- 彼女の笑顔 -

 

 天香学園の購買は、多種多様の品揃え。他の学校ではお目にかかれない品物も多数揃えて、お客の来店を待っている。
 文房具やパンはもちろん。タオルやシャンプーなどの生活必需品。小麦粉や卵、バターなど、お菓子作りの材料まできちんと棚に並んでいる。
 きっと、頼みさえすれば何でも出てきてしまいそうな。そんな錯覚すら、覚えてしまう。実際今まで頼んできたものはあっという間で目の前に出てくるから侮り難い。
 その店内で、校務員もしくは購買の店員をやっている緋勇弥幸は、商品をきれいに並べて整理していた。食品の賞味期限や、見栄え良く並べる為に結構やることはたくさんある。
「あのぉ」
 キャンディみたいに、甘ったるく高めの声が弥幸の手を止める。白い手が伸び、長めに伸ばしていた横髪を軽く引っ張り、助けを求める。
「欲しいものがあるんですけどォ、見付かりませんの。もしよろしければ、探してもらえませんかしら」
「椎名さん」
 弥幸は少女----椎名の視線に合わせて屈み微笑んだ。
「何なりと。探し物は何ですか?」
「ええっと------」
 ふっくらとした唇に指を当て、記憶を探りながら椎名はいくつかの材料を言う。それら全て、お菓子作りに使われる材料だった。
 復唱して弥幸は呟き、頷く。
「はい。了承しました。すぐに用意出来ますので、少し待っててもらっていいですか?」
「もちろん構いませんわ。お願いしますの」
 喜ぶ椎名に眼を細め、立ち上がった弥幸は、彼女の求める品を一つ一つ探し当て、入り口から持ってきたカゴに入れていく。中身が詰まれていくカゴを見つめながら、椎名は待切れないように両手を胸に当てた。
「はい。これで全部入れました。ついでにこのまま精算いたしましょうか?」
「ええ」
「楽しそうですね。これでお茶会ですか?」
「お茶会……と言うよりは、仲直りの切っ掛けにしたいのかもしれませんわ」
 椎名は踵を上げ、弥幸の掌に材料分のお金を乗せた。そして材料が入れられたビニール袋を受け取る。
「ありがとうですの」
 椎名は大事そうに袋を抱き締めた。
「頑張ってくださいね」
 心強い声援を受け止め、椎名は購買を出る。

