- アイフェルのサファイア-

 

 何処を向いても石ばかりが見える、遺跡研究会の部室。中には、数えるのも億劫になるぐらいの石が、置かれていた。無造作に机に置かれている石もあれば、大切にケースへ仕舞われているものもある。沢山の月日をかけて集められてきた石たちが、物言わず部屋に入る人間を見つめている。普通の感覚を持った人間なら、その異様な圧迫感に、思わず身を引いてしまうかもしれない。
 だが、今室内に入る人間は、あいにく普通の感覚を持っていない人物ばかりだった。その一人、暁斗は積まれている石を丁寧に移動させて、使われず眠ったままのコンセントを発掘した。
「やった」
 喜びながら、電気ポットのコードを手に持ち、そこにプラグを差し込む。久しぶりに稼動を開始したポットのランプが付いて、静かに水を熱し始めた。
「動かした石って、また後で元通りにすればいいのか?」
「いや、ちゃんと君は考えて移動してくれたから、そのままで構わないよ」
 石に囲まれ、恍惚とした笑みを浮かべながら、部屋の中央に置かれた机に黒塚は座っている。丸いドームのような形状のケースに入った、石を見つめ愛おしそうに擦る。その真向かいに席へ付いた暁斗も、動じず自室から持ってきたコーヒーを家庭科室からくすねたカップの中へ入れた。砂糖は一杯分しかない。黒塚のものだ。
「どうだい、初めて来た、僕の神聖なこの場所は」
「思っていた通りの場所だったよ」
 暁斗は周りを見回して、黒塚らしい部屋だとしみじみと呟いた。そうだろうと黒塚も頷く。
 鍵を暁斗に上げてから数日して、彼は来てくれた。黒塚はそれをとても嬉しく思う。突然会って、石の話題を繰り返しても、暁斗は嫌な顔をせず聞いてくれ、ここにいても、いつもの葉佩暁斗と変わりがない。
 暁斗は、数少ない石への情熱、話に理解を示してくれた友人だ。
「何か、黒塚らしい部室だよ。こんなに集めるの、苦労しただろ」
 それに、ちゃんとこちらの事も考えて発言してくれる事も好ましい。
「もちろん。中にはなかなか出会えなくて、歯がゆい思いをした石もいる。だからこそ、この手に触れ出会えた時、僕は歓喜に打ち震えてしまうんだ」
「へェ」
「それにここには石の囁きが満ちている。こうやって座り、眼を閉じればものすごく落ち着ける」
「……分かるよ」
 暁斗はそっと眼を閉じる。頭を仰け反らせ、天井を仰いだ。
「こうしてみると、ここは石研の部室だろうけど、まるで『あそこ』にいるような感じになるんだ」
「ふふふっ、気が合うね。最近は僕もそう感じるんだよ」
 暁斗の言う『あそこ』とは、天香学園の下に眠る、広大な遺跡の事だ。あそこは黒塚にとっては実に素晴らしい場所で、まだ見ぬ石が眠りながら自分を待っている。まさに、石の楽園だ。
 ポットの注ぎ口から湯気が昇る。お湯が沸いた。暁斗はコンセントを抜き、ポットを手にした。カップにお湯を注ぎ込むと、コーヒーの香りが充満する。
「砂糖だけで良かった?」
「構わないよ。ありがとう」
 暁斗からコーヒーを受け取り、さっそく黒塚はカップに口をつける。彼の煎れるコーヒーはとても美味しい。そして、こうして語らえるのも、とても楽しいのだ。
 もう少し、この学園に早く来てくれれば良かったのに。黒塚は心から残念がる。石に詳しくて、理解もあり、そして遺跡へと連れていってくれた暁斗が、もっと早いうちから来てくれていたら、遺跡に入れたのも早く実現しただろう。暁斗と語らう時間もきっと増えた。それなのに、連絡先を教えるまで、未知なる石の匂いをさせる暁斗に気づけなかったのが悔しい。きっとラベンダーのアロマのせいだ。
 少し、力を込めながらスプーンを回し、コーヒーに入れた砂糖を溶かす。
「石と言っても、色んな風に仕舞ってあるんだな」
