八年前の僕は、結構捻くれていたかもしれない。


 閉じこもって、外を見ないようにしていた。今の僕にとって、そこは怖くて、暗くて、自分を傷つけるようなものばかりがあるように思えたから。
 母上は、早く国を立て直そうと必死に動き、政治を治めて。父上も----あの時は幽世の門の解体と、その騒動に巻き込まれて保護されたリオンの世話に忙しかったから、二人とも会う事なんて殆どなかった。
 ……え? リオンの世話がどうして必要だったんだって? 太陽宮ならそうする人間は幾らでもいるだろう?
 そうだね、普通はそう思うよね。父上も他の人に任せようと思っていたらしいんだけど。
 でも父上じゃなければいけなかったんだよ。
 リオンはね、今でこそあんなに笑えるようになったけど、保護された当初はそれはもう凄い怯えようだったらしいんだ。暗いのも、一人でいる事も怖くて父上が居ないといつも泣いてた。
 僕も一度、父上に抱きついてあやされているリオンを見た事があるよ。泣いてたリオンはとても苦しそうで、見ている僕も辛かった。
 だから、父上を取られた気がしても仕方ないと思った。苦しい時何かに縋り付きたくなる気持ちを、良く知っているから。
 リムはまだ2歳だったから、必然的に世話や護衛につく人間も増えて、必然的に僕につく人間は減っていったよ。ファレナじゃ、男の王族は軽んじて見れるのは当たり前だから、別にいらないんじゃないかって言う言葉も嫌って言う程聞いた。
 そんな顔しないでよ。僕こう見えても、昔からああいう嫌みは耳が腐りそうな程聞いちゃって、慣れてるんだから。
 ----淋しい事だけどね、慣れちゃったから。
 それでも聞いてて気分が良くないし、僕は自分の部屋に閉じこもっていて、本を読む事を選んだ。読んでいる間は今置かれている状況を忘れられるし、外に出なくてもいいし、何より人と会わなくて済む事にとても安心していた。何も聞かなくていいから。
 凄く狭い世界でしょ?
 でも僕はそれで満足して----と言うよりも満足していると納得させようとしていた。どうせ何時かはここを出ていく身だから、余計な事をして出しゃばって、父上や母上の迷惑になんてなりたくなかったし。
 誰も僕を見なくても、淋しさに慣れててもたまにきゅうとおなかが痛くなるのも、仕方ないって諦めていた。
 これからはずっとこんな風に過ごしていくんだろう。
 漠然とそう考える時も多かったし。




 だから。



 あの時のカイルはとても尊いものに思えたんだ。






 その日も、朝からずっと部屋に閉じこもって本を読んでた。起きた時、珍しく控えていた侍女が何か言っていたような気もしたけど、気に求めずに窓にくっ付けるように置いた机に座って、頁を捲っていたよ。運ばれてきたご飯にも手をつけず、ずっと文字に眼を通してた。
 何時ぐらい経ってからだったかな……? そうだ、お昼を過ぎた辺りだったかな。ふと後ろで扉が開いたみたいだったんだ。
 僕は左程気に止めずに……、と言うか気付かなかったんだけどね。入ってきた誰かを確かめもせずにそのまま本に没頭してた。いつもの侍女だったら、背中を向ける僕には何も言わず、頼んだ物を置いて直ぐに出ていくから。
 でも、今回は違った。入ってきた気配は、最初扉で立ち止まっていたけど、直ぐにどんどん僕に近づいて、

「そんなに近くで本を読んだら眼が悪くなりますよ−」

 僕の視界から文字が消える。
 いきなり伸びてきた手が、本を取ってしまっていた。
 いきなり現実に突き戻されたような気がして、僕はいら立ちを隠さずに犯人を睨み付けた。
 金色の髪が眼を引いた。
 僕の後ろに、見た事もない男が立っていた。青い垂れ眼で、興味深そうに笑っている。
 着ている鎧は女王騎士のもの。だけど彼のそれには襷はなく、腰に帯が巻かれていた所を見ると、恐らくまだ見習いなのだろう。他の女王騎士は髪を後ろで一つ結わえているのに、彼の髪はそこまで伸びていなくて、下ろしたままだ。端は肩すれすれまでしかない。
 彼は僕から奪い取った本をしげしげと見つめ、

「うわー。結構難しい内容を読むんですねー。肩凝りません? オレだったら三行で寝れちゃう自信がありますよ」
「……だれ」

 自分でも吃驚する程の冷ややかな声。彼は驚いてきょとんと僕を見ていたけど、直ぐにさっきの笑みに逆戻りすると僕に視線を合わせるように屈んだ。
 大きな眼に、僕の姿が映りこむ。あまりの真直ぐな視線が怖くて、少しだけ俯いた。

