「やぁ、屋上の支配者」
 そんな所で寝そべって、何を思っているのかい?
「……うるせぇよ」
 二時間目が始まって、十二分後。屋上で建物に凭れ眠ろうとしていた皆守は、片目を開け、屋上へとやってきた黒塚を睨み付ける。だが彼は、気にせずほくそ笑むと、皆守の隣へと立った。
 皆守は顔を顰め、身体を横にずらし距離を取る。
「お前、授業はどうした」
「君と同じさ。受け立ってつまらないしねェ」
「なら、部室に行って石に囲まれていろ」
 辛口な言葉に、黒塚は、分かってないねと笑った。
「たまにはこうやって風にあたりたい時だってある。ほら、聞こえないかい? 耳をすませば、遠くから聞こえる石たちの囁きが!」
「……聞こえるのはお前だけだろう」
「そんな事は、ないさ」
 黒塚は笑った。
「暁斗君なら言ってくれるさ。そうかもしれないね、と」
 暁斗なら、耳をすませ風の音を聞き、こっちを振り返って笑って言ってくれる。そんな様子がありありと瞼の裏に写る。
「…………」
 黙り込んだ皆守の横に、黒塚は腰を下ろした。足を投げ出し、大切な石を包み込むようにして持つ。
「彼は、いい人だね。僕の突拍子もない話を聞いて、問いかけにも答えてくれる。素直で優しい、いい子だよ」
「…………」
「君だって、そう思うだろう?」
 黒塚の問いかけに、皆守は舌打ちで返した。
「まさか。あんな猪突猛進で、お人好しバカで、隙を見せようものならくっ付きたがる奴のどこがいいんだ。黒塚、お前の眼鏡の度が合っていないんじゃないのか?」
「悪いけど、抜群に合っているよ」
 石の表面もくっきり見える程にね! ケースに頬擦りをする黒塚に、また皆守が苛立たしく舌打ちをした。そして、ズボンのポケットからアロマプロップを取り出すと、口にくわえて火をつける。次第にラベンダーの香りがアロマプロップを中心に香ってきた。
 皆守がこうしてアロマを吸うのは、何かに苛ついている証拠だ。
「それに、こっちも言わせてもらうけど、皆守君」
「……なんだよ」
「君は嫌がっている割に、暁斗君から離れないよね」
 皆守が眼を見張った。
 黒塚は、暁斗が天香学園に転校してから今日まで、彼が一人でいる所を見た回数は数えられる程度しかない。何かしら、側には皆守がいる。口論や、たまに皆守が暁斗の頭を叩いたり、喧嘩をする場面を多く目撃したが、それぞれが一人でいる所を見るのは、本当に少ないのだ。
 共に行動する二人。暁斗が意識して、皆守と一緒にいようと行動しているのではなく、皆守が自ら暁斗に近づいているように、黒塚の眼には映る。
「それは、君が内心望んでいるから? それとも」
 ラベンダーの香りが、一層強くなる。
「−−いなくちゃいけない理由でもあるのかい?」

 沈黙。

 皆守は黒塚を見ようともせず、アロマを吸った。何かを落ち着かせるように、強く、深く。 かちりとアロマプロップを噛んだ音がした。
 問いには、答えたくないのだろう。口を閉じたまま、固く引き結んで声を発しない。
 黒塚はケースの中の石を見つめる。ものは言わない石だが、何かを伝えようとして声なき声を発している。何かを伝えようと頑張っている。
 昔、本で読んだ事がある。命がないものでも、長い時を経たものは、魂や命が宿るのだと。ならば、とても長く形を変えながらも生きてきた石たちも、魂や命が宿って、誰かに何かを伝えようとしているのだろう。
 耳をすませば、聞こえる言葉。
 声。
 想い。

