- あなたのようになりたい-
「みなかみーッ!」
ものすごい勢いで暁斗クンは走り、のんびり歩いていた皆守クンの背中に飛びつく。だけど、まるで後ろに眼があるみたいに、皆守クンはかわしてしまい、暁斗クンは床とキスをして、額と鼻を打ってしまう。
わめきながら起きる暁斗クンに、ラベンダーのアロマを吸いながら、皆守クンは素知らぬ顔をして。
いつもしている喧嘩だけど、あたしの眼にはとても仲のいい友達同士に見えて。
うらやましい、と思った。
チャイムが鳴って、ヒナ先生が教室を出ていく。
あたしは現国の教科書とノートをしまい、続けて音楽の教科書を取り出す。次の授業は音楽で移動。十分しか休み時間はないから、みんなお喋りもそこそこに、席を立ち始めている。そして、仲のいい友人同士、連れ立って教室を出ていく。
あたしは教室の後ろ、窓側の席を見た。そこにはもう、誰もいない。また、ダメだったかぁ。あたしは肩を落とした。
「八千穂ッ」
教科書を脇に抱え、暁斗クンがあたしを呼んだ。傍らには、彼の右手に左手を拘束されて、げんなりしている皆守クン。
「行こうぜ。もうすぐチャイム鳴る」
「俺は、行く気なんてないんだが」
「ダメだッ。せっかくの取手のピアノなんだぞ。聞いてやらなきゃ」
皆守クンの鋭く人を射竦める睨みも、暁斗クンには効かない。左腕を掴んで離そうとしない暁斗クンに、諦めたのか皆守クンは机から教科書を出した。
暁斗クンが、にこにこ笑顔になる。太陽みたいに明るいそれを、あたしにそのまま向けて手招きした。
「さ、行こう。八千穂」
「うんッ」
念のため、皆守クンが逃げないようにはさんで、あたしたちは教室を出る。
「音楽終わったら、昼飯どうする」
「そうだな……」
「ま、どうせカレーだろ、皆守は。全くひねりのない」
「お前は一人で寂しく食ってろ。俺はマミーズに行く」
「あああ、嘘だよッ。こだわりがあるっていいよなッ。オレも是非お供したいなァ!!」
軽い言葉のキャッチボールに、戯れあい。二人はいつもこんな風。ずっと一緒にいるように見えるけど、本当は違う。
暁斗クンは一ヶ月ほど前に天香学園にやってきた転校生。しかして、その正体は、この学園に眠る《秘宝》を求めやってきた《宝探し屋》。
最初はほんの少し(本当に少しだよ!)疑ってたんだけど、化人と呼ばれていた化け物の戦いで見せてくれた、あの剣裁きや、銃の射撃の腕前を見て、本当なんだなァと実感したのを今でも覚えている。
だけど、学校での彼は、とても明るく朗らかだ。太陽みたいに、色んな人に日だまりを与えている。
皆守クンもきっと、それを貰っている一人。
今までは遅刻も多いし、授業には出ない。無断欠席や早退も多かった。人とも積極的に関わろうとしないし、友達も皆無で、本人もそれで構わないと言わんばかりに、ラベンダーのアロマを吸う日々。
だけど、暁斗クンが来てから、変わった。
屋上で出会ったその日から、暁斗クンは皆守クンによく話し掛け、授業に誘ったりしていた。皆守クンも、露骨に避けていたり逃げていたけど、だんだん二人は一緒にいる時間が多くなって、最近では、どちらか片方が見えなくなる方が、珍しくなってしまっている。
口を開けば、喧嘩も多いけど、それでも離れない二人。
なんだか、うらやましいな。
自然と口から溜め息が漏れた。
「ん、どうしたの、八千穂」
するどくあたしの溜め息に気付いて、暁斗クンが覗き込む。
「ううん、何でもないよ」
慌てて、笑顔を作って首を振った。暁斗クンはまだ納得しないで、心配そうにこちらを窺っている。皆守クンも何か言いたそうだったけど、おもむろに暁斗クンの頭を軽く小突いた。
たちまち暁斗クンの意識は、皆守クンに向かってあたしは安心した。危ない危ない。暁斗クンは、人の気持ちに敏感な所があるから。心の中で、皆守クンに感謝しながら、取り留めのない会話に加わって音楽室に入る。
ピアノの前に座っていた背の高い男の子が、こちらを見て笑った。
「……暁斗君」
「おー、取手ー」
暁斗クンは男の子−取手クンに駆け寄り、抱きついた。こんなスキンシップは彼にとっては挨拶のようなものだけど、取手クンにとっては大事らしく、顔を赤くして暁斗クンを慌てて支える。
「ちッ、あのバカ」