 砂糖もミルクも入れずに、コーヒーを飲む暁斗は、棚に飾ってある標本を指差す。
「普通のケースに仕舞ってあるのもあれば、とても強固に仕舞ってあるのもある。で、あそこに置いてある大きな石は、河原で拾ったものなのか?」
「違うね。あれは廃屋街で見つけたものさ。劣化して崩れた建物の下にあったものだよ」
「へェ」
「−−石と言ってもね、全てが全て、棚に仕舞えば良いってものじゃないんだ。科学的名称『硫酸銅』とも言われるカルカンサイトは、水溶性だから水に弱いし、乾燥しすぎても駄目になってしまう。保存の難しい石なんだ」
 黒塚は棚から小さい箱を出した。中に無色透明な石が入っている。
「これは透石膏のセレナイトさ。姿形は清廉でとても美しいのに、酷く脆くて傷付きやすい……。ああ、なんて繊細な子なんだろう。
 他にも、色々な特徴を持つ石が多いから、その一つ一つの性質を見極めて大切に扱わないとね」
「黒塚がいつも持っているそれも?」
 暁斗は黒塚の膝に乗っている、ケースに守られた石を指差した。
「ああ、そうさ。これはとても大切なもの。何があっても守りたい、側に置いておきたい子だよ」
 うっとりして、黒塚は愛おしそうにケースへ指を這わせた。中で、静かに石は外から差し込んだ光を反射している。いつ見ても、その美しさは失われず、自分の中にある。
 本当に愛おしそうな表情に、暁斗はうらやましそうに眼を細め、コーヒーを飲み終えたカップを置いた。
「そんな風に思えるものがあるってうらやましいな」
 暁斗にはあまり似合わない、寂しそうな顔に黒塚は尋ねる。
「……君にはないのかい?」
「あった。けど、なくした」
 そうして誤魔化すように暁斗は笑うが、寂しさは消えないまま。
 ああ、なんて彼に似つかわしくない色だろう。暁斗を石に例えるなら、きっととても美しい強い石だろうに、それが彼をくすませてしまっている。
 黒塚は立ち上がり、厳重に仕舞ってある箱の鍵を開けた。中には、今まで集めてきた石の、特に気に入っているものたちが収まっている。
「これを、あげよう」
 黒塚は箱の中から、白さの中に翠色が混じる、角張った表面の鉱石を暁斗に手渡した。受け取ってから、きょとんと暁斗は石と黒塚を見る。
「これは、なんだ?」
「アウインさ」
「アウイン?」
「モロッコ等の古代火山に産する鉱石でね、凶事から身を守るとされているラピスラズリを構成する石の一つでもあるんだ」
「−−きれいだな」
 翠色の結晶を覗き込んで感嘆し、それから暁斗は不安げに尋ねる。
「でも、いいのか。もらっても。見るからに希少そうなものじゃないか」
「ん〜〜。確かに一カラット以上のものだったら、珍しいし値うちも高いけど、君に渡したのはまだ小さいものなんだ。いつも遺跡に連れてってもらったり、話に付き合ってくれる礼だと思ってくれれば良いよ」
「でも……」
「なら、これはいつも危険と隣り合わせの君に送るささやかなお守りだと思っててよ。ラピスラズリとまではいかないけど、少しぐらいなら力がありそうだからさ」
「………」
 しばし息を飲んでアウインを見つめていた暁斗は、ありがとう。大切にする。と言ってハンカチを取り出すとアウインを丁寧に包み込んだ。
「出来るなら、大切にしておくれよ。この子も大切な子なんだから」
「分かった。袋でも作って身につけているよ」
 そして、ことさらゆっくりハンカチを仕舞いこむ暁斗。こうして彼は、何に対しても傷つけないようにして振る舞う。自分以外には。
「あのね」
 じっとそれを見ていた黒塚は、不意に言葉を続けた。
「君は、どこか自分を軽く見ている所があるから、それは止めた方がいいと思う」
「−−どこが?」
「自覚が鈍い事にも自覚した方がいい」
