋いでおかないと。迷子になりますから」
逆にさらに力が強くなり、ますます逃げられない。
「それに結構迷いやすい場所でもあるんですよ。こうしていたほうが安全だと思いますけど?」
眩しい笑顔に僕はまたカイルから遠ざかる。でも繋がれた手が、距離を離してくれない。
最後の抵抗でカイルから顔を背け、こう言うのが精一杯だった。
「-----余計なお世話」
カイルが来てから幾度となく言ってきた言葉は、最早捨て台詞みたいに僕の中で定着してしまっている。負けてしまっているけど、僕はそれを認めたくなくて、ついその言葉が口をついて出てしまう。
「はい。余計なお世話です」
カイルも同じように返して笑う。
恒例になりつつあるやりとり。これを繰り返す度、これまで僕が作ってきた心の壁が透いてくる。
そして出来た隙間から、カイルが裡に入り込んできて、僕は立ち竦む。徐々に緩やかに、でも確実に僕の世界は変わっていくのが恐ろしい。
「それじゃあ、行きましょう」
僅かな自分の変化に戸惑う僕の手を引き、カイルは階段を降り始める。大股に歩く彼は、ゆっくりとした歩調で、歩幅も狭く足を進めていた。すぐに気付く。そんなに速く歩けない僕に、歩みを合わせているのだと。
僕はちらりとカイルを見上げた。楽し気に辺りを見回し、口元が上がっている。ここの所、カイルはずっと僕に(別にいいと言ったのに)付きっきりだったから、街に下りたのも僕同様久しぶりなんだろう。
「……カイルは行きたい場所とかあるの?」
「え?」
「カイルの行きたい所に行っていいんだよ」
どうせ僕は行きたい場所を知らない。なら、カイルに任せたほうがいいだろう。だが、カイルは首を縦に振らない。
「まだ決めてません」
「でも」
「で、決るまでゆっくり散歩でもしてればいいんです。それでもしティー様が見てみたいものを見つけたら、遠慮なく言っていただければ、そこに行く事にしましょう」
勝手に決めて、カイルはまた視線を元に戻した。
----気を遣っているつもりか。
だが僕はそれを口には出さなかった。言ったって、また背中がむず痒くなる笑顔を見せられてしまう。だったら黙ってついて歩いたほうが余程得策だ。
改めて僕は街を見てみる。
河の上に造られた都。石造りの道の下を水が流れ、涼やかな音を立てる。その上を行き交う人は、みんな活気に溢れ、表情が輝いていた。今の生活を精一杯楽しんでいる。
道ばたで露店を出しているおばさんは元気に声を張り上げ手を叩き、僕より小さな子供達ははしゃぎながら隣を駆け抜けていった。まるで風のような勢いに元気だなと思う。
見習いとは言え、女王騎士を傍に置いている僕が王族だと分かったんだろう。道行く人たちは、みんなこっちに視線を向けた。太陽宮ですれ違う貴族達とは違う、とても優しい目で見ている。誰かにじっと見られるのは苦手で、すぐにおなかが痛くなっていたが、今は不思議と落ち着いていた。
向けられる好意。だけど僕はそれを素直に受け入れられなかった。
「どうしてみんな、あんな目で僕を見るんだろうね」
太陽宮では男の王族と言うだけで、多くの貴族には蔑みの対象になっている。いつも冷たい目や陰口を受けていた身としては、街の人の暖かさにどう反応していいか戸惑ってしまう。
「そりゃあ、ティー様が良い子だって分かっているからですよ」
当たり前のようにカイルが言った。
「ファレナを頑張って立て直した陛下とフェリド様の子供ですから、ね」
「…………」
恥ずかしい。どうしてカイルの口は、止めどなく恥ずかしい言葉ばかり出てくるのか。心抉られる陰口よりはまだマシだが、代わりに頬が熱くなって苦しくなる。
冷ましたくても手は繋がれたまま。早く離れて火照った頬を冷ましたい。
「あっ、カイル」
僕は咄嗟に目についた露店を指差した。果物を売っているお店のようで、並んだ篭には林檎や蜜柑が山積みされている。
「僕歩き疲れたから休みたいな。あそこで何か買ってきてくれない?」
「構いませんよ。林檎でいいですか?」
「うん。僕ここで待っているから」