皆守クンが舌打ちをして、二人のところまで大股に歩き、暁斗クンの首根っこを掴み、引き剥がす。「なにすんだよ!」とまた暁斗クンが怒って、賑やかなやり取りがまた始まった。これはもううちのクラスでは馴染みの光景で、みんな笑いながら見ている。あたしももちろん首を出さずに(出したらなんか怖いんだもん)決められた席に座った。そして、斜め右前の一つ机を隔てた席に座る、物静かな女の子を見る。
一番に眼を引くのは、床にまで付いてしまいそうな長い髪。何をするでもなく、そっと俯いている整って線の細い輪郭の顔。瞬きをしたのか、睫毛が動いた。
彼女の名前は、白岐幽花、サン。
あたしが今、一番気になっている子だ。
白岐さんと同じクラスになれたのは、三年生が初めて。それまでも、窓から何かを見つめながら立ち留まる姿はよく見かけていたから、顔は知っていたけど、内面はうかがいしれない。
どんな事を話すのかな。美術部だって聞いたけど、どんな絵を描くのかな。好きな食べ物って何だろう。芸能人とか、どんなテレビ番組見ているのかな。
あたしの中に、聞いてみたくて、知りたい事が増えて頭が一杯になってくる。そうなるとうずうずして、じっとしてられない。
ちゃんと、話して聞いてみれば、すぐに分かる事なんだろうけど。うまくいかない。話し掛けようと意気込んでも、すぐに足が竦んでしまう。緊張して前に進めない。
みるみる勇気がしぼんで、溜め息が出てしまう。
仲良くなりたいのに。
どうしたら、いいんだろう。
そんな時、あたしは暁斗クンの顔を思い出す。誰に対しても両手を広げて飛び込み、打ち解ける彼が本当にうらやましい。
どうしたら、彼のように行動出来るんだろう。
「八千穂?」
「……わッ!」
眼前に迫る暁斗クンの顔に、あたしは驚いて、椅子から落ちかけた。慌てて支えてもらう。
「わ、悪い。そこまで驚くとは思ってなかったから」
謝る暁斗クンの後ろで、皆守クンが呆れてこちらを見ていた。
「……何やってんだ。ぼーっとして」
「もう、授業終わったぞ」
暁斗クンの言葉に、あたしは辺りを見回す。音楽室にはあたしと暁斗クンと皆守クンの三人だけ。授業中ずっとぼおっとしてたんだ。恥ずかしくて、一気に頬が熱くなった。先生に当てられなかったのが、不幸中の幸いだ。
「あ、あははっ……。ごめんね。考え事してて。さ、帰ろっか」
教科書を手に取って、あたしは教室から出るように二人を促す。暁斗クンが、じっとこちらをみているから、自分の考えていた事が当てられてしまうんじゃないかと、ハラハラしてしまう。
逃げ腰になってしまったあたしの手を、暁斗クンが取る。そして、皆守クンを見て、にかりと笑った。
「悪い。今日は八千穂とお昼一緒にするよ」
皆守クンは、アロマプロップを手にして、笑って返す。
「ま、せいぜい楽しんでこいよ」
屋上は晴れて、秋の柔らかな太陽の陽射しが落ちてくる。だけど吹く風は冷たいから、そこでお昼ご飯を食べる人の数は少ない。
「ん〜ッ、いい天気!」
踏み出して、大きく背伸びした暁斗クンの後に続くと、青い空が広がっていた。寒さが、青い色を濃くさせていて、とても綺麗。
フェンスまで手を引かれ、それに凭れて座る。鉄の擦れあう音。息を吸えば、もうすぐ冬になる冷たい空気が肺の中に入る。
「いただきます」
手を合わせてそう言って、カレーパンの包みを破る暁斗クンの横で、あたしも焼そばパンのラップを剥がした。おごりで買ってもらったコーンポタージュの缶のプルトップを開ける。暁斗クンはコーヒー(意外にもブラックが好きらしい)を一口飲んでから大きくカレーパンにかぶりついた。それだけで、半分以上カレーパンはなくなってしまう。
もそもそとパンを食べ続けるあたしの横で、もう全部食べてしまった暁斗クンは、こちらの横顔を見つめて、静かに切り出してくる。
「何か、オレに言いたい事でもあった?」
「え」
「だって、音楽の時間オレの方をじーっと見てたでしょ?」
さすがは《宝探し屋》。人の動向をよく見ている。
「まぁ、八千穂が言いたくなかったら、それはそれでいいんだけど。我慢は身体によくないよ」
「……」
あたしは焼そばパンに大きく口を開けてかぶりついた。人気のあるソースを味わい、飲み込んで、口を開く。
「うらやましい」
「は?」
「暁斗クンがッ、うらやましいなって思ったのッ」
暁斗クンがぽかんと眼を丸くする。やっぱりいきなりそう言われたら、当たり前の反応だよね。あたしは脳を働かせて、ごちゃまぜになっている言葉を並び変え、整理して言い直した。
