夏休みは、普段牢獄と言う名の学園から出られない生徒らが開放される数少ない機会だ。終業式が終わり、寮に向かう彼らは久しぶりの外に皆浮かれている。準備が終わったら、すぐにそれぞれの場所へと返っていくのだろう。
 皆守は、一人彼らを横目に波に逆らって歩いていた。彼は学園から出ず、夏休みはずっと寮で過ごすつもりだった。帰っても待っている者なんていないし、特別したいこともない。だったら無駄な労力を使うよりは、動かずに眠っていた方が余程良かった。
 ただ、夏休み中は校舎に入れない。屋上で気に言っている場所での昼寝も新学期までお預けも。それだけは惜しかった彼は、せめてと寝だめをする為に屋上への階段を昇る。
 喧噪が、波のように静かに引いていく。代わりに、どこかに止まる蝉が泣き続ける音が聞こえた。外の白い校舎の壁に、色濃く分けられた、日向と影。日向のあまりの白さに、眼が眩みかける。
 屋上も、眩しかった。陽が目一杯に広がり、思わず眼を細める。肌に容赦なく陽射しが刺さり、額に汗が浮き出た。

 早く、影に。

「----甲太郎」
 暑さを感じさせない声。
 皆守は気怠る気に首を持ち上げる。石畳に一本の影が伸びていた。その根元には、龍麻の足がある。
 じっとしているだけでも汗が出てくる好天でも、龍麻は制服をきっちり着込んでいた。手にはめた革手袋もそのまま。
 まさか龍麻がいるとは思わず、皆守は驚いた。
「緋勇。お前帰ったんじゃなかったのか?」
「残念ですが。職員室から来たんですよ」
「職員室?」
 皆守にとってはあまりいい感じを持てない場所の名に、思わず声を潜めてしまう。
「何だって、そこに」
「転校するので」
 さらりと告げられた事実。皆守は眼を丸くする。何て言ったんだ。こいつは。
「転校するんです。ちょっとした事情で」
 大袈裟に驚く皆守に、龍麻は困ったように眉を寄せて笑った。彼の表情に、皆守はすうっと無表情に顔を戻し、取り繕うようにアロマプロップを取り出す。
「せいせいするぜ。ようやく一人で心置きなく眠れるからな」
「僕は、結構楽しかったんですが」
「言ってろ」
 アロマプロップを銜え、火をつける。ラベンダーの香りが緩やかに広がっていく。
 同時に、沈黙も流れた。
 龍麻は穏やかに皆守を見つめていた。
 眼が合い、皆守は視線を反らす。その先にある空は、龍麻と始めてあった頃より、もっとずっと青さが濃くなっている。影を強くして、白い雲が空を泳いでいった。
 龍麻がぽつりと呟く。
「一ヶ月と少しでしたが、君と会えて楽しかったですよ」
「……こっちは昼寝の邪魔をされて迷惑だったがな」
「でも、逃げなかった」
 龍麻は皆守の前まで歩を進めた。
「僕は、君の事を、友人だと思っています。出来るなら、もっと友好を深めたかった。だけど、こればっかりはしょうがないんです。残念ですが、諦めるしかないのが悔しくて」
 皆守の足元に、龍麻の影がかかる。そのままゆるりと皆守の胸元に指を突き付けた。
「だから、せめて言葉を残していこうと思って」
「----言葉?」
「ええ」
 龍麻は眼を伏せ、口の端を上げる。
「言いたいこと、と言うより。予言のほうが近いかもしれませんが」
「…………」
「近いうちに、君は変わるでしょう」
「……変わる?」
「ええ。何時か来ます。変革の時が。誰かによって、君は変わる。そのアロマも手放す時が」
「……馬鹿馬鹿しい」
 皆守は息と共に、ラベンダーの香りを吸う。
「俺が変わるなんてあり得ない」
 丘紫の香りに埋もれ、深く時に沈んで、眠り過ごす日々。
 それがすべて。
 学園にいる間。いや、これからも。ずっと、縛られ続ける。

 あの人に。
 あの場所に。

 ずっと。

「----本当に?」
 龍麻は笑みを崩さなかった。
「変わらないものなどありません。僕にとっては永遠こそがあり得ない。すべては変わっていく。僕も君も、この世界も」
 指を離し、龍麻は皆守の横を通り過ぎた。鉄が擦れる音を出し、校舎内に入る。そして、肩ごしに皆守を振り向いた。
「その時が来て、変われた君と会う日を、楽しみにしていますよ」
 それだけを言い残し、龍麻は階段を降りていった。
 最後まで、つかみ所のない、難儀な男だった。
 龍麻を見送らず、皆守は水道タンクの下に伸びていく影へと歩き出す。ラベンダーの香りを浴び、その身に纏わせた。
 そうじゃないと、落ち着かない。
「俺は、変わらない」
 変われるはずが、ないんだ。

 心のうちで強く思い、皆守は眼に痛い程の青を見上げた。




 飾り気のない白い廊下を龍麻は歩く。一ヶ月と少しの間着ていた天香学園の制服を脱ぎ、黒いシャツとパンツをはき、その上に白衣を纏う。
 真直ぐ歩き、突き当たった部屋へと入った。資料やファイルが所狭しと並んでいる室内。渋い色合いの着物を着た男と、木刀を肩に担ぐ男が同時に面を上げ、龍麻を見る。
「よぉ、ひーちゃん。お疲れ」
 木刀の男が陽気に笑って、龍麻を出迎えた。
「どうだったかい? 首尾は」
 着物の男が物腰穏やかに訪ねる。
「まあまあ、ですね」
 龍麻は懐からポーダブルパソコンを取り出した。両手に収まる大きさで、中央には太陽と月を象ったマーク、《ロゼッタ協会》のシンボルマークが入っている。
 HANT----《ロゼッタ協会》に所属する《宝探し屋》だけが持つことを許されるそれを開き起動させて、龍麻は手慣れた手付きで操作する。
「大体の情報は手に入れました。《遺跡》はさすがにガードが固く調べられませんでしたが、あの人がいますから。まあ大丈夫でしょう」
「じゃあ」
「ええ」
 龍麻は書類が詰まった棚から、クリアファイルを一冊取り出し、すぐ近くの机の上に広げる。文字が書きつめられた書類に混じり、緊張した面持ちで写っている少女の写真を手に取る。
「計画を、実行に移します」
 龍麻は二人を交互に見る。彼の真剣な眼差しに、彼らも力強く頷いた。

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