やけに右腕が重い。

 ゆるりと深い眠りから意識が浮上し、シグレは己の異変に眉を顰める。
 寝台に投げ出した右腕の肘から指先が痺れていた。感覚が全く無くて、指一本すら思い通りに動かせない。ついでに言えば、肘の辺りに重たいものが乗っているような重量感があった。
 疲れているんだろうか、とシグレは思う。昨日はいつもよりも多くの仕事をこなし――オボロがサギリと比べて割り振りを多くしていたのだろう。迷惑な話だ――疲労が溜っていたのは事実だ。だが、それが腕に集中するのはまずあり得ないだろう。
 変な覚醒をしたせいで眠気は取れ切れず、シグレは大きく欠伸をした。取り合えず肘にのっかっている重量感は何だろうと、仰向けから横へと寝返りを打って、開いた左手で右手に触れてみようとする。
 自分の腕に触れる前に、何か別の物が指先に触れた。掠れた時さらさらと指の間を滑らかなものが通り過ぎる。びくりとそこから指を離し、躊躇しながら直ぐに再び近づく。
 何だか目を開けたくない気持ちが胸の奥から沸いてきたが、このまま現実から目を背ける訳にもいかない。シグレは瞼を開けて、長い前髪の間から見えるものを凝視した。
 血の気が一瞬で引く。あれ程強かった眠気が一気に吹き飛んで、ぞわぞわと嫌な予感が背中を這いずり回る。
 自分の隣で人形に盛り上がっている布団。端から覗くのは、まごう事なき銀色の髪。それはすうすうと規則正しく寝息を立てながら、シグレの胸に擦りよっていた。

「…………………」

 シグレは無言のまま布団を捲り上げる。そこには王子が気持ち良さそうに眠っていた。シグレの右腕を枕にして、無防備な寝顔を晒している。
 本来ならしっかりと護衛の目が行き届いた場所にいるべき存在がここにいる事に、シグレは脱力する。今ごろ生真面目な護衛の少女は、自室に居ない王子を心配しているだろう。そう思うと哀れに思えてくる。
 それに、

「なんつー格好してんだよ………」
 
 王子の着ている寝巻きの合わせ目は見事に肌蹴け、肩から細い腰まで白い肌が露になっていた。腰帯も結び目が弛んでいる。もし解けたらただ服を羽織っている、と言った方が正しくなってしまうだろう。
 よくよく見れば、ほっそりとした足は自分のそれに絡められている。正に今のシグレは、王子の抱き枕と呼ばれるに相応しかった。布団を捲られ寒くなったのか、王子はさらにシグレの温もりへ引き寄せられていく。
 密着してくる王子に、シグレは慌てた。王子が何故ここにいるとか、いつの間に潜り込んだのか。疑問はいくつもあったが、それよりもまずこの状況を打破したい思いがそれらに打ち勝つ。
 シグレは王子の肩を掴んで押しやろうとした。だが、王子は動かず、むうぅ、と唸りながらシグレの方へと体重を傾けた。
 右手が痺れている状態ではうまく力は出せない。シグレはそのまま王子に押され、寝台から転げ落ちる。冷たい床に尻や腰を打ち付けて、せっかくの温もりがどんどん吸い込まれていく。
 起き上がりかけ、シグレは続けて落ちてきた王子の下敷きになる。今度は腹にのしかかった重みに息が止まった。

 悪い事でもしたんだろうか、俺は。

 寝台から落ちても、呑気に王子は自分の上で寝ている。シグレは「勘弁してくれよ」と呟きながら己の不運を呪った。



「待ってってば、シグレ!」
「…………………」

 キセルを銜えて不機嫌に歩くシグレの後ろを、王子が追い掛けている。たまたま横を通り過ぎた女性は見慣れた光景にくすりと笑いながら、それを見送った。シグレを何かと気にかけている王子が、こうしてその背中を追い掛ける姿は本拠地では良く見られる光景だ。王子とリムスレーアの仲を知っている仲間は『まるで王子が姫様のようになった』と言う人もいる。かつて妹が兄を追い掛けていたように、王子もまた、シグレを同じように追い掛けていた。
 だがシグレは追い掛けてくる存在を待つ事はあまりしない。たいていは鬱陶しがって逃げる方が多いのだ。
 無言を保ったままの背中を見失わないように目を反らさず、王子は距離が広がらないように急ぎ足になった。その気になればシグレはすぐに王子を撒く事ができる。