 絶対、頑張るですの。



「あれー。取手じゃん」
「葉佩君……」
 昼休みの理科室の前に立っている取手を見つけ、暁斗は声をかけ、走って駆け寄る。
 彼は暁斗の姿に、明らかな安堵を見せていた。
「どうしたんだ?」
「実は、椎名さんに呼び出されて」
「取手も? 実はオレもなんだよ」
 メールが来たのは、学校に来てすぐのこと。椎名らしいかわいい調子の文面で、昼休み一緒にお茶を飲みたいと御招待を受けたのだ。
 暁斗は断る理由もなく、寧ろ友好を深めるいい機会だと思い直ぐさま了承の返事を送る。椎名とは、遺跡の件以来面と会っていなかったので、じっくり一度話したかった。
 だが、自分だけじゃなく取手も誘いを受けたことに少し驚いた。
 それは向こうも同じだったらしい。二人は顔を見合わせたまま、互いを見つめあう。
「……とりあえず、行ってみる?」
「……そうだね。行ってみようか」
 意を決して頷き、暁斗は理科室の扉に手をかけ、一気に引き開けた。室内は、昼間の筈なのにとても暗い。時間を間違えたのか、不安がよぎる二人を余所に、そこは唐突に灯りが一斉に点った。
 眩しい光量に眼が眩む。
「ようこそ。いらっしゃいませですの」
 きらびやかな装飾を施された室内に、同じくおめかしをした椎名が黒いレースをふんだんに使われたドレスの裾を持って、優雅に会釈する。こうして見ると、まるでお姫さまのようだ。
「さぁさ。二人とも、早くこちらに来てくださいな。お茶が冷めちゃうですの」
「あ、うん」
「……お邪魔します」
 二人はぎこちなく返事をして、恐る恐る理科室に入る。無機質に並べられた机のすべてに、テーブルクロス。窓には椎名のドレスとお揃いなフリルのついたカーテン。実験道具が仕舞われているスチームフレームの棚は、全身リボンで飾られていた。ちなみに色は黒か白。それでもそれらは二人の眼を引き、思わず感嘆の息を吐かせる。
「すごいね。僕達が授業で使っている理科室と同じとは思えないよ」
「なー。ここどうやったんだ?」
 進められた椅子に座り、好奇心に耐えきれずに暁斗が訪ねる。
 リカは笑う。
「リカ研の方々が総手で手伝ってくれましたの。リカがお願いしましたら、みんな喜んでやってくれましたわ」
「確かに、嫌だなんて言えないよね」
 暁斗の隣に座る取手は納得したように言った。見目麗しい少女の頼みを、無下に断ることのできる男なんて、そうはいない。喜ぶ顔が見たいなら尚更だ。
「さぁ。お茶は何がいいですの? アッサム。ダージリン。アールグレー。よろしければ、ラベンダーのハーブティも煎れてあげますの」
「ラベンダー」
 暁斗はかぎ慣れている花の名に、興味を示した。
「じゃあ、それ。頼める?」
「もっちろん、ですわ」
 大袈裟に腕まくりをしてさっそく準備に取りかかる椎名に、「オレも手伝う」と暁斗が続く。程なくして、すっかりパーティー会場になってしまった理科室に、ラベンダーの香りが広がった。
 三人が囲むテーブルには、苺が幾つも乗ったショートケーキに生クリームがたっぷり挟まったミルクレープ。スコーン。ビスケット。チョコレートが添えられたアイスクリーム。小さなビンに詰まっているのは、紅茶用の甘いシロップだ。
 喫茶店に出しても遜色ないお菓子の数々に、暁斗は思わず唾を飲み込む。皆守の昼食への誘いも断って、お腹が空いていたから、余計に美味しそうに見える。
「すごいね。これ全部椎名さんが作ったのかい?」
「お菓子作りは得意なんですのよ」
 椎名は誇らし気に言った。
「味だって保証済みですわ。さぁ、どんどん食べてくださいませ」
 目の前にあるケーキを薦められ、暁斗は息を飲んでから、あらかじめ置かれていたフォークを手に取った。
「ありがとう。いただきます」
 ショートケーキを適当な大きさに切り分け、口に運ぶ。ゆっくり噛み締め飲み込んだ。取手も紅茶を一口飲み込む。
「----美味しい」
 異口同音に、二人は同時に言った。
「おいしい! なあ、取手っ」
「うん。今まで食べてみた中で一番美味しいかも」
「まぁ、嬉しい!」
 率直な賛辞に、椎名は唇をたわめ、自らもスコーンを食べやすい大きさに割った。焼き立ての焼き菓子はまだ暖かく、ジャムを付けて口に入れればたちまち美味しく調和された味を楽しめる。
 スコーンだけじゃない。ここにあるものすべて、暁斗たちの為に精一杯作り上げた。
「なぁ、椎名大変じゃなかったか? こんなにたくさんのお菓子」
 ビスケットを頬張り、口の端に滓を付けながら暁斗が聞いた。
「確かに、こんなに一度に作ったのは初めてですし、大変でしたわ。でも全然苦じゃありませんもの」
 椎名は手を止め、両手を祈りの形に組み合わせる。
「だって、これはお詫びのつもりでしたから」
「……お詫び?」
 二人が一斉に椎名を見つめる。それが急に怖くなり、椎名は咄嗟に顔を俯けた。静かに瞼を閉じる。
「………リカは二人に一杯酷いことをしてしまいましたの。取手クンに怪我をさせてしまいましたし、葉佩クンには、嫌なことを、言ってしまって」
 今でも思い出せる。初めて会ったばかりで、何も見えなかった自分の言葉を否定した暁斗。自分は怒りに任せて、暁斗の心を深く抉った。男のくせに、情けなく泣く姿に、《転校生》も大したことはないと勝ち誇っていたりもした。
 だけど今は、リカのほうが大したことないですの。
「リカは。……リカは。こういう時どうしたらいいか分かりませんわ。だから少しでも仲良くなりたくて、こうしてお菓子を」
 ケーキにクッキー、ハーブティ。きれいに飾り付けられた部屋に人形が滑稽に動く。
 どうしていいか分からず、ただ動くだけ。
 懸命に踊り、お菓子を振るい、喜ばせてご機嫌取り。
 今さら仲良しだなんてムシが良すぎるわ。
 それでも、椎名は言いたかった。
「------ごめんなさい、ですの」
 膝の上に乗せた手は、服をぐちゃぐちゃに掴む。緊張のあまり、心臓は鼓動も高まり、口腔内に唾がたまってしまう。
「酷いことを言ってしまって。……傷付けてしまって。……ごめんなさいですの……」