「暁斗クンは、友達作りの名人だから」
「それがうらやましいと」
暁斗クンが、大袈裟に肩を竦める。
「それを言うなら八千穂がそうだろ」
「でも、皆守クンとあんなに仲良くなってる。あの人付き合いもしなくって、無気力不健康優良児の皆守クンが今じゃ、甲斐甲斐しく暁斗クンの世話やいてるじゃない」
「……なんか、皆守がオレのお母さんみたいに聞こえるな……」
複雑そうに呟く暁斗クンを、あたしは見上げる。
「ねぇ、どうやったらそんな風に仲良く、なれるかな?」
恐れずに、足を踏み出して、声をかけたい。
寂しそうに窓際に立つ彼女の、
「友達に、なれるのかな……」
青空をぽつんと一つの雲が、ゆっくりと風に流れていく。それを眼で追いながら、足を地面に投げ出した暁斗クンは、ぽつりと言った。
「そりゃ、やっぱり話し掛けないと、でしょ」
ゆっくり暁斗クンは話し始めた。
「見つめるなんて、誰にでもできる。そこから先は実際に行動しなきゃ、結果すら出ないよ」
「でも、嫌われたら、どうしよう」
暁斗クンの言う事は正しいかもしれないけれど、もし失敗して怒らせたらどうしよう。実行してそうなってしまったらと思うと、とても怖い。
「オレが、皆守とそうなったら、謝るよ。ちゃんと口に出して言って、せっかく人には気持ちを言える口があるんだからさ。使わないと勿体無い。
八千穂は、そのことをちゃあんと知ってるよ。オレが保証する」
「……でもなぁ」
「……今の八千穂に足らないのは、ほんの少しのチャンスと、背中の後押しだな」
「へ?」
「行こう」
暁斗クンは立ち上がるとあたしの手を引っ張って立たせる。そして、そのまま校内へと入っていった。どんどん引きずられるように歩いて、あたしは戸惑う。一体何をする気なの?
廊下を歩き、階段を降りて下駄箱を抜けて、外へ。目くるめく変わっていく景色。
そして、着いた場所は温室だった。中に入ってようやくあたしの手は解放される。
「もう、びっくりするじゃない。いきなり引っ張って」
「……いやぁ、愛の宅配便?」
「テキトーな事言わないのッ」
お昼ご飯全部食べきれてなかったのに。
「まあま、そんな事言わずに、さ。じゃ、オレはこの辺で」
誤魔化すように笑って、暁斗クンはさっさと外に出てしまう。置いてきぼりにされたあたしは、思わず大声で名前を呼んだ。
「……誰か、いるの?」
声が聞こえた。弾かれるように声のした方を振り向くと、そこにはあたしが友達になりたくて仕方のない彼女が立っている。
「しらき、サン」
「……八千穂さん?」
白岐さんはきょとんと不思議そうな眼であたしを見ている。うん、そうだよね。あたしも不思議だよ。
ああ、暁斗クン。分かっててこんな事したんだね。してやられたよ。少しだけ、強引な彼が恨めしい。
『せっかく人には気持ちを言える口があるんだからさ。使わないと勿体無い』
暁斗クンの言葉がよみがえる。
……そうだね。じゃないと、あたしのこの気持ちが、かわいそう、だもんね。
あたしは決心した。しっかり拳を握りしめ、気合いを入れるとあたしはしっかり白岐サンを見た。
「−−あのね−−」
鼻歌混じりで温室を出たオレは、校舎へ戻る。下駄箱の前に突っ立っている人影を見つけ、笑った。
「皆守」
「お前、人の注目集めてたぞ。恥ずかしい奴め」
「これも可愛い友の為だと思えば、オールオッケーなのですよ」
「ま、俺には関係ない事だけどな」
そう言いつつ、しっかりと八千穂と話す時間をくれた皆守に、そっとオレは苦笑を漏らす。まったく、素直じゃない。
「……何だよ」
「なーんでもないよ。あー、腹減った。カレーパン一個じゃやっぱ足りんな」
「ふん、マミーズにでも行くか」
「おお、いいね!」
「お前のおごりでな」
「………うう」
皆守と並んで歩きオレは温室の方を見た。今頃は、何を話しているのかな。
無理矢理ではあったが、心の中でお互い友達になりたいと願っていた二人だ。うまくいくだろう。
オレは微笑んで、マミーズへの道を歩いた。
数時間後、オレは八千穂から、白岐と一緒にマミーズに行く約束をしたと嬉しそうに報告を受ける事になった。
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