ふわふわと、温い水の中を漂っているみたい。
 静かな広い部屋。熱に浮かされた自分の荒い息づかいを聞きながら、そんなことを思う。肩まで掛けられた毛布が重い。いやこの場合、重たく感じるのは自分の身体の方か。
 質の悪い風をひいてしまった。ソルファレナで流行っている類のもので、身体を走る寒気と同時に高熱が襲ってくる。
 他の者に移っては大事だ、特に姫様には。そう医者の診断を受けてから、部屋には誰も入ってこなくなった。例外は、食事と薬の時間、そして汗を掻いて寝台のシーツや着ているものを代える時だけ。それも終ったらすぐに人はいなくなってしまう。
 ひとり熱と戦いながら、眠る。寝苦しさに起き、脇に置いてある水差で水分補給してまた無理矢理眠る。その繰り返し。ずっとカーテンが締められているせいか、いつ瞼を開けても昼夜の区別がはっきりつかない。加えて熱で朦朧とした意識では、はっきりとものを見ることすら叶わなかった。
 細い呼吸を繰り返す度に、痛む喉がひゅうと鳴る。身体と共に、気持ちも弱っていたのだろう。側に誰もいない。当たり前のことがひどく寂しかった。
 ――誰か。
 助けを求めるように毛布から出した手を伸ばす。すると驚いたことに誰かが、その手をとってくれた。そしてゆっくり優しく手が包み込まれ、握りしめられる。
 瞼越しに光が見えた。青くて優しい、柔らかな光。落ち着くその色がほんの少し強くなると、額に冷たく心地良いものが触れた。
 気持ちいい。苦しかったものが薄れ、身体に篭っていた力が自然と抜けていく。何よりも、手を握ってくれる感触が、心細さを慰めてくれた。
 誰だろう。
 瞼をゆっくり開けるが、熱に浮かされた状態では、目の前にいるのは誰か判別は難しい。でも、こうして僕の側にいてくれることが、とても嬉しく泣いてしまいそうだった。
 もうちょっと、傍にいて。
 握りしめてくれる手と、額に触れる冷たさ。どちらも離し難く、つい引き止める言葉を口に出す。いつもだったら言わない言葉。
 すると握りしめられた手に、ぎゅっと力が篭る。
「行きませんよ、どこにも。ずっと、あなたのそばにいます」
 遠くから聞こえる声が、静かに優しく耳の奥へと木霊する。


 まるで、今までのことが夢だったようだ。
 元老院の向側にある、小さな船着き場。王子はその端の段差に腰を掛けて、夜空を見上げていた。昼間から雲一つない晴天だったお陰で、今日はよく星が見える。耳を澄ませれば、フェイタス河を流れる水の音と相まって、心が落ち着くようだった。
 昔はよく、こんな風に部屋を抜け出して夜空を見上げたものだった。嫌なことばかり言う人の声が、河の流れに遠ざかっていくみたいに感じて安らげたから。
 そうしていた時と同じところに座り、同じように空を見上げる。輝く星も、涼やかな水の音も昔と全く変わらない。
 だから、つい勘違いしてしまう。
 全部、夢だったのではないかと。
「―――あれ、王子?」
 突然、背後から声がした。肩を震わせ、ぱっと振り向くとよく見知った存在がこちらに向かってくる姿が見える。
「カイル」
「そんなところで何やってんですかー?」
 胸の高さに上げた手をひらひらさせて、カイルが王子の後ろに立った。頭を仰け反らせて見上げる王子を覗き込むように、軽く上体を倒してにっと笑う。
「主役が抜けてちゃ、宴盛り上がらないんじゃないですか?」
「そんなことないって」
 王子は首を振って嘆息する。カイルに向けていた視線を河に移し「今日の宴に、主役とかそう言うのは関係ないよ」と言った。
 今夜太陽宮では、盛大な宴が行われている。ソルファレナとリムスレーアをゴドウィンから取り戻した祝いだ。まだ完全に決着がついていないのだから、と生真面目なものが異義を唱えていたが「良いんじゃないですか? 目出たいことには変わりないんですし」と事も無げに言った軍師の一言で、それは一蹴されている。
