名前を聞くのも疎んじていた兄――ティーと和解して、リムスレーアは以前よりも生き生きし、輝いていた。邪険に嫌っていた頃、よく眉間に刻み込んだ皺は消え、苛々する回数も減っていく。
 そして何より笑うようになった。屈託のない、無邪気な笑顔は、見る者をほっとさせる。
 いつかならねばならない女王への気負いを、必要以上に背負っていた頃はリムスレーアは大人びていた姿を見せていた。だが、勉学の合間にいそいそと兄の元へ向かう姿は楽しげで、年相応の子供の姿になる。護衛のミアキスを引き連れて、楽しそうに歩く王女を、太陽宮に使える者は皆、良い傾向として捉えていた。
 誰もが王家の人間を慕っている。ずっと仲違いしていた兄妹がようやく心を通じ合わせられることを、喜ばしく見守っている。

 今日もリムスレーアは、ミアキスを連れてティーの居室へ向かっていた。今日はどんな話をしようか。どんなことを聞こうか。考えるだけで心が弾む。つられて自然と弾んでいく足取りに、後ろをついていたミアキスがくすりと微笑ましく笑う。

「姫様ぁ。そんなに急がなくても王子は逃げませんよぉ?」

 ついつい歩みを早めていくリムスレーアに、ミアキスは言った。ティー会いたさに急ぐ姿も可愛いが、浮かれ過ぎて転んでしまうのではないかと言う不安もある。

「分かっておるのじゃ!」

 リムスレーアがミアキスを振り返って言った。

「でも時間は限られておる。わらわの休憩時間は長くなったりはしないからの。こうしておる間も惜しいわ」
「転んでも知りませんよぉ?」
「分かっておる!」

 答えてリムスレーアは前を向く。歩く早さは先程と変わっていない。困ったもんですねぇ、とミアキスはちょっぴり眉を寄せたが、それ以上口を挟みはしなかった。ミアキスもまた、リムスレーアとティーが仲直りして嬉しい人間の一人だ。出来た溝を埋めるようにティーの元へ通うリムスレーアを、止めるなんて出来る訳がない。
 まぁ、王子とお喋りする姫様はとーっても可愛らしいですから。それを間近で見られる特権がありますしねぇ……。
 ミアキスは兄妹の両親ですら見ることが出来ない光景を一人占めしている。贅沢なものを見せてもらっているんだし、これぐらいは許容しないと、と納得し頷く。
 西と東を繋ぐ吹抜けに差し掛かった時、不意にリムスレーアが欄干に近づいた。下を見つめ、さっきまでのご機嫌が嘘のように口を尖らせる。
 ミアキスがそっとリムスレーアの隣に並び、同じように下を見た。そして、リムスレーアがいきなり不機嫌になった理由に、なるほど、と目を瞬かせる。
 一階の大広間に、ティーがいた。仕事をしていなければならない筈の、女王騎士と一緒に。
 二階までは声は届かないが、二人とも楽しそうに笑っていた。ティーもカイルも、リムスレーアたちが見ていることにも気付かずに、話を弾ませている。

「あらぁ、カイル殿ったらまたサボりですか……。この前ザハーク殿に怒られたばっかりなのに。懲りませんよねぇ」

 そうミアキスはリムスレーアに同意を求めたが、答えは返ってこない。両手で欄干を握りしめ、厳めしい面を作る。

「……カイルはずるいのじゃ」

 リムスレーアはぷくりと頬を膨らませた。「なぁ、ミアキスもそう思うじゃろ?」とミアキスに尋ねる。
「そうですねぇ」と答えながらも、ミアキスは笑顔だ。リムスレーアを見つめ、膨れた頬にうっとり目を細める。
 ミアキスにとってリムスレーアは、目に入れても痛くない存在。笑顔はもちろん、拗ねた顔や悄気た顔もまた彼女の目には可愛らしく映る。時にわざとリムスレーアをからかうのも、怒った顔が見たいから、と言う少々護衛の立場からすれば、ずれた考えによるものだった。
 カイルに対しやきもちを焼くリムスレーアを抱き締め、頬擦りしたい衝動を抑えながらミアキスは「落ち着いてくださいよぉ」と宥めにかかる。

「ほら、あんまりほっぺたを膨らませていると落っこちちゃいますしぃ」

 にっと自らの頬を突つくミアキスに、リムスレーアは慌てて自分の頬を押えた。「そ、そんなことある訳なかろう!?」と言いながらも手を離そうとしない。
 それを見て、ミアキスの顔が和らぐ。その眼差しは、護衛と言うよりも妹を見守る姉のそれに近かった。

「姫様は、カイル殿が嫌いですか?」

 ミアキスは膝をつき、リムスレーアの視線に合わせて尋ねた。
 リムスレーアは目を何度か瞬かせ、ちらりと視線を一階のカイルに向ける。

「……分からないのじゃ」

 複雑な声音でリムスレーアは答えた。

「カイルは今まで兄上を支えてくれておる。もちろん今だってそうじゃ。それにわらわにも同じように接してくれる。特別扱いをしないのは嬉しいのじゃが……」

 ティーとカイルが二人でいるところを見てしまうと、リムスレーアはほんの少し置いてきぼりをされたような気分になる。勿論、彼らにそんなつもりはないのは分かっている。だが、ティーと一緒にいた時間は、リムスレーアよりもカイルが格段に長い。だから、二人が一緒にいるところを見ると、その絆の深さを見せつけられるような気になってしまう。
 考えているうちに思いがこんがらがり、リムスレーアは「う〜……分からなくなってきたのじゃ」と頬を当てていた手を上げ、頭を抱えた。
 カイルの事は嫌いじゃない。でも、ティーと一緒の姿を見るのは、少しだけ嫌になる。
 言葉に形容出来ない思いに唸るリムスレーアを「大丈夫ですよぉ、姫様」とミアキスが優しくその手をとった。

「確かにカイル殿は王子と仲良しこよしですけど。でもそうだからって、王子は姫様を放っておいたりしませんから」
「……本当か?」
「えぇ、本当ですよぉ!」

 リムスレーアが兄を慕っているように、ティーもまた妹を大切に思っている。きっとリムスレーアの不安を知ったら、すぐにでも優しく微笑んでそれを取り除いてくれるだろう。

「だから心配は無用ですぅ」

 断言するミアキスに「……そうかのぉ?」とまだリムスレーアは不安そうだ。

「大丈夫ですって」

 ほら、とミアキスは下を指差した。いつの間にか二階にいる二人に気付き、ティーが見上げて手を振っている。「リム!」と名前を呼ぶ声にリムスレーアがぱあっと顔を明るくさせた。

「ほらほら、早く手を振り返してあげないと」

 促すミアキスに押され、リムスレーアは「兄上ーっ!」と欄干から手を伸ばし大きく振る。そしてミアキスを振り返えり「早く行くのじゃ! 兄上を待たせてはならぬ!」と急いで下へ向い出す。
 あっという間に不機嫌が直ったリムスレーアに「今度はこっちがちょっぴり妬けちゃいますねぇ」とミアキスは呟き、そして笑った。


07/09/12
例えどんな話だろうと根底にかいねぎを持っていくよ。
兄妹も好きですが、かいねぎも好きだから!