 言葉を伝える術があるのに、使わない人間よりも余程正直だ。
 ねぇ、そうだろう。黒塚は静かに石に問いかけた。
 皆守は黙り続けている。このまま待っていても、答えは得られそうになかった。
「……まぁ、君が言いたくないなら、それでいいけど。僕にはあまり関係ない事だし」
「……なら、どうしてそんな事を言う」
 怒ったように言う皆守の言葉には、何処か安堵が含まれていた。アロマプロップを手に持ち、淡く昇っていく煙を見つめる。
「僕はね、暁斗君にあげた石が傷付くような事態になってほしくないのさ」
「石……? ああ、暁斗が最近持ち始めた袋の中身か。お前に貰ったって自慢げに言っていたな」
「アウインさ。どんな石なのか、詳しく説明しても聞かないだろうから、言わないけど。暁斗君に降り掛かる凶事から身を守るお守り代わりにね。ただでさえ彼の周りには危険が多いのに、これ以上増えたら暁斗君だって石だって嫌がるよ」
「……お前が石以外のものを心配するとは思わなかった」
 本当に意外だったのだろう。皆守は眼を丸くした。
「ふふふ。それほどまでに素晴らしい人材だと言う事だよ、彼は」
 一頻り笑ってから黒塚は言葉を続ける。
「それに、石が傷付くのが嫌なように、僕は暁斗君が傷付くのを見たくないのかもしれない。せっかく出来た理解ある友達だからね。心配しない方がおかしいだろう? 皆守君だって、暁斗君が心配だから側にいるんだから、それと同じさ」
 皆守は何も答えなかった。その代わりアロマプロップをくわえ、長くラベンダーの香りを吸い、肺の中に満たすと吐き出した。

 

 

 空高く、チャイムが鳴り響く。おやと黒塚は空を見上げた。
「どうやら授業が終わってしまったようだね」
「……お前のせいで、せっかくの一人での時間が台無しだ」
 次は英語だから、暁斗もサボってここに来てしまう。そうぼやく皆守に、黒塚は同情もせずに笑った。全く素直じゃない。立ち上がると背中や尻に付いた砂を払う。
「さて、僕はもう行くよ。次は地学だからね」
「さっさと行け」
「君は楽しい屋上ライフを送るといい」
 皆守が、とっとと帰れと言わんばかりの迫力で、黒塚を睨み付ける。だが、皆守の苛立ちなど痛くも痒くもない黒塚は、じゃあねと手を振り校舎へと入っていく。すぐに下から誰かが昇ってきた。
踊り場に到達した所で、それは顔を上げ黒塚を見つけ、あれと声をあげた。
「黒塚じゃないか」
「やぁ、暁斗君」
 屋上へ続く扉の前にいた黒塚を、暁斗は珍しそうに見た。
「お前もサボりかァ。悪い奴ゥ」
「君には負けるよ」
 二人は笑いあう。そして、黒塚は後ろの扉を指差した。
「皆守君なら、君の予想通りここにいるよ。暇そうだったから、目一杯構ったらどうだい?」
「うん、そうする」
 眼を輝かせる暁斗の頭と尻の方に、犬の耳と尻尾が見えた気がした。うきうきと浮かれながら暁斗は扉をあける。これから屋上は賑やかになりそうだ。ほくそ笑んで、黒塚は階段を降りはじめる。
「 黒塚!」
 大きく名前を呼ばれた。石の囁きに似て、聞いていると心穏やかになれる。ゆっくり振り向いた先、暁斗は手に持っていた小さな袋を揺らした。
「これ、ちゃんと持ってるからな!」
 暁斗が朗らかに笑う。伝染して、黒塚もゆったりと笑った。
「また、あそこに連れてってよ。楽しみにしているからさ」
「おう!」
 頷いて、暁斗は外へと消えていった。黒塚も下へと降りていく。後ろの方で楽しげに、皆守を呼ぶ声が聞こえた。
「……皆守君も、もう少し素直になったらいいのに」
 黒塚はぽつりと呟いた。
 今にもくっ付きそうな二人は、まるで磁石のよう。だけど、それを遮っているのは、彼、だから。
「いっその事、アウインじゃなくて、大きい磁石でもあげた方が良かったかな?」
 ねぇと腕の中にある、愛しい石に語りかけ、黒塚は屋上を後にした。
 後に残るのは、素直な声と意地っ張りな怒声。
 しばらく屋上は賑やかなままになりそうだった。

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