 ここからではさすがに分からないが、もう少し太陽宮に近づくと、宴の賑やかな雰囲気が伝わってくるだろう。軍の中には、賑やかな面々も多い。一人ぐらい抜けたところで、容易に気づける人間はいないだろう。
「僕がいなくても、十分盛り上がっているよ」
「まー、そうなんですけど」
 カイルは肩を竦めて、緩く首を振った。
「賑やかすぎる気もするんですよねー。……不謹慎なぐらいに」
「珍しい。カイルが宴の日にそんなことを言うなんて」
 本気で驚き、カイルの方を振り向いて王子は目を丸くする。散々な言われようにカイルは肩を落として「オレだってたまには真面目になりますよー。まだ、マルスカール殿が残ってるんですから」とぼやいた。
 カイルの言う通りだ。ソルファレナをゴドウィンの手から取り戻す際、マルスカールは太陽の紋章を持って、何処かに消えてしまっていた。人を出して行方を追っているが、今の所足取りは掴めていない。
「オレとしては、いやーなことはさっぱりと終らせてから騒ぎたいもんです」
 やり残しがあると、カイルは気になって仕方ないらしい。
「それに今回は、楽しむどころか酔っぱらったミアキス殿を落ち着かせるので一杯になって、ろくに飲んでませんし……。酒癖が悪すぎですよ、あの人」
 片手で顔を覆うカイルに「仕方ないよ」と王子は笑った。
「ミアキスは久しぶりにリムと会えたんだ。はしゃいじゃっても仕方ないよ」
 王子は座っていた位置を横へずらし、自分の隣をぽんぽんと叩いた。
「ここ、座ったら? いつまでも立ったままで話されると、こっちの首が痛くなる」
「オレ、邪魔じゃないです?」
「カイルなら、構わないよ」
 それじゃあ、とカイルが王子の隣に座る。宴のまっただ中にいた名残りか、ふわりと酒の匂いがした。
「王子は何故、ここに? 酔いさましですか」
「え? 僕お酒飲んでないよ」
 きょとんと王子が眼を丸くした。
「でも顔が赤くなっていますよ」
 自分の頬を指して、カイルは指摘する。「そうなの? 鏡見てないから分からないけど……」と王子は掌で自分の頬を包み込む。ほんのりと熱が皮膚に伝わった。
「もしかしたら、場の空気にあてられたのかもしれませんね。すっごいですからねー、今」
 太陽宮の方を見て、カイルが苦笑する。
「仕方ないよ」と王子もつられて笑う。
「今までずっと頑張ってきたんだもの。みんな、嬉しくて仕方ないんだよ」
 そして太陽宮の方へと視線を移し、目を細める。
「……やっと、ソルファレナを取り戻したんだから」
 マルスカールは逃げてしまったが、ソルファレナとリムスレーアは取り戻すことが出来た。それはゴドウィン家の謀反が起き、軍を起こしてからずっと掲げてきた目標。ずっと前に進み続け、ようやく願いは現実のものとなった。
「……そう、やっと、戻って来れたんだ……」
 呟く声には何故か悲しさが滲む。「王子?」と怪訝な目でカイルは膝を抱え、そこに頭を凭れる王子を見る。
「どうしたんですか? 何だか浮かない顔をして」
「そうかな? ……そうかも」
 否定しかけ、王子は一変してカイルの問いかけを肯定した。
 俯いたまま、静かなフェイタス河の流れをじっと見つめる。
「何か、全部夢みたいな気がしたんだ。さっき」
「夢……ですか?」
「うん。今までのこと、全部」
 久しぶりに戻った自室は、全く変わっていなかった。女官達が、なんとしても王子の部屋はそのままにしておくのだと、誰の手も入らないように尽力していたことを、王子は兵士から聞いていた。
 ソルファレナの街をこっそり見て回った時もそうだった。最後に歩いた時と変わらない街並。優しい人たち。何もかもが、変わらない。まるで、軍を起こし戦っていた時のことが夢だったんじゃないかと、錯覚してしまうほど。
「夢じゃないですよ」とカイルは首を振った。
「王子は軍の先頭に立って、戦ってきたじゃないですか。オレはそれを近くで見てきました。王子はもっと胸を張っていいんです。ソルファレナも……姫様も取り戻せたのは貴方の頑張りがあったからだ」
「うん……」