「初めまして、ですよね。アル・ティエン様。オレ、カイルって言います。今日からアル・ティエン様の専属護衛兼お世話係を仰せられ、参上致しました」
「え」

 初耳だ。

「僕はそんな事聞いてない」

 カイルは「あれー、おかしいですねー」と可愛らしく(似合わないけど)首を傾げた。

「今日の朝、誰かから聞きませんでしたか? 護衛がつくって話」
「………」

 僕はそこでようやく朝聞いた内容がこの事だったのだと理解した。
 素直に自分の非を認めれば良かったのかもしれない。だけど僕はせっかく本に没頭して読んでいた本を奪われたのと、カイルの馴れ馴れしい態度についいら立ちをぶつけてしまう。

「僕は何も聞いていない」
「えーでも、任されちゃったしー」
「例え貴方が父上に了承されたのだとしても、僕はまだ了承してないしするつもりもない。----勝手に入ってこないでよ」

 言ってて嫌になった。こんな事を言ったら父上が困るのが眼に見えている。カイルだって苦い顔をして僕を見ていた。
 でも、今はこのままで居たい。誰にも関わりたくないし、話したくなかった。
 他人の存在が疎ましい。
 傷つけたくない。傷付きたくない。

「いいから……出てって。僕の邪魔をしないで」
「………」

 カイルは暫く黙り込み、考え込むように天を仰いだ。口がへの字に曲る。
 僕は僕で、カイルが出ていってくれるよう願い続けていた。眼を閉じて、目の前の人間が居なくなるようにと掌をぎゅっと握りしめる。

「分かりました」

 カイルが僕の手を掴んだ。
 僕は眼を開いてカイルを見る。
 カイルは笑っていた。

「じゃあ、王子も一緒に行きましょう」

「え」と思う間もなく、僕は引っ張られて部屋を出た。

「いやー。ここって広いですよねー。下手するとすぐに迷っちゃいそうで気が抜けませんよー」

 カイルは言いながら、どんどん歩いていく。遠慮なく大股に歩くから、引っ張られる僕は転げないように歩くので精一杯だ。近頃本を読む事しかしない身体はそれだけでも、心臓がどきどきする。

「もー、実はここに来る時も散々迷っちゃって。遅刻しちゃったんじゃないかってハラハラしてたんですよ。もしかしたらアル・ティエン様を待たせちゃったんじゃないかって」

「待ってない……!」僕は何とかそれだけ反論出来た。

「そんな事よりも早く離してよ! 僕は部屋に戻るんだから!!」
「まーまー、そう言わず!」

 人の話なんか聞きやしないカイルは、にっこり笑って僕の言葉を却下した。そのまま、腕を掴んでいた手を引き、僕を抱え上げてしまう。

「何を……!」
「はーい。じっとしていてくださいねー」

 走り出すカイルに僕は後ろによろめき、慌てて金色の頭にしがみつく。ぎゅうと力を込めると「そうそう、そのまま」と走り出す。
 流れ出し揺れる景色。ぐらぐらと揺れるからだが怖くて、僕はまた眼を閉じた。一体何をやるつもりなのか、この男は。初対面の人間に最初から馴れ馴れしい態度で、不躾な事をして、今も何処へ連れていこうとするのか。
 階段を昇る足音が暫く続く。止んだと思ったら、今度はきいいと扉が開く軋んだ音がした。
 瞼の裏が白くなって、眩しさを感じる。ああ、これは太陽の光だ。しばらく外に出なかったから、余計に眩しく感じる。

「はい、着きましたよ」

 カイルの言葉に、僕は眼を開けた。

「あ………」
「綺麗でしょ?」

 得意顔で笑うカイル。
 カイルに担がれた僕の眼に映ったのは、太陽宮のテラスから見えるソルファレナの城下と、遥か遠くまで流れていくフェイタス河。そして、連なる緑の山々。
 視線が高くなったせいだろうか。爪先を伸ばしてしがみつき、それでもほんの少ししか見えなかった時とは大違いで、それはとても新鮮なものに見える。

「近くのものばかり見ていると、見えるものも見えなくなっちゃいますよー」

 カイルはにっこり満面の笑みを見せた。

「こうやって、遠くのものも見なきゃ」

「ね?」と訪ねるカイルはとても優しい顔をしていた。
 僕は戸惑う。こんな風に僕を見てくれる人はとても少なく数えられる程度しかいない。女王騎士の人たちは、どこか厳しい人が多くて近寄り難い人も多かったから、目の前の見習い女王騎士の笑顔はどうにも僕の調子を悉く狂わせる。
 でも、見せてくれた景色はとても高く、綺麗で。こうやって抱き上げられるのも、本当に久しぶりだった。
 だけど、その時の僕は捻くれていたから出てきた気持ちを口にせず、そっぽを向いた。

「----余計なお世話」
「そうです。余計なお世話でーす」

 冷たい言葉にも堪えずカイルは笑った。
 その表情は、まるで暖かい太陽の日溜まりのようだと思った。


 これが、カイルとの最初の出会い。
 まさかこの時点で、何時かこんなにもカイルに心が揺さぶられるなんて、子供だった僕にはまだ知る由もなかったけど、それでも、その時抱き上げてくれる手の感触がとても嬉しかった事だけは今でも覚えているよ。
 今は、胸が捩じれるような苦しさも同時に感じるけれど、ね。


06/03/21