出会ってそうそう無理矢理僕を引っぱりだして、連れ出したのはてっきり話すきっかけか何かを見つける為の作戦だと思っていたけれど。どうやらカイルは元々そういう性質だったらしい。
 次の日に現れたカイルは女王騎士の鎧を脱いでてエプロン姿。太陽宮で母上や父上の身の回りの世話をしている人たちと何ら変わらない格好に、僕は呆れた。
 頼めば、やってくれる人たちが大勢いるのに。
 そう言うとカイルは机に置かれた本を移動させながら、

「そんな事言わずに! それにどうせ王子は片付けさせるつもりなんてないんでしょ? こんなに本を溜めちゃって」

 ……ぐうの音も出ない。
 今まで閉じこもって本を読んで、読み終わった本は何処かに置きっぱなし。それが長らく続けば本で埋もれた部屋の出来上がりだったし。床や机に高く積まれた本の山を見ると、確かに部屋の汚さを実感せざるを得なくて。

「だからオレがやるんでーす」
「……僕もやるよ」
「いいんですよ? オレの勝手でやるんですから」
「ぞんざいに扱われて本を痛めさせても困る」
「ああ、そうですねー」

 カイルはあっさり「じゃあさっさとやってしまいましょう!」と窓を開けた。
 ひゅうおと吹いて来た風がカーテンを巻き上げ、室内に綺麗な空気を吹き込ませる。飛んだ埃が日に当って光る。

「取り合えず本は一纏めに置いておいたほうがいいですかねー?」

 カイルは本の背を掴んで上に上げる。あまり丈夫じゃなかったらしいその本は風に当って頁がべらべら曲った。

「ばっ! そんな風に持たないでよ!!」
「あー、すいませーん」

 ……何だか思い出して頭が痛くなって来た。
 出会ってから、よく怒鳴っていた気がする。でもカイルは笑ってて、それが更に神経を逆撫でしていた気もした。

「……どうして父上はこんな人を専属護衛に選んだんだろう……」
「何か言いました?」
「何も」
「おや、何だいティー。随分大掛かりな掃除だね」
「----叔母上」

 部屋に入って来た叔母上は、本で一杯の部屋を見回し「丁度いいじゃないか」と言った。

「最近のあんたは本を読んでばかりだ。少しは身体を動かしたほうも良い。ついでに部屋も綺麗になるから一石二鳥だ」
「叔母上……。そう言うなら手伝ってください。こっちは大変なんですから」

 恨みがましく見ると叔母上は慌てて肩を竦める。

「いや、あたしはティーの新しくついた護衛の顔でも拝もうと思ってやってきただけさ。すぐに帰るよ」
「えー、そうなんですかー?」

 叔母上を見るなり、カイルは尻尾をぶんぶん振る犬のように近づく。綺麗な女の人が好きなんだろう。叔母上を見ている眼がきらきら輝いていて、それがなんだかむかついた。

「オレとしては、このあと一緒にお茶なんてどうですかと誘いたい所なんですけどね」
「あんたはこの子の護衛だろ? 確か名前は……カイル、だったか」

 叔母上はカイルの誘いを躱し、じっと見習い女王騎士(今の姿じゃとてもそう見えないけど)を爪先から頭の天辺まで凝視する。

「……ふーん」
「えー? オレの顔に何かついてます?」
「いや、こうして見ただけじゃ分からないもんだなと思ってね。----ティー」

 カイルの顔を指差して叔母上は心底不思議そうに、

「あんたは信じられるかい? このカイルは先のア−メスとの戦でウソみたいな活躍をしたって」
「えっ」
 
 知らなかった。

「確か……先陣を切って闘って、沢山の兵相手に無傷で帰って来たとか、他にも色々あるらしいけど、そこらの大人顔負けの闘いっぷりだったって義兄上が言ってたよ」
「………」
「えー、そんなふうに言われちゃうと照れちゃいますねー」

 黙りこくる僕の隣でカイルはへらへら笑っていた。思わず疲れて溜め息を漏らすと、

「……まぁ、それだけの活躍をしたって事なら腕も立つんだろうし、頼りにはなるか」

 叔母上がフォローするように言ってくれた。けど、僕はますます気が重くなるばかり。
 だって、今まで殆ど一人でいられたのに、いきなりこんなカイルを横に置かれたら五月蝿くて溜まらない。さっきまで直ぐ読める場所に置かれてた本は纏められて。部屋は綺麗にすべきだけど、自分の作り上げた世界が消えてしまった気がして。
 足元から崩れていってしまいそうな浮遊感に襲われる。
 僕はきゅと唇を曲げた。

「僕、人を呼んで来ます。二人だけじゃ到底終わりそうにありませんから」
「あ、ティー---------」
「失礼します」

 叔母上が呼び止めるが、僕は聞かずにそのまま自分の部屋を出ていく。
 後ろ手に閉めた扉の向こう、二人がどんな顔をしているのか見たくなくて、そのまま歩いていく。
 別に僕はいらないのに、護衛なんか。
 僕は階段を降りる。気持ちが逸っていたせいか、自然と急ぎ足になった。