 頷きながらも、王子は浮かないままだ。「王子?」とカイルが不安に眉間へ皺を寄せる。
「でも……、もう、帰ってこない人もいるんだ……。父上も母上も……叔母上も……」
 悲痛な響きを持った声音に、カイルは口籠ってしまう。
 何も変わらない部屋や、街並。
 全てが夢なんじゃないか。
 だから、フェリドやアルシュタート、サイアリーズも生きていて、笑いかけてくれるんじゃないだろうか。
 そんな馬鹿げていて子供じみているような淡い期待は、すぐに打ち壊された。
 どんなに探しても、あの人たちはもういない。残っているのは、確かにそこに居たんだ、と言う昔の記憶にこびり着いた面影だけで。もう、思い出の中でしか笑ってくれない。
「ガレオンから聞いて。叔母上の死は僕自身、見ていたのに。――死んでしまったのだと理解していたのに。だけどそれは、つもりだったみたいだ」
 王子はカイルを見て笑った。だが、カイルは難しい顔のまま、王子を見ている。笑うのに失敗したみたいだ、と王子は思った。
 これ以上笑みを繕うことも出来なくて、王子はカイルの視線を引き剥がすように、立ち上がった。川辺の縁に立ち、くっと口元を自嘲の形に上げる。
「……寂しいね」
「オレがいますよ」
 カイルが立ち上がり、王子の手首を掴んだ。振り向くと、カイルが真剣な表情で王子を見ていた。
「オレは貴方を置いていったりしません」
「――本当に?」
 カイルの言葉に王子が返したのは、試すような視線だった。嘘を言っているんだろう、と言いたげな眼。
「本当はカイル……」
 途中で言葉は止まり、王子は口を噤んだ。今、してはならないことを仕出かそうとしていた。こんなこと、言ってはいけないだろう。カイルは、離反したサイアリーズの方に行きたかったんじゃないか、だなんて。
 ソルファレナに向かう前日。サイアリーズの部屋で王子はカイルとはち合わせた。やってきた王子を見て「変わってないですね、この部屋。サイアリーズ様がいた時と全然変わらない」と言った。
 いつもと変わらない軽い口調。なのに、表情は寂しそうだった。
 もう少し、ここにいます、と言って部屋に残った背中を見て、王子もまた寂しくなる。もしかしたらカイルは叔母上の方に行きたかったんじゃないか。そんな考えが頭について離れなかった。
 カイルがサイアリーズと仲が良いのは知っている。カイルがそう思うのも自然なのかもしれない。本当は行きたくて行きたくて仕方なかったのが、僕がいるから動けなかったんじゃないのか。そんな暗い考えが過って、ついカイルの言葉に捻くれた言葉を返してしまう。
 愚かだ。今、考えたことは、カイルにも叔母上にも無礼になる。二人とも、ファレナの為に戦ってくれたのに。自分一人子供みたい考えで、カイルを困らせている。
 自らの発言を後悔するように瞼を閉じて俯き、ゆるく頭を振る。
「……ごめん。意地が悪すぎた」
 胸元をきゅっと握りしめる。
「カイルを、困らせるつもりはないんだ。ごめん……」
 カイルが、置いていかないと言ってくれた時、素直に嬉しい気持ちもあったのに。どうして素直に受け止められないのだろう。
「戻ろう」
 王子は顔を上げ、無理矢理笑顔を作った。
「これ以上長居したら、身体が冷えちゃうし。ね?」
 探るような視線を向け続けるカイルの視線を引き剥がすように、王子は背を向け太陽宮へ戻ろうと歩き始める。しかし、足はすぐに止まり王子は急にふらついた頭を押え、その場にしゃがみ込んでしまった。どうしてだろう、身体がすごく重くて、熱い。
「王子!?」
 いきなり崩れ落ちた王子を、駆け寄ったカイルが慌てて後ろから支えた。「失礼します」と彼の手が、王子の前髪を払い、額に当てられる。
「ちょっ、王子! すごい熱があるじゃないですか!」
 慌てるカイルの声が、何故か遠くでぼやけているように聞こえる。
 ああ、そうか。熱があったんだ。王子は自分の不調に納得する。道理で顔が赤かったり、頭がひどく重たい感じがすると思ったんだ。