 どうか、嫌わないで。
 自分勝手な願いを、心の内で切に願う。

「何言ってるの?」
 暗闇の中で、朗らかな笑い声がした。恐る恐る眼を開ければ、暁斗も取手もさっきと変わらない笑顔のまま、椎名を見つめている。
「そんなの、ここで言うことじゃないよ」
 暁斗は空になったカップを椎名に見せた。
「あんまり美味しいから、紅茶がなくなっちゃった。おかわり、もらっていいかな?」
 戯けて言う暁斗に、取手もつられて小さく吹き出す。
「僕も……いいかな?」
 優しく訪ねながら、取手も両手で包んでいたカップを椎名に差し出した。
「せっかく誘ってくれたんだから。楽しもうよ」
 クッキーを摘んで口に入れる暁斗が、満面の笑みで言う。
「オレと取手と、----椎名と友好を深める為に、な」
「----------っ」
 オレたちはとっくに友達だよ。
 椎名は暁斗にそう言われたような気がした。
 二人が自分を見る眼は、思い描いていた怒りなどなく、ただただ優しい。
 自分はとっくに許されていたのだ。
 椎名は無性に嬉しくなり、差し出された二つのカップを受け取った。人形みたいではなく、本来、彼女自身が持っていた可愛らしい笑顔を浮かべ、
「おやすいごようですのっ」
 暖かい紅茶を注いだ。




「あーきーとークンッ」
 皆守と二人並んでマミーズに向かっていた暁斗の腰に、何かが飛びつく。「わっ」と驚きながら後ろを見ると、栗色のふわふわした髪と、黒のレースが揺れている。
「リカ」
 名前を呼ばれ、椎名は「はいですの」と嬉しそうに笑った。
 横では皆守が大きく口を開け、思わずアロマプロップを落としかけている。
「どうしたんだ。急に抱き着いちゃって」
「ごめんなさいまし。でも、リカは嬉しくって」
 暁斗から離れ、椎名は嬉しそうに彼を見上げる。
「メールありがとうございますの。リカ、今夜は頑張っちゃいますわ!」
「うん。頼りにしてる。待ってるからね」
「ええ。必ず行きますから」
 意気込み、暁斗と手を叩きあわせながら、椎名は横目で皆守を見る。暁斗とは違う、明らかに挑発する目付きに、皆守は眉を顰めて訝しんだ。だがそれ以上皆守に眼もくれず、椎名は「ごきげんよう」と挨拶を残して走り去っていく。手を振り、暁斗はそれを見送った。
「おい」
 不機嫌を滲ませ、皆守は暁斗に問いかけた。
「お前と椎名……。何時の間に名前で呼び合ってんだ? そこまで仲がいいのかよ」
「仲いいよ」
 暁斗はあっさり頷いた。
「友達だもん」
 そう言って、「さ、マミーズマミーズ」と皆守を置いて歩き出す。
「…………」
 皆守は、椎名が走っていった方向を見た。
「……友達、ね。俺には関係ないことだ」
 そう言いつつ、椎名が向けてきた挑発がやけに苛ついた。どうして、あんな眼を向けてくるんだ。何故か分からないが、無性に苛々する。
「皆守ー?」
 動かずその場でじっとしている皆守を、振り向きながら暁斗が大声で呼んだ。
 なぜか名字で呼ばれたことにさらに苛ついて、「今行く」と不機嫌を上乗せした声で応えて、皆守は暁斗の後を追った。

 

TOP