その日は朝から風が強かった。草原を薙ぎ、川面を静かに波立たせて、それは夜まで続いた。静寂が広がる暗闇、星の輝きが見える窓から外を見上げ、ティーは硝子に手をやり溜め息をつく。
 昔から、どうにも風の強い夜は苦手だった。小さい頃のある時を境に、硝子を叩く耳障りな音や、ひゅうお、と吹きすさぶ風の音がとても怖く聞こえて眠れなくなる。
 今日もそうだった。風が吹く度に、ティーの肩がびくりと震え上がり。そわそわと落ち着きが無くなる。
 ばあん、と一際大きく音が響き渡った時、ティーは身を竦ませ、何所かに避難しようと外套を羽織ると、寝台から立って扉に手を伸ばす。

「………」

 
駄目だ。
 ティーは、扉に伸ばしかけた手を引っ込めた。 今まで平気だと太陽宮の頃から強情に言い張ってき続けた。なのに今更一緒に居て欲しいなどと助けをもらうなんて虫のいい話だ。
 それにただ風の音に怯えて眠れないなんて、子供じゃあるまいし、いい加減平気にならないといけないだろう。
 肩に羽織っていた外套をかき合わせ、ティーは寝台へ戻った。机に置いていた読み掛けの本を手に、脇机のランプを灯す。時折聞こえる風の吹く音を努めて聞かないようにして本の頁を捲った。
 今日も一日動き通し、身体も疲れている。こうやって本を捲って読んでいれば、いつか眠気がやってくる。風なんて気にならないぐらいに眠れるだろう。多分。
 早く眠くなれと願いながら、ティーは本を読むが、それに反して一向に眠気はやってこない。それどころか目が冴えてしまい、困り果てた。風の音に恐怖感が植え付けられてしまっている。身体が過敏に反応してしまって、ぞわぞわと寒気が走る。
 とうとう限界が来てしまい、ティーは本を投げ頭ごと毛布をかぶった。瞼を閉じて、耳を塞ぐ。
早く風なんて通り過ぎてしまえ。だがいくらティーが願っても、それは無情にもすぐにかなわなそうだった。
 どれだけの間そうしていただろう。突然、遠く扉を叩く音が聞こえてきた。何度かそれは続いて「ティー様」と呼ばれる。

「……カイル?」

 ティーは身を起こして扉を見た。風の音を聞き間違えた幻聴かと思ったが、今度は確かに「ティー様」とカイルの声がする。

「夜分にすいません。起きていますか?」

 返答に一瞬戸惑うが、さっきカイルの名前を呼んでしまっている。きっとあの男は自分が起きていると分かっているのだろう。

「…起きてるよ」

 渋々答えると今度は「部屋に入ってきてもいいですか?」と声が尋ねた。
 断る理由もない。それにそうしたら逆に心配される事は明らかだった。

「……いいよ」
「失礼します」

 カイルが静かに部屋に入ってきた。不寝番の彼は深夜にも関わらず女王騎士の鎧姿のままだった。ティーについて一日中働いていたのに、疲れや眠気のかけらも見せていない。
 対して毛布をかぶったままのティーは、だらしない格好に慌てて服を整えた。

「ああ、いいですよ。横になってたんですから」

 笑って止めるカイルに、ティーは「じゃあどうして僕が起きてるって分かったの?」と尋ねる。騒いでいないから、外に立っていてもすぐに気付けないだろう。
「簡単ですよ」とカイルは片目を瞑った。

「扉の隙間から明りが漏れていたから」
「あ……」
「ティー様はそう言うところはきっちりしてますからね。消し忘れて寝る、なんてないでしょう? だから」
「………」

 脇机の消し忘れた明りを呆然と見つめ、ティーは恥ずかしさに口を尖らせ俯いた。少し考えればすぐ分かる事だ。いかに今の自分が本調子じゃないか、カイルの前で露呈してしまい、言葉に詰まる。

「…それで何の用」

 誤魔化すように用件を聞く。

「いや、用件って程のことでもないですけど」とカイルは頭を掻きつつ視線を泳がせる。見上げて来るティーに、そっと優しく笑いかける。

「今日不寝番なんですけど、風の音が凄くて一人じゃちょっと嫌なんですよねー」

 座り込んでいるティーの隣にカイルは腰を下ろす。

「だから誰かと一緒に居たくて、こうして来ちゃいました」
「………」

 ティーはカイルの言葉を嘘だと分かった。今までカイルが風に怯えたなんて聞いたことがない。カイルもティーが自分の嘘を見破っていると理解しているのだろうが、彼はそのまま続ける。

「だから風が止むまで、ここに避難させてください」

 ね、とカイルは頼み込む。
 そこでティーはようやくカイルの意図に気付いた。意地を張って助けを拒んでいたティーが甘えられるように、見え透いた嘘をついて、その理由を与えてくれている。誰かに見つかっても、風を怖がっているのはカイルだと言えるような状況を作って。

「…いいの?」

 甘えてしまっても。

「いいの、はこっちの台詞ですよ。お願いしてるのはオレなんですから」

 カイルはティーを見て、再び尋ねた。

「しばらく、ここにいてもいてもいいですか?」
「………」

 きゅ、と唇を噛み締め、悔しそうにカイルをねめつけ、ティーは言った。

「…いいよ。その代わり騒がないこと。夜遅いから」
「わかってますって。…手、握って良いですか?」
「仕方ないなあ」

 そう言いながら、ティーはどこか安心したように手を差し出す。それを見て、カイルも安堵の笑みを浮かべ、その手を握り締めた。




06/10/15
車の練習を終えて、散々叱られた後だったのでブルーになりながら携帯で打ってた話でした。
でも、何かカイルの言動とか打ってると心が軽くなるから不思議。二人でいる場面だけでも心が癒される。
そしてかいねぎの素晴らしさを再確認する訳です。あははん。