「そうか……。道理でふらつくと思ったら……」
「んな人事みたいに言わないでくださいよ!」
 カイルは怒って叱り、助けを求めるようにあたりを見回す。だが、周りに人影はない。舌打ちし、意を決したカイルは、「失礼します」と王子の背中と膝裏に手を差し入れ横抱きにした。
「もう少しの我慢ですから」
 走り出すカイルの胸に頭を埋め、荒く息をつきながら王子は瞼を閉じる。

 冷たくて、気持ちいい。
 額に触れるものの心地よさに、息を吐く。身じろぎながら瞼をあけると、すぐ傍にカイルがいた。机の椅子を寝台近くまで引き寄せ、こちらをじっと見ている。
「カイル……」
「どうしてご自分のことなのに、気づかないかなー王子は」
 呆れた溜め息を吐いてカイルは言った。
 シルヴァが診た結果によると、発熱の原因は疲労だった。溜まりに溜まっていたのが、気の緩みで一気に吹き出し体調不良の形で現れたらしい。
「しばらく絶対安静だそうです。いい機会じゃないですか。ゆっくり休んでもらいますからね」
 手厳しいカイルに王子は大人しく頷いた。平気だと思っていたが、熱のせいで重たい身体は動くのも億劫だ。それを敢て平気だ、と言える余裕もない。
「今氷を持ってきてもらうよう頼んでます。しばらく待っていてください」
「え? じゃあ、この冷たいのって……」
「ああ、オレの手ですよ」
 カイルは王子の額に当てていた手を外し、王子に甲を向けて見せた。宿された流水の紋章が、青白い光を放っている。紋章の力をつかって、冷気を生み出しているようだった。
「ごく弱い力でやってるんですけど……。冷たすぎたりしてません?」
「ううん。丁度いいよ」
 王子は首を振り「冷たくて気持ちいい」と眼を細める。
「もうちょっと」
 そうねだると、カイルは答えるまでもなく当たり前のように再び王子の額に掌を当てた。
 熱を吸い取る冷たさに、眼を閉じて心地よさを享受する。真っ暗やみになった視界の中、「ねえ王子」とカイルが呼ぶ。
「王子がさっき聞こうとしたこと、当ててさしあげましょうか?」
「………」
 王子は口を噤んだ。カイルは気づいている。さっき何を口走りかけたのか。
 一呼吸置き、カイルは聞きたくないことを言ってしまう。
「どうしてサイアリーズ様の所に行かなかったのか、でしょ?」
 それは訊ねると言うより、確認に近いような口調だった。その通りなのだが、かといって肯定する気にもなれない。額に当てられた手を押し退け、王子は寝返りを打ってカイルに背を向ける。当たりだと、カイルに言っているようなものだった。
「王子」
 怒るでもなく、カイルはあやすような手付きで王子の頭を撫でた。
「オレは行く気なんてさらさらありませんよ」
「叔母上のこと、好きなんじゃないの?」
 棘の混じる声で王子は言った。ずっと怖くて聞けなかったのに、上手く思考が働かない熱のせいで、言葉はするりと出てきてしまう。聞きたくないのに、何を言ってるんだろう。惨めで情けなくて、涙が出てしまう。
 こっちから聞いたくせに、答えは聞きたくなくて、王子は背を丸め、毛布の中に潜り込む形になった。するとカイルが「そんなに固くならないでくださいよ」と苦笑する。
「サイアリーズ様は好きですよ」
「………」
「でもサイアリーズ様とは違う、特別な意味で好きなのは、貴方だけです」
「えっ……?」
 王子は眼を見開き、カイルの方を向いた。カイルは顔を見せた王子に安堵の表情を見せ、微笑む。
「オレは決めてるんです。ずっと貴方の傍にいます、って」
 どこかで聞いたことがある台詞に驚く王子に、何故かカイルも眼を丸くする。
「あ、もしかして、思い出したとか?」
「え、あ。もしかして、昔にも同じようなことがあったの?」
 思わず肘を付いて上体を起こす。だが熱で気怠るい身体はそれだけでも辛く、すぐに背中から寝台へと落ちた。「落ち着いてくださいよ」とカイルは苦笑しながら、紋章で光ったままの手で王子の額に触れた。落ち込む素振りはない。カイルには王子の反応は予想内だったようだった。
