- 心苦しい道化の涙 -
十月に入った始め頃、取手はこっそり夜の寮を抜け出した。学ランを着て出るから、目立たないように人目を忍んで、玄関から外に出るとあとは目立たない所に来るまで走る。何回やってもこれはいつも緊張してしまう。それは、この行動が見つかって理由を聞かれた時、答えに窮してしまうからだ。
草むらに隠れる虫たちの鳴き声を聞きながら、ゆっくり走る速度を緩める。暗がりの向こうには、学生で賑わう寮の明り。横目で眺めつつ、路地を進んだ。
女子寮と男子寮、二つの寮の裏には、小さな森が広がっている。夜になると、闇が深くなって、何か恐ろしいものが潜んでいるようにさえ感じる。以前はそれが怖くて、あまり良い気分ではなかった。一歩でも足を踏み入れたら最後、心を捕らえる闇が強くなって、二度と戻れない気がしたから。
だけど今は。取手は躊躇いもなく、森へと入った。木の合間を抜け、一直線にある場所を目指す。
ふと、光が見えた。ちらちらと瞬き、何かを探すように揺らめいている。取手は口元に笑みを浮かべ、小走りで光の方向へと走った。
あれは道標。あれは、救い。
あの光の元に、自分を救ってくれた、ひとがいる。
森が開けた。四角く外界から区切られた、墓場の柵の中で、彼が大きく手を振る。
「取手!」
名前を呼ばれたら、それだけで嬉しくなって胸が温かくなる。
ふしぎな、ひと。
彼の名前は、葉佩暁斗。
天香学園に眠る《秘宝》を求めてやってきた《宝探し屋》、だ。
「今日はクエストと調合用のアイテム入手を主に、今まで回った区画を進んでいきます。でも、まだ生きている罠があるかもしれないし、化人も出てくるから、オレの指示を聞いて動いてくれな」
暁斗は、取手と皆守の顔を見て笑った。
「二人とも、今日はよろしく」
「うん」
「……」
墓守の眼を盗んで降り立った墓地の下には、広大な遺跡がある。アサルトベストに暗視ゴーグル。銃に鞭、腰に差した日本刀。学ランで来た取手たちとは違って、重装備をしている暁斗は、さっそくグローブをはめ込んだ手で、降り立った地点の直ぐ後ろにある石造りの扉を押した。ゴーグルの奥にある眼は、これからの探索が楽しみでしょうがない、と言っているように輝いている。
暁斗はいつもそうだ。今だけではなく、視界に興味の沸くモノが写れば、たちまち瞳は楽しげに輝くのだ。
「頑張ろうね。僕も出来る事があったら、なんでも手伝うから」
すこしでも役に立ちたくて、取手はそう言う。
「ありがと」
暁斗はすぐに返事をしてくれた。いつもよりも半音声が上がっている。きっと笑いながら言っているのだろう。
「……さっさと行こう。俺はとっとと終わらせて、寮のベッドで寝たいんだ」
暁斗、取手と続いて最後尾で扉を潜るのは、皆守だ。口にラベンダーの香りを吸う為のアロマプロップがくわえられ、けだるげにのらりくらりと歩く。そして、不意に立ち止まると大きく背伸びをしながら欠伸を出した。
「気が抜けるなァ」
あまりにもおおっぴらに欠伸をする皆守に、暁斗は顔を顰めた。
「せめて、もう少し控えめにしてくれ」
「なら、誘わなければいいだろう。そうすりゃ、一々お前の気が抜ける事はない」
「お前なァ」
ぴり、と空気が強張り、喧嘩に発展しそうな雰囲気。取手は慌てて二人の間に割り込む。
「ちょっと、駄目だよ二人とも。これから探索しなきゃいけないんだから、仲良くしないと」
危険がつきまとう遺跡では、バディ同士を信頼しあわないといけない。仲違いをしていたら、出来る事も極端に少なくなる。取手は、念を押すように二人の顔を交互に見た。
「ね?」
「……」
二人は黙り込んで、取手を見返した。
「あ〜〜」
暁斗は、先程の皆守の欠伸に、劣らないぐらい力の抜けた声を漏らし、皆守も決まり悪く頭を掻いて、アロマプロップの先端を噛んだ。金属の固い音がする。
空気が和らいだ。
「……そうだな。取手の言うとおりだ」
暁斗が皆守の方を見た。
「皆守、なるべく今日は速く切り上げるから、なるべく頑張ってくれ」
暁斗の譲歩に、皆守も頷く。
「……まぁ、お前の立場も分かっているつもりだからな。少しぐらいなら、無理してやるさ」
さぁ、これでいいだろう?
