- Sing a song! -
音楽はとても楽しいものだけど、聞いてくれる人がいて、その人が笑っていてくれれば、さらに楽しいものなんだ。
ねぇ、そうでしょう?
昼休みの音楽室。グランドピアノの蓋を開け、取手は鍵盤に指を乗せた。すぐ横に立っている暁斗を見る。教科書を手に頷く彼を見てから、一呼吸おいてメロディを奏ではじめた。
緩やかな前奏が終わり、暁斗は教科書の楽譜を眼で追いながら歌いだす。
男子にしては高めの声。綺麗だと思いながら取手は耳をすませた。
歌の最初は音程も合い、ピアノの音色と重なって綺麗な調和が取れていたが、次第に少しずつずれていく。
ちゃんと分かっているらしく、暁斗は合わせようと、教科書を見て必死に努力するが出来ず、さらに焦る。頑張れば頑張る程ずれは酷くなり、いたたまれなくなった暁斗は歌を止めた。
続けて、取手も指を止める。
「…どうしたんだい?」
うなだれる暁斗に、取手は訊ねた。
「駄目だ。オレは歌えない」
強く首を振る暁斗。きょとんと取手は眼を丸くする。
「でも、今度の授業でテストがあるから歌わないと」
「あああああ…」
肩を落として、暁斗は大袈裟にへたり込んだ。
取手が遺跡の呪いから解放され、《宝》を取り戻してから、彼は暁斗のクラスでの音楽の授業で、講師としてピアノを教えている。
それは《宝》を取り戻してくれた暁斗に、その存在がいかに大切だったのかを聞かせる為と、彼に音楽の素晴らしさを知ってほしかったから。幸いにも彼の授業は、クラス全体に受け入れられ、中には楽しみにしている人もいるらしい。暁斗もその一人と知った時は凄く嬉しかった。
音楽の教師も思った以上に効果がある事を、嬉しく思ったようで、前回の授業が終わると、こう提案した。
「せっかく取手君が弾いてくれるんだもの。ピアノの伴奏に合わせたテストでもしてみましょう」
「音楽は好きだよ。聞くのも、歌うのも。取手のピアノは別格さ」
「ありがとう」
「どういたしまして。でもな」
教科書が木の床に落ちる。暁斗は頭を抱えて地を這うような低く響く声を挙げて呻く。
「でも、オレは下手なんだよ。歌うのが………!!」
《宝探し屋》としての技能はずば抜けた分、他の技術を疎かにしていたツケが、今ここに来た。小さい頃から歌の練習なんてした事もない暁斗が、いきなり歌えと言われても無理な話で、試しに歌った時、皆守に思いきり笑われた。
傍から見れば、ドングリの背比べだと同級生皆に言われてはいるが、それでも、何だか無性に悔しい。暁斗は皆守を見返す為に、取手に頼み込んで歌の特訓を行なっていた。
ピアノがうまければ、歌もうまくなるかも。安易な考えを持っていたのだが、それも甘い考えだったかもしれない。
うまく、歌えない。
「ああああ。このままだとオレは皆守に鼻で笑われる。
『なんだ、俺をバカにするわりには、お前も大した事ないな』なーんて言うに決まってるんだ−ッ!!」
御丁寧に皆守の口まねまでして、暁斗は自分で自分を貶めている。口調の勢いに押され、取手は苦笑した。どうやら、あの二人は相変わらず仲がいいようだ。
暁斗は挑発するだけして、皆守は躱しつつも結局は乗せられている。保健室でも同じようなやり取りを見ているから、取手は二人の事をよく知っていた。
もしかして、二人よりも二人が仲がいい事を知っているのかも。そう考えると、何だか嬉しい。
何よりも、暁斗の友達でいられる事が誇らしいのかもしれない。
「ねぇ、暁斗君」
鍵盤に乗せた指で押さえて、ピアノを鳴らす。小さくとも軽くて綺麗な音が、響く。
「うまくなくたっていいじゃない」
頭を抱えた腕の間から、暁斗が見上げてくる。笑って、眼を伏せると視線を落とし、次々と音を鳴らした。
「音符をきれいに辿って歌うより、君が楽しく歌ってくれる方が嬉しいな」
僕を助けてくれた時のように、あの笑顔を見せてほしい。
音は連なり、楽しげな曲へと変化していく。
「ね、歌って」
「…でもなぁ」
「笑わないよ」
だって、君が歌うもの。噛み締めるように呟いた。
「…笑わない。だから、歌って。聞かせて、君の歌を」
暁斗がゆっくりと立ち上がる。取手の方を見て、照れたように笑うと、落とした教科書を拾い、ページを閉じてピアノの上に置く。そして、歌いはじめた。
すぐに声とピアノはずれてしまったけれど、今度は曲が止む事はなかった。
ほら、君が歌うと、僕も楽しい。
取手は暁斗と眼を合わせ、にっこり微笑むとピアノを弾いた。
音楽はとても楽しいものだけど、聞いてくれる人がいて、その人が笑っていてくれれば、さらに楽しくなる。
それ以上に君が笑って歌うのなら、僕はとても嬉しくなるんだ。
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