「やっぱりあやふやですよねえ。あん時も王子、熱が高くって朦朧としてたみたいですし」
「熱……」
 もしかして、小さい頃に質の悪い風をひいた時のことだろうか。そう聞くと「そうです」と少し嬉しそうにカイルは答えた。
「部屋、風邪がうつるといけないから入っちゃいけないって、言われてたんですけどね。でもどうしても心配で入っちゃったんですよオレ」
 人の眼を盗んで忍び込んだ立ち入り禁止の王子の部屋。大きな寝台に寝かされた小さな王子は、高熱にうなされ、とても苦しそうだった。額に当てていただろう冷たく濡らされた布も、カイルが手に取った時はすっかり温くなってしまっていて。思わず宿していた水の紋章の力を借りてしまった。
 王子が少しでも楽になるよう、冷たくなった手を額に当てる。もう片方の手は、助けを求めるように伸ばされた小さな手を握りしめ。
「王子、あの時うわ言で言ってた。そばにいて、って。オレはそれを守りたくなったんです」
 瞠目する王子に、カイルは悪戯っぽく片目をつむった。
「自分でも呆れましたよ。言った本人すら、覚えているかどうかも怪しい。そんな約束を一人で馬鹿みたいに守って。だけどオレは、それを後悔したことはありません。貴方が好きだから」
「……っ」
 するりと滑り出た告白に、王子は震え、胸が詰まる。
「貴方がオレが他の誰かを好きだとか、そんなこと疑う余地なんて、最初っから隙間もないんですよ」
 驚く王子に、カイルが眼を細めて笑う。
「だってオレは、あの時から可能な限りその約束を守ってる。破られることはオレか貴方が死ぬ限りあり得ないでしょう。そんなオレに、他の誰を好きになれと? そんなの出来ませんよ」
 優しいだけの声音が、だんだん甘さを含むものへと擦り変わっていく。じんと、身体の芯が震えるのは、熱のせいだけじゃない。カイルのせいだ。
 身体を帯びる熱が高くなり、隠れるように再びカイルに背を向ける。顔を見られたくなくて、両手で覆った。
 ほんの数刻まで、カイルのことを疑っていたのに。その考えは本人によって切り捨てられ、生まれた空白に自分の思いを埋め込んでいく。
 逃げられなくなりそうだ。甘い苦さに捕われてしまう。
 王子、とカイルが呼ぶ声がした後、ぎしりと軋む音がする。顔を覆った指の隙間から、覆い被さるように寝台に手をつく姿が見える。
「――まだ、疑ってます?」
 返事がないのに焦れたんだろう。声は少しだけ苛ついていた。
 違う。疑ってない、と顔を覆ったまま首を振る。だけど言葉が出てこなくて言えないだけだ。
 どうすれば、疑いの欠片など残ってないと、伝えることができるだろう。
 ぎゅっと眼をつむった。
 もう、なるようになれ、だ。
 寝返りを打つ。顔を覆っていた手を上に伸ばせば、カイルに触れた。指先が髪に触れ、それを梳くように手を動かした。
「おう、」
 両手を首に巻き付け、自分から身体を浮き上がらせるように持ち上げ、その唇に触れる。そしてそのまま、カイルの身体をこっちへ引き寄せた。
 倒れこんだ身体は重い。だけど温かくて気持ちいい。
 しがみつくように抱き締める力に「これは、期待してもいいってことですよね」と耳元で聞こえた。
 返事の代わりに、頷く。すると、ゆっくり背中に逞しい腕が回った。
「王子」
「好きだよ」
 吐き出すように声を絞り出した。
「疑って、ごめんね。傍にいてくれて……ありがとう」
 いいえ、と僅かに身体を起こし、カイルが首を振る。鼻先が触れあいそうな距離で、カイルは嬉しそうに笑っていた。
「これからもずっと、貴方の傍にいます。約束しますから」
 カイルの言葉に何度も頷き、王子はカイルの頬に手を伸ばすともう一度、その唇に愛おしくキスを落とした。





08/10/08
最初アンソロ用に書いてたんですが、せっかく目出たいアンソロなのに暗いのはどうよと思って没にした話でした。
かいねぎを書くのに叔母上はある意味外せないですよね……。