「ちゃんと待っててくださいね」
カイルを送りだす事に成功し、一人きりになった僕は手を扇いで作った緩い風を頬に当てる。手首が痛い程振っても、なかなか熱は冷めてくれない。ムキになってさらに掌で扇ぐ。
何でこんな事に必死になっているんだろう。カイルのせいだ。あんな事を言わなかったら、こんな苦労せずに済んだのに。
苦労をさせる当人は、言い付けを素直に守っていい林檎を買おうと真剣に物色している。帯の裾が、ゆらゆら揺らめいていた。
----良い子だって分かってますから。
「………」
カイルは僕をそう評したけれど、僕自身はそう思えない。
自分の暮らす場所さえ満足に把握出来ない無知さ。住んでいる民の、好意すら受け止めきれない。閉じこもって本ばかり読んでいた人間を、どうしてそんな優しい目で見てくれるのか。
疎まれたってしょうがない存在なのに。
頬の熱が、急速に引いていく。代わりに沸き上がる言い様のない無力さが、僕の心を否定的な考えで包んでいく。
「……なんで僕がここにいるんだか」
本当だったら僕は、あの時に。
ぶつかってきた何かに押され、僕は前によろめく。
「悪い」
感情の篭らない声が、後ろから詫びてきた。どこかで聞いた事のあるそれに、僕は振り向く。ぶつかったらしい男が、こちらに見向きもせず、そのまま歩いていった。本で見た事がある、船上で集団生活を営むラフトフリートの民が好んで着る羽織が、目に焼き付く。
ぼさぼさの髪。気怠る気に揺れる手。
----鞘に納められた刀。
僕はこの人を知っている。
どうしてか分からなかったが、脳のどこかで記憶がそう言っている。
男は、角を曲る。
姿が、消えてしまう。
----会わないと。
説明し難い衝動に突き動かされるように、僕は走り出した。男の後を追い、カイルの言っていた事も忘れて。
選り抜いて買った林檎を手に、カイルは露店を後にした。ティーが待っている。疲れているから早く座れる場所まで移動しよう。オレの我が侭で街に出てもらったから、ちゃんと不自由無くしてあげないと。
「ティー様、お待たせしました----」
別れた場所にいる筈の小さな姿が見当たらない。
カイルは辺りを見回す。人の往来が激しいが、すぐに見付かりそうなあの銀色がどこにも無い。
「----ティー様?」
手から林檎が落ちて、転がっていく。
何度も角を曲り、見失いそうになりながら僕は遠い背中を追い続けた。相手は歩いているのに、追いつけない。見えない壁に阻まれているようだ。
走りすぎて乾いた喉は痛んで、肺が苦しそうに新鮮な空気を求める。足はもつれ、幾度か転びかけた。
やっぱり運動不足は否めない。悔しいがカイルの言う通り、もう少し身体を動かすべきだったかと、今更思った。
疲れて休みたくても、足は止まらない。訳も無く出てくる衝動に突き動かされるように駆けていく。
「あっ----!」
男が入った角を曲ると、直ぐ目の前に壁が迫っていた。咄嗟に手をつき出し壁につくと、全力疾走の衝突を何とか免れる。
怪我をせずに済んで安心しながら、僕は壁を見上げた。
広がる空。それ以外は何も無い。
確かに男は、この道に入ったのに。求めた姿は綺麗に消え失せてしまった。
息を切らした僕は、疲れ果て壁に凭れ掛かる。丁度そこは日陰になっていて、冷たい石の感触が心地良い。ぺっとり頬をつけて息を整え、もと来た道を引き返す事にする。会えないのは残念だが、これ以上は探しようも無い。諦めるしかないだろう。
重い足取りで通ったばかりの通りに出て、そして気付いた。
ここがどこだか分からない。
一気に血の気が下がり青ざめる。男を探すのに夢中になって、走った道順を覚えていない。右も左も分からない場所だらけだ。
どうしよう。
僕は逡巡した後、取り合えず通った覚えのある道へ歩き出す。辛うじて頭の中に留まっている記憶の糸を手繰り寄せ、今見ている景色と重ねた。
うまく当てはまらない。
焦りが生まれる。迷子を自覚してしまうと、ソルファレナなのに全然違う世界みたいだ。
