いつも一人で過ごしている時間が、短くなった。
 屋上に行けば、何故か必ず先客−−緋勇龍麻が本の山を傍らに置き、小難しい文章を読んでいる。そして、皆守を見つけて顔を上げると、出会った時に見せた笑みを浮かべる。
 他は日も当り熱くて眠れないから、皆守は仕方なく本を挟んだその隣に腰を下ろす。
 影があるかないかとでは大違い。ひんやりした石の感触が心地いい。
「またサボりですか? ほぼ毎日毎時間。寮のベットで眠っていたほうがいいと思いますけど」
 本に眼を落としたまま、龍麻が呟いた。
「俺はここで眠るのがいいんだよ」
 言い返し、皆守は空を見上げる。千切れた綿雲が、浮かんでいる。快晴だ。
 ふうんと龍麻は、心のこもっていない相槌を打ちながら頁を捲る。既に意識は本へと集中させられていた。
 そっちから聞いてきたくせに。皆守は鼻に皺を寄せ、口を開きかけたがすぐ閉じる。今の龍麻に何を言っても素通りしてしまうからだ。
 変な奴。
 皆守の龍麻に対する第一印象は、それに空気の感触が加わっている感じだった。当たり前のように屋上にいて、当たり前のように皆守の隣にいる。しかし深くこちらには踏み込もうとしない。差し障りない会話に留め、図書館で借りてきた書物を読みふけるだけ。
 黙って瞼を閉じれば、その存在すら分からなくなる。
 生徒に人気があり、積極的に関わろうとする弥幸とは正反対だ。そのせいか、皆守も弥幸程の嫌悪を抱く事なく、こうして隣にいる事も許容できた。寧ろ、落ち着く。
 そっと横目で龍麻を窺った。
「……そんな本を読んでなんになるんだか」
 思わず呟きが漏れていた。
 龍麻の視線が微かに皆守へ向けられた。
「僕にとってはこういうのが一番興味があるんですよ。それがあるとないとじゃ面白みが違いますし。例えば、僕と君みたいにね」
「ちッ」
「甲太郎君こそ、どうしてですか?」
「……何がだ」
 龍麻が薄く笑う。
「小耳に挟みました。皆守甲太郎は無気力高校生で滅多に人と関わろうとしないって」
「……誰から聞いた」
「さて、誰でしょう?」
 皆守は口を歪める。どうせ弥幸から聞いたに違いない。
「それで思ったんですけど」
「何が」
「どうして甲太郎君は、僕の隣で昼寝をしているんでしょうね」
「俺が来ているんじゃない。お前が勝手に来ているんだ」
「ふふッ。ものは言い様ですね」
 肩を震わせ眼を細める龍麻は、兄と言うよりも、あの会長の補佐をしている会計のそれを思い出させた。おかしいものだと思う前に、
「でも、他に移動しないのなら、嫌じゃないんでしょう? −−いい事です」
 龍麻の台詞に皆守は眉を潜める。
「……どうして、そんな風に思えるんだ?」
「だって、そうでしょう? 僕にはまだ完全に無気力じゃないって思えるんです。君は」
 静かに、龍麻は皆守を見つめる。
「まだ、何かに関心を持っている。それが何かの証拠です」
「…………」
 皆守は黙って横になり、龍麻に背を向けた。考えもしなかった心の無意識を読まれたような気がして、苛立だしくなる。
 誰が、何に、関心など。
 ずっと前から眼に映るもの全て、寂寞とした砂の粒のように映る自分が今さら。
「……ばからしい」
 皆守は低く呟く。
「俺が何かに興味を持つ事はない。ただここでアロマを吸うだけだ」
 ラベンダーの香りに包まれて、時を過ごせれば。それが全てでいい。
「本当に、そう思っていますか?」
 龍麻が呟く。
「僕には、寂しそうに見えますよ。君が」
「……視力悪いだろ」
「残念ですが、結構いいほうですよ。矯正をすれば、ですけどね」
 口に手を当てて笑いを押さえる龍麻に、皆守はむっとした。前言撤回。やっぱりこいつは兄に似ている。嫌な程。
「甲太郎君」
「話し掛けんな。俺はもう寝る」
 つっぱねて一方的に話を遮り、龍麻の反応を聞く間もなく皆守は睡眠体勢に入った。瞼を閉じ、真っ暗な視界の中、後ろから笑い声が聞こえる。皆守は苦虫を噛み潰すような表情をしながら、無理矢理眠った。

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