「今まで居ない事の方が多かったし、僕もそれで全然構わなかったし」

 寧ろ一人のほうがどんなに心地よかったか。
 ほうと僕は溜め息をつく。
 何となく……今の状況は怖いんだ。さっきも感じた落ちていく浮遊感に襲われて、足元から自分の世界が崩れてしまいそうになって怖くなる。
 ファレナは女王が治める国で、男の王族がないがしろにされる事など珍しくない。それは僕も良く理解しているし、今まさに直ぐ傍で聞こえてくる口さがない言葉を聞く事だって当たり前の事なんだ。
 僕は廊下を曲る一歩前で立ち止まった。息を潜め、見付からないように覗き込むと、貴族と思わしき男が二人向かい合って声高に何かを言っている。
 耳を澄ませるまでもない。僕に対する陰口でも叩いているのは明白だった。多分、何も知らない人が聞いたら耳を覆いたくなるような、心を切り刻む言葉の数々が、男達の口から淀みなく出てくる。よくもまあ、そこまで蔑まれるなんて。立場の狭さにいっそ笑いたくもなる。
 ----慣れているけれど。
 平気だけれど。

 へいき。


 掌をきつく、握りしめる。

「------あんな面立が陛下に似ている男の王族なんて腹立たしい」
「ああ、ああ。見ているだけで虫酸が走る」
「なのに、見習いとは言え、女王騎士を護衛につけるとは、女王騎士団長は何を御考えか」
「どうせ死んだって、国には何の影響もないだろう。他国に婿へ行くしか使い道のない役立たずに、そこまでの価値はない」

 こんなの慣れて、
 僕はぎゅうと締め付けられる痛みに、腹部を押さえる。
 俯いた僕の横を、ひらひらと白いものが横切った。



「なら貴方たちはそれ以下の価値ですね」
「………!?」

 男達がいきなり出て来た存在に眼を見張った。
 カイルだ。
 部屋に残るように言っておいた男が、何時の間にか僕を男達から遮るように立っている。
 表情は見えなかったけど、男達が怯えている所を見るとカイルは、怒っているのだろうか?

「可哀想ですねー、何にも分からない人たちは」
「なっ、何を……」
「王子は誰よりも陛下やフェリド殿、周りの人たちの事を考えていらっしゃる、それはもう優しい、いい子なんですよ? それが分からないなんて本当可哀想」

 カイルは大袈裟に肩を竦め、嘆くように掌で眼を覆う。
 わざとらしい演技に、男の一人が怒って指をカイルに突き付けた。

「ここに来てから、数日の人間が何を……!」

 ひっ、と男が喉を震わせ、突き付けた指が動揺で揺れる。

「利益だけを求めて薄っぺらい忠誠しか持ってない人には言われたくないですよ」
「………」
「さーてどうしましょうか? 不敬罪として陛下にちくっちゃおっかなー」
「………っ」

 行くぞ、と男達は互いに眼で合図をしてそそくさと去っていく。逃げる後ろ姿は卑小でとても惨じめに見えた。
 呆然とそれを見つめていると、カイルが「大丈夫ですか?」と跪いた。

「あーあー。こんなに強く握っちゃって。爪が食い込んじゃいますよ」

 ゆっくりカイルは僕の手を包み込み、暖めるようにそっと指を解いていく。掌に血が滲んだ爪痕が四つついていた。

「やっぱり血が出てる。痛くないですか?」
「--------痛いよ」

 掌に視線を落としていた僕は、そっと上を向いた。直ぐ近くにあるカイルがほんの少し悲しそうに僕を見ている。
 どうして僕をそんな風に見るんだろう。
 僕はそんなに痛々しく映るんだろうか。

「カイルは、」
「はい?」
「カイルはどうして僕にそんなに優しくしてくれるの?」

 外から来た人間は、大抵僕を冷たい眼で見る。役に立たない男の王族に対する蔑みと、母上や父上に取り入ろうとするだけの道具としか考えないような打算ばかり。
 だから、カイルのように最初から好意を持たれて接するなんて殆どないから。

「どうしてそんなに護ってくれるの?」

 カイルの眼が一瞬細まって、何かを耐えるように感情を抑えてからゆっくり元に戻っていく。
 そうして僕の掌に出来た傷にそっと指先で触れた。

「それは、自分がかわいいからです」
「………は?」
「誰かが怪我をしてたり傷付いてたりしてると、オレも何だか痛くなっちゃいますから」

 ここが。
 カイルはそっと自分の心臓を押えた。

「オレ、自分が痛いのなんて嫌ですもん。だから、王子が傷付く所なんて見たくありません。見ちゃったら、自分も痛くなっちゃいますから。アル・ティエン様だってそうでしょ?」
「………?」
「陛下やフェリド殿やサイアリーズ様達を悲しませないように、我慢しちゃって」
「………っ!」

 言葉に詰まった。

「本当にアル・ティエン様はいい子ですねー。自分が泣いちゃったら、心配すると思ってたんでしょう? 余計な不安を背負わせて、仕事に支障を来してしまうかも知れないから。だから我慢して」

 カイルはにっこり笑う。

「本当、守り甲斐のある人ですよ。貴方は」
「………」

 僕はますます返答に困った。ああ、どうしてカイルはそういう事を衒いもなくあっさり言えるんだろう。
 じんわり不意に眼の奥が熱い。そこから零れてしまいそうになった水を慌てて拭った。

「-----エプロン姿の女王騎士に言われても、説得力がないよ」
「あれっ、そうですかねー。オレ的には似合ってると思うんですが」

 駄目ですかねえと自分の格好を見回すカイル。
 とぼけてやっている彼がおかしくて、僕は思わず吹き出してしまう。

「カイルって変な人」

 久しぶりに出した気がする表情を見て、カイルが言う。

「笑った顔、ようやく見れました」


 そっちの方が何倍も素敵ですよ−。
 そう言ったカイルは、とても嬉しそうだった。


06/03/21
自分で書いてて何ですが、こんな9歳(うち設定です)居ないよね……