食事の最中、ティーはいきなり箸を持つ手を握りしめ、唇を押えた。強く瞑られた瞼の端が薄らと涙に濡れ、小さく唸りながら俯く。

「ティー様?」

 突然おかしな行動をとったティーに驚いて、カイルは箸を置き「どうしたんですか」と様子を窺う。
 ティーは俯いたまま、ちらりと上目遣いにカイルを見た。

「し、した………」

 途切れ途切れの答えに、カイルはティーの身に何が起こったか理解する。

「舌、噛んじゃったんですね」

 カイルの言葉に、ティーはこくこくと頷いた。唇を押さえる手はそのままに、舌に広がる痛みに耐えている。加減もなく噛んでしまったので、とてつもなく痛かった。
 痛みに耐えるティーに、カイルは眉を下げて困りながらも「大変ですよね。オレもたまにやっちゃいますし」と苦笑する。ティーを置いて食事を続けるのも駄目だろう。落ち着くまで待とうと考えたカイルは、ふと周りにティーを心配そうに気遣う視線の数々に気がついた。その中には、ティーに好意を寄せている存在も少なからずいる。

「………」

 顎に指をやり、カイルは考え込む。やおら立ち上がると、集中している視線をものともせず、「失礼しますよ」と上体を乗り出してティーの頬を手のひらに包み込んだ。

「ちょっと見せてください、口の中」
「………う」

 促すカイルに、ティーは痛みのせいか素直に口から手を離し、薄くそこを開いた。隙間から舌を出しカイルに見せる。
 やらしい、とカイルは思いながら、舌の表面を検分した。噛んでしまったらしい舌の先端近くから、血が出て、表面に滲んで広がっている。
 カイルは顔を顰めた。

「どれだけ強く噛んだんですか。血が出てますよ」
「………あー」

 どうりで痛い筈だ。ティーは自分の迂闊さを恥じた。そそっかしいのにも程がある。
 外に出ていた舌が外気に触れ、乾くような感触がする。ティーは舌を仕舞って、カイルに礼を言おうとした。
 急に目の前が翳る。え、と大きく見開いた視界が、カイルの顔一杯に埋まる。

「消毒、しときましょうか」

 どうやって。ティーが尋ねるより早く、カイルの顔はさらに近づく。見る場所が違えば、それは接吻の場面のようになり、周りからどよめきの声が聞こえてきた。
 それと同時に、ティーとカイルの舌が重なる。触れあったのは一瞬だったが、湿った温もりが伝わり、ティーの心臓が大きく跳ねる。
 他愛無い事だったかのように、カイルは平素と変わらない調子で身を起し、椅子に戻った。ティーは呆然とカイルを見つめる。カイルは笑っていたが、ティーは自分の身に起こった事を反芻して、見る間に顔を真っ赤に染め上げた。
 周りから注がれる視線が多く、恥ずかしい。沢山の人に見られてしまい、居ても立ってもいられなくなる。

「な、なな、何すんの、いきなり!!」

 ばん、と机を叩き、ティーは怒鳴る。だがカイルは涼しい顔をして、肘をついた手の上に顎を乗せ、笑顔で答える。

「だから、消毒って言ったじゃないですか。ばい菌が入ったら大変ですよ?」

 片目を瞑るカイルにティーは俯き、手を握りしめて震わせる。「……バカじゃないの」と怒りを露に呟いて、カイルを睨み付けた。

「僕にとってのばい菌は、今のカイルだよっ!」

 こんな人がいるところで、口付け----よりも恥ずかしいかもしれない今回は----をしてくるだなんて、無神経にも程がある。今はもう、食堂にいたくなかった。
 ティーは唇を再び手で覆う。舌を噛んだ痛みは吹っ飛び、かわりにいたたまれなさが襲い、とうとうティーは踵を返して立ち上がり、食堂を走り去っていってしまう。乱暴に下げられた椅子が倒れ、けたたましい音を立てた。
 ちょっとやりすぎたかな。遠ざかる足音に、カイルは予想以上だったティーの慌てぶりに、苦笑しながら席を立ち、倒れたままの椅子を起こす。そして、一部始終を見せつけられた周りの人間を見回して----笑う。途端、カイルから逃げるように視線がばらけていった。
 これはカイルの予想通りだった。人の目を集める事を知った上で、カイルはあんな風にティーに触れた。そうして人の目に焼き付かせれば、ティーに好意を寄せていても近付けにくくなる牽制になる。これで、しばらくはティーに恋慕の感情を持つ人間は、自分を警戒して近寄ってこないだろう。
 横からかすめ取られてしまうだなんて、たまったもんじゃない。
 周りの反応は結果は上々だ、と暗に告げていてカイルは満足しながら席に戻る。
 だけどここにはいないが、一番手強い敵にはこんな小細工は通用しないだろうな、とカイルは内心複雑になりながらも、ティーが消えていった方向を見つめた。


06/09/27
一番手強い敵=シグレ です。





おまけ

「フヨウさん、うがい薬持ってきてくれ」
「あら、シグレちゃんどうしたの? 風邪でも引いたの。うがい薬だなんて」
「俺じゃねえよ。ティエンに使うんだよ」
「ええっ、王子様が風邪を引いたって事?」
「………まだ、そっちの方がマシだな」
「はい?」
「何でもない。それより早く薬」
「はいはい。しょうがないわねえ……」
「………シグレ」
「何だよサギリ」
「どうして王子様はシグレの腰に抱き着いて泣きそうな顔をしているの?」
「ばい菌がついたんだとさ。消毒が必要だろ。ったくあの不良騎士が。女王騎士が王族困らせてどうすんだって話だろうが、あの野郎………」
「……そう。でも怒るのも程々にした方がいいかも……」
「なんでだよ」
「そうしたら、今度はシグレが怖いって王子様が逃げ出すと思うから………」
「…………(俺はあいつと同類なのかよ)」



内心複雑シグレさん。
まぁ、実際は怒っている顔見えないので逃げないと思いますが。