 遺跡で、暁斗はよく怪我を負う。彼は大丈夫だと笑って済ませるが、傷口からは血が流れ、石に濡れる。その時、黒塚には聞こえるのだ。
 石が泣いている声が。暁斗の血で濡れた石は、泣いて苦しがっている。まるで、暁斗の気持ちを、かわりに代弁しているように。
 だけど、暁斗は笑う。
 それが気にくわない。黒塚も、そして、
 彼も。
「ようするに、僕が石を大切にして、守って、愛しているように、君を大切にして、守って、側に置いておきたいと思っている存在がいるんだよ」
 黒塚は、苦味を浮かせた苦笑をする。
「彼が機嫌を損ねないように、君は頑張って自分の身を守る義務がある」
「ぎ、義務?」
「そう、でないと−−」
 乱暴な足音が近づき、扉の前で止まる。
「周りに被害が及ぶ事になる」
 黒塚は肩を竦めて、いきなり蹴やぶる勢いで扉を開けた来客者を見遣った。ラベンダーの香りを燻らせる人物は一人しかいない。
 皆守甲太郎だ。
 アロマプロップを口にくわえ、彼は暁斗を発見すると、大股に歩いて暁斗の脳天に手痛い一発を喰らわせる。
「あいてッ」
 まともに入って、暁斗は涙目で頭頂部を押さえた。
「何すんだよ、いきなりッ!」
 怒鳴っても、皆守がその倍暁斗を睨み付ける。
「お言葉だがな、こっちだってさんざん探したんだぞ。なのに、お前は石に囲まれてお茶か? ……いい気なものだな。全然うらやましくないが」
「なんか、微妙にむかつくな……」
「あァ? こっちは貴重な睡眠時間を削ってまで探してやったんだ。今さら忘れたとは言わせないからな。マミーズで奢りの約束をしただろう?」
「ああああ……。カレーの執念恐るべし……」
 暁斗と皆守がそろうと、途端に五月蝿くなる。石のざわめきも、掻き消えてしまう。
 そこが、らしいんだけどね。黒塚は口に出さず、そう思った。暁斗の寂しさが、皆守が来て直ぐになくなり、元の輝きを取り戻せている。
 こっそり笑って、言い合いをしている二人の間に入った。
「さて、これ以上いられると大切な石たちが怯えてしまうからね。暁斗君、今日はこれでお開きにしようか」
「……そうだな。皆守の機嫌を直す為に、カレー与えないと」
「ぜひ、そうした方がいいよ。ああ、片づけは僕がやるから、はやく皆守君の気を鎮めてあげて」
「……お前ら、人を獣みたいに扱ってんじゃない」
 がなる皆守の背中を押して、部屋から追い出した。
「黒塚、今日はありがとう」
 ポケットの上からハンカチに包んだアウインをそっと掌で押さえ、暁斗は笑った。
「また、遊びに来る」
「君ならいつでも大歓迎さ。この子たちと待ってるから」
「おう」
 扉が閉まる。遠ざかる足音と、言い合う騒がしさ。静かになっていく部屋は、次第に石の囁きで満ちていく。
「−−君にも、ちゃんといるんだよ」
 僕が石を大切にして想っているように、君にもすぐ近くに、同じような存在が。
 するするとケースを撫で、黒塚は石に語りかけた。
「でも向こうはまだ片思いみたいだけどね。しかも両方自覚はないし。僕らはこんなに相思相愛なのにね」
 ねぇ、と問いかける黒塚の言葉に反応するように、石は光を反射した。彼は嬉しそうにケースに頬擦りをする。

 はやく、気付けばいいのにね。
 暁斗君も、皆守君も。

 それまでは、僕のあげた石が彼を守ってくれるといい。そう思いながら黒塚は、暁斗の手に渡ったアウインに、そっと頑張れと言葉を投げかけた。


それから数日後

アイフェルのサファイアと言うのは、文中に出ていたアウインの事です。
宝石になるような美しいアウインが、ドイツのアイフェルから取れた事から言われているそうですよ。

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