「悪かったと思ってるよ、勝手に布団に潜り込んで寝ちゃって」
「…………」
「でも、シグレの隣は居心地がいいからつい」

 本当は一目見てすぐ帰るつもりだった。いつも文句を言いながらも働いてくれる彼に感謝して、少しでもゆっくり休んでもらおうと思っていたが、ついもっと傍に居たくなって――シグレの温もりに包まれたくなって、気がつけば布団に潜り込んでしまっていた。

「…………お前は、つい、でそんなことをするのか?」

 振り向かないままシグレがようやく応えた。感情を押し殺した声で素っ気ない。それでもようやく返ってきた反応に、王子はぱっと顔を綻ばせた。

「するよ。だってシグレだもん」

 相手がシグレだからこそ、王子は大胆になれる。他の人には一歩引いてしまう事が、彼だと不思議に心が素直になれた。いつもするりと伸ばした手を躱していくから、捕まえたい気持ちもあるんだろう。
 捕まえて、自分を見てほしい。

「――シグレじゃなきゃ、こんなことしないよ」

 告白まがいな台詞に、シグレが肩を震わせいきなり歩みを止めた。急停止に勢い良く歩いていた王子は止まれず、そのまま広い背中に追突する。
 羽織から煙草の匂いがした。シグレが銜えている煙管の煙から薄く染み付いた匂い。
 ――大好きな人のもの。
 安心出来るその匂いを肺に吸い込み、王子は心地よさを覚える。とても安心出来て落ち着けた。そして、ああやっぱり僕はシグレの隣が一番いいんだ、と王子は再認識する。
 そっと手を伸ばして、シグレの背中に顔を埋めたまま、羽織をぎゅっと握りしめた。

「……お前は本当にそんな事ばっかり言いやがって」

 聞かされる身にもなってほしい、とシグレは重く長い溜め息をつく。

「じゃあ聞くけど、シグレは僕と一緒に寝るのは…………いや?」

 後ろから手を回して抱きつきながら王子が尋ねる。シグレは固まり「……それはだな」と困ったように頭を掻いた。何だかんだ言いながらも、シグレは王子が傷付く事をあまり言えない。護衛の少女が煩いのもあるが、自分自身が、彼の傷付く顔を見るのが嫌な部分も、ある。
 ここで、嫌だ、と言ったら確実に王子は泣きそうになるだろう。

「…………嫌だったら、もう行かないけど…………」

 嫌われたくないし。
 そう哀しげに呟き、王子はシグレから離れようとした。

「…………っ」

 シグレは思わず振り向き、腕を掴んで王子と向き合う。大きな青い瞳が瞬いてシグレを見ている。驚いている王子に、シグレはしどろもどろになりながらも「べっ、別に………嫌じゃ、ねえよ」と言った。

「本当?」
「………ああ」
「ほんとに本当?」
「何度も言わせんな」

 言いながら恥ずかしくなったのか、徐々にシグレの視線が王子から反れていく。前髪の隙間から見える目元が、僅かに朱に染まっていた。「ああ、何言ってんだかな、俺も」とぼやく横顔がとても可愛く思え、王子は「嬉しい」と笑う。

「けどな。人の断りもなしで勝手に入られるんじゃ困る」

 慌てて言い繕うシグレに、王子はさらりと「なら断りを入れればいいんだね」と返した。絶句するシグレに、にこりと笑い、そっと彼の手に手を重ねる。

「今日、泊まりに来てもいいですか?」
「……………………」

 シグレは暫く黙り込んでから「好きにしろ」と短く返答した。そう言われて、無下に断るなんて出来る訳がない。勝ち目のない戦いに呆気無く白旗を上げる。
 やったと喜ぶ勝者を見つめ、シグレは項垂れる。
 本当は朝のあれだけでもいっぱいいっぱいだったのだ。
 寝乱れた寝巻きの合わせ目から覗いた白い肌、細い腰。無邪気な寝顔はそれ故に無防備すぎて余計に劣情を煽ってくる。
 本人にその気がなかろうが、シグレから見ればそれは誘っているのと同じだった。だから王子の身を案じて逃げているのに、彼自身がそれを壊していく。

 ――本当に、全く。

 いくつもの言葉が頭を過る。だが喜ぶ王子を目の当たりにし、胸の奥へ仕舞い込むと代わりに溜め息を漏らした。


 ――今日は長い夜になりそうだった。




06/12/08
王子誘い受祭に参加しよう!と思い立ち書いたものです。
王子誘い受けになってるでしょうか………?
実際シグレは受け身の方がぶっちゃけシチュ的には多いと思うのですが、その分王子が頑張って、シグレを押して押して、最後には負かせばいいと思います(イイ笑顔)
読んだ方が少しでも楽しんでいただければ幸いです。

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