どこから名前を呼ばれた気がした。
 自室でティーは読んでいた本から視線を上げる。辺りを見回すが、誰もいない。侍女はティーが呼ばない限り自ら来る事はないし、リオンも今鍛練をしに、訓練場へと行っていた。
 気のせいかな。読書に集中していて、疲れているのかも。
 ふう、と一息つき、ティーは大きく背伸びをした。肩の凝りを感じ、そこを揉みながら本に栞を挟んだ。どうやら思っている以上に身体が疲れている。読書をしているだけだとは言っても、同じ姿勢を取り続けていれば、負担は掛かってしまう。
 ――休憩しよう。
 茶を煎れようと、ティーは部屋の片隅に置いてある茶器を取りに行く為、立ち上がる。その時また「ティー様っ」と呼ぶ声が聞こえた。今度ははっきりと聞こえ、ティーは声のした窓の方を振り向く。

「えっ?」

 ティーは目を丸くした。
 カイルが外から手を振っている。
 それを見て、ティーは血の気がひくのを感じ震え上がった。部屋があるのは二階。つまりカイルは腕の力だけで己の身体を支えている事になる。二階と言えど、そこは十分な高さだ。落ちたら死ぬまでと行かなくても、骨折ぐらい十分にあり得るだろう。

「ちょ、バカ!!」

 ティーは思わず怒鳴り、カイルの腕を両手で掴んだ。「あれ、ティー様?」と呑気なカイルの声が憎らしい。一体誰のせいでこんなに慌てていると思ってるんだろうか。ティーはそう罵りたくなる。

「危ないからとっとと部屋に入る!!」

 不思議そうに首をかしげるカイルに、ティーは尚も怒鳴った。腕を力一杯引っ張るが、体格差のせいで全然びくともしない。ティーは最近、武術にも力を入れ、体力も格段についてきた。だが、こうしてカイルを引っ張りあげることも出来ないのだと、自分の弱さを実感してしまう。
 カイルは目を丸くしてティーを見ていたが、「ああなるほど」と小さく呟いて嬉しそうに笑った。そして一気に締まりのない笑顔になり、

「はーい、ティー様落ち着いてー。今、中に入りますからちょーっと手を離してくださーい」

 とティーを宥める。ぽんぽんと手を叩かれ我に返ったティーが、カイルの言う通り手を離した。するとカイルは窓枠を掴み直し、足を掛け、ひょいと部屋に入ってきてしまう。

「これで、いいですかねー」

 服についた埃を払い落としながら、カイルがティーに尋ねた。そしてさっき以上に締らない笑みを浮かべ、幸せを噛み締めるように言った。

「もう、オレすっごく嬉しいですー」
「……何が」

 こっちは心臓に悪い思いをしたのに。ティーは、早鐘を打つ心臓を落ち着かせるのに必死だった。

「だって、ティー様がオレの心配してくれたんですもん。それって愛されてるって事ですよねー」
「――――なっ!」

 ティーの頬が、みるみるうちに赤くなって熱を持つ。それが恥ずかしくてティーは思わず「違う!」とそっぽを向いた。

「別に心配なんてしていない! ただカイルが落ちたら騒ぎになるし。僕そう言うの嫌だから。だから」
「分かってますって」

 本意なんてお見通しだと言わんばかりに、カイルが言った。
 ティーはふやけた笑顔のカイルを、憎らしく睨み付ける。
 だが、これ以上何かを言っても、きっとカイルを言い負かせる事は出来ない。だからティーはそっぽを向くことでカイルに対し、精一杯の抵抗をした。
 もう知らない。
 そう思っていても、きっと同じ事が起こったらまた慌てそうな自分を思い浮かべるのは簡単で。ティーは己の単純さを少しだけ呪った。


07/11/09
しばらく文を書いてなかったのでリハビリに。その2。
王子をツンデレ風味に。……なっているかな……?