不安に押しつぶされそうになるが、こうなったのは自分の責任だ。勝手に動いて、滅茶苦茶に道を走った結果。手を握りしめ、込み上がる不安を歯で食いしばって押さえる。
カイルはきっと心配しているだろう。何も言わずに行ってしまったから。必死に探しているに違いない。容易くその様子が想像出来て、気が重くなる。
早まった事をした。
カイルに振り回されてると思いながら、僕だってカイルを振り回している。
「……謝らないと、いけないよね……」
悔恨を込めて溜め息をついた。
「----ティー様!」
「……カイル!?」
溜め息を掻き消す大きな声。聞こえてきた方向を向くと、走ってくるカイルが見える。予想に違わず、表情は必死そうだ。
全力で走って僕の元に辿り着き、カイルはしゃがみ込む。手を折り曲げた膝の上に置いて、荒く呼吸を繰り返し、初めて彼は怒りを見せた。
柔和な笑みが消え、僕をきつく見据える。目の奥で揺らめく怒りに、本能的に後ろに下がった僕の頬を挟むようにして叩いた。
冷めたはずの熱が、痛みと共によみがえる。
「オレ、言いましたよね。待っててくださいねって」
「………」
僕は頷いた。
「ティー様、言いましたよね。ここで待ってるって」
頷く。
僕の頬を叩いたカイルの手が下に落ち、肩を掴んだ。カイルは辛そうな顔をして言う。
「心臓が止まったかと思いました。戻ったらティー様がどこにも居ないから。何かに巻き込まれたのかと」
声が震えている。出てくる汗を拭いもせず、怒りと不安が混ざりあった目で僕を見ていた。まだ整わない呼吸は沢山走り、僕を探していた証。
「………ごめん」
謝罪の言葉が口から滑り出た。
勝手な行動でカイルを心配させた。言い訳を言い繕ってたとしても、僕が一番悪い事には変わりない。罪悪感から僕は「ごめん」と繰り返す。
何時だって僕は人に迷惑をかけてばかり。手を握りしめ、情けなさに肩に置かれた手がとても重たく感じた。
息苦しい沈黙が落ちる。
静かに、カイルは僕を見つめた。
「反省、しましたか?」
「……うん」
「もう勝手に行かないって約束出来ますか?」
「----うん、約束する」
「そうですか」
そこでようやくカイルはいつものカイルに戻った。真剣な眼差しが緩み、安堵して胸を撫で下ろす。
「じゃあもういいです」
「----いいの?」
もっと怒ってもおかしくないだろう。痛みの引いた頬を擦りながら僕はそう訊ねた。
カイルは頷く。
「いいんですよ。ちゃんとティー様が自分が悪いって思ってるんですから。これ以上怒ったら逆効果ですよ」
「ぎゃく、こうか?」
「オレだったらへこみますから」
カイルは立ち、僕の手を握りしめる。走っていたせいで少し汗ばんでいたが、嫌だとは思わなかった。振り払おうとも、思わない。
「もー、今日は帰るまで離しませんからね!」
余程心配してくれたらしい。力が篭る手に、僕は苦笑する。心がくすぐったくて、そこまでしなくていいのにと言いかけるが、止める。カイルに不安を与えてしまったから、今日ぐらいは許容してあげよう。
僕は小さくカイルの手を握り返した。
「----そう言えば何でいきなり走ったりしたんですか」
「内緒」
「心配したんですから教えてくださいよ」
「内緒ったら内緒」
言い合いながらも、繋がれた手は離れず、僕の歩調に合わせてカイルとゆっくり歩く。
それからカイルは僕が迷わないよう、徹底的にソルファレナを案内してくれた。目印を見つけたらすぐに教える彼を、周りの人たちは優しく見ている。それは時折、僕の方にも向けられたが、今度は何とか手を振りかえして応えられた。
途中で食べ損ねていた林檎を再び買い、かぶりつく。とても美味しいと素直に思えた。
久しぶりの街は、色々な事があって疲れたけど、でも来てよかったと思った。
繋がれた手に安心を覚えながら、僕は歩いた。
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06/04/29
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