それは、転校と言うには随分半端な、夏休み約一ヶ月前のこと。

 

「転校生?」
 呼び出され、渋々出てきながらも一応は話を聞いていたらしい《生徒会副会長》皆守甲太郎は、会長である阿門の話に出かけていた欠伸を喉の中に飲み込んだ。
「−−ああ」
 表情を崩さず、阿門は頷くのだから、本当のことなのだろう。元より、彼が嘘をつくところを、皆守は見たことがない。
「また、えらく中途半端な時期だな。端から怪んでくださいと言わんばかりだ」
「名前は緋勇龍麻。現在、校務員をしています緋勇弥幸の弟となっています。書類上の上では。記入箇所を拝見する限り、怪しいところは見受けられませんが。−−如何いたしましょうか?」
 淡々と新たな《転校生》の今知れている情報を、神鳳が読み上げそして阿門を見る。
 阿門は数秒間、考えるように黙り、そして言った。
「あの、弥幸と言う男も、今のところは目立った動きもない。が、用心しておくに越したことはないだろう。−−神鳳、お前のクラスの方に転入させるようにしておく。異存は」
 神鳳が首を振って、笑う。どこか、油断出来ない含みを持って。
「元より、ありませんよ」
「そうか、すまない」
「……で、俺をわざわざ読んだ理由は何だ? まさかこんな眠気を誘う話を、わざわざ聞かせる為か?」
 会話を進める二人に、皆守はうんざりと両手を後頭部の後ろに組み上げた。聞いた分だと、自分は来なくても良かったのだろうと思ってしまう。
 サボってしまえば良かった。早く戻って、ラベンダーの香を吸って微睡みたい。
 神鳳がむ、と眉を潜める。
 が、阿門は皆守の言葉にあくまでも静かに答えた。
「……お前の耳にも入れておいた方がいいと思ったからだ」
 墓地の方を向き、阿門は呟く。

 

「あの、緋勇とか言う男、−−どこか変わっているように見えるからな。どちらも」

 

 

 太陽が空高く昇り終えた後、ようやく登校してきた皆守甲太郎は、教室のある三階を通り抜けて屋上を目指す。
 梅雨も終わり、晴れる日も増えてきた。今まで雨に降られ、屋上が使えなかった分、存分に使ってやろうと思う。
 そう言えば、今日からか。《転校生》が来るのは。そう神鳳からメールが送られてきた事実を、ぼんやりと思い返した皆守は、すぐにその思案を彼方へ捨てやる。
 どうせ、クラスも違うし。会うことはないだろう。
 そう立てた予想は、屋上の重い鉄さびが浮く扉を開けた途端に、脆くも崩れ去ってしまうのだが。
 皆守は、コンクリートの白く照り返す陽の光に、思わず目の前に手をかざし、眩しさに目を細めた。
 湿っていた空気が暑さを孕む。空には太陽が、鋭さを増した光を、地上へ放っている。
 立っているだけでも、汗が出てきそうだ。皆守はシャツの胸元を掴んで扇いだ。早く涼しい日陰で眠りにつこう。
 皆守は、そのまま壁に沿って歩き、貯水タンクと建物の間に身を滑り込ませた。そこは去年もサボる時に多用した場所で、夏になれば大きな影が出来て、暑さにやられず、かつ人にも見つかりにくい、という好条件を兼ね備えたところだ。
 眩しさが消え、皆守の視界がクリアになる。さっきまでとはうって変わって、ひんやりとした涼しさに包まれる。
 満足したように息を吐き、さっそく眠ろうと視線を下に下げる。
 目が、丸くなった。

 見知らぬ男がいた。
 両脇を本で固め、膝を折り畳んでいるとその上にそれを置いて、彼は文字を目で追っている。頁を捲る手は、夏なのに黒の革手袋をはめている。
 天香学園の夏制服を着ている彼の襟元には、学年を示すピンバッチが付けられていた。
 三年。
 だが、皆守は記憶の中にある限り、この男子生徒を見た覚えはない。
 もしかして、こいつ。
「………あれ?」
 男が、顔を上げ、振り向いた。黒い瞳で皆守を見た。その整えられた顔には、薄く右頬から鼻筋を通るような細い傷痕が見える。
 思わず皆守は一歩後ろに下がった。
 だが、男は普通に笑った。人好きのする顔をして。
「もしかして、ここ、君の場所ですか? すいません、今使わせてもらっているんですよ。ここは調べものをするには静かで、涼しくて打ってつけだったもので」
 皆守が、心底嫌う人間が使う口調を使う彼の声は、何故かその人物のように嫌悪感が沸き上がることはなく、逆に安心させる響きを持っている。
「−−お前は、誰だ?」
 反射的に問う。
 男は、言った。
「ああ、初めまして、ですもんね。僕の名前は緋勇龍麻です。今日付けで天香学園、三年B組に転入しました。どうぞよろしくお願いします。−−それから」
 龍麻は本を隔てた、自分の隣を叩く。
「そこは暑いでしょう? 早く避難してきた方がいいですよ」
「あ」
 皆守の頭上を、眩しいぐらいの太陽が照りつけていた。


 それが、皆守と《転校生》緋勇龍麻との出会いだった。

 

 皆守は思う。
 今思えば、ここで避けるべきだったのかもしれない、と。
 ずっと後、龍麻が去り、新たな《転校生》が皆守の前に現れた時、彼はそう思った。
 だけど、それはもう遅かった。

 長いようで短かった龍麻との逢瀬を経た後では。
 もう、遅かった。

 

俺設定
うちの龍麻は明確な目的を持って天香学園に潜入しています
期間は一ヶ月と少し。その後に続いて暁斗が入ってくるのです
あと逢瀬って書いてありますけど、色っぽいことは何もないですよー。と言っておく。

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