二人はそう言いたげに、揃って取手を見つめた。取手は、満足そうに頷いて、微笑む。
「じゃあ、改めて行くか。頼むぜ、二人とも」
暁斗を先頭に、取手たちは遺跡を進んでいく。
取手にとって、暁斗も皆守も大切な友人だ。
皆守は、取手が酷い頭痛で保健室にいる時が多かった時、ベットに潜り込んでいると、彼はサボりで、たまにやってきては隣のベットで昼寝をしていた。最初は話もせず、ただ同じ空間にいただけの人だったけど、次第に言葉を交して、話す回数も多くなって、今ではお互い保健室仲間だと言い合うような間柄だ。それを聞いていた瑞麗は苦笑いを浮かべていたが。
暁斗は転校したばかりで、一緒にいる時間は振り返ってみるば驚くほど少ない。もうずっと長くいたように思えてしまう。それほどまでに、彼の存在は、取手に大きな影響を与えていた。
《黒い砂》に取り付かれた自分を、傷付きながら迷いなく手を差し伸べた彼。その手を取った時から、取手の心は、あたたかい日なたへと解放された。
心地よくて、安心出来る場所。
それをくれた暁斗の助けになりたい。取手は、いつでも動けるように心構えながら、暁斗の背を見つめた。彼も、油断なくAUGを片手に、歩を進めている。次の区画では化人が待ち構えている事は分かっていた。
自然と身体が緊張する。
「取手」
後ろにいた皆守が、取手の肩を軽く叩く。
「あまり固くなるな。思うように動けなくなる」
「う、うん……」
「まぁ、気をつけろよ」
皆守は取手を追い抜き、暁斗に何やら話し掛ける。暁斗が振り向いた。良く見えないが、皆守に対して何か言い返しているのだろう。
あの二人はいつもこうだ。口を開けば、こちらがハラハラするぐらいに喧嘩腰なのに、離れている所を見た事がない。大抵二人はいつも一緒だ。
喧嘩するほど仲がいい、とはこの事を言うんだろう。
取手は二人の仲裁役。衝突しそうになれば、間に入り二人を落ち着かせる。暁斗と皆守も、「あの訴えかけるような眼に弱いんだ」とぼやきながら、素直に取手の言う事を聞く。
取手自身も、けっこうその立場を気に入っていた。そこが、ありのままの自分でいられる場所だったから。
「とりでー」
暁斗が大声で呼んできた。二人は次の区画へ続く扉の前にいて、取手はその随分後ろにいた。考えに耽っている間に、離れてしまった。急いで向かう為に、取手は走ろうと石畳の床を踏む。
かち。
何かを踏んでしまった。足の裏に感じるでっばりが、床の中へと引っ込んだ。続いて、細かな振動が空気を震わせる。ぱしゅん、とどこからか音がした。
「取手ッ!!」
遠くで手を振っていたはずの暁斗の声が、すぐ近くで聞こえる。目の前が真っ暗になってバランスを崩した。取手は床に尻餅をつく。
頭の上をあの音が通り過ぎた。
「ッ!」
暁斗の短い悲鳴。
「暁斗ッ!!」
叫び、こちらにかけてくる皆守の足音。
一度に色んな音が聞こえ、取手は戸惑う。どれから認識をしていけばいいか、分からない。身体にもそれが伝染して、固まってしまった。
自分のでない、心臓の音が肌に伝わる。
「……大丈夫か、取手」
視界が明るくなって、暁斗が取手の顔を覗き込んだ。見つめあう距離が、余りにも近くて、思わず取手の頬は熱くなる。
「う、うん。大丈夫……」
本当はどうしてそんな事を聞くのか分からなかったけど、取手は速く離れてほしい一心で答える。顔が赤くなっているのを知られたくない。
「良かった」
安心して暁斗は取手から離れた。ここでようやく、暁斗が取手に覆い被さるように乗っていた事に気付き、頬の熱さが酷くなった。
服に付着した土ぼこりを払う暁斗。その左腕に、さっきまでなかった異変を見つけ、取手は心臓を手で掴まれたような苦しさになる。
「暁斗、君。それ」
恐る恐る尋ねた。暁斗はそれを見て、平気そうに笑う。
「ああ、これか。こんなの痛いうちに入らないよ」
服の左側の袖が裂け、肌が見える箇所に走る赤い線。ぷくりとところどころに玉を作り、明りを受けて不気味に反射して光る。彼の腕からは怪我をして血が流れていた。
一体どうして。取手は考えようとして、すぐに答えに思い至った。さっき自分が踏んでしまったのは、罠の起動装置だったのだ。きっと今まで作動しなかったそれは、何かを切っ掛けにして生き返り、また動くようになったのだろう。それを自分が起動させてしまった。
暁斗はすぐに気付いて、助けてくれて、傷を負った。
自分の、せいで。
一気に血が引いていく。さっきまで顔を覆っていた熱さは、すっかり冷えてしまった。
「暁斗」
楽観的にモノを見ている暁斗に、皆守はその腕を取った。
「お前や俺が良くても、取手はそうじゃない」
「……あ……」
まだ座り込み、傷を凝視する取手に、暁斗は口籠った。そんなに酷い顔色をしていたのだろうか。暁斗はすまなそうにしょぼくれる。
「……皆守の言う通りだな。……ごめん、取手」
「……謝らなくて、いいよ」
そもそも自分が罠を起動させなければ、暁斗は傷付く事もなかったし、悲しい顔もさせなかった。逆に謝ってしまいたい衝動が、取手を襲う。
皆守が、黙って暁斗のアサルトベストから消毒薬にガーゼ、包帯を出すと手際良く、応急手当てを始める。血を拭い、ガーゼを当てて包帯を巻いた。傷口はあっという間に見えなくなる。
暁斗は、そっと包帯を押さえた。
「さ、これでもう安心だろ、取手」
「……うん」
「よし。さ、取手起きて」
暁斗が明るく笑って手を伸ばしたから、取手は頷いてその手を取ったけど。眼に包帯が写る度、いたたまれない気持ちになった。
また、迷惑をかけてしまった。
僕は君の役に立ちたいのに。
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誰か俺にネーミングセンスをください…(泣)
(上手い具合にタイトルを決められない管理